広島の「シティ」ボーイに憧れて。男子校から延びる3つの帰り道について |文・コンテくん

著: コンテくん
漫画家のコンテくんという活動を始めてから3年が経った。普段は都内でCMプランナーをしていて、2020年から中高6年間通った男子校時代をゆるゆると描いたエッセイ漫画をSNSで投稿。今年の3月に「男子校の生態」でKADOKAWAから単行本デビュー。自分にとって普通だった男子校での生活が、世間に面白がってもらえる結果となり、なかなか香ばしい人生を歩んでいる気がする。本屋に自分の本があるのが今でも不思議な感覚だ。

男子校の舞台は、僕が生まれ育った広島県。川に囲まれた三角州にあるその学校での6年間は刺激的で、毎日学校に通うのが楽しかった。漫画の中にも描いたが「授業中にPerfumeを踊り出す子」や「ラブホについて語ってくれる先生」「休憩時間に裸でプールに飛び込む子」「話が短すぎる校長」といったことが突発的に起こるので休んでる暇がなく、ゴシップ好きな性格が功を奏したせいか6年間皆勤賞だった。そのときに男子校の男子たちを観察しまくったおかげで、数年後に漫画のネタにし、印税をもらうという最強にコスパいいことをやっている気がする。当時の級友たちに感謝したい。

学校は広島市の千田町にあり、自転車に乗ればJR広島駅や遊び場である紙屋町にすぐに行ける好立地でもある。東京で例えると、新宿の近くに学校があるようなものだと個人的に思っているが、あまり共感を得られないことが多い。でもそれくらい立地が魅力的な学校であり、中学受験時の小学校6年生の自分はそれが決め手で第一希望にしたくらいだった。アホかもしれないが、広島のシティボーイになりたかったのだ。そして晴れて合格し、広島のシティボーイの日々が始まったのである。

そんな僕には、自転車の帰り道が3つあった。

学校の正門から出ると、左・正面・右の3つの道が現れる。全然方角は違うけれど、自転車通学だったので(ある程度のラインまで行かなければ)多少回り道になるが、なんとなく帰れてしまうのだ。ちなみにまっすぐの道を選べば、一番早く帰れる。しかし、選択肢の多い帰り道のせいか、一緒に帰る人に合わせて帰り道を変えていた。だから、それぞれの道に想い出がある。

まずは、左の道。

この道の先にあるセブンイレブンの前にはバス停があり、バス通学の人たちとの会話が盛り上がると、この帰り道をチョイスしていた。例えば、吹奏楽部の部活帰りにバス通学の先輩と自転車を押しながら帰っているとき、例の3つの分かれ道で僕が正面の道へ向き「お疲れ様です!」と別れを告げると、先輩が僕の左肩を引っ張りながら左の道へと誘導し「あれ?今日も一緒の帰り道で帰ってくれるの?嬉しいなぁ〜」とボケはじめる。僕も「仕方ないですね〜!」と言いながら左へハンドルを切る。この茶番が僕は好きだった。

ゆっくり話せる道ではあったので、セブンイレブンの前では多くの先輩や後輩、そして同級生とたくさん語った気がする。おすすめの少女漫画を語る先輩や、人間関係がうまくいってない後輩、女子校の彼女ができた同級生。くだらないことから真剣な話。今思い返すと全部メモっておきたかった。ちなみにここのセブンイレブンは、西日本の中でも売り上げがめっちゃいいらしいと聞いた。リプトンやコーラスウォーターをレジ袋に入れたままストローで飲んだり、コンビニ弁当についたポイントシールを集めスヌーピーの皿を集めるやつがいたり、ananのセックス特集にアダルトDVDが付録でつくとみんなで買いに行ったりしていたので、男子校の男子たちがここの売上に結構貢献していたかもしれない。

そんなみんなをバス停から見送ったあと、いつもと違う道で帰る自転車の帰り道はスリルがあって楽しかった。同級生と「あっちの道はラブホが多いから行ってみようぜ!」と提案され、みんなでラブホ通りを並走した。なかなかおもしろい名前のラブホが多く(ガラスの城やホワイトハウスなど)、今でも同級生と会うとこの話で盛り上がる。

次に、右の道。

この道で帰る人はそんなに多くないが、駅前の塾に通う人がわりと通る帰り道だった。高校生になると塾に通う人が増え、新しいコミュニティの形ができ始める。英語に強い塾や数学が伸びる塾など、自分に合った塾を見つけ、同じ塾の友人と一緒に帰ることが増える。僕は地理の有名な予備校講師が広島にやってくる夏期講習を受講したことがあったので、この道を同じクラスの同級生と何度か通った。クラスが理系で進路が明確な子が多く、医者や技術者になりたい子が塾へ向かいがんばる姿をいつも見ていた。そんな同級生たちをひそかに応援しつつも、自分は「広島駅前の噴水で部活の先輩が他校の吹奏楽女子に告られたとき、めっちゃひどい振り方をしたら、吹奏楽コンクール会場でその学校の女子全員ににらみつけられたらしい、あの有名な駅前の噴水を今日も見て帰るか〜!」と非常にゆるい心意気で広島駅へと向かっていた。今思えばもっと褌(ふんどし)を締めて勉学に取りかかるべきだった。青春時代の反省ごとの一つでもある。

ちなみに、その噴水は広島駅前の開発で今はなくなってしまった。予算に余裕があったらぜひ噴水も再開発していただきたい。

最後に、正面の道。

自分にとって一番順当な帰り道であり、多くのチャリ通が通る道でもあった。そして一番買い食いをした道でもある。学校の近くにある広島風お好み焼き屋や300円の学生ラーメン屋、小籠包が美味しい中華料理屋やチェーンのコロッケ店。しかし、学生時代に通ったこのお店のすべてが今はもう閉店してしまった。高校生の時に食べたその味たちは、今も覚えている。しかし今はそれを食べることができない。卒業してから10年以上経っているので、店主の都合やコロナ禍の影響もあると思う。「宝くじで1億円当たったら何に使う?」という質問をされると、無難に「マンション買って資産運用」と答えていたが、今は「昔通っていたお店を復活させる」と言うかもしれない。それくらい青春の味だった。

今も帰省すると時折自転車で学校に行ってみることがある。当時のことを思い出しながら通学路を自転車で漕いでいると、なくなった風景も多くあることに気づく。学校の目の前にあったおでんの自動販売機、ボロボロだった路面電車のホーム、駅前の怪しいビデオ屋。当たり前だった風景はもう存在していない。6年間通っていた千田町は、ネオ千田町となり新しい街へと変わっていた。

漫画家になってよかったと思うことの一つは、自分の記憶の中に残っているこの千田町をいつでも復活させることができることだ。広島市の予算がなくても、自分の想像ひとつで再現できる。以前SNSで、学校近所に住む人から「当時の男子校の子たちを見て懐かしさがよみがえりました。ありがとう」というコメントをいただいたことがある。素敵な仕事を見つけることができたと思うし、「男子校の生態」を描き続けるモチベーションも出来た気がする。これからもひたすらに描き続けていきたい。

何気ない普通の帰り道を紹介してしまったが、僕にとってはいつだって特別な風景だった千田町。この3つの帰り道から、今日も男子校の男子たちは帰路につき、広島のパルコ前に集合して、ボーリングやカラオケに行ってるかもしれないし、それはもしかしたら自分たちの時代で終わってるかもしれない。だがそれも味わい深い。

著者:コンテくん

コンテくん

都内の映像プロダクションに勤めるCMプランナー兼マンガ家。背が低いゆえに日常でいろいろ起きたことをエッセイ漫画にしてSNSで日々更新中。2023年3月にKADOKAWAから中高6年間男子校だった想い出をゆるく描いた『男子校の生態』が書籍化。

Twitter / Instagram / TikTok / note : @conte_kun

編集:ツドイ