
2019年、海外ボランティアから帰国し、京都市左京区の聖護院に住むことになった。もともと帰国したら結婚する予定で、妻が聖護院にファミリーマンションを借りていたことから、そこで同居することになったのだ。聖護院という土地については詳しくなかったけど、住んでみたらとてもいいところですぐに好きになった。後に家を建てるときも、近くに空いている土地がないかしばらく探したぐらい、この場所になじんでいった。
平安神宮と共にあった聖護院での生活

帰国した月に婚姻届を出し、二カ月後に式を挙げた。結婚の準備って普通は半年から1年ぐらいかけてやるもんだと思っていたから、怒涛(どとう)のスピード感だった。妻のお母さんが大病を患っており、体の自由が効くうちにやれることをやりきってしまおうという試みだった。結婚式は自宅からも近い平安神宮で挙げた。平安神宮は妻の両親にとって思い出の場所で、そんな場所で挙式することにも妻の親孝行がいっぱい詰まっていた。
平安神宮で結婚式を挙げると、平安弥生会の会員になることで毎年御札がもらえたり、本殿の奥で特別参拝ができたり、神苑というお庭の入場が自由にできるフリーパスをもらえる。それもあって、結婚式の後も平安神宮には何度も通うことになった。神社の境内でニューイヤーのカウントダウンをしたり、正月には妻の両親と初詣に行ったり。特に神苑が、妻のお気に入りになった。春には桜が咲き、季節ごとに草花がそれぞれ違った色を見せ、大きな池にかかっている橋を渡り、緑あふれる広い敷地をゆったりと歩く。
平安神宮の神苑には、谷崎潤一郎の小説『細雪』に登場する有名な桜がある。僕ら夫婦は、たまたま二人でその小説を読み合っていた。昭和の日本文学を読んでいて、まさか近所の桜が出てくることなんてあるだろうか?桜の名所だとは思っていたが、『細雪』に登場する木のことはそれまで意識したことがなかった。それからは春になり、平安神宮を訪れるたびに例の桜の木を前にして「これがあの蒔岡(まきおか)シスターズが毎年眺めていた桜かあ」と感慨にふけった。
『細雪』は戦前の上流階級の生活を描いた小説で、主人公である蒔岡三姉妹の身の上に起こる出来事が物語の中心になっている。日常のささやかな機微に触れる話かと思いきや、わかりやすく劇的で波乱万丈な展開に、二人して驚いた。『細雪』というタイトルで、いかにも大人しい小説を想像していたから。
振り返ってみれば、聖護院での暮らしは、平安神宮と共にあった。季節を感じたいとき、気分を変えたいとき、日常の何気ない散歩の時間にも平安神宮とそのお庭を歩いた。妻の両親の思い出の場所は、僕ら夫婦にとっても馴染み深い憩いの場となっていった。神苑を歩きながら会話をし、写真を撮りあったり、季節の草花を愛でるこの時間が、僕らなりの夫婦の居心地のいい過ごし方だった。僕らは平安神宮で、名実共に夫婦になっていった。
吉田の節分祭、秋の金戒光明寺、真如堂

二月には、吉田神社の節分祭に行った。二人で行ったり、共通の友人と一緒に行ったり。僕は京都が地元なのに、吉田山の節分祭というものをここに住むまで全く知らなかった。妻と結婚して、ここに住んだからこそ知って訪れるようになった場所の一つだ。
秋には金戒光明寺、真如堂へ紅葉を見に行った。京都には紅葉の名所がたくさんあるなかで、このあたりはこぢんまりとしていてとても静かで、拝観者も少なく落ち着いていた。秋は観光の季節だけど、観光客が押し寄せない紅葉スポットは穴場かもしれない。少人数で行くのがおすすめです。
神社や寺が続くといかにも京都的だな、と感じる。結婚するまで僕は、全然そういうところを訪れなかった。妻が季節の行事を大事にしており、この地で二人で暮らすようになってから神社や寺、地域のお祭りを訪ねるようになった。四季の移り変わり、風情を妻が感じ取っていきいきしている様子を見るのが、僕の喜びになった。一人では行かない場所でも、夫婦二人だと何度も足を運んだ。
日常を過ごした岡崎公園周辺
僕が一人で行っていたような場所にも、夫婦二人で行くようになった。平安神宮のすぐそばにある蔦屋書店。自宅から一番近い書店がここで、何かとよく訪れた。蔦屋書店と併設のスターバックスは、毎週末めちゃくちゃ混んでいる。でもここの3階のスペースは穴場で、1階で行列ができていても、3階には空席があることがあった。そこで仕事をしたり、本を読んだり、予定がない日に二人でゆっくり過ごしたりした。外にはテラス席がある。ここのテラス席は閉店後もそのまま使用できて、共通の友人と三人で夜遅くまで話し込んだこともあった。近くに住む友人が二人いて、会いたいときに気軽に会えたことも、この街に住んだいいことの一つだった。天気が良く過ごしやすい日には、岡崎公園で食事をすることもあった。岡崎公園では頻繁に催し物が開かれており、屋台で買ったご飯を食べたりできる。僕は屋台にあまり関心がないけれど、妻は屋台飯の雰囲気を楽しめる人なので、二人で暮らすようになって屋台のご飯を食べることも増えた。
岡崎公園の南側には「みやこめっせ」というイベント会場があり、ここで年一回開催されている文学フリマにも、二人で暮らし始めてから初めて行った。文学フリマとは自主制作本のフリーマーケットで、京都以外もあちこちで開催されている。個人や企業、大学のサークルなどが参加しており、ここでしか買えない本に出会うことができる。僕はもともと目星をつけていた本を買うことが多かったが、妻はその場のインスピレーションやブースでの説明を聞いて購入していた。いろんな場面で、性格の違いがよく現れた。
夫婦二人で通った店
僕ら夫婦は性格が全然違う。知ってはいたけれど、共に暮らすようになり具体的な場面で数々直面することになった。聖護院で暮らした日々は、お互いの違いをより深く知る日々でもあった。聖護院近辺の店では、「ビィヤント」というカレー屋によく行った。標準でもしっかり辛めのカレー屋さんで、妻のお母さんもその味を気に入っていた。僕はさらに辛い辛口のカツカレーをよく頼み、妻はいつもシーフードカツカレーを頼んだ。揚げたてのカツが絶品です。
「蛸安」というたこ焼き屋にもよく行った。生地の焼き目の固さが好みです。
妻はそのお店にしかない珍しいメニューを頼みがちで、いつも違う物を食べていた。一方で僕はいつも同じ、オーソドックスなものを好む。
「パティスリーアキュイール」というケーキ屋ではときどきケーキやプリンを買った。いつ食べても安定して美味しい。
妻は甘いものをそれほど食べないが、僕はよく食べる。ベーグル屋の「ブラウニーブレッド&ベーグルズ」や、パン屋の「カッシーニ」へ行っても、僕はだいたい甘いお菓子系のベーグルやパンを選ぶことが多い。妻は惣菜系、おかず系を食べていた。この地に住んだからには、と思い、地元の銘菓である聖護院八ッ橋、西尾八ッ橋にもよく通った。年中通い詰めて、季節限定の八ッ橋がこんなにあることを知った。どのお店も聖護院に住んでいた時によく通った思い出の味だ。
僕は味に関しては辛いものや甘いものといった刺激的な味を好むけれど、店やメニュー選びはどちらかというと保守的。妻は極端な味付けは苦手だけど、季節限定や珍しいメニューを冒険する。そういう些細な違いも一緒に暮らし、いろんな店を訪れることで初めて知っていった。
聖護院で、僕らは夫婦になった
聖護院には4年住んだ。その間にはいいことがあり、大変なこともあり、僕らの「違い」から衝突することも多々あった。それは同時にお互いをよく知り、その上でさらに、自分自身とも向き合ってきた日々だった。お互いのいいところを知り、好きなことを知り、尊敬し合い、支え合った4年間を過ごした場所がこの地で良かったと思う。聖護院に住んだからこそ知れたことがあり、深まる絆があった。聖護院に住み始めたばかりの頃、新婚だった僕は今、結婚を控える妹に向かって、ベテランのふりをして偉そうに夫婦論を説いたりしている。でも実は、僕らがここに住み始めた頃は、結婚して一緒に住むということがどういうことか、まだよくわかっていなかった。お互い手探りで、どこかまだ恋人同士、相手のご機嫌を伺う他人行儀なところがあった。ここで過ごした日々の中で、自然と伝統と町の文化に育まれ、互いを知ることで僕らは僕らなりの夫婦としての在り方に落ち着いていったのだろう。
昨年引越して、聖護院での暮らしは終わりを迎えた。ただ、今も同じ京都市内、左京区には住んでおり、旧居の近くをときどき通ることがある。そんな時、どうしてもあの日々のことが思い起こされる。ここは僕たちが夫婦になった場所。これからも前を通るたびに、初々しかったあの日々を思い出すだろう。