東京・狛江と京都、自然豊かな街で「小田芳裕」として暮らした日々|おいでやす小田

書いた人:おいでやす小田

1978年京都府生まれ。NSC大阪校23期のピン芸人。2016年から2020年まで5年連続「R-1ぐらんぷり」決勝進出を果たす。2020年のM-1グランプリでこがけんとのコンビ「おいでやすこが」で決勝進出し話題に。


小さな円の中に、大きめのスーパーも飲食店も、病院も美容室もぎゅっと詰まっていて、駅前には畑や竹林までバーンとある、ジオラマのような街・狛江。「東京に行きたい」なんてまったく思っていなかった僕が、芸人として売れるために上京を決め、暮らすことにしたのは、そんな居心地のいい街だった。

狛江を知ったのは、新宿に通いやすい場所を探していたとき。新宿を中心に、最初は通勤15分圏内を調べていた。新宿の東側にある駅は、あんまり聞いたこともないしわからへん。じゃあ西側を、と物件を見て、東京の家賃に仰天した。「こんなもん払われへんで」と通勤20分圏内まで範囲を広げて調べたときに、とんでもなく家賃の安い物件があった。それが狛江との出会いだった。

いくつかの物件を内見するなかで、狛江にも部屋を見に行ったところ、小田急線狛江駅に「今年の春から準急行が止まります」と大きく掲示されていた。それを見た瞬間、「これは運命だ」と思って狛江に住むことを決めたのが、2018年のことだ。

新設された狛江のコミュニティラジオで番組を持つことに

もともと、慎重で大胆なことはしない性格。都会では人の量や駅の大きさに圧倒される僕に、狛江でののんびりした暮らしはよく合った。

住み始めてから2年ほど経った頃、自分がいつも行っているコンビニの2階に、コミュニティFM「コマラジ」が開設された。この時代に新しいラジオ局ができるなんて珍しいし、面白い街やなあと思っていたら、同期に誘われ、そこのラジオ番組に出ることになった。

そこでディレクターみたいなのをやっていたおばちゃんが、すごく気のいい人だった。「番組やろうよ」と言われ、仕事もないし暇やったから、しゃべる練習になるだろうと「いいですよ」とノーギャラで引き受けた。「おいでやすこが」としてユニットを組んでいたこがけんと一緒に、月に1回ぐらい録ってたんかな。「おいでやすこがの『おい!マイガ〜』」という番組だった。

その番組が始まる少し前から、狛江市内だけで1日数回流れる「ごみカレンダー」のアナウンス音声も僕の声になっていた。「○○地区のかた、×曜日、不燃ごみ」とか、ごみ収集の内容を伝えるものだ。たしか名乗らず、叫ぶわけでもなく淡々と読み上げていたので、「おいでやす小田の声だ」と市民の人が気づいていたかはわからない。なんかちょっと変わった街ですよね。

ラジオのおばちゃんが「ギャラはないけど、ごはん行こうよ」と連れて行ってくれたのは、狛江では有名な焼き鳥中心の居酒屋「やきとり ミートステーション」。自分でオーダーを紙に書いて渡すのだが、おじいちゃんが1人でやってる店だから、常連の人がお皿を配ったりと、当たり前みたいにみんなが手伝う。ほんまに地元密着というか、狛江に愛されている店だと思った。

ラジオをやっていたのは2020年4月からなので、M-1グランプリ2020で「おいでやすこが」として準優勝する半年ほど前。「夜明け前」とでも言えそうな下積み時代だが、その頃のことは楽しかった思い出として覚えている。

気分転換のために通った多摩川


自炊もしていたので、狛江に住んでいたときは、ほぼ毎日のように駅前のスーパー「Odakyu OX」には行っていた。北口を出たところにある、野菜や焼き鳥を売っている個人店にもたまに。同じ北口側だと、とんこつラーメンの「だるまのめ」にもしょっちゅう1人で行った。

南口のお店なら、醤油味噌ラーメンの「麺屋 黒船」にもよく行った。それから魚がおいしい居酒屋の「がくや」。「浜名ッ子」のうなぎは、一緒に狛江に越した奥さんが大好きで、狛江を出てから2年ほど経っても、未だに「浜名ッ子のうなぎが食べたい」と言っている。都心のほうと比べると、飲食店などお店の数自体は決して多くはないかもしれないが、自分にとっては十分だった。

コロナ禍に入ってすぐの頃など、なんだか息がつまるとき、一番行っていたのは間違いなく多摩川だった。多摩川で音楽を聴きながらウォーキングやランニングをするのが、いい気分転換になっていた。


昔、大阪の地下ライブをずっと一緒にやっていた先輩が「普段人工物に囲まれる中で、人の想像の限界を超える自然を直接目にするのは、とてもいいことや」と話していたのが心に残っている。なかなか売れない日々を狛江で過ごしていた当時、まったく焦らなかったわけではないが、たしかに多摩川や自然を見ていると「自分が成功しようがしまいが、それすらどうでもいいことなんじゃないか」「なんとかなるやろ」とも思えた。

山や大きな川などの自然は昔から好きで、なぜだかずっと見ていられる。それは鴨川のある、自然豊かな京都で育ったのが関係しているのかもしれない。

京都・南禅寺の湯豆腐屋で、通る声を褒められた


僕が育ったのは、京都市でも少し北側の、山のふもとの田舎のほう。わざわざ観光地を巡るというよりは、自然が溢れる落ち着く場所で過ごすのが好きだった。大阪にある吉本の養成所にも京都から通っていたし、もし大阪で売れていたり、普通に就職していたりしたら、今でも京都にいただろうと思うぐらいにはしっくり来る街だ。

養成所に行くお金を貯めるためにアルバイトをしたのは、新聞の折込チラシで偶然見つけた「南禅寺 聴松院」の湯豆腐屋。お寺の修繕費を集めるため、一定期間だけ開店していたこのバイト先には、桜の春と紅葉の秋に人が押し寄せていた。

このお寺は、店舗として考えるととんでもない広さ。しかも、古い木造の建物で密閉されていないため、寺の中で独立した昔ながらの厨房まで声が聞こえにくい。そこでお客さんから注文を受けて、調理場に聞こえるようにうわーっと「お願いします!」「お豆腐○○丁ー!」と言っていたら、女将さんに「いいねえ」「君の声は通るねえ」とめちゃくちゃ褒められた。そうやっておだてられるうちに、どんどんどんどん声が大きくなっていった。わーっと大きい声を周りに届けるようになったのは、そのときからかもしれない。

たまたま見つけたバイト先だったが、四季折々を感じながら、他にはない体験ができたこのバイト。「仕事」という感じもしなかったし、ほんまにやってよかったなと思っている。

京都でも北山・北大路あたりのお店は入りやすい

養成所に通い始めてからは、15年ほど前になくなってしまった木屋町の和食屋「しんご」でもバイトをしていた。面接に行ったら厨房から高校の同級生・岩井くんが出てきて、「何してんの?」と聞いたら「何してるのもなにも、俺の親父の店やで」と。

岩井くんとは高校時代は一言ぐらいしか喋らず、なんやったら他の友達と教室で机をくっつけて卓球をしていたときに、「俺の机を使うな」と怒られためっちゃ嫌なやつ。という印象だったが、偶然の再会をきっかけにとても仲良くなり、木屋町の「虎連坊(※閉店済み)」や「鉄板道場」に飲みに行くようになった。

今ではゆっくり立ち寄る時間もなかなかとれず、住んでいた頃に通った店の多くは潰れてしまったが、観光客がさらに増えた今でも、北山・北大路のあたりは店にも入りやすく、落ち着いて過ごせるんじゃないか。

京都から大阪に引越したのは、もう24年前。今は大阪を経由せずに東京の養成所に行く芸人も出てきたが、僕も惹かれたダウンタウンさんが大阪の養成所出身という影響も大きく、当時関西の若手は大阪に行くのが主流だった。そうでなくても、弱冠20歳前後の若者が比較的遠い都会・東京にいきなり向かうのは覚悟が必要。僕は多分ガツガツしているほうではないし、「上京したい」とは考えもしなかった。

ピン芸人として、王道の逆を進んだから住めた街


その後大阪で17年過ごし、上京してからは6年になるが、未だに六本木・麻布・銀座のような「みんながイメージする東京」は苦手で、仕事でなければ行かない。そんな僕が落ち着いて暮らせたのが狛江だった。

狛江は東京都狛江「市」。「23区外だとナメられるからみんな住まないし、23区外だから安いんだ」なんて話も住み始めてから聞いたが、特に気にならなかった。

今は一部の芸人が好きで継承しているだけだが、僕は「ちょっと家賃の高いところに無理して住んで、仕事を増やすのが芸人のやり方」という考えが盛り上がっていた、最後のほうの世代にあたる。それでも狛江という街を選ぶことに躊躇しなかったのは、「ピン芸人だったから」というところに答えがあるかもしれない。

ピン芸人を始めてからは、常に王道とされるものの逆を張るようになった。「先輩付き合いが大事」「後輩をお店に連れていく」「家賃の高い家に住む」「いろんなジャンルの人と交流する」……そういう、いわゆる「売れるために必要」とされていることを、ピン芸人になってからはすべて捨て、いかにいびつな形を形成できるかに没頭してきた。だからこそ、自分の意思であえて狛江を選んだ、というのはあると思う。と言うと、狛江に失礼ですが……。

それに、狛江ではほとんど声をかけられなかったのも心地よかった。

一応芸人なので、当たり前だが声をかけられたらすぐ対応できるよう、新宿や渋谷では自分でも知らないうちに、何%かは「おいでやす小田」として過ごしている。ところが、狛江に戻ってくると、ほぼ素の「小田芳裕」でいられたような気がするのだ。別に普段気を張っているというわけでもないが、小田急線の各駅停車でゆっくり帰ってきて、狛江駅で電車を降りた瞬間に「帰ってきたー」「ただいま」という気分になっていた。

今はもう少し交通の便がいい場所に引越したが、狛江は自分にとって、暮らすのに必要なものがすべてある街だったとあらためて思う。店もあって自然もあって、穏やかな人が多くて、ケンカの声やうるさいバイクの音もない、静かな街、狛江。これ以上何を望むんだろうか。

著: おいでやす小田

編集:ピース株式会社