胃袋を掴まれる街「西荻窪」|文・木下龍也

著: 木下龍也

人生が安定しそうになると、その安定が壊れてしまうことを想像して苦しくなる。そんなとき僕は、諦める、辞める、別れる、去る、などの方法で不安定になることを選んできた。いつでも逃げられるように深入りはしないようにしてきたし、そこに留まれば得られたはずの安定から逃げてきた。具体的な事例を書けないのは、それで傷つけたり、失望させたりしたであろう人の顔がいくつか頭に浮かぶからだ。

ひとつだけ書いておくなら、僕はおそらく父を失望させている。2016年に宅地建物取引士の資格を取得し、「東京で修行してくる」と父に申し出て、父の経営する山口県の不動産会社から東京の不動産会社へ転職をした。

住む場所として西荻窪を選んだのは、その会社に通勤しやすく、高いビルのない街の風景が地元に似ていたからだ。けれど2020年、僕は不動産業界から離れて、歌人として生計を立て始めた。そのことを直接は父に言っていない。母や妹から聞いているはずだが、父もそのことについて直接は僕に何も言ってこない。きっと、がっかりはしているだろう。

会社員のころは気が付かなかったが、この街には何かを書いて暮らしている人が多いように思う。昼間に出歩くようになってから、小説家や詩人や歌人に出会う機会も増えた。不動産業界から離れたとき、西荻窪からも離れようと思ったが、どこか同じ匂いを感じる人々の多いこの街から僕は離れられなかった。

住み始めて7年になる西荻窪の部屋に炊飯器と電子レンジがないのは、お金がないからではなく、生活を安定させるのが怖いからだ。安定した生活が壊れてしまうのが怖い。それゆえに生活というパズルから、部屋であたたかいお米やお惣菜を食べることができるというピースを抜き、少しでも不安定を保とうとしているのだ。いつか壊れてしまったとき、そのわかりやすい原因として炊飯器と電子レンジがないということを挙げ、だったら仕方ないよな、と思うために。

だから僕は外食が多く、西荻窪について何か書けるとしたら飲食店についてだ。いくつか紹介してみたい。

栄養・ボリュームたっぷりの定食が味わえる「西荻 もがめ食堂」


引っ越してきたばかりの頃は週5回の勢いで通っていたメニューの多彩な定食屋さん「西荻 もがめ食堂」。いまも週3回くらいで通っている。

どの定食もおすすめだが、僕がよく注文するのは、まぐろカツ定食。どの定食を注文しても4つの小鉢で様々なおかずがついてくるし、そこにサイドメニューの納豆と生卵とめかぶを添えれば1日の栄養バランスを全クリしたと見なしていいだろう。

揚げたてで、さくさくの衣に包まれたほろほろのまぐろが、わさびマヨネーズソースとともに口の中でほどけていく。そこにあつあつのお米を放り込めば優勝。箸を持ったままの右手で小さくガッツポーズをしたくなる。何度も味わったはずのこの感覚に、毎回新鮮な感動がある。

具沢山のお味噌汁は、優勝した僕をやさしく包み込むタオルケットだ。お米はお代わり自由。もちろん、お代わりしなくてもお腹いっぱいになれるので、お子さんのいるご家族や学生さんにも大人気だ。季節を問わず、大きなグラスで麦茶を出してくれるのもうれしい。

実家のような気がしてくるほどの落ち着きの「湯気」


2022年4月にオープンした週替わりの定食屋さん。「湯気」というネーミングがすばらしい。僕の部屋から100歩くらいのところにあるので本当は毎日通いたいところだが、恥ずかしいので週3回くらいで我慢している。

旬の食材を主菜、副菜、炊き込みご飯に散りばめて提供してくれるため、僕は勝手に東京の実家だと思い込んでいる。例えば、ある週の定食は、ささみふき味噌モッツァレラフライ、ほたるいかと菜の花の炊き込みご飯、味噌汁、新じゃがの煮っころがし、ホワイトセロリと甘夏のナムル、という構成だ。

字面だけでよだれが出そうになるし、実際においしいし、うつくしい。コンクリート打ちっ放しのスタイリッシュな店内で、たまたま居合わせた他人同士がひとつの定食を楽しむ。そんなひとときの家族のような連帯感に包まれているのは僕だけかもしれない。

来週はどんな定食かな、というおみくじのようなわくわくを日常にくれるお店だ。毎週違う定食を考えるのは大変だと思うが、どうか末長く続いてほしい。

無意識に吸い込まれてしまう引力を持つカレーの「CAFEオーケストラ」


一枚に圧縮された森のような外観のカレー屋さん「CAFEオーケストラ」。店外に漏れ出す香ばしい匂いは、今日こそラーメンを食べるぞと気合を入れて、お店の前を通過しようとする僕の決意など簡単に折ってしまう。樹洞(じゅどう)のなかのような店内は不思議な音楽と雑貨に満ちていて、まるで異国のようだ。

僕のおすすめはキーママタル。香辛料、ひき肉、ピーマン、グリーンピース、ターメリックライスが舌の上で痺れるほど華麗なダンスを披露してくれる。一度食べたらやみつきになる辛さだ。辛いのが苦手な方はテイクアウトして、おうちで煮卵やチーズをトッピングするのもいいだろう。

コロナ禍で外食ができなかった頃、ここのカレーには何度もお世話になった。7年間、毎週のように顔を合わせているが、店主さんも店員さんも近すぎず遠すぎない距離感で接してくれるので、心地よい時間を過ごすことができる。

いつも寡黙な店主さんは道端でお会いすると元気に挨拶をしてくれるのだが、きっと店内では一皿一皿が真剣勝負で集中しているのだ。僕は勝手にカレー職人と呼んでいる。

芸術品のような一皿と向き合う「カレーショップ フェンネル」


2022年7月にオープンした新しいカレー屋さん「カレーショップ フェンネル」。カレー激戦区の西荻窪に参入してくるとは、かなりの腕前なのだろうと偵察のつもりで行ってみたら、ひとくちで虜になってしまった。

僕の大好きなドライカレーは、円形のお皿に平たい円柱として盛り付けられており、その上に煮卵とパクチーとトマトが美しく配置されている。もはや芸術品である。訪れた者たちはそれぞれにささやかなシャッター音を鳴らしながら、数分後には跡形もなくなってしまう宝物をカメラロールに収める。

スプーンを縦に挿したときの感触は、ガトーショコラのそれに近い。口に入れる前からその濃厚さを伝わってくるのだが、口に入れるとその予想を上回るほどの濃厚さだ。スプーンの上の数センチ四方に野菜や肉の旨みをこんなに圧縮したらブラックホールが生まれてしまわないだろうかと心配になる。副菜としてついてくるマッシュポテトや野菜のピクルスは味のアクセントとして最高の相棒だ。

ラーメンでありながら西荻窪の隠れた名湯「はつね」


昔ながらの、という言葉がとてもよく似合うラーメン屋さん「はつね」は、スナックやバーが建ち並ぶ西荻窪駅北口の路地の角で、疲れた我々を待っている。

カウンター5席のみのため、開店直後に足を運んでもお店の前に必ず列がある。猛暑の日でも極寒の日でも、数名のお客さんが並んでいるのだ。あらこんな暑い日に、まあこんな寒い日にと思うかもしれないが、一度でもその味を経験したことのある人ならば、そこに並んでいるひとりひとりに、わかるよ、と声をかけたくなるだろう。

有名なタンメンは絶品で、最近の僕がよく注文するのは焼豚ワンタンメンだ。醤油味のスープをすすると、おいしいと気持ちいいが同時にやってきて、吐息が漏れる。食べていると同時に浸かっているという感覚で、ラーメンでありながら温泉でもある。西荻窪の隠れた名湯。この1杯の染み入るあたたかさは、穏やかな店主さんの洗練された所作から生まれているということに、訪れた人はだれしも気付くはずだ。

糖質摂取の罪悪感の先に誇らしい気持ちをくれる「麺尊 RAGE」


日頃から自制心は働かせているつもりだが、原稿に行き詰ると食欲にまみれたくなる。僕のなかの獣が、ここの味を求めて吠え出す。その獣を黙らせるために、イメージ上では四足歩行で、実際には二足歩行でお店に向かう。

「麺尊 RAGE」の近くには僕の通う輪島功一スポーツジムがあるので、会員さんやトレーナーさんとすれ違わないように注意深く、うつむきながら歩く。これから僕は食欲にまみれます、という罪悪感とともに早足で。獣はすでによだれを垂らしている。

列に並ぶ僕に店員さんが人間の言葉で優しく声をかけてくれる。僕もかろうじて人間の言葉で、特製まぜそば、と伝える。麺の量は200gと300gを選択できるが、もちろん後者だ。入店後まもなく目の前に運ばれてくるそれに無心で口を動かす時間は幸福としか言いようがない。

醤油漬けの卵黄、三種類のチャーシュー、味玉、メンマ、大量の麺、そして味変のレモン。すべてに満足して眠ってしまった獣を抱えて、お店を出る。そのときもまたジムの前を通ることになるのだが、なぜか誇らしげな顔で僕はゆっくり歩いて帰る。

自宅で豪快に頬張りたい「パティスリーレリアン」のミルフィーユ


ここのミルフィーユほどおいしいケーキは僕は食べたことがない。入店後数秒で、というかお店に着く前からミルフィーユの購入は決めていて、店内で数分間悩んだ挙句、ミルフィールをもうひとつ買ってしまう。お会いしたことはないが、褒められ飽きた超天才パティシエがバックヤードで静かに腕をふるっているのではないか、と僕は思っている。

誕生日ケーキは絶対にミルフィーユと決めているが、祝うことがない普通の日にも当然のように食べてしまう。イートインスペースはないので、部屋に持ち帰って食べることになるのだが、それが僕にとってはうれしい。なぜなら、こんなにおいしいケーキを、人目を気にしながらお行儀よく食べることなんてできないからだ。

フォークは使わずにわしづかみで、口を大きく開けて噛み付く。サクサクの生地に挟まれたカスタードクリームが口の両端から溢れてしまうが、それはデザートのデザートとしてほっぺたにくっつけておこう。食べ終わった瞬間にまた食べたくなるはずなので、最低2個は買っておいたほうがいい。

僕にとって最高のナポリタンを食べられる「それいゆ」


僕にとって最高のナポリタンは、純喫茶「それいゆ」のそれだ。絶妙な加減で炒められたベーコン、たまねぎ、ピーマン、パスタ、トマトソース。すべてがポテンシャルを最大限に引き出され、絡まりあいながらお皿の上に着地して、僕の目の前に現れる。

静かなる喝采として粉チーズを降らせ、フォークに巻きつけて口に運べば、これ前世でも食べたことある、というくらい思い出の奥深くにまで浸透する特別で繊細な味だ。来世の自分にも必ず食べてほしい。

ところで、僕は喫茶店にいるのがあまり得意ではない。自分の部屋以外でのんびりするというのがどうも苦手で、原稿を書こうとしても、本を読もうとしても、周りの人々が気になってしまう。緊張するのだ。けれどそんな苦手意識を吹き飛ばしてくれるほど、何度でも食べたくなるのが「それいゆ」のナポリタンなのである。

さて、ネガティブなわりには西荻窪を楽しんでるじゃん、と読者の方はお思いだろう。そうなのである。この文章を書き始めるまで、部屋に炊飯器と電子レンジがないことすら忘れていたのだから。後ろ向きな思考によってピースを抜かれたパズルの空白は、食生活の余白となり、その余白は西荻窪の小さな飲食店たちがいつのまにか埋めてくれていたのだ。これ見よがしではない、けれど、確かな優しさがこの街には建ち並んでいる。

著者:木下龍也

1988年生まれの歌人。読者ひとり一人に向けたオーダーメイドの短歌をまとめた『あなたのための短歌集』(ナナロク社)が話題に。その他の著書に『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房)、『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)、谷川俊太郎・岡野大嗣との共著『今日は誰にも愛されたかった』(ナナロク社)などがある。

編集:小沢あや(ピース)