五反田は、私を編集者にしてくれた街だ。
一部上場企業に入社し、丸の内OL(本当は八重洲側だけど)として働いていた私は、入社2年目で編集プロダクション・ノオトに転職した。
出版業界にいた大学の先輩から「編プロなんて月に何回家に帰れるか分からない。どブラックなところだよ」と忠告を受け、覚悟の上の転職だった。やりたい仕事だから働き詰めでも構わないと思った。早いもので、あれからもう5回目の冬を迎えている。
実際に入社してみると、徹夜を強いられるどころか社長自ら「早く帰りなさい」と声をかけられる労働環境。それでも、編集どころか原稿の書き方すら分からない自分を早くなんとかしたくて、がむしゃらにデスクにかじりつき、走って最終電車に滑り込むこともあった。
当初オフィスは高輪台にあったが、入社半年で隣駅の五反田へ移転した。時期を合わせるように実家から引越したのは、都営浅草線で1駅先の戸越。徒歩でも帰れる距離のため、終電を気にせず済むようになった。
早番・遅番体制で午後出勤を選んだ私は、もともと夜型体質なのも手伝って、誰もいなくなったオフィスで集中して仕事に取り組み、日付を超えてから歩いて帰るのが好きだった。
酒と欲望の街「五反田」へ移り住んだ
戸越銀座商店街は全長1.3kmに約400店が軒を連ね、関東有数の長さを誇る。
毎日お昼過ぎから夕方まで歩行者天国タイムが設けられ、土日は観光客でごった返す。
おでんコロッケが名物の「後藤蒲鉾店」、熱々の焼き小籠包に行列ができる「龍輝」、おむすびにいろんな塩をかけて味わえる塩専門店「solco」など、食べ歩きには事欠かない。さらに自宅から歩いて5分ほどの距離には「戸越銀座温泉」まである。住み心地は最高だ。
でも、それは一般的な生活サイクルの人にとっての話……。
健全な商店街の夜は早い。私が帰路に就く時間帯には、にぎわっていた通りも静まり返る。サクッと外でご飯でも……と思っても、数少ない灯りの点る店の小さな窓からは、常連らしき客と店主が赤ら顔で笑い合っている姿が見える。とても暖簾をくぐる気になれない。
「いいところに住んでいるね」
戸越在住だと自己紹介すると、だいたいそう言われるし、事実そう思う。そんな素敵な街なのに、まとめサイトレベルの魅力しか知らない私は、どこか居心地の悪さを覚えていた。
家と会社を往復するだけの日々が過ぎるにつれて、任せてもらえる仕事は増えていった。
でも、自分が納得いく成果を出せた仕事はほとんどなかったし、編集者としてまだまだ未熟だと感じることばかり。自分よりも後からこの業界に現れた彼や彼女らがどんどん評価され、指名で仕事を取り、その反響をSNS上で目にする日々。気持ちばかりが焦っていた。
「早く周りに認められるようにならなきゃ。もっと書いて、もっともっと編集しなくちゃ」
たった15分の距離を歩くのすら惜しくて、私は仕事場のある五反田へ移り住むことにした。
ITベンチャーの人たちでにぎわう飲み屋
最南端がグッと湾曲して走る山手線のおかげで、五反田駅は2つ先の品川駅と実は隣接している。山手線の内側、つまり五反田の東側に住めば、大崎と品川の両駅は徒歩圏内。山手線ユーザーに忌み嫌われる“大崎行き”だって、むしろ「空いててラッキー」と思えるようになる。
五反田駅だけでも山手線と都営浅草線、東急池上線の3路線が乗り入れているが、さらにこの2駅が使えることで、いろんな場所へとてつもなくアクセスしやすい。東京の玄関口・品川のおかげで、電車移動はもちろん、新幹線や飛行機をよく使う人にも使い勝手のいいエリアだ。
近年はIT企業の集積地・渋谷の家賃が高騰し、比較的リーズナブルな五反田へITベンチャーやスタートアップが流れてくるようになった。夜の街を歩いていても、ここ数年で新規の飲食店が続々とオープンし、昼夜を問わず活気にあふれている。
そんな五反田の代名詞といえば、グルメな人なら立ち食い讃岐うどん店「おにやんま」や、惜しまれつつ閉店した駅前ガード下の「立喰ずし 都々井」。買い物好きな人なら「ユニクロ」の超大型店や「ABC-MART」のアウトレットショップを有する五反田TOCビル(東京卸売センター)。そして、駅前の東口エリア一帯を占める歓楽街だろう。
特に東五反田の中心を貫く通りは、男性は1人残らずキャッチせんとする勢いで客引きたちがうごめいている。
黒服の男に、異国の女。女の私はスルッと通り抜けられるのだが、オーバーサイズのパーカーにジーンズ、キャップという出で立ちの日には、オリエンタルな顔立ちの女性が近づいてきたこともある(私が女だと気づくと、舌打ちをしてすぐに踵を返されたけれど)。
でも、そんな街だからこそ、夜が更けてからも飲食店選びには事欠かない。
歓楽街の入り口にほど近い「もつ焼き ばん」は、平日は朝4時まで営業。原稿と取っ組み合っているうちに日付が変わってしまったときは、ここがいい。疲れ切っているときは、ホスピタリティあふれる接客よりも、多少ぶっきらぼうな店員さんのほうが気を遣わずに済む。
注文に追われるなかで、若干こげ気味のもつ焼きが出てきても問題ない。それを許すことで少しやさしい人間になれた気になったり、クエン酸サワーを飲んで「今日の疲れがチャラになるはずだ」と思い込んだりするのが、精神の安定を図る上で大事なのだ。
五反田に住んでいて困るのは、外食へのモチベーションが高まりすぎて、エンゲル係数が高くなることだと思う。駅前の「東急ストア」をはじめ、「マルエツプチ」「ライフ」など、ちゃんと深夜まで営業してくれているスーパーだってあるけど、いかんせん安くてうまい店が多すぎる。
東側・西側問わず、ザ・赤提灯系の飲み屋からおしゃれな飲食店まで何でもござれ。コスパがいい店だけじゃなく、クラフトビールや日本酒、シェリー酒などの専門店も多い。
純米酒専門店「酒場 それがし」は、誰かを連れてきたいなと思える、おもてなしが素敵な店。「和酒バール AGI」は2000円で20種類の地酒飲み放題もあれば、60mlという少量のオーダーにも対応しており、日本酒ビギナーでも楽しめる。
「編集者は酒を飲みに行ってなんぼ」といわれているが、人見知りをこじらせている私は、たいてい1人で、もしくは社内の人と飲み歩いている。
編集者としての価値を教えてくれた社長
そんな私に五反田の魅力を教えてくれたのは、五反田在住の先輩である、うちの社長だ。前述の「都々井」にも、常連客だった社長によく連れて行ってもらった。勧められて初めて食べたわさび巻きは大好物になった。
2人きりで飲む機会はあまり多くないけれど、仕事のことで頭がパンクしそうになっていると「まだ仕事やってんの? 今日はもういいから、軽くメシでも行こう」と絶妙なタイミングでお誘いをくれる。結局、軽くどころかまぁまぁベロベロになるまで飲んでしまうのだけれど……。
社長は今なお現役で手を動かし続けている人だ。ノオト社内の編集の要として多忙を極めているし、「業界の良心」と呼ばれるくらい周囲からも認められている。それなのに、社員のピンチもちゃんと見ている。そんな師匠から「最近どう?」と声をかけてもらうと、酔いに任せて本音がこぼれてしまう。
なかなかクライアントやライターさんの信頼を得られないこと。メディアを回すだけで精いっぱいになってしまうこと。SNSで上手にセルフブランディングできる同業者が羨ましいこと。編集者に向いてないと思い始めたこと。「まーた、そんなネガティブなこと考えて!」と笑ってから、社長が言った。
「中道さんの編集はね、ノオトの中で一番俺のスタイルに似てるんだよ。粘り強さというか、しつこさというか、妥協しないところがね」
どんな励ましの言葉よりも奮い立たせてくれたのは、自分の選んだやり方でも大丈夫だと信じさせてくれたのは、この一言だ。当たり前ですよ。ずっとあなたの背中を追いかけてやってきたんですから。それだけは胸を張って言える。
これからの私の人生
この春、私はノオトを離れる。
師匠が現役のうちに、この人を超えたいと思ったからだ。
20年間ずっと現役で、依然として私の数倍速く編集の道を進み続ける背中。それを追いかけているだけじゃ、いつまでたっても勝てやしない。事実上の敗北宣言になってしまうのだけれど、師匠とは違う道で経験を積んで、勝負してみようと思う。
これから先も「編集者」として生き抜いていけるように。
ーー
通勤時間はだいぶ長くなってしまうが、五反田から離れるつもりはまったくない。自分がいっぱしの編集者になるまでを過ごしてきた思い出の街であるのと同時に、駅前東口や西側の「ゆうぽうと」跡地の再開発、品川・田町間の山手線新駅の誕生など、これからの変化が楽しみで仕方ない街だからだ。
今のところまったく予定がないにもかかわらず、五反田近くで結婚式を挙げたい場所もチェック済みなくらい、この街が気に入っている。朝が弱くてコミュ障で飲んだくれの不束者だけど、どうか末永くよろしくね。
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著者:中道薫
編集者・ライター。1987年生。新卒⼊社したメーカーに営業職を経験。その後、編集プロダクションの有限会社ノオトに入社し、企業のオウンドメディアを中心にさまざまなコンテンツ制作を手がける。春から新天地へ。
Twitter:@nakamichikaworu
編集:Huuuu inc.