何度でも自分を再生させてくれる。生きるためのパワーがあふれる街、「灘」

著: 吉川ばんび 

兵庫県神戸市にある街、灘。生まれたこの街から、私たち家族は22年前に出て行きました。ある日突然、一瞬にして家を失ったからです。

阪神・淡路大震災が襲った

1995年に起きた阪神・淡路大震災。当時、私はまだ幼かったのですが、そのときの状況はぼんやりとした輪郭を保ったまま、今も記憶に残っています。

1月17日の明け方に大きな揺れが起こったとき、寝ている私に向かって倒れてきたタンスから、母が覆いかぶさって守ってくれました。テレビや電子レンジや洗濯機が吹っ飛び、家の中は一瞬にしてめちゃくちゃに。そこらじゅう割れたガラスの破片が飛び散っていて、足の踏み場を探しながら歩きました。

住んでいたアパートは「全壊」扱いにはならなかったもののほとんど崩壊して、とても住める状態ではなく、私たち家族はしばらくの間、避難所だった小学校の体育館で生活をすることになりました。記憶に残っているのが寒さと空腹、人の多さ、そして不安。大人の男性同士が怒鳴りあいの喧嘩をしていて、子どもながらにとても恐ろしかったのを覚えています。

避難生活が落ち着いたころ、別の街にアパートを借りることができたため、私たちは引越しました。新しい住居での記憶はあまりないのですが、この記事を書くにあたって母に当時の話を聞いたところ、子どもだった私に異変が起こっていたことを初めて知りました。

4歳だった私が、高い場所に置いてある物を見つけては、すべて床に下ろすようになったそうなのです。母が元の場所に戻しても、何度も低い場所に物を置き直す私を不思議に思い、「どうしてそんなことするの?」と聞いたところ、「だって、落ちてくるもん。怖いもん」と答えたといいます。

2年ほどその街で暮らした後、両親は再び灘へ帰ることを決めました。少しでも私たち子どもの心のケアになればと考えたのか、「もしまた地震がきても、今度は大丈夫なように」と、身の丈に合ってもいないのに無理をして耐震性に優れたマンションをローンで購入してくれました。

どうして灘に戻ったのか?

当たり前のように灘に帰ってきました。それがなぜなのか子どものころはまったく疑問に思ったこともなかったのですが、今考えるときっと灘が「子どもの成長に適した環境」だったからだと思います。

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JR灘駅の特に北側には公立・私立を問わず多くの学校が密集しており、文教地区としての顔を持っています。そのため、繁華街である三宮の隣町にあたるもののパチンコ店などの施設がほとんどなく、学習塾も多くあるため、教育に適した街だといえるのではないでしょうか。

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また「JR東海道本線灘駅」、「阪急神戸線王子公園駅」、「阪神本線岩屋駅」がそれぞれ徒歩5〜10分圏内に位置しており、三宮から電車で2分、大阪からは30分ほどと、各方面からのアクセスが良いのも魅力です。

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駅から10分ほど歩けば、「水道筋商店街」があります。スーパー、薬局、生活雑貨店などが多く立ち並び、生活に必要なものはほとんどそろえることができるので、大変便利。ここも震災で大きな被害を受けたのですが、今はそんな過去を感じさせないほど、お店の人もみなさん明るくて、商店街全体に活気があふれています。

地元の人たちにとっては生活に欠かせない場所なので、歩いていると知り合いにばったり会うこともしばしば。大人同士で「そういえばさっき◯◯さんのお子さん、商店街で見かけたよ」、という会話がされていることも多く、”地域全体で子どもを見守っている”ような感覚に近いかもしれません。

灘には、さまざまなジャンルのものが密集している

今は仕事の都合で大阪に住んでいますが、灘に住んでいたころはQOL(クオリティー・オブ・ライフ)がとても高かったんです。それがなぜかと言うと「さまざまなジャンルのものが密集している」からなんじゃないかと。

例えば灘中央市場には新鮮な食材がたくさん並びます。

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なかでも私の行きつけが、こちらの「大谷商店」さん。その日にとれたおいしいお魚を安価で売ってくれるお店で、その味はお料理屋さんが買い付けに来ることもあるほど。お魚好きにとってはとってもありがたい……!

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ほかではなかなかお目にかかることのできないタチウオのお刺身があったりするので、昔はよくお酒のお供に買って帰っていました。タチウオって本当に新鮮な状態でないとお刺身として食べられないらしいので、それが手に入るお店は貴重なのではないでしょうか。

灘のお酒を飲みながら、新鮮なお魚をいただく。こんな素敵な生活が、割と都会であるこの街でできるのがとっても幸せなんですよね。

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ほかにも海の幸が安価でたくさんあり、どのお魚も非常に状態がいいのがよく分かります。お魚がこんなに入って500円(夕方以降は、3パックで1000円くらいで売ってくれることも)だなんて、ほかのお店では見たことがないかも知れません。

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続いて、こちらも商店街にある海鮮丼のお店「えびす」さん。なんと580円でおいしい海鮮丼が食べられるところなのです! 「お金はあまりないけれど、美味しい海の幸が食べたい……」という学生時代の私のわがままを満たしてくれた貴重なお店の一つです。

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ここは、商店街を抜けてすぐのところにある「いしはら商店」さん。

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山陰・鳥取のじげ野菜を置いていて、この日は柿やみかんが店頭に多く並んでいました。「じげ」とは、「地元の」などの意味がある方言。鳥取ならではの食材も置いているので、神戸ではめずらしい商品も手に入りそうです。昔からこういうお店に入るのが好きで、ご当地の珍味なんかがあればすぐに買ってしまうんですよね。

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お肉屋さんもあり、

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八百屋さんもたくさんあり、

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昔ながらのお豆腐屋さんもあります。「藤本食品」さんのお豆腐は味が濃厚で非常においしいので、ぜひ一度食べていただきたいです。お豆腐が苦手な私でも、ここのならおいしく食べられます。

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こちらは昔からあるパン屋さん「ハイム」さん。ここの前を通ると、パンのおいしい香りがして幸せな気分になれます。特に私が中学生くらいのころ、ウインナーロールをお昼ごはんとしてよく買って行ってたなぁ、と懐かしくなってしまいました。

こうして振り返ってみると、灘は「安くておいしいもの」がたくさんあるような気がします。テレビ取材なんかもよく来ていましたし、神戸の「穴場」なのかも。

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そして、各駅から徒歩5分くらいにあるのが「王子動物園」。パンダとコアラの両方を見ることができる国内唯一の動物園なんです。動物と触れ合うことができる「ふれあい広場」があるのが大好きで、小さいころによく連れてきてもらいました。ここで飼育されているアヒルがものすごく人懐っこいんです。飼育員さんの履いている長靴を自分の親だと思っていつも追いかけていて、とても可愛いんですよ……。

ちなみに、灘の街を歩いていると、たまに動物園から猛獣の鳴き声なんかが聞こえてきたりして、初めて訪れる人はびっくりするみたいです。

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動物園のまわりをぐるりと散歩すると、自由に使用できるグラウンドがあったり、

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ジョギングコースもあり、

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ちゃんとした陸上競技場なんかがあったり。土日になると動物園や競技場にやってくる人が多く集まって、わいわいにぎやかな雰囲気になります。

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これは阪急線の高架下に描かれたパンダの絵。こういったちょっと遊び心が多いところも、学生の多い灘ならではの特徴かもしれません。

「寄り道したいところ」がたくさん

また、駅付近を中心に、ついつい寄り道してしまうお店がたくさんあるのも灘の魅力の一つです。クレープ屋さんやたこ焼き屋さん、古着屋さんなどなど……、灘にいるときは「ちょっと寄り道しよう」が抑えられなくて大変……! 特にここ数年で、灘にはさらにいろいろなお店が増えたように思います。

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ここは、古本屋「ワールドエンズ・ガーデン」さん。5年ほど前にできたお店なのですが、ほかの古本屋には置いていないようなちょっとコアな本や、20数年前の雑誌がたくさんあるところが好きで、今でも灘に帰るたびに訪れています。

私は自分が生まれたころに発行された雑誌と今の雑誌を読み比べるのが好きで、この間は90年代発売の「STUDIO VOICE」を買いました。本好きの人がそれぞれ古本を持ち寄ったり購入したりするため、置いてある本はそのときどきで違って訪れるたびに新しい出会いがあって、ついつい立ち寄ってしまうんですよね。

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また、本を一冊購入するとプラス200円でドリンクが付いてくるシステムになっているので、店内でくつろぐことも可能なんです!

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店長さんもとてもいい人なので、お気に入りスポットになること間違いなしではないでしょうか。

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あとは、私がずっとお世話になり続けているお弁当屋さん「キタミ屋」。

ここの唐揚げ弁当が大好きで、子どものころから唐揚げ弁当一筋の私(他のメニューもおいしいですよ!)。ちなみに、50円プラスで白ごはんを「明太子ごはん」にしてくれちゃうんです……! 注文してからお弁当をつくってくれるので、お弁当なのにホカホカの揚げたて唐揚げが食べられます。注文から完成まで15分ほどかかるので、事前に予約しておくのが一番スムーズ。一人暮らしでここのお弁当に助けられている人、いっぱいいるんだろうなぁ……。いつもありがとうございます。

ほかにも、灘には本当にいろいろなお店がたくさんあります。長く知っている街ですが、年々街全体のエネルギーが増しているというか、不思議な「活力」を感じさせてくれるのです。

何度も私を迎え入れてくれた灘

灘を「子どもの成長に適した環境」と紹介しましたが、大人にとっても住みよい街だと思います。静かだし、治安も良いと感じるし、安くておいしいお酒が飲めるお店もたくさんあるし。

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飲みに行くなら、焼肉の「いなかもん」とか、居酒屋「とりひげ」あたりが定番です。

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ちなみに、温泉もあるんですよ! 都賀川のすぐ近くにあるのが「灘温泉」。バスタオルなどの貸し出しもしてくれます。

この街について、強いて難点を言うなら、「山が近いからたまにイノシシが下りてくることもあるかなぁ……」という感じののどかな街、それが灘です。「灘ってどんなところなの?」と聞かれたときにはいつも「緑が多くて、なんでもあって、暮らしやすいですよ」と答えています。

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生まれ育った街で、両親がいるからということもあるけれど、私は灘を出て行ってから、何度も灘に帰ってきてしまいました。大学を卒業して入った会社で挫折したときも、目標もなく自分の人生と向き合うことができなくて自暴自棄になっていたときも、この街だけが私の帰る場所であってくれました。

今振り返ると、何度でも私を温かく迎え入れてくれ、立ち直るきっかけを生んでくれたのは、いつも灘だったように思います。

体力や精神を消耗してしまったとき、何も考えずにこの街をぐるぐると歩き続けるのが好きでした。懐かしい街並みや、綺麗になった灘を見ていると、胸の奥にあるモヤモヤが、抱えきれなかった虚しさが、だんだんと消えていくような気がしていたからです。今思えばこの行動は、自分を守る為の「防衛本能」みたいなものだったのかもしれません。

灘にはきっと、再生を促すパワーがあります。それは、「震災」という巨大すぎる壁を乗り越えた街だからこそ持つパワーなのか、それとも復興を支えてきた人々が産み出したパワーなのかは分かりません。でも確かに、私は灘に「再生させてくれる強い力」を感じるのです。

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JR灘駅。震災以降、長らくボロボロだった駅が、数年前にここまで綺麗に改装されました。

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この街がここまで復興したのは、灘を愛して住み続けた方たちや、訪れてくれた方々のおかげだと思います。私は再生していく灘と一緒に育ちましたが、地元の人たちはいつも明るくて、活気にあふれていました。灘に移り住んだ人たちがずっと住み続けてくれるのも、生きていくためのパワーがもらえるからなのかもしれません。

今回、この記事を執筆するにあたり、かなりの時間をかけて灘と向き合いました。そうすると、今まで見えていなかったもの(=住みやすさに特化した街の構造や、店舗の多様性)が発見できたり、「人の温かさ」に改めて触れることができたように思います。

取材のため、今までお話ししたことのない方にも勇気を持って話しかけてみたところ、みなさんとても親切に接してくださり、改めて「灘の人の良さ」を感じました。

今までどこか照れ臭くてはっきりと言えなかったけれど、私はこの街が好きです。

もし、今新しく歩き出すために住処を探しているのなら、ぜひ灘に住んでみてください。きっと、生き方を探すあなたの背中を押してくれるはずです。

最後に、私を灘で育ててくれた両親に、また、成長を見守ってくれた街の皆さんに改めて感謝します。


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著者:吉川ばんび

吉川ばんび

1991年生まれのフリーライター。様々な媒体でコラムやインタビュー記事などを執筆しています。動物が好きです。

Twitter:@bambi_yoshikawa

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