葛飾生まれのむすこが、うらやましい

著: 出来幸介 

f:id:SUUMO:20200206143155j:plain

私はむすこがうらやましい。

半年前に生まれたむすこは、この世のケガレをまだ知らず、きれいなほっぺですやすや寝ている。

私はむすこがうらやましい。行く先々で、みなから声をかけられる。少しばかり微笑むだけで「笑ったぁ!」。その歓声は高くなる。

私にないものを持つむすこ。私はむすこがうらやましい。

葛飾生まれ、葛飾育ち。

そうなるむすこが、うらやましい。

葛飾と世界を結ぶ、ハブステーション「青砥」

f:id:SUUMO:20200206143233j:plain

大阪生まれ、大阪育ちの私は、大学で東京に出た。しばらくは新宿の外れのシェアハウス、といえば聞こえはいいもののさまざまな国籍の学生・社会人がごった煮のごとく暮らすカオスな空間で暮らしていたが、結婚を機に引越すことになった。

妻の口から、「職場の近くだといいなぁ。葛飾なんだ」と聞いたとき、得体のしれない高揚が私を包み込んだ。葛飾……! 幼少期より『こち亀』をバイブルのごとく愛読し、父が観る「男はつらいよ」の音声をBGMのごとく聞いていた自分にとって、葛飾は東京の中でもまだ見ぬ桃源郷のような響きを持っていた。人情味あふれる葛飾、両津勘吉がチャリンコで走り回る葛飾、爆破されたり海になったりしたあの派出所がある葛飾、葛飾、葛飾、「ちゃ〜ちゃららららららら〜」(寅さんのテーマ)の葛飾。そこに私たちは、住むことになるのか。

亀有か、柴又か。憧れはあったけど、それくらいの地名しか知らなかった我々が物件を探して、最終的に妻の職場から行きやすいと決めた場所は青砥(あおと)だった。

どこだ。

f:id:SUUMO:20200206143327j:plain

「今、住んでるのは青砥なんですよ」

そう言うと、たいていの人は「Aoto」と自分の脳内データベースを検索し始める。そして「ああ、空港行くときに通ります、よね?」と唯一見つけた接点を導き出す。正解です。

青砥駅には、成田空港と羽田空港、双方にダイレクトに行く電車が通っている。成田空港へは約50分で直行し、逆方向の羽田空港へも快特に乗れば50分ほどで到着する。

f:id:SUUMO:20200206143358j:plain

私たちは気づいた。住み始めてなおピンとこない場所だった青砥は、国内外へアクセス至便な、東京の「ハブ」だったのだ。旅行好きなわれわれ夫婦にとって最高の立地。私の職場である浅草へも直通電車で最短10分かからない。また趣味の歌舞伎を観に、歌舞伎座のある東銀座へも20分ちょい。ちょっと買い物がしたくなったら、最短15分で上野に着。どこへ行くにも快適だ。

f:id:SUUMO:20200206143429j:plain

青砥駅前はチェーン店が並び、これといった特色はないけれど、そこを抜ければ広い団地がある。団地の真ん中にはソメイヨシノが並ぶ広場がある。車も通らない、東京とは思えぬ静かな空間。そこを通って、私は毎日会社へ行く。帰ったら、家からスカイツリーが頭の先っぽだけ見える。建物も低いから、天気の良い日は富士山だって、頭の先っぽだけ見える。

住み始めたばかりなのに、どこか懐かしさも感じた。そういえば自分の故郷、大阪の茨木にちょっと似ている。大阪にも京都へも行きやすく、でもそこ自体は静かな街。コテコテなエネルギッシュな大阪から若干距離をおいている。葛飾も、どこへ行くにも便利だけど、都心からちょっと離れて住みやすい。東京でありながら、流れる空気はどこかゆるやか。以前、葛飾出身の武井壮さんがインタビューで「葛飾は、川と川に挟まれた遊び場」と素晴らしい表現をしてたけれど、子どものころの遊び場みたいに自由で、故郷のように居心地がいい。

そんな葛飾で、夫婦2人で暮らし始めた。

酒飲みのワンダーランド「立石」

「どうも近くにすごい飲み屋街があるらしい」。そう聞いたのは、引越してまもないころだ。立石のことである。

f:id:SUUMO:20200206143525j:plain

”国内外を結ぶ”青砥駅からわずか1駅の立石は、日本中の酒飲みを結ぶハブステーションだ。東京を代表する「せんべろ」の街として知られ、古めの駅舎を挟むようにして、戦後の闇市から発展した「仲見世商店街」やスナックが並ぶ「呑んべ横丁」など昭和そのままの飲み屋街が真空パックみたいに保存され、現役で営業している。

そこはまさに飲兵衛にとっての遊び場であり、酒飲みのワンダーランド。京成立石駅で下車する大人は、舞浜駅に降り立つ人々と同じ表情をしている。声が一段と高くなり、頬はゆるみ、これから始まる"アトラクション”に高揚を隠せない。

f:id:SUUMO:20200206143550j:plain

だが、はじめて立石で飲もうとしたとき、私は異常に緊張していた。この街には多数の不文律が存在している。ひらたくいえば、酔っぱらいが歓迎されない街なのだ。

曰く、ここでは大人の飲み方をすることが鉄則である。2軒目お断りの店も複数あり、酔っぱらって入るとリアルに入店を拒否される。飲みはじめも早い。14時など真っ昼間から営業し、19時にはもう人気メニューが売り切れたり、閉めてしまう店もある。そのため終電近くまで飲める店がそもそも少ない。必然的に夕方くらいからスタートし、2、3軒サクっと回って21時に解散。そんなきわめて健全でスマートな、大人の飲み方が求められる場所なのである……。

以上の情報を、私は事前にGoogleから仕入れていた。早めに仕事を切り上げて立石に降り立っても、緊張は続く。

f:id:SUUMO:20200206143612j:plain

まずは立石を代表する「宇ち多゛(うちだ)」に足を踏み入れる。店内は楽しくもピリッと張り詰めた空気。料理はもつ焼きと煮込み、お新香のみ。注文の仕方やタイミングも困難を極める。隣の人が「シロタレヨクヤキで」と呪文のような注文をしたところに思わず、「僕もそれで」と注文する。出てきたもつ焼き(シロという部位をタレで、よく焼いている)と名物の梅割りを飲んで、そのうまさに驚いた。次は餃子の「蘭州」だ。ビールに香菜トッピングの水餃子がいくらでも入った。最後は立石の関所と看板に掲げる「江戸っ子」。焼酎の下町ハイボールを飲みながら、店員のおばちゃんに赤ら顔を指された。「おい、もうやめときな!」。しゅんとなり、急いで荷物を片づける。

f:id:SUUMO:20200206143631j:plain

家までは歩いて15分。酔い覚ましにはちょうどいい。帰宅するサラリーマンやご近所さんたちに混じって、葛飾区役所横の桜並木をてくてく歩く。

「立石に行ったよ。いい店がある」。帰るなり妻に告げ、こないだ行ったその店に、常連ヅラして連れていった。

こんな風に妻とは、立石のいろんな店でごはんを食べた。飲み終わるといつも、区役所横の桜並木を歩いて帰った。

葛飾の夜は、静かだ。人気の少ないその道を、1人でも、2人でも歩いた。その桜並木のそばにある病院で、自分たちのむすこが生まれるなんて知らずに。

葛飾で、生まれたむすこ

半年前のあの日、私は妻の出産に立ち会っていた。初めて見る凄絶な妻の形相に、逆に冷静でいられたような気がする。妻の下からにゅっと現れた血だらけのむすこを見て、なんだか現実ではないようだった。むすこは魚みたいな生ぐさいにおいがした。疲れ果てていて、でも健康で充実した妻の顔を見て心底ほっとした。妻とむすこを残して病院をあとにしたときは、もう暗かった。

いつも酔い覚ましに歩いていた区役所横の桜並木を、静かな興奮と感動に包まれて私は歩いていた。気分は高揚しているのに街がおとなしすぎて、なんとなくオアシスの「Don't Look Back in Anger」を聴きたくなった。感動的なメロディに涙を浮かべながら歌詞の意味を調べたら全然マッチしてなかった。

妻とむすこはそのまま入院し、5日経ってようやく退院した。梅雨の時期でずっと曇りや雨が続いていたのに、退院日だけは快晴だった。病院の外に出ると、「よかった、みんな無事だった」と妻は涙を流した。同じ桜並木を、はじめて3人で歩いて帰った。

f:id:SUUMO:20200206143731j:plain

半年が経ち、今になる。

「今日は児童館へ行こう」

「あんないいとこがあったなんて知らなかったねぇ」

「あそこのカフェも子連れ歓迎らしいよ」

妻と私は、むすこを連れて葛飾の道を歩いている。話題は、むすこが生まれて初めて知った街のこと。歩いていると「おう、かわいいねぇ」。下町のオヤジが声をかけてくれる。

団地の広場にさしかかった。次の春には、3人で桜を見られるなぁとふと思う。数年したら、彼はこの芝生の上を駆け回るだろう。

むすこが生まれてこのかた、いつも見ていたこの街の、未来が思い浮かんでくる。

いつの日か、むすこと立石に行くときも来るだろう。立石は今、再開発が進んでいて、彼が大きくなるころ街の景色は一変しているかもしれない。でも、飲み屋は残り続けるに違いない。大学生のころ、はじめて息子の私と酒を飲んでうれしそうだった父の顔を思い出す。私もあんな顔になるのだろうか。

いつの日か、むすこは大きくなるだろう。そしたら1人で、青砥駅から世界へ出ていくのだろうか。

f:id:SUUMO:20200206143811j:plain

葛飾に生まれ、これからも葛飾で暮らしていけるむすこが、私はうらやましくなる。別に途中から住み始めた自分も満足しているけれど、彼は生まれた瞬間から、ここにいる。

この街が、彼にとっては故郷になる。「遊び場のような街」は、彼にとって本当の遊び場になる。

葛飾で生まれたむすこが、葛飾の空気を吸って育つむすこが、私はうらやましい。

これからむすこと、おそらくずっと、葛飾に暮らせる自分が、ほこらしい。


で物件を探す
 

賃貸|マンション(新築マンション中古マンション)|新築一戸建て|中古一戸建て|土地

著者:出来幸介(でき・こうすけ)

出来幸介(でき・こうすけ)

訪日観光メディア「MATCHA」編集者。前職の新潮社では単行本・月刊誌の編集を経験。2019年6月にむすこが生まれて半年間の育休を取得し、2020年1月に復帰。

MATCHA:https://matcha-jp.com/

note:https://note.com/dekikousuke

 

 

編集:ツドイ