生活も暮らしも抱きかかえる街「用賀」

著者: 桐谷ヨウ

 

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偶然の出会いだった。その瞬間を逃してしまうと、二度と出会えない類の。


2011年、26歳の僕は、引越し先を探していた。

19歳で上京し、なんとなく決めた一人暮らしのマンションに、なんとなくそのまま住み続けていた。東京で引越した経験は、なかった。

 

当時の僕は「彼女(のちの妻)が好き!」と「まだまだ夜遊びしたい!」という気持ちで揺れ動く、ただのバカだった。

そんなバカは「次は恵比寿か三軒茶屋に住もうと思うんだよね」とウキウキしながら、彼女にそう伝えた。彼女は微妙な表情で「そうなんだ」と微笑んだ。

 

当時、彼女は赤羽に住んでいて、僕が恵比寿や三軒茶屋に引越すと、二人の家の距離が遠くなってしまうのだった。

 

「遠くなる……ね」

「うん」

「家に来にくく……なる?」

「いまよりは、そうだね」

 

こんなやり取りをして、バカな自分は前言フル撤回をかまし、なんとなくノリで「一緒に住もうよ」と言った。彼女は軽やかに「うん!」と返してくれた。

彼女の返事はいつも軽やかだ。付き合ってと伝えたときも、その7年後に座間味の海でプロポーズをしたときも。こちらの強い決意をスパッと肯定的に打ち返してくれた。

 

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用賀に住むつもりなんて、これっぽっちもなかった。

 

さほど東京に詳しいわけじゃない僕たちは、用賀がどんな街かまったく知らなかったし、行ったことすらなかった。なんとなく世田谷区って響きがかっこいい、みたいな。

そんな上京カップルが、どうしてトーキョー・おハイソタウン「用賀」に住むことを決意したのか。

 

おハイソ×下町=フツーなホームタウンを愛してしまった

希望条件で絞り込んだ、大手不動産サイトの物件。特殊でクセのある部屋ばかりを集めた不動産サイトの物件。両方でアタリをつけて内見に行ったのだけど、前者は心がまったく跳ねなかった。

そして後者でひとつだけ選んでいたのが、用賀にある物件。駅近で、築年数こそ経っているもののフルリノベがされていて、一度は住んでみたかったコンクリ打ちっ放しで、メゾネットで、コンロが二口あって、言葉にできない"ときめき"に溢れていた。

彼女の目がキラキラしているのを見て、なんともいえないうれしさを感じた。

 

安くない家賃だったけど、「今日のところ、よかったよね〜」と二人で話しながら僕の家に帰ってテレビをつけると、アド街ック天国で──それも用賀の特集が──映っていた。

二人は「運命だ!」と子どものように盛り上がり、用賀で一緒に住むことを決めた。なにかを決めるときに後押しする理由なんて、冗談みたいなノリで十分なのだ。

 

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さて、用賀ってどんな街だろう。

位置関係と同様にキザでオシャレぶってる二子玉川と、サザエさんの街・桜新町のちょうど真ん中って感じかなぁ。

 

駅に隣接した世田谷ビジネススクエアは東京っぽいビルディングで、なかなかに立派な建物であり、周辺には数多くのチェーン店が建ち並んでいる。

駅から商店街に向けてはキレイに舗装されていて、身なりのよいマダムが冗談のように大きな犬を散歩する姿を見られる。近所にSATYしかなかった僕にはなかなか衝撃的だった。

反面、普通の人が普通に暮らしている街でもある。

 

幅広い年齢層の人がスーパーに、コンビニに、ドラッグストアに集まっている。用賀にはオーケーやカルディもあるけど、妻のお気に入りはずっと変わらずにフジスーパー。
火曜スペシャル(特売)を「火スペ」という愛称で呼び、引越した当時から親しみを持っているようだ。

 

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僕の故郷は本当に田舎だ。

あっ、想像しなくていいです。そのイメージの100倍くらい田舎なのが僕のふるさとだから。電車の終電が20時で、2車両で、おまけに無人駅って。そんなの見たことある人のほうが少ないんじゃないかな。

そんなルーツを持つ自分は、どこか街に対して、アナクロニズムや下町っぽさを欲してしまう。

例えば旅行で知らない場所に降り立ったときも、駅前から外れて路地のような筋に入ったときに、えもしれぬホッとした気持ちになる。住む場所には、どこかそういう感覚を求めてしまう。

そうじゃないと、落ち着いて気が抜けないっていうか。


そう、用賀って意外にも昭和が残っている街でもある。

 

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唐突だが、用賀とユーミンは縁が深い。いまはどうか分からないが、用賀に豪邸があったらしい。

そんなユーミンが愛した洋食屋さん「ミナト」は、昭和から時が止まっているかのようだ。ユーミンや榊原郁恵の若いころの生写真が飾られている店内は小汚い。おまけになぜか和菓子まで売っている。でもそれがなんとも愛おしい。

 

名物のオムハヤシを注文する。ファストフードではありえないくらい、出てくるのが遅い。ノロノロしたオヤジさんのワンオペである。朴訥(ぼくとつ)な接客。それがたまらなくいい。

油が染み込んでそうなシトシトした週刊誌を手に取る。僕がはじめて、漫画『きのう何食べた?』を読んだのは「ミナト」だった。

そう、「パートナーと暮らすなかで、自然と自分を変えていくのは素敵なこと」だと教えてくれた、この漫画に(ちなみにケンジが髪を切った回だった)。

 

地元=用賀って人たちだってたしかにいる。彼らのホームタウンとしての用賀を垣間見ることができる、もっといえばひとつの下町であることをたしかに感じられる場所だ。

 

変わっていくきっかけを与えてくれた、妻と用賀

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用賀は僕にとって、一人暮らしをやめて、大好きな赤の他人と一緒に住むことを決めた場所である。

自由を満喫したい。東京を楽しみ尽くしたい。俺は何者かになりたい。

誰かと一緒に住むことなんてそれを制限されることだとしか考えていなかった。そんな自分が、一人暮らしをやめて、結婚するまでの長い助走期間を過ごすことになった街である。

 

先に決めたことに自分の気持ちと行動が追いつかずに、彼女をイライラさせたこともあっただろう。無断で朝帰りをかまし、ゴミを見るような目で見られてけっこう反省したこともある。

終電を逃してもせめてタクシーで朝帰りを避けるのが礼儀!と、タクシー帰宅を繰り返すうちに、いっちょまえに「ニーヨンロク経由で〜用賀一丁目でボルボが見えたら右折してくださ〜い」なんてテンプレ文句を覚えたのも、彼女の機嫌を損ねないためである。

 

いつのまにか彼女とは、

週末にまとめてではなく、ちょっとずつでも、毎日話す時間を取りたいと思うようになった。

仕事を少しでもはやく終わらせて、まっすぐ家に帰りたいと思うようになった。

自分の楽しさだけでなく、彼女が喜んでくれることに幸せを感じられるようになった。

用賀で積み重ねた年月は、僕と妻の関係性の深まりと、そのまま重なっている。

 

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春になると訪れたくなる場所がある。砧公園だ。

花見ができる公園として、都内ではそこそこ有名なんじゃないだろうか。

昼にみんなで見る桜もいい。カップルでひっそり見る夜桜もすごく映えている。どちらを選んでも、きっと満足できるはず。

 

用賀駅からほど近い距離感なのに、バカでかい敷地を有しており、サイクリングコースだけでなく、草野球・サッカーのコートまで用意されているくらいだ。

土日には家族が楽しんでいたり、健康を大事にする人が精を出している。僕的には代々木公園にも、日比谷公園にも、駒沢公園にも負けないくらい、素敵で誇らしい公園だと感じている。

極度の寒がりの妻は、冬の自宅の寒さ(内装がコンクリ打ちっ放しは次は選ばない!)を嫌い、春を待ち望む人だ。もったいぶらずに、はやく春が来てあげてほしいと、毎年思う。

 

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うちの妻は痩せ型である。しかし、ありがたいことに「食うときは食える女」であり、外食の際は自分と変わらないくらいもりもり食べる。

そして、「肉が好きな女」である。

 

用賀に住んでなくても、是非とも足を運んで行ってみてほしい焼肉屋がある。「Hodori」という米沢牛を推しているところ。

 

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ここは、"肉の部位が持つ個性を最大限に引き出す"というモットーを持つ店長(聞いてないけど、きっと店長)がつける下味と、提案してくれる薬味をつかった食べ方がハンパなく美味い。舌鼓を打ち続けること、まちがいなし。

希望すればおまかせで肉を焼いてくれるのだけど、そうでなくても炭の火力の調整をこまかくやってくれる。

 

気になって店長に聞いてみると、

「僕は焼肉を不思議な業態だとつくづく思っていて。寿司とか天ぷらとか、それなりの単価の飲食店で最終的な調理を客にやらせるとこって焼肉しかない。不思議でしょ?」

「た……たしかに!!!!」

「それも扱いが難しい炭火で。だから火力くらいはなるべくコントロールしてあげたいんですよ。美味しく食べてもらうために」

 

プロフェッショナルだよ!こんなところにプロフェッショナルがいたよ!!

 

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そういえば、僕が「ティックトック(時計が鳴らす擬音)」という言葉をはじめて知ったのは、用賀にあるキャンディーショップだ。

「TIK TOK」は動画配信アプリに負けず劣らずで、カワイイ。

おもちゃ箱をひっくり返したかのようにポップな店内にある、カラフルなキャンディーはすべてハンドメイド。お店のオープンキッチンでは、目の前でキャンディーづくりまで見せてくれるみたい。

 

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巨大なロリポップも目を引くけど、お店の人に聞くと季節に応じたキャンディがいつも置かれてるみたい。いまだったら桜とか、新元号とか。

 

用賀の魅力を伝えきれた自信はない。書きもらしていることもある気がする。

 

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駅を出るとアリ地獄のように半円になった謎にひらけた階段のことを書きたい。


本当はあの純喫茶のことを、いや、おしゃれで美味しいコーヒーショップのことも書きたい。

 


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純喫茶で落ち着きたいときはチェーン店「ぽえむ」。きわめて普通。だが、それが良い!

 


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ランチを済ましたあとに足を延ばすならスタンドショップ「サーカスドーナツ」。豆まで仕入れるなら「WOODBERRY COFFEE ROASTERS」、店内もおしゃ!

 

銭湯ならヒノキ風呂があるあそこか、井戸水と薬湯があるあそこを紹介すべきか。

 


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井戸水ベースで薬湯があるのは「栄湯」。隣町からも通う人がいるという。ヒノキ風呂があるのは「藤の湯」。ともに水風呂がないことだけが……ちょっと悲しい

 

いやはや夫婦で何度もお世話になっている名医がいる整形外科を教えたいような、内緒にしておきたいような。

 


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駅近くには公園ではないがベンチを設置してくれているよく分からないスペースが存在している。日常的に小学生がたむろっており、年に一回のサマーフェスティバルもこのへんで開催されている

 

用賀は、人々の<生活>も<暮らし>も抱きかかえる度量を持っている街だから好きだ。

地味に淡々と生活をしていくのに不自由をしない。ちょっとこだわった暮らしにも手を伸ばしやすい。ノスタルジックもコンビニエンスも、同時に満たしてくれる。

閑静でありながら、繁華街にもほど近い。一人暮らしにも向いているし、子育てをしやすい安心感もある。

それでいて地名の由来が、鎌倉時代にヨガの道場が開かれたから……という、わけの分からなさも兼ね備えている。もうなんか、最高だ。


僕と彼女の出会いは客観的に見ても偶然の産物だった。一緒に住むことを決めたのはノリだったし、用賀の物件を見つけたのも、普段たいして見ないテレビを内見から帰った日につけたのも偶然だった。

偶然が重なれば、それは運命! なんて言っちゃうのは小っ恥ずかしいけれど、用賀に住みついて、一人で生きることをやめて、彼女と一緒に住むことになり、その人は妻としていまも、隣にいてくれている。

 

その日々には用賀がずっとずっと一緒にいてくれた。テンションがめちゃ高いときも、マジで落ちてるときも、彼女が愛おしくてたまらない瞬間も、悔し涙を流しそうな夜も、晴れでも雨でも、二人が帰る家は、いつも用賀だった。

この人とずっと一緒にいたい、そんなあたたかい気持ちを育んでくれたのは、この街だった。

 

僕が偏愛する用賀の店たち

■古山

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元々焼肉屋から始まったお好み焼屋なので、今でも肉が食べられる珍しいお店。

掘りごたつの席でサイコロステーキを焼き、締めにお好み焼きを食べるのが僕らの定番パターン。店員ファミリーと顔なじみの常連さん、子連れの家族、同窓会と思しきニーチャンネーチャンがリラックスしてお好み焼きと酒を楽しそうにつついているのが印象的。

 

■「Space Boketto」

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フラワーアレンジメントがかわいくてお気に入りの花屋。妻が母の日に毎年お花を贈っているのを見て、僕もマネして実家の母に花を贈るようになった。最近は妻と連名で。

 

■「Lily-an(リリーアン)」

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比較的、最近できたカジュアルイタリアンレストラン。長いこと放置されていた、かわいいつくりの廃墟をリノベしたお店。いつ覗いてもにぎわっている繁盛店。

 

■フローラ洋菓子店 

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最近できた「リョウラ」は、みんな大好き「ピエール・エルメ・パリ Aoyama」から独立した人がやられているお店だけど、どうしたって応援したくなるのは「フローラ」。

 

■たまがわや

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なぜか月に数回は足を運んでしまうつけ麺「たまがわや」。冬場は名物ぶしつけ麺(魚介べース)に、あたたかい出汁を入れてもらう裏メニューがオススメ。

 

■花めぐみ

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はちみつ専門店「花めぐみ」。店長は、もともと三軒茶屋で服屋をやっていたという面白い経歴の人。桜やゆりの蜂蜜や、プロポリスからローヤルゼリー、そして究極の蜂蜜である良質なマヌカハニーが購入できる激推し店。ぜひ行かれたし。

 

■魚庄(うおしょう)

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「魚庄」は魚をメインにすえた和食ダイニング。外観がそれっぽくないのもいい。

 

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著者:桐谷ヨウ

桐谷ヨウ

ブロガー・週末コラムニスト。ファーレンハイト名義でいきり倒した恋愛の文章を書いていたが、現在は妻とつつましく暮らす日々を送っている。最近はアンチエイジングと島耕作を読むのが趣味。
Twitter:@yohkiritani
ブログ:https://www.fahrenheitize.com/

編集:Huuuu inc.