八日市という街の「村」の話|文・北浦耀司

著: 北浦耀司

「八日市ってとこでお店やってるんですよ」

「あ、三重県の?工場の夜景が綺麗だよね!」

「いやそれは四日市(よっかいち)で、僕が住んでいるのは八日市(ようかいち)です」

こんなやりとりを多分、過去数十回はやった気がする。といっても、滋賀県すらさして有名な県ではないし、その中でも特にマイナーな街なので、こんなやりとりがあっても腹が立つことはない。むしろ共感が勝る。

駅前の大通り

人口は4万5000人、面積は53万平方キロメートル。街と言うには田舎すぎるが、田舎と言うには街すぎる。主な交通アクセスは、近江鉄道というローカル鉄道。「ガチャコン……ガチャコン……」と音を立てて走る様子から「ガチャコン」と呼ばれ親しまれている。ガチャコンのことを近江鉄道と呼ぶ人はローカルではない、という謎のマウントすらある。

古くからの市場街であり、滋賀とゆかりの深い聖徳太子が、毎月「八」のつく日に市場を開いたことが地名の由来とされているらしい。そんな背景があるからか、数々の大企業が工場を構えていて、毎年たくさんの人が全国各地から集まっては散ってを繰り返し、顔ぶれも移り変わっていく。それが楽しくもあり、寂しくなることもある。

駅前にはスーパー、薬局、郵便局、市役所、コンビニといったインフラが整い、少し歩けば全国チェーンの飲食店などが並ぶ通りもある。車がなくても生活に不自由することはない。

「街と言うには田舎すぎるが、田舎と言うのには街すぎる。」と前述したが、ここ最近は無印良品やコストコができたり、コロナ禍の影響で小さな個人店も増えたりと、少しづつ「町」から「街」になってきている気がする。

カオスでレトロな、八日市ほんまち商店

商店街入り口

八日市駅からほど近い、レトロなアーケードが特徴的な「八日市ほんまち商店街」は、一見寂れているようにも見えるが、世界に名を轟かせる超有名なデニムショップ「FORTYNINERS」や、連日満席の飲食店も点在する。

全国からアメカジファンの集うショップ「FORTYNINERS」のデニム工房

商店街の一本裏にはスナック街があり、僕自身もその周辺に住んでいる。毎晩、酔っ払いのカラオケが漏れ聴こえ、「楽しそうだなぁ」と思う一方で、たまに殴り合いの喧嘩をしてるからビビったりもする。一度殴り飛ばされた人が自宅の庭に突っ込んできたことがあって、ちょっと笑ってしまった。

そんなスナック街の中には、代々続く老舗の高級料亭や風俗店といったさまざまなものが混在していて、なんとなくカオスで、ちょっぴりレトロだ。

スナック街の一部

今、僕はここでいくつかの仕事をしている。1つ目は手縫いの革製品を制作・販売する革作家。2つ目はバーテンダーとして、小さなバーを経営していて、洋酒やカクテルを作っている。そして3つ目に、商店街内にある「HONMACHI93」という複合施設全体の運営も行なっている。といっても、ブランディングとかマーケティングは全然できないし、したくないので、最低限のルールだけ設定、管理し、あとは自由にしてもらう、かなりゆるふわ運営だ。

この建物は、かの有名な建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズによって設計された洋館で、1部屋を自分の店舗として使用し、それ以外の4部屋は貸スペースとして運用している。

この物件を借りてからかれこれ7年ほどになるが、その間ほとんど部屋が空いたことはない。出会いと別れを繰り返しながら、さまざまな種類の小商いを見てきた。

地方で楽しく暮らすには

ベタだけどやっぱりすごかったウユニ塩湖

学生のころ、スケートボードに出会ったせいで、将来真面目に働くというのはなんとか避けようと思うようになってしまった。要するに、こじれてしまった。

京都の大学に進学したはいいものの、19歳のときに休学。アジア・アフリカ・南米を経由し、1年かけて世界を一周した。別に自分探しとかではなく、とりあえず海外に出てみたかった。華のキャンパスライフを捨て、バイトに明け暮れ、自力で世界一周を達成したことは小さな自信になった。帰国後に復学し、なぜか自然と京都の左京区に住むことになった。

そこは、京都の中でも独特のカルチャーを持つエリアで、良い意味で「しっかりした大人、商売」というのは多くなく、ふわりとした商いと営みがあり、平和でゆるやかだった。僕はそのころ、就職活動を目前に控えていたが、そんな生活を気に入ってしまった。父に相談すると「まずは就職シーズンまでに月15万稼いでみろ」と言われ、必死で達成。そして、念願の脱・就職を果たしたのだった。

シェアスペースを借りて、革細工のアトリエを開いたり、週に1回、飲食店を運営することにした。当時間借りしていた飲食店兼工房

海外経験もあり、「幸せになれる生活水準」が極めて低かった僕は、稼ぐことより、左京区の雰囲気を再現したいと思っていた。初めは田畑に囲まれた実家近くで古民家を探していたが、なかなか理想的な物件は見つからなかった。

そんなある日、知り合いに「滋賀の八日市で公募補助事業がある」と教えてもらった。内容は商店街の活性化に寄与する空き店舗の再活用で、その物件が前述した洋館だった。空き店舗の再活用、店舗の間取りと雰囲気、すべてが僕のやりたい事と合致した。

すぐに「シェアスペースとしての再活用」で応募し、面接とプレゼンを経て、無事に採択された。この制度でヴォーリズの建物が借りられたのは、僕の人生で運がよかったことTOP3に入る。

まずは人を集める為に、アトリエを改装してカフェバーを始めた

ただその一方で、当時の八日市には海外や左京区で見てきたような「カルチャー」感のある場所はなかった。つまらなく感じた反面、妙な自信もあったし、そういう場所を自分で作ろうと考えた。

街でやるような店舗型小商いを田舎でするには、マーケットが狭すぎて続かない。しかし、1つの物件を分割してシェアすることで、家賃負担を分散できたり、個ではなく全体としての発信力を高められたりと、小商いでも継続する土台を作ることできる。

作ったHONMACHI93内の飲食店で小さなパーティーをよく企画した

屋台を手作りして簡易飲食店の許可を取り、将来飲食店を考える人の練習に使ってもらった

現在HONMACHI93に入居している人は、ほとんどが自分の仕事で食べている人ばかりになった。それはこの7年間焦らずに積み上げてきたからこそ、持続可能な小商いの場所として育ったのだと、少し誇りに思っている。

八日市で広がっていくカルチャーシーン

あづまビル2階、延命ランドのオープニングイベント

最近、HONMACHI93以外に「カネイビル」と「あづまビル」という新たな複合施設ができた。

どちらの建物も元々は街の人から見放された物件だった。それをみんなで改装し、入居者を募った。そこにはHONMACHI93から移転オープンしたり、その繋がりで紹介を受けたりして、さまざまなお店ができている。

カネイビルは11部屋ある鉄筋コンクリート造のボロアパートで、風呂なし、トイレ共同という昭和の建物。改装前は僕も入ることをためらうくらい雰囲気が悪く、仲間と協力しながら1年かけて直した。部屋の畳やその基礎、放置された家具を処分し、コンクリを流し、壁を塗り直し、トイレを解体、新しく設置した。電線を張り替えるために電気工事の資格も取った。今振り返ってみてもよく頑張ったと思う。

改装したてのとき

現状、1階は居酒屋、カフェ、キャンドルショップ。2階は本屋とアロマショップ。3階は絵や陶芸のアトリエ、ギャラリーなどになっていて、それぞれの部屋の借り手が自分たちのペースで活用している。HONMACHI93は全員がある程度、同じ方向を向いているが、カネイビルは完全に各々の裁量で動いていて、より多様で自由な複合施設になっている。

あづまビル外観

あづまビルは元歯科医院でこちらも鉄筋コンクリート3階建て。立地が悪く足場が立てられないため、解体できない。かといってボロすぎるため、使い手も見つからず、手のつけようがない建物だった。見かねた不動産会社の人が「北浦なら使ってくれるかも」ということで紹介してもらった。

もちろん僕らにとっては、良い雰囲気の建物。これもみんなで改装し、今は、HONMACHI93のキッチンで間借りカレー店をしていた「こしかけや」と、脱サラ開業した雑貨店「延命ランド」の2つの店舗が移転するかたちでオープンした。

ピースフルで親しみのある夫婦が営業する「こしかけや」と、一見ヒッピー風の癖の強い店主がセレクトした雑貨が並ぶ「延命ランド」。そのコントラストが良い。カレーを食べて、すこしゆっくりしたら延命ランドの雑貨を見に2階に上がる。そんな使い方をされてほしい。ここは、八日市の新たなカルチャーシーンを担うと思う。

先日のオープニングパーティーでは、市外からも人が集まり、大変に盛りあがった。

八日市で自分以外の誰かが、こんな景色を見せてくれたことにジーンときた

こんな感じで、今までの八日市にはなかったようなスポットが少しずつ誕生し、独自の文化圏として仕上がってきている。引越した当時、遊ぶとしたら街の外に出ていたが、最近は街そのものを楽しめているような気がする。

地域としての幅と奥行。街の中に村を作る

太郎坊宮から眺めた八日市

僕が八日市に来てから6~7年が経ったころ、マンションやビジネスホテルが建ったり、コミュニティスペースができたりと、少しづつ景色も変わりつつある。

その一方で変わらないところは変わらず、いいバランスを保ちながら、魅力的な街になってきているように感じる。地域としての幅と奥行きが広くなるのは、地域そのものはもちろん、住人たちにとっても大事なことだと思う。

運営しているシェアスペースでは、同じ趣味思想を持つ人間を集めようとは思っていない。それでは奥が深くなるだけで幅が広がらないし、内輪ノリで終わってしまう。だから入居の可否を、「今八日市にない要素を持っている人か」で判断することもある。

僕たちには、八日市の人全員が喜ぶような、大きなイベントや物事は作り出せないと思う。一方で、街の中に小さな村を作り、開かれた経済圏とコミュニティを広げることはできる。

いつか村から町へ、そして街になるような気持ちでコツコツ、動いていきたい。

著者:北浦耀司

バーテンダー、革作家を本業としつつ、八日市を中心に古物件ばかり見つけてDIYし、シェアハウスやシェアスペースをいくつか運営しています。平たく言えばDIY大家です。聞こえはいいですが、DIYしんどいです。よろしくお願いします。
Instagram:https://www.instagram.com/kitaura_/

 

編集:日向コイケ(Huuuu)