KEYTALKは下北沢に育てられました――小野武正の下北愛

インタビューと文章: 小沢あや 写真:飯本貴子 

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たくさんのライブハウスがある、音楽の街「下北沢」。この街を拠点に活動している4人組ロックバンド「KEYTALK」は、結成以来、商店街との協業イベントや路上ライブなど、10年にわたって、下北の街を盛り上げてきました。

今ではメジャーに羽ばたき、武道館を満員にするようになったKEYTALKですが、下北がホームだという気持ちはずっと変わっていないそう。バンドリーダー・ギターの小野武正さんに、第二の地元・下北沢への気持ちを伺いました。

取材・撮影は、緊急事態宣言解除後の7月上旬に行われました

下北に住みたい人におすすめなのは「一番街を抜けた先」

――  最近の下北沢、駅周辺の様子が随分変わりましたね。

小野武正さん(以下、小野):僕が初めて来たときと比べると、大規模な再開発があって、駅前はすっかり別の街のようになりましたよね。とはいえ、南口商店街や一番街商店街のエリアは、昔からずっと変わらない空気で安心できます。

――  小野さんは、完全に下北沢に住んでいた時期もあったのだとか。

小野:大学の4年間はずっと百合ヶ丘に住んでいて、下北には「通ってる」って感じだったんですけど、バンドでやっていくタイミングで下北沢に引越して。「ついに下北徒歩圏内だわ〜!」って、浮かれましたね。家賃は、1Kで5万5000円だったかな?

――  下北沢の家賃相場からすると、お手ごろな物件ですね。自立するために、かなり探したんでしょうか。

小野:いや、当時の家賃は親が払ってくれてたから、全然自立してなかったっすね(笑)。下北、選り好みしないんだったら、お手ごろな物件もいっぱいありますよ。モロ下北だと高いけど、笹塚寄りのエリアだと、結構安くなる。一番街を抜けた先とかも超おすすめです。最寄駅が下北じゃなくても、徒歩・自転車圏内だとさらに選択肢は広がる。世田谷代田とか、豪徳寺〜梅ヶ丘あたりも住みやすいんじゃないかな。

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小野さんが昔住んでいたエリア。商店街の先に、静かな住宅街が

――  お買い物はどんなところで?

小野:服は、古着屋「▲ブリーフ△ブリーフ▲」。昔はイベントも出させてもらったし、お世話になってます。そうそう、下北って、意外とセレブも多いんですよ。だから、昔ながらのクリーニング屋さんは技術もかなりすごくて。僕がよく利用していた老舗の「ニューパリークリーニング店」は、超腕利きなのでおすすめです。どんなシミも綺麗に落としてくれるし、気に入ってる服や衣装を出してました。

――  確かに、駅から少し歩けば閑静な住宅街もありますよね。音楽系はどうでしょう?

小野:今は結構減っちゃったけど、レコードショップにはよく行ってましたね。自宅のオーディオ機材を整えた時期があって、近所に住んでたときには、一番街にあった「オトノマド」(実店舗は2017年に閉店)をしょちゅう覗いてました。結構マニアックなラインナップだったんです。すぱじろうの隣にある「フラッシュ・ディスク・ランチ」も気に入っていて、店員さんに、昔のFUNKなどを教えてもらってました。もちろん、ディスクユニオンも好きです。音楽批評本とか、書籍が充実してるのも楽しいですよね。

忘れられない、下北の味

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ひょうきんな小野さん。取材時、コロコロと変わる表情が印象的でした

――  小野さんの拠点は、生活もバンドも、常に下北だったんですね。お気に入りの飲食店の、思い出の味はありますか?

小野:大学時代からずっと行ってたのは「味一」っていう寿司屋。いつも地元の常連さんでいっぱいで、本当に良い店だったなぁ。1300円くらいで、寿司がたらふく食べられたんですよ。大学の軽音サークルの打ち上げも、「みんな学生でお金ないので、どうにかなりませんか」ってダメ元で交渉したら、3500円で大盛りのお寿司に、飲み放題つけてくれたんです。学生を30人も受け入れてくれて、本当にありがたかったな。思い出の店です。最近、店をたたんじゃったけど。

――  アットホームで、素敵なお店だったんですね。

小野:閉店が決まったと聞いて、最終日に駆け込みでご挨拶に行きました。予約できないはずなのに、席を空けてくれてたんですよね。海外のバンドと一緒にライブをしたときも連れて行った、思い出の店です。あとは、「麺や ぼくせい」のラーメンも好きだったな……あれ? なんか僕が通ってきた思い出の店、だいたい潰れてるな? 貧乏神なのか……(笑)?

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わざわざスマホで店舗情報を調べてくれる、親切な小野さん

――  いやいや(笑)。今も変わらないお店でお気に入りは?

小野:今もあるお店だと、「Rojiura Curry SAMURAI.」のスープカレー。ラーメンだと、西口に出来た、二郎インスパイア系の「らーめん 玄」もマニアの間で話題になってますね。定食なら、交番近くにある「山角」のチキン南蛮定食。ベタだけど、「珉亭」のラーメンとチャーハンもいつも食べてます。今、口に出しただけで食べたくなってきちゃったな〜。あ〜! 食いてえ〜!

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――  珉亭のピンクのチャーハンは有名ですよね。いつも人気で、行列ができていることも。

小野:あとはね、「とん水」ってとんかつ屋さんがずっと好きで。一番街で45年くらいやってるお店だったんですけど、一旦店を閉めて、また近所で復活したんです。本当に美味しいから、ラジオ番組でもお店を紹介したんですけど、リスナーさんの中に常連さんがいて、店主に伝えてくれたみたいなんですよ。そしたら、次に行ったときに女将さんが「もしかして、キートークの、オノさん?」って、わざわざ話しかけてくれて。僕の名前をメモして覚えてくれてたみたいなんですよ。うれしかったなー。

――  愛が伝わったんですね。「とん水」での推しメニューは?

小野:カツ定食だけでもたくさんメニューがあるんだけど、僕は毎回「チーズカツ定食」を注文してます。チーズとトンカツって、今っぽい感じじゃないですか? でも、とん水のチーズカツは、全然気取ってないの。いい意味で、とても家庭的な味なんです。店の雰囲気も良いし、接客も心地良くて、本当におすすめですよ。

「あのサイゼがなかったら、今のKEYTALKはないです」

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取材には、所属事務所の古閑社長も同席してくださいました

――  バンドメンバーとの思い出のお店は?

小野:KEYTALKの思い出の舞台って、正直ほとんど安いチェーン店なんですよ。みんな、昔はお金なくて(笑)。つい最近閉店しちゃったけど、「下北沢CLUB Que」のビルの地下にあったサイゼリヤも、ずっとみんなで通ってました。ライブの反省会とか、KEYTALKの音楽をこれからどうやっていくべきかとか、メンバーでいろんな話をしましたね。

――  バンドマンだらけでしたよね、あそこのサイゼ。チェーンも個人店も、両方たくさんあるのが下北の良さですよね。

小野:頼むメニューは、だいたいミラノ風ドリアかペペロンチーノ。みんなで食べながらミーティングしていたら、義勝(ベース・ボーカルを担当する首藤義勝さん)が「もっと楽曲のメロディーを強くしていきたいね!」と力説しだしたんです。そこからミラノ風ドリアばりにキャッチーな楽曲ができてきた(笑)。あのサイゼがなかったら、今のKEYTALKはないですよ。

――  ファミレス界のヘッドライナーですからね、ミラノ風ドリアは。大人になってからどうです?

小野:下北って、若者の街のイメージではあるけれど、大人になった今のほうが楽しいんです。やっぱり、少し物価が高めだし。

――  大人におすすめのお店はありますか?

小野:バンド結成したころ、イタリアンバルでバイトしてたんですけど、そこでお世話になった方が「クオーレ・フォルテ」という店を立ち上げたんです。そこのパスタがどれもすごく美味しいので、よく行きますね。あとは、「KOGA MILK BAR」っていう店もよく行きますね。知り合いの店なので、宣伝しておかなきゃ。

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宣伝しておきます!

――  事務所の社長・古閑さんが経営しているバーですね。宣伝しておきます(笑)。

小野:古閑さんとは、各メンバーサシで話をする機会も多いんですけど、「小笹寿し 下北沢」もかなり記憶に残ってますね。

古閑社長(以下、古閑):僕らの関係は、社長と社員ではないですから。マネジメントを委託された身として、ちゃんと個別に話してケアしなきゃいけないなと。

小野:いやいや、どっちかっていうと、僕らが古閑さんをマネジメントしてますからね(笑)。

古閑:あのとき、僕の奢りだからって、小野くんが調子に乗って、握りを全種類頼んだんですよ。大将もびっくりしてたし、居合わせたお上品なご年配の方も苦笑いしてましたね(笑)。

小野:「大将! 全種類!」ってね(笑)。

下北のインディーズ番長・古閑さんとの思い出

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「このツーショット、慣れないです」と照れ笑いする2人

――  KEYTALK、もともとたくさんのレーベルから声がかかっていたそうですが、下北沢で古閑さんとやっていくと決めた理由は?

小野:色々な事務所やレーベルの人と会ったけど、どこに行っても、みんな古閑さんのことを知っていたんですよ。「そんなに顔が広い人なんだ!」って思って。最終的には、下北沢のマックで「古閑さんのところに決めます」って、伝えました。

――  駅前のマックでそんなドラマがあったんですね。契約当初の思い出は?

小野:出会ったころって、古閑さんもそろそろ次のバンドを当てていかないとレーベル的にヤバいときだったんですよ。だから、超節約の鬼だった。当時はまだLINEとかなくてメールだったんですけど、古閑さんからの連絡はパケ代節約のために、件名に用件が全部入ってるんですよ。本文がないの(笑)。

古閑:節約、節約ですよ(笑)。

小野:「これがインディーズか!」って、僕らも驚いたし、正直ちょっと不安になったんですけど(笑)。僕ら、古閑さんにお世話になるまで、ずっと自分たちでバンド活動をやってきたから、業務の全体像や大変さが、ちゃんと分かるんですよね。だからこそ、レーベルのスタッフさんたちを信頼してるし、対等にお話しできてる。

下北沢の商店街からメジャーに

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リリース時には、商店街がKEYTALKを盛り上げます(KEYTALKオフィシャルTwitterより)

――  商店街は早くからKEYTALKのポスターを掲示して、地域ぐるみで応援してくれていましたね。「下北沢に育てられた」と感じられることは?

小野:本当に、地域のみなさんにはお世話になっていますね。とくに、南口商店街の副理事長の白川さん。路上ライブもやらせてもらっているし、今もライブもしょっちゅう遊びに来てくださいます。もともと古閑さんのお友達で、下北で洋服屋「SAKAEYA」を経営している方なんですけど、巨匠(メインボーカル、寺中友将さんのあだ名)が通っていた店だったことをきっかけに、さらに距離が縮まって。

――  KEYTALKサイドも、いつも街のイベントに参加していましたよね。ハロウィンパレードとか。

小野:リリースのときも「下北沢の街全体で何かできないか」と、企画して、お花屋さんなどいろんなお店でスタンプラリーやったり、謎解きゲームをやったり、施策を打ってきましたね。

古閑:商店街とは、完全に癒着してるよね(笑)。下北沢発のバンドはたくさんいるけど、街を打ち出しているバンドは珍しかったから、ウチは前面に出していく方向にしたんです。僕は洋楽が大好きで、シアトルのニルヴァーナみたいに、街ぐるみでプッシュしていく感じにしたかったんですよ。

小野:おかげで、地域の方にも知ってもらえて。ここ数年は下北の飲み屋で隣の人と喋ってると「ああ! KEYTALKの子か」って言われるようになりましたね。「商店街の子たち」って。

古閑:下北って、ご年配の方々も、バンドマンや演劇やってる人に慣れているんだよね。誰でも、すぐ知り合いになれるんです。

小野:本当にいい街ですよね。基本的に、みんな音楽や舞台などのカルチャーを求めて集まってきた人たちばかり。若者にも寛容な街なんですよ。

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「下北の人とは、すぐ仲良くなれる」気取らず、人懐っこい性格の小野さん

下北沢シェルターの店長・Mさんの愛ある叱咤をバネに

――  今では武道館も満員にするバンドですが、KEYTALKが初めてのワンマンライブをしたのは、下北沢シェルターでしたね。

小野:シェルターは少し出演ハードルが高いし、バンドマンにとって憧れのライブハウスで。昔の僕たちみたいに、何もツテがない駆け出しのバンドが出るってことがまずないんです。それまでは、もうなくなっちゃった下北沢屋根裏にずっと出ていて。屋根裏は、本当にバンドマンにとってありがたい環境で。チケットノルマも激安だったんですよ。

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多くのメジャーバンドを輩出している、下北沢シェルター

小野:初めてシェルターに出られたときは本当にうれしかったですね。ワンマンできたのが、忘れもしない2011年11月19日。予約作業も全部自分たちでやっていたんですけど、100枚限定の事前チケットが即完売。一般発売でもSOLDさせることができて、メンバー全員で本当に感動しましたね。

――  ワンマンまでには、長い道のりがあったそうですね。

小野:M店長が結構厳しくて、鍛えられました。僕、バンアパ(the band apart)が本当に好きなんですけど、正直、影響受け過ぎちゃってた時期があったんですよ。そのころは店長にも「モロ、バンアパっすね!」「つまんねえ!」って酷評されちゃって(笑)。おかげで、反骨精神で頑張れた。今はバンドマンをお客様扱いしちゃう、優し過ぎるライブハウスもあるから、良かったです。本当に、親身になってくれました。

――  そして、下北沢シェルターのこけらおとしを行ったバンドマンは、なんと横にいる古閑さんだという。古閑さん、昔とバンドマンとライブハウスの関係は結構変わりましたか?

古閑:昔のバンドマンは、ライブ後にみんなで飲んで、ライブハウスの店員さんともすぐ友達になって音楽の話をたくさんしてた。けど、最近はみんな打ち上げもやらない空気。もちろん、時代が違うんだけど、ちょっと寂しい気持ちもある。KEYTALKはみんな元気に飲むから、可愛がってもらってましたね。

ライブバンドの今

――  今は世界中が大変なことになっています。とくにエンタメ業界も自粛で、アーティストやライブハウスが大打撃を受けていますが、KEYTALKのみなさんはどう過ごしていますか?

小野:ライブもフェスも延期になったので、今は毎日朝5時に起きて、夜9時までギターを弾いて、1日1曲ペースで作曲してます。ファンの方からは「ライブに行けなくて残念」という声も上がっているけど、今はとにかくみんなの生活が元に戻って欲しいなと。

――  7月時点で、感染防止対策をしながらライブの開催を表明するアーティストも出てきましたが、KEYTALKはどうでしょうか。

小野:お客さんを入れてのライブは、まだ考えていないですね。配信ライブとかになるのかな。

古閑:こんな状況だから、レーベルも暇なもんですよ。今はレコーディングなど、ライブ以外の活動をしていますね。音楽業界の危機的状況について、新聞から取材を受けることもありました。

小野:ライブハウスや下北の人だけでなく、みんなが大変な状況です。今僕らに出来ることとして、お世話になったライブハウスとコラボTシャツをつくったり、チャリティーグッズを買ったり、バンドとしても、個人レベルでも、できるだけ協力しています。

――  小野さんは、今SNS上でもギター演奏動画をアップしていますよね。ライブができない間の、ファンとのコミュニケーションのためなのでしょうか?

小野:「ファンのために」というより、自分のためです。どんな環境でも音楽をやり続けたいから。今、ひとりで「わしつなぎ」っていう呪いのバトンをやってて(笑)、毎日ギター演奏動画をアップしているんです。こだわりがあって、基本的に全部一発撮りで出してます。

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音楽の話になり、真剣な顔になる小野さん

小野:今はなんでもデジタルで修正・加工できます。ギターのリフレインだって、1回だけ弾いてコピペできちゃう。僕たちは「ある程度編集しないとこうならないよね」って分かるけれど、デジタルで完璧すぎる演奏を聴いている若い子たちって「これくらい弾けるんじゃないか」って思っちゃう気がするんですよ。そんな時代だからこそ、生々しい演奏が貴重なのかなと。人間が弾くから面白いんだし。

――  オンラインでも、ライブ的な生の演奏にこだわっているんですね。小野さん、今までのようなライブができない期間はまだ続くかと思いますが、これからのバンドマンには、どんなスキルが求められると思いますか。

小野:僕は、この状況がずっと続くとは一切思ってないんです。だから、バンドマンも無理に変わる必要はない。ネット発信とか動画編集とか、もちろん自分が貪欲にやっていくって決めるならいいけど、ライブが一生出来なくなってしまうわけではないし。「やらなきゃ」で始めるものは、本質的ではないし、本当にやりたいことが見えなくなっちゃう部分もある。みんなデジタルを本気で意識している今こそ、ライブハウスでゴリゴリやってくのが面白い流れがまたくるんじゃないかとも思いますね。

―― ありがとうございました。緊急事態宣言は解除されていますが、まだ自粛ムードはあります。下北で、今何がしたいですか。

小野:やっぱり、気兼ねなく下北で飲みたい。対面で友達と話したいし、シェルターで飲める日が早く来ることを願ってますね。

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お話を伺った人:小野武正

小野武正

1988年9月19日生まれ。2007年結成(当時のバンド名はreal)の4人組ロックバンド「KEYTALK」のリーダーで、ギター担当。2013年にメジャーデビューし、2015年にはKEYTALKとして初の武道館ワンマンを成功させた。「Alaska Jam」のメンバーとしても活動中。 Twitter Instagram


聞き手:小沢あや

小沢あや

コンテンツプランナー / 編集者。音楽レーベルでの営業・PR、IT企業を経て独立。Engadget日本版にて「ワーママのガジェット育児日記」連載中。SUUMOタウンに寄稿したエッセイ「独身OLだった私にも優しく住みやすい街 池袋」をきっかけに、豊島区長公認の池袋愛好家としても活動している。 Twitter note