著者:垂井真

脚本家。1997年1月31日生まれ。出版・音楽レーベル『放課後』を主宰。これまでの著書に『たまたま生まれさせられたあなたへ』、ドル萌々子さんとの絵本『振り返ると』、北本李奈さんとの共著『じゃあねともだち』など。音楽に藤森さなさんとの共作『月がみたい』(脚本)、10名のSSWによるアルバム『放課後にて』(作詞曲)など。

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甲府に引越したのは2022年の夏だった。それは初めての一人暮らしが始まった夏であり、初めて東京ではない土地で暮らし始めた夏でもあった。引越した初日、近所を散歩して見つけたファミリーマートのすぐ後ろにそびえたつ山並みをぼんやりと眺めながら、ふと「わたしはこの街で青年を失うんだ」と思った。
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甲府市に住んでもう2年半がたつ。その間に何人かの友人が結婚し、坂本龍一と谷川俊太郎が亡くなってしまって、わたしは25歳から28歳になった。まとっていたはずの「青年」は、確かに日々の中ですり減るように失われていき、その代わりと言っては何だけれど、甲府での一人暮らしには、それなりに馴染んできたように思う。
甲府ならではの特産物といえば、たぶんフルーツ、ワイン、ほうとう、ということになる。季節になると、駅の改札を出たすぐのところ、みどりの窓口の真ん前を陣取って段ボールに入った桃やぶどうが売られている(それらは無論しっかりと美味しい)。駅ビルには甲州ワインの専門店があり、駅前にある「甲州ほうとう 小作」の店前には、休日になると必ずと言っていいほど行列ができる。
ただ、山梨県が誇る最も大きな魅力といえば、やっぱり富士山ということになるだろう。言うまでもなく、富士山は日本一の標高を誇る(そして、日本の象徴のような役割をまま担う)山である。富士山は山梨県と静岡県にまたがっているのだけれど、4つの登山道のうち半数以上の富士登山客が利用する吉田ルートは山梨県側にあるし、静岡県側からより山梨県側から見た富士山の方が形が美しい(......なんて、山梨県で過ごしているとそんな「富士山は山梨のもの」的な意見ばかり耳にする。けれど、もしわたしが静岡県に住んでいたら、きっと「富士山は静岡のもの」という意見で溢れているのだろう。そして、この論争はきっと遥か昔から続く終わりのないものなんだと思う。だから、新参者のわたしはこれ以上の言及は控えることにする。何はともあれ、そう、山梨といえばやっぱり富士山なのだ)。
だから、県の主要な観光地や名所は富士山の麓、富士五湖周辺に集中している印象がある。大月駅から河口湖駅を結ぶ富士急行線の乗客は、大袈裟ではなく8〜9割が海外の人たちで、今日も彼ら彼女らは車窓から見える富士山の大きさ、白さ、美しさにスマートフォンやカメラを向けていることだろう。
対して、甲府市では海外の方や観光客の姿はほとんどない。いるにしても、その多くは登山ウェアに大きなリュックサックを背負っている。恐らく、甲府を経由地にしてどこかの山へ登りにいくのだろう。県庁所在地と言えど、甲府の街は(年に一度の信玄公祭りの日を除いて)大抵いつも静けさをまとっている。夜、アーケードのほとんどのお店はシャッターが閉められていて、ただ蛍光灯の薄暗い明かりだけが誰も通らないその道を照らしている。
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甲府の街に、とくに夜の静けさに、引越してからの一年は強い寂しさを感じていた。それは、東京にいる友だちに会えないとか、そういった人間関係によるものだけではなく、街そのものが持っている、なんというか、人間という種族の蠢きの少なさによるものだったと思う。正直、今も甲府の夜を歩くと、寂しさを感じてしまう。ただ、そんな夜も含めて、甲府での暮らしが漠然と、しかし確かに好きなのだ。この原稿を書くにあたって、自分が甲府にかなり好意的な感情を持っていることに、今更ながら気が付いた。
では、わたしは果たして甲府のどんなところが好きなんだろう。
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まず思い至ったのは、やっぱり自然の恩恵だ。甲府は水道水が美味しい。空気も美味しい。新宿から特急に揺られ、甲府駅のホームに降りた瞬間に、体内へ清らかな大気が入り込んでくるのを感じる。
それに、街から見える山並みが美しい。甲府は四方を山に囲まれていて、引越した当時、『進撃の巨人』(諫山創、講談社)の巨人から街を守る外壁「ウォール・マリア」みたいだと思った。しかし、山々は無機質な石壁とは(勿論)異なっていて、季節ごとの変化に富んでおり、毎週のようにその姿を変える。秋から冬にかけて黄色から橙、赤、そして茶色へと移り変わるその表情の豊かさに、やがて訪れる冬に見せる白銀色の夢幻的な美しさに、いまだに慣れず、ただただ、感動してしまう。
天候が比較的安定しているのも好きなところだ。特に冬は日照率が高くて、ただでさえ陰鬱になりがちなこの季節のメンタルを支えてくれる(風はすんごい寒いけど)。ただ、生活の中で最も待ち遠しいのは間違いなく秋。この数週間のために一年があったのだ、と本気で思うくらい、甲府の秋はいい。山の景観ももちろんそうなのだけれど、何より風が、空気が、たまらない。秋だけ、ベランダに机と椅子を出す。朝、悠然とコーヒーを淹れる。パソコンも出してきて、のんびりと作業をする。夕暮れどき、赤紫色の空をカラスが渡っていく。鳴き声がかすかに聞こえる。少しだけ肌寒くって、でももう少しだけこの空間にいたいと思う。まるで夢の終わりのようで、季節の儚さにしみじみとする。

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ところで、甲府と東京の距離感について、多くの人が誤解しているように思う。新宿から特急の「かいじ」・「あずさ」に乗ってちょうど一時間半。この一時間半は、新幹線や飛行機での移動とは体感的に結構違う。スマホで2分、チケットをとるだけでJRのホームから、快速電車に乗るのと同じような感覚で乗車できる。そこには新幹線や飛行機にあるような「段取り感」がなく、移動が億劫だとか、面倒でたまらないと思ったことは、大げさではなくこれまで一度もない。
わたしは、その気になれば会社の終わりにテアトル新宿で映画を観ることができる。一つ前の立川駅に降りればシネマシティがあるし、ジュンク堂書店もある。「君はホームシックにはならないかもしれないけれど、都会シックになると思うよ」と、異動が決まったときに昔からの友だちに言われた。そして、それは確かにその通りだった。けれど、都会シックが発動しそうになれば、わたしはすぐに特急に乗って東京へいける。
特急では、いつも車窓側の席をとり、音楽を聴きながら流れる風景を見るともなく見る。立川駅の少し手前で、特急は大きな多摩川を渡る。河川敷には大きすぎるマンションが建っていて、それを見るといつも都会への門のようだと思う。そこを境に、一気に街明かりが増える。マンションの、一人一人の生活があることが想像しきれなくなるほどの窓の数。東京に来たのだと感じて、諦めのような安心を覚える。
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生まれも育ちも東京都の三鷹市で、吉祥寺駅(から徒歩35分くらい)にある実家でずっと暮らしていた。
物心ついた時から、自分はずっと東京に住み、東京にいてものを考え、東京で言葉を書くのだろうという茫漠とした確信があった。実は甲府へも自分から行きたいと言い出したわけではなかったし、正直、東京以外の土地に住むことになるとは、思っていなかった。
わたしの体には東京がびっしりと繁殖して広がっている。夜のネオン街にノスタルジーのようなものを感じたり、満員電車のあまりの人の多さに、どこか遠くの海に行きたいと唐突に思ったり。そんな感慨が青春時代の思い出に満ち満ちている。
小学生のころ、吉祥寺駅前のキャバクラのキャッチを縫うように帰った。高校生のころ、屋上のプールからみえた東京モード学園のコクーンタワー、道路ができるからという理由でなくなった高校のグラウンド、丸ノ内線の満員電車で繰り返し聞いたサカナクション。わたしは東京という都市の雑多な人類の蠢きの中で自分の輪郭を失いながらじゃあここに生物として、人間という種族として生まれた「かけがえなさ」とはなんなんだろうかと、そんな風に幼少期から考え、育ちすぎてしまった。
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もし甲府で生まれ育っていたら、わたしは「かけがえなさ」について、そこまで考えただろうかと思うことがある。甲府では、同じお店に3、4回通えば、お会計の際に「いつもありがとうございます」とほぼ必ず言われる。もちろんわたしの見た目がそれなりに覚えやすいというのもあるのかもしれない。それでも、他ならぬあなたとして「かけがえなさ」を認められている感覚が、ここでは自然と生まれる。
そういえば、いわゆる「行きつけのお店」というものも甲府に来て初めてできた。いくつかあるけれど、ひとつ挙げるとするならば、やっぱり寺崎コーヒーだ。家から歩いてすぐのところにあって、週に1回、多いときは2回は訪れている。
寺崎コーヒーの二階でコーヒーを飲みながら、そこに置いてある文庫版の村上春樹を読み、川内倫子の写真集をめくり、たくさんの企画書を書き、言葉を紡ぎ、映像を編集してきた。起きて何もやる気が起きないとき、まず寺崎コーヒーにいく。コーヒーは大体3種類あって、なんとなく美味しそうなものや、なんとなく前に美味しかったなあ、ってものを頼む。「お二階空いてますよ」と店員さんが声をかけてくれて、ぼんやりとうなずく。
陽に照らされ、可視化したコーヒーの湯気。一口すすれば、ぼんやりしていた頭が段々と覚める。一緒に食べるスコーンやマフィンで元気になり、停滞していた一日が動き出す。
この街はさみしい。けれど、灯りのような場所がいくつかあって、そこに行けば、確かにあたたかい。

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この間、夜明け前から家で文章を書いていたりしていて、休憩がてらコンビニへ出たら、山並みに朝日が当たり、薄く赤色に染まっていた。そのとき、東京に住んでいたころと明確に変わったことがひとつあることに、ふと気が付いた。
わたしは朝を、一日の始まりを、好きになっていた。東京にいたころ、朝は通勤する人々の間で世界を拒絶するために、イヤホンの音量を上げ、うつむいてばかりいた。朝が美しいということを、わたしは知らなかったのだ。
その光景をぼんやりと眺めながら、登山好きの知り合いが言っていたことを思い出す。早朝の太陽で山肌が赤く染まる現象のことを、登山用語で「モルゲンロート」と言うらしい。

