新橋は嘘をつく。きっとキミは天才だと。

著: 古東風太郎 

入社式を翌日に控えた2011年3月31日、新築のマンションで段ボールを開封すると三年間付き合った人に目も合わせずに別れを告げた。キツい西日が差し込むワンルームで、すぐ隣にある幸せより、ずっと先で待つ可能性に目がくらんでしまった。

「幸せにならなきゃ許さない」

そんなお人好しすぎる言葉を1つ言い残し、彼女は玄関のドアを閉じた。

何者かになりたい人間でごった返す東京で、時折、何者にもならずただ漂っていたい人間が紛れ込んでいる。これはそんな人間が新橋というサラリーマン激戦区で、あろうことか淘汰されずに生きのびてしまった話だ。

明日着るスーツのしわを手でテキトーに伸ばしたらベッドに倒れ込む。最後の最後までお人好しだった彼女を、とうとうボクは見送りもしなかった。「早く一発当てて恩返ししないと」彼女にできる罪滅ぼしを自分の身勝手な夢と重ねながら眠った。そんなやっちまった日の翌朝、まだ見慣れない真っ白な天井に少しビックリしながら、ボクは社会人になった。

新橋4丁目の交差点で地図アプリを開き、会社へと歩く。パンパンに腫れた目がやけに熱くて、まだ何も始まっていないのにもう気だるい。新橋での生活が始まった一日目のことだった。

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西新橋という知られざるオアシス

実は、住所を決める当初、新橋という街に特段こだわりがあったワケではなかった。

23歳で、初めての一人暮らし。ボクは不動産業者が準備したカタログに目を通しもせず、地図の上にコンパスの針を刺してその周りにぐるりと小さな円を描いた。「この範囲内で、家賃10万円未満なら狭くても何でもいいです」コンパスの針は株式会社テレビ東京を刺している。ボクが2011年4月1日から働く会社だった。

新橋といえば「サラリーマンが働きにくる街」というイメージが強い。ボクもそんなイメージを持つ1人だったけど、コンパスの円の中の【西新橋】に暮らしてその固定観念が覆った。都市なのに公園が3つもあるし、緑も豊か。コンビニもある。なんなら肉のハナマサもある。名だたる企業の巨大ビルが目立つけど、大通りから一本入ればまだ築年数の浅い綺麗なマンションがズラリと並ぶ現実があった。そして夜、サラリーマンたちが一斉に帰宅すると、昼までのにぎやかさが嘘だったみたいに静まり返る。

アクセス面も都内屈指で、新橋駅にはJR山手線、銀座線、都営浅草線、ゆりかもめ線の4本の路線が通り、都営大江戸線汐留駅も使える。東京駅へは5分で行けてしまうし、渋谷まで15分、新宿まで20分と、主要都市へも乗り換え無しですぐにいける。家の近くの異様に背の高いナゾの建築物が工事中でうるさいけれど、それ以外は、暮らすのに申し分の無い街だった。ボクはつぶしのきかなそうな映像業界で定年まで勤め上げるか否かは決めていなかった。それでも物心がついてから引越しばかりだったボクの人生で、初めて故郷と呼べる街ができる気がした。

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ちなみに、住めば都の新橋だけど、表向きには超がつくほどのサラリーマン街。ほぼオールジャンルのグルメが出そろい、しかもその多くが朝方まで営業している。ボクは料理が全くできない絵に描いたようなダメンズだったのでその点も助かった。ボクは辛くて旨い麻婆豆腐を食べられる「味覚」という中華料理店が気に入り足しげく通うことになる。その辛さに悶絶するうちに日々のストレスはふっ飛び、その度にボクは救われた。まさに母なる料理だ。

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待っていたのは、シャレにならぬほど何者でもない日々

映像コンテンツで人を笑わせたい。生きづらい想いをしている誰かに寄り添いたい。

そんな夢を抱いて無邪気に飛び込んだテレビ業界は想像以上に厳しい世界だった。撮影や編集を任されるまでAD(アシスタント・ディレクター)として下積み生活を送るのが恒例だが、この期間が本当にしんどい。というか向いていなかった。上司の考えを先回りして色々な物を準備するのが仕事なのに、想像力が足りずに先輩たちに多大な心配と迷惑をかけ、叱られる日々。ずっと自分のことばかり考えて生きてきたしっぺ返しだと思った。もしも「すぐになれる! 優秀な奴隷になる10の方法」という本が出版されていれば間違いなく手を伸ばしたはずだ。しかし、そんな本はアマゾンにもヤフーにも見当たらない。帰宅時間は大体深夜3時を回ったし、家に帰れない日もザラにあった。

「急に成長しなくていい。1日1つ学べばいい。そうすれば一年後には365個、新しい事ができるようになっている」毎日テンパって空回りするボクを見かねて、上司がそんな言葉をくれた。ひたすら会議資料を印刷したり、コーヒーを買ったり、スタッフのスケジュールを調整したりする日々でも、働く姿勢次第では何かに気付けるはずだと信じることにした。

会社を出て新橋の自宅へと歩く。サラリーマンの群衆が立ち去った深夜の新橋は「この世の終わり系SF」のドラマセットかと思うくらい静かだった。テレビ局、番組制作会社、編集プロダクションの多くが港区周辺に在るので自宅まで徒歩圏内だったし、綺麗に舗装された夜道の散歩は良いリフレッシュになる。ドタバタ過ごすクリエイターにはもってこいの街だ。

新橋のTSUTAYAの向かいに桜田公園という小さな公園があった。どういうワケかこの公園だけは終電の無い時間でも、深夜3時を過ぎても、朝5時になってもポツリと誰かがいる。自分の仕事の出来なさに凹む日は、桜田公園のベンチに座り、コンビニで買ったアルコール度数9%の缶チューハイを飲んだ。数メートル離れた隣のベンチでオジサンがぼーっと空を見上げている。ブランコに座る男性は一緒にジーマを飲む女性にこのまま一緒にビジネスホテルに泊まろう、と誘っている。女性はしばらく悩んだふりをしてから「始発になったら帰るからね?」と謎の言い訳をして男性と共に消えていった。視聴率ゼロのコントが見放題だ。

なんで、別れちゃったかなぁ。

少しでも気を抜くと無償のやさしさをくれた人を思い出してしまうから、せめてもの罪滅ぼしにと、リュックからノートを取り出して番組企画を書きまくる。名も知らぬオジサンがプシュッといい音を立てて4本目の缶ビールを開けていた。そう言えば、今日新たにできるようになったことが特に無い。星の見えない空を肴に、酒をすすりながら企画書を書き続けた。

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家に帰ると、買ったのに殆ど使わない冷蔵庫や電子レンジに早くもホコリがかぶっていた。もはやボクにとって自宅は「仮眠できる倉庫」程度の存在だった。開きっぱなしの洗濯機からは山積みの着替えが覗き、シンクには飲みっぱなしのグラスがいくつも並んでいる。実は、六本木や銀座からタクシーで5分という立地の良さが完全に裏目に出て、新橋の自宅は収録の打ち上げで泥酔状態になったAD仲間の恰好の収容場所となっていた。下駄箱で吐いたり、トイレから出てこなくなったり、恥ずかしいポエムを勝手に読まれたりした。本当にふざけないでほしい。

だけど、くすぶった野郎たちで身を寄せ合い「あのディレクターのキレ方は理不尽だよな」と愚痴をこぼしたり、「いつか一緒にスゴい番組をつくろうな」と無邪気に夢を語り合ったりする時間がボクは好きだった。だけどある冬の日、SL広場で「ごめん、無理だった」と告げた彼を引き止めることは出来なかった。「働き方改革」という救いのワードがまだ世に無かったころ。きっと耐えられる人の方がどうかしている。「また一緒に、何かやろうな!」彼と握手を交わしたボクは、きっと変な顔になっていたと思う。あの日ボクのワンルームで酒を酌み交わした彼らは今、誰ひとりテレビ業界に残っていない。通らない企画書だけが増えていった。

しかし、心を鈍感にすることにも慣れた入社4年目、ボクに転機が訪れる。ずっとやかましく工事していた“異様にデカい建物”が虎ノ門ヒルズだったと知った2014年のことだった。

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初めての企画と、サラリーマン街の夜景と、耳鳴りのホットワイン

初めて、バラエティ番組の企画が通過した。

新橋駅烏森口に「鉄火 武士道」という居酒屋がある。とある劇団の座長が店長を勤めるこの酒場はマスコミ社員御用達で、ピリ辛の赤もつ煮とごま油の効いたレバテキがうまい。テーブル席でハイボールをキメながら、いつものようにノートに企画を書いていた時のことだ。

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「プレゼンってのはやな、“誰”が、“何”を伝えるか、その組み合わせが何より大事なんや。小手先かましとるんちゃうぞ。人生まるごとぶつからんかい」

背後で泥酔するサラリーマン男性が部下に説法を説いていた。新橋の居酒屋には色々な会社のサラリーマンがいる。市井の人たちがどんなことを考えているのか、ビジネスの先輩がどんなことを考えているのか……聞き耳を立てればいつだって学びの連続だったりする。ボクは恥ずかしくなって『旬なお笑い芸人と行く! 絶景ほっこりグルメ旅』という書きたくもない企画書をグシャグシャっと丸めた。代わりに自分の人生を形づくった要素を思いつくままノートに書きなぐった。愛知、奈良、マレーシア、埼玉、東京・新橋……。引越しだらけの人生でボクが学んだことは何だっただろうか。

入社4年目のポンコツADが人生をかけて提出した企画は、やがて75分の番組になり、OA当日はTwitterのトレンドに入るなど話題を呼んだ。渋谷と屋久島に暮らす二人の女子高校生を、ある日突然入れ替えたら何が起こるのかを見守るドキュメントバラエティー番組だった。その番組は、ボロボロになるまで付き合ってくれたスタッフのお陰でギリギリ達成視聴率を超えた。後日、取材した女子高生の祖父が亡くなり、彼が何度も繰り返し見ていたこの番組のDVDを一緒に火葬して天国へ持っていかせました、という旨のメールが届いた。

モノづくりに求められることは何なのか。そんなことをぐるぐる考えながら新橋4丁目の横断歩道を渡ると、虎ノ門ヒルズと呼ばれる巨大な建築物が大袈裟な光を放っていた。ビルの頂上が斜めにスライスされたような形になっており、そこに洒落たBarがあるらしい。薄汚い真っ黒なジャンパー姿でBarに赴いたボクは悲しいくらい浮いていたに違いない。それでもその日、ボクは自信に満ちた足取りで指定された窓際席へと向かった。そこでボクは、ソファに腰をかけるよりも先に、あるものに目を奪われ、釘付けになった。

目の前の巨大なガラスケースに、ボクが暮らす新橋の夜景が広がっていた。

ここに来るまでに、4年かかった。
放送できたのは、たった1時間と少し。

モノをつくりたくてたまらない人があふれる世界で、1日24時間、誰にでも平等に時間は流れる。深夜に散りばめられた光の源にいる人たちで、用意された放送枠を奪い合っている。

新橋4丁目の交差点で、パンパンに腫れた目に目薬をさした。
SL広場で、痛み分けをした仲間の背中を見送った。
赤提灯の居酒屋で、嘘だらけの企画書を破り捨てた。

「桜田公園、ここからは見えへんなぁ」

目を覆いたくなるような思い出だらけの街は、カメラアングルが変わればこんなにも美しい。そんな嘘みたいな現実に息をのんだ。ボクはちょっとした勘違いをしてしまいそうだった。

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「お前、算数もできねぇのかよ! モノづくり以前の問題だろう」

夜景に酔ったのも束の間、上司からの電話に出ると第一声で大きな怒号が聞こえた。ボクの番組は準備された予算を大幅にオーバーし、他部署に多大な迷惑をかけることになってしまったと聞いた。最後の最後で大粗相をやらかしたあの特番がレギュラー化されることは無かったし、ボクの社内評価はむしろおもいきり下がってしまった。

一生懸命やってみたけれど、また会社の足を引っ張ってしまった。上司が怒るのももっともだ。

「他に何かお持ちしましょうか?」
「いえ、もう出ます」

外国人のイケメン店員が手渡したチェックを見てボクはまたテンパった。ノリで頼んだホットワインが一杯2000円もするなんて思わなかった。そういう所だよ、などとブツブツ呟きながら耳鳴りのするエレベータで地上に降りて、またアシスタントの日々に帰っていった。

一人のディレクターを支えた、とある言葉

「つまんねぇんだよ、タコ!」

初めて書いた台本は演出家の手でビリビリに破り捨てられた。入社5年目の秋、新たに始まるレギュラー番組に配属されるタイミングで正式にディレクターになった日のことだった。上司の気持ちを汲み取るのが苦手なボクの欠陥は、AD生活を卒業してからも重大な課題となった。

自宅という名の「仮眠できる倉庫」は「編集もできる倉庫」になった。打席にさえ立たせてもらえれば面白いものをつくれる自信はあったけど、どうしていいか分からない台本の直しが朝までかかりそうだ。ボクはもしかして、とんでもなくつまらない人間なのではないか。深夜、勇気をだしてタクシーに乗り麻布の編集所へ向かう。上司はとっくに深い眠りについており相談できずじまいだった。

なぜこの画角で撮るか? なぜこのアングルで撮るか? なぜこのサイズで撮るか? なぜこの質問を投げるのか? なぜこのカメラで撮るのか? 全てのカットに論理的な説明を求められるモノづくりは、正直、思っていたそれとは違った。しかし、ボクみたいな若造がセンスだけを頼りに番組をつくれば目も当てられない結果になるのは目に見えている。だからどんなプロジェクトにも上司への説明責任が発生する。結局ボクたちテレビ業界の人間も、大前提サラリーマンなのだ。尖った企画を思いつき、撮り、編集できれば優秀なつくり手というわけにはいかない。営業局の同期からは「お前もゴルフ始めろよ!」と誘いのLINEが届いた。

仕事柄、24時間常にケータイを気にしている。ピカチュウが「NO!」と言っているスタンプを彼に秒速で送り返した。連絡はマメな方だと思う。

それでも、台本会議が長引いて待ち合わせに大遅刻し幻滅させた人がいた。長期にわたる地方ロケ中、別の男性との命を授かって連絡が途絶えた人がいた。親に紹介するほど将来を見据えた人でさえ、編集所でカンヅメになっている間に商社マン主催の飲み会に行ってしまう。常にレギュラー番組の納期に追われるこの生活は、きっと恋愛との相性が良いとはいえない。それでも新橋のワンルームで「こんなVTRができたよ」と自分の番組を誰かに見せてはインスタントな激励を受け取った。上司に修正された部分の方がウケてしまう日もあったけど、ボクは彼女のリップサービスの言葉を敢えて真に受けることでギリギリ精神を保ってきた。


ある日、新橋4丁目の交差点に500円でコーヒー飲み放題のTHE CORE KITHCENというカフェができた。ガラス張りの電源付きカフェなので、太陽の光を浴びながら編集に没頭できる。来る日も来る日も、大きなテーブルで生ハムをつつきながら、人の家について行くちょっと風変わりな映像をつくり続けた。気付けば日が暮れている。VTRが間に合わない。

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「お前は黒澤明監督の超大作でもつくってるのか。もっと早く編集して見せに来い」

電話口で叱られる度に、ボクは自分が何者でもないことを再確認した。
そしてそれは、とても有難いことだったと思う。
帰宅して玄関の扉を開けると、見るからに辛そうな火鍋がつくり置きされている。

新橋での生活が終わりに近づいていた。

さよなら新橋と、無限に広がる可能性

「ご飯でも食べながら、近況報告しない?」
とても懐かしいヒトからLINEが届いた。ゆるめのワンピースを着た彼女と新橋4丁目交差点で待ち合わせ、恒例の中華料理店「味覚」に入った。ボクたちは何度、記憶があやふやになるまで酒を呑んだか分からない。ファーストオーダーでボクが濃いめのハイボールを注文すると、彼女は少し申し訳無さそうにジャスミン茶を注文した。さっぱり状況に追いつけないボクに気付いて、彼女は補足する。「私、お母さんになるんだ」わざわざボクがつくった映画を観る為だけに千葉県の映画館まで足を運んだ彼女もまた、他の誰かと結ばれてゆく。

「結局、私とは付き合ってくれなかったね」
「ごめん」
「キミはこの先も大丈夫だよ」
「思ってないでしょ」
「思ってるよ。だって……」
「だって?」
「私、いつも言ってたじゃない」
「あれはリップサービスでしょ」
「そんなことないよ」

何者かになりたい人がいる一方で、何者にもなりたくない人がいる。新橋4丁目の交差点で腫れた瞳をこすりながら「一発当てる」と誓ったのは10年前だ。プロデューサーの教えをちゃんと守れていたら、ボクはこの街で3000以上の学びを得たことになる。この日は、笑顔で言えるさよならだけが本当のお別れなのだと学んだ気がする。しれっと「虎ノ門ヒルズ駅」が最寄駅になったこの街で、ボクからも1つ、彼女に大切な報告をした。さようなら、あらゆる可能性。今度こそ彼女の後ろ姿が改札の奥へ吸い込まれていくのを見送った。

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色々な人がやって来ては、立ち去った家だった。もう水道も、電気も、ガスも通っていないスッカラカンの倉庫をボクもまた、明日出て行く。向かいの広告会社から漏れた光をあてに缶チューハイをすするけど、桜田公園で夜な夜な飲んだころのようにグビグビとは進まない。

まだ一発も当てられていないけど。本当にこのまま、何者にもなれなくたって。

静かな夜の桜田公園、一緒に星のない空を見上げたオジサン、ふいに耳に飛び込んだコンペのコツ、現実逃避を後押しする刺激的なメシ、同僚から宅飲みに使われてしまうアクセスの良さ、そして凡人にとある勘違いをさせたウソみたいな夜景。新橋は働く場所ではなく「住む場所」として、一人のポンコツの人生を支えてしまった。「新橋なんて、とても住むところじゃない……」そんな固定観念を持たず、一度試してはいかがだろう。

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10年前、お人好しすぎる人に言い返せなかった言葉を呟いて、ゆっくり玄関の扉を閉めた。

「絶対、幸せになるからね」



著者:古東風太郎

古東風太郎

株式会社テレビ東京 制作局 10年目 『家、ついて行ってイイですか?』演出。2021年1月6日の4時間半スペシャルの放送でギャラクシー賞月間賞を受賞。趣味は都内近郊の激辛料理店を巡って食べた感想をインスタグラムに投稿すること。

 

編集:ツドイ