端でもにぎわう蒲田【銀座に住むのはまだ早い 第5回 大田区】

著: 小野寺史宜 

家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。

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 陸側と海側とにざっくり分けられる都市部の駅周辺でどちらに住むかを選ぶなら、僕は海側を選ぶ。

 海が好きだから、ではない。いや、好きは好きなのだが。一辺が海になることで島感が出るから、だ。町にはっきりした形が与えられる。わかりやすくなる。

 今回は大田区。23区で面積が一番大きい区だ。

 羽田空港が丸々含まれるから、そうなる。羽田空港はそれ自体が大田区の町名で、1丁目から3丁目まであるらしい。例えば国内線を利用する人は、3丁目で飛行機に乗る。

 前回の北区編での浮間舟渡同様、大田区編では初めから蒲田と決めていた。

 第1回は、中央区以上にど真ん中っぽい千代田区。第2回から第5回までで東西南北の各端を攻めるつもりでいた。まず隅をとればある程度は有利。オセロみたいなものだ。ただし、僕、オセロは下手。

 蒲田も、海が近いといえば近いから、そちら側の物件にしようと思ったのだが。そこで強敵が現れた。川だ。多摩川。

 江戸川区編と北区編ですでに23区の幅広川2本、江戸川と荒川を押さえてるのに、多摩川を逃していいのか? 隅田川はまだこれから行く可能性があるが、多摩川でその可能性があるのは世田谷区だけだぞ。で、世田谷区編では、たぶん、行かないぞ。

 ということで、決定。陸側。駅の西口側。

 海側に住んでも多摩川には行けるのだが、陸側だと、早めに河川敷に出られるのだ。地図で見た感じ、その辺りは、河川敷の厚みというか、充実ぶりがすごい。

 さっそくSUUMOで検索。管理費・共益費込みで家賃5万円のワンルーム。

 数は少ないが、ヒットした。駅から徒歩9分。築10年。4畳で4万8千円。ゴー!

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 映画『蒲田行進曲』のあれが発車メロディとしてほぼ常に流れるJR蒲田駅に降り立つ。西口に出て、またすぐにビルのなかへ。エレベーターに乗り、東急プラザ蒲田の屋上かまたえんへ。

 そこには、子ども向けの小さな観覧車がある。幸せの観覧車。都内唯一の屋上観覧車だという。

 ゴンドラの数はわずか9。かわいい。でもあいにくの強風で誰も乗ってない。空のゴンドラがゆらゆら揺れている。お母さんの抱っこひもから出てぶらぶら揺れる赤ちゃんの足みたいで、それもまたかわいい。

 ここは、おっさんの僕が利用するような施設ではない。が、こうしたものがあると思うだけで、大人も安心できる。町への信頼が生まれる。

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 今度こそ外に出て、探索を開始。

 JR蒲田駅の前からは東急池上線と東急多摩川線が延びている。JR含めどれもが高架線でないこともあり、蒲田は、とにかく線路、という感じがする。当然のことながら踏切も多い。

 まずは、東急池上線に沿ったバーボンロードを歩く。

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 その名前から、大学生のときに行ったニューオーリンズのバーボンストリートを思いだす。

 そこは通り自体が観光地のようなもの。周辺のクラブでは、ジャズやらブルースやらロックやらファンクやらの生演奏が夜通し行われていた。

 別に外国に行きたかったわけではない。アメリカに行きたかったわけでもない。ニューオーリンズに行きたかった。そこでディキシーランドジャズに触れたかった。

 実際に、触れた。地元のビール、ディキシーを飲みながら、クラリネットやトランペットやバンジョーやチューバの生音を聞いた。

 一人での帰り。羽田でなく成田へ向かう飛行機のなかで、僕は初めてもの書きらしいことをした。A6サイズくらいの小さなメモ帳に、ニューオーリンズについての文章をガーッと書き殴ったのだ。小説のようなエッセイのような散文。確か、一気に20枚は書いた。

 ガキのころから書くつもりではいながら、なかなかタイミングをつかめずにいた。今書いてもロクなものにならないな。ずっとそう思っていた。そこでやっと書いた。

 といっても、書いただけ。そのあともすんなりとはいかない。僕は今なお続く長~い暗黒時代に突入する。でも、始まりはそこだ。

 懐かしのニューオーリンズ。また訪ねることはあるかな。

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 と、2分ほど感傷に浸りつつ、踏切を渡り、物件の場所を確認。

 住宅地。よさげだ。不安要素なし。駅から徒歩10分圏内。歩くのが好きな僕にとってそれは必須条件ではないが、ありがたいことはありがたい。

 そこから少し行くと、止まっている電車が見えてくる。

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 とにかく線路の蒲田で、さらにこれ。旧蒲田電車区の大田運輸区。今は京浜東北線車両の車庫としてつかわれているらしい。まさに車庫。何両も止まっている。特に電車好きではない僕でも、おぉっと思う。

 この辺りは、大田区新蒲田。

 ほかにも新木場や新小岩など、新が付く地名はいくつかある。東池袋や西新宿みたいに東西南北が付くならわかるが、この新○○にはいつも笑ってしまう。新木場のような後発の埋立地ならしかたない。でも新小岩や新蒲田はもとからあった土地なのだ。

 新以外には、本を付けたりする場合もある。例えば千葉市には新千葉があるし、本千葉町もある。

 考えてみたら、何でもいいのだ。近い将来、市区の再編などで、前千葉や元千葉、全蒲田や超蒲田が誕生するかもしれない。しないでしょうけど。

 右折して西へ進み、いよいよ多摩川へ。

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 江戸川でも荒川でもそうだった。23区の幅広川特有のこれ。堤防の階段を上りきると、視界が一気に開ける。この瞬間は本当に気分がいい。これがあるなら駅より川の近くに住みたい。そう思える。

 そこではまだ河川敷はさほど広くない。南に歩いていくうちに広くなる。陸上競技のトラック状に整えられた区民広場あたりからは、何らかのスタジアムでも造れそうなほど広い。

 2面あるサッカー場、その先はもう、野球場の嵐。

 大田区のホームページによれば、この多摩川緑地だけで野球場は16面あるという。

 16はすごい。すべて借りれば、32チームでのトーナメント大会、その1回戦を同時スタートできてしまうのだ。リーグ戦の同時進行も可能。野球は1チーム9人。2チームでやるから1試合は18人。18×16=288。288人が同時に野球の試合を楽しめる河川敷。すごい。

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 そこだけで2キロほど歩き、河川敷をあとにする。

 住宅地に交ざる町工場を横目に、通りをまっすぐ北上。

 不意に交番が現れたところで右折。少し進んだ先に銭湯があった。第一相模湯さん。

 23区にも銭湯は結構ある。何なら多いと言ってもいい。なかでも一番多いのはここ大田区らしい。特徴は、黒湯。

 これまた大田区のホームページによれば、臨海部周辺にその黒湯と呼ばれる温泉が広く分布し、昔から銭湯で利用されているという。メタケイ酸や炭酸水素塩類などを含む25度以下の温泉で大昔の海水を由来とする化石水であると言われています、とのこと。

 最後に銭湯に行ったのはいつだったか。思いだせない。40年以上前とか、そんなかもしれない。もしこの町に住んだら、一度は行かねばなるまい。黒湯に浸かり、ムフフと黒っぽく笑ってみなければなるまい。

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 銭湯で一人黒っぽく笑う50すぎの男はいやだな、と思いつつ、JRの線路沿いの道に出て、蒲田駅へ向かう。

 やがて、タイヤ公園こと西六郷公園に着く。

 何故タイヤ公園なのか。理由は一目でわかる。タイヤだらけなのだ。古タイヤを利用した遊具がいくつも設置されている。ゴジラチックなタイヤ怪獣もいる。そういえば、映画『シン・ゴジラ』でも、ゴジラは蒲田で上陸したらしい。

 黒湯と合わせたわけではなかろうが、無数のタイヤのせいで、公園全体の黒度が高い。でも、ここ、子どもなら楽しいだろう。大人でも、ちょっと沸く。

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 そのまま駅まで歩いて戻り、ランチ。

 今日は中華だ。蒲田西口商店街、サンロード蒲田にある金春(コンパル)新館さんに入る。

 頼んだのは、白身魚の甘酢ソースがけ。ここで一カ月前の記憶がよみがえる。前回の北区編で頼んだのもチキン甘酢ソース定食だった。

 僕は酢が好きなのだ。もずく酢は毎日食べている。というか、容器のままチュルチュルッと飲んでいる。

 定食には餃子が三つ付いてきた。餃子には羽根まで付いてきた。おまけとして付けられる大きさの餃子ではない。それを酢のみで食べる。しょうゆもラー油もなし。今日もがっつり頂いた。

 ランチのあとは、JR蒲田駅の東口側を軽めに探索。やはりゴジラが遡上したらしい呑川沿いに歩いた。多摩川とちがい、こちらは街なかの川という感じがした。

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 また西口側へ抜け、サンロード蒲田と並行するサンライズ蒲田にあるカフェ、和蘭豆さんに入った。

 いつものようにストレートコーヒー。エルサルバドルを頂いた。初めて飲んだが、おいしかった。

 この蒲田にも、実は自作の登場人物が住んでいる。『今夜』の小竹舞香。プロボクサー直井蓮児のカノジョだ。道を踏み外しかけた蓮児に会うべく、舞香はJR23区最南端の蒲田から最東端の小岩に行く。決して広くはない23区だから、そうも簡単に端から端に行ける。

 東京は狭いな、とかつて僕は思っていた。でもこうして歩いてみると、狭いけど広いことがわかる。実際に来れば印象も変わる。内へ内へと広い、ということかもしれない。

 これまでは、より自宅に近い江戸川や荒川しか知らなかった。

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 ここへきて、多摩川。そして、蒲田。

 まだ知ったとは言えない。

 が、惹かれる。



『銀座に住むのはまだ早い』第6回は「台東区」へ。4月末更新予定です!


過去の記事

suumo.jp

著者:小野寺史宜(おのでら・ふみのり)

千葉県生まれ。2006年、『裏へ走り蹴り込め』でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。『ひと』で2019年本屋大賞2位を受賞。著書は『ひりつく夜の音』、『縁』、『食っちゃ寝て書いて』など多数。エッセイ集『わたしの好きな街』(監修:SUUMOタウン編集部)では銀座について執筆した。

写真提供:著者

編集:天野 潤平