この島だから提供できる味と時間を求めて。佐渡島の南端にオープンしたレストラン「オリジヌ(Origine)」【いろんな街で捕まえて食べる】

著: 玉置 標本

昨年の春、佐渡島南部にある港町の小木に、『オリジヌ(Origine)』という完全予約制の小さなレストランがオープンした。

佐渡の中でも人口が集中する中心地からかなり遠く、ましてや島外の人からしたら、わざわざ海を渡らなければたどり着けない場所である。

ただ気軽に行ける店ではないのだが、ここだからこその素材を生かした料理があり、島の端だからこその時間が流れているのだ。

開店から一年が経った今、なぜあえてこの地に店を開いたのかを伺ってみた。

 

伊藤夫妻との出会い

オリジヌを営むのは、オーナーシェフの伊藤薫(かおる)さんと、そのサポートを担当する妻の小百合さんご夫妻。

伊藤さんは2024年の『新潟ガストロノミーアワード』で、若手シェフ部門30の特別優秀賞を受賞した実力派だ。


ここにあります

新潟県の直江津港からフェリーで海を渡ってしまえばすぐ!

一見すると店だとわからないですね。古い民家を改装したそうです

店主の伊藤薫さん

個人的な話になるが、私が伊藤夫妻と出会ったのは昨年の四月中旬。

小木の寿司屋で佐渡在住の友人(話の後半に出てくる田中藍さん)が「玉置さんに紹介したい、おもしろい移住者がいるんだよ~」と話していた時、ちょうど入店してきたのが伊藤夫妻だ。

そのときは店のオープン数日前というタイミングだったので、残念ながらオリジヌの料理を食べることはできなかった。ただ開店に向けた忙しい日々にもかかわらず、一緒にタコスやうどんを作って遊んだりしてくれて、とても気さくな夫婦だなと思った。

小木港の目の前にオープンしたばかりのコーヒーショップ『珈琲豆焙煎 kaffa佐渡』で唐突に始まった山菜タコスパーティー

その翌日は山菜うどんパーティーも開かれた。オープン準備は大丈夫なのだろうか

 

チョコパイがご馳走だった少年時代

――改めて話を聞くのもなんだか恥ずかしいですが、お店の一周年ということでインタビューをさせてください。伊藤さんの出身はどちらですか。

伊藤薫さん(以下、伊藤):「新潟の柏崎市ってところです。原発で知られている土地ですね。今は止まっていますけど」

――ちょうど小木の対岸あたりだ。

伊藤:「海もあり山もありって感じの田舎で、その森の中に、親父が自分で家と養鶏場をポツンと建てて、平飼いでエサも自分で作るような完全自然養鶏場の卵屋さんをやっていました。

自給自足に近いような生活でしたね。味噌とかも毎年家族で作っていたし、料理も全部母親の手作りで、市販のお菓子とか冷凍食品は家に存在しなかった」

――すごい。

伊藤:「でも小学校に入って友達の家に遊び行くようになると、色々あるわけじゃないですか」

――お菓子とかジュースを出してくれたりしますよね。

伊藤:「それでひとんちのお菓子を食べて、うめえ~つって」

――これがテレビで見たあれか~って。

伊藤:「いや、うちはテレビもなかったから『そもそもこれはなんじゃ?』って感じ」

――まったくの初見なんだ。

伊藤:「一番のヒットはチョコパイでしたね。あれは今食べても美味しいですよ。友達の家にチョコパイがあると、全部食べつくすっていう最悪な小学生でした」

久しぶりにチョコパイを食べた。記憶よりも二回り小さい気がしたが、昔と変わらずおいしかった

 

何も知らないままフランス料理の厳しい道へ

伊藤:「中学生の頃は陸上部で中・長距離をがんばっていて、その地域では一番強かった工業高校に進学しました。別に工業に興味があったとかではなくて。

でもその頃に携帯電話が普及し始めて、みんな持っている訳ですよ。でもうちは当然持たせてもらえない。それがどうしても嫌で、部活を半年で辞めてバイトをするようになって、欲しいものは全部自分で買うっていう生活をしていました。

よく授業をさぼって、みんなで砂浜でバク転の練習をしていましたね。最終的には合宿で中免(バイクの中型免許)を取って単車を乗り回すという、よくいる工業高校生になりました」

――そんな時代が。今、頭の中に『THE BLUE HEARTS』の曲が流れてきました。

伊藤:「それで三年生になって、進路を決めなければいけない。真面目に授業なんて受けていなかったから進学という選択肢は皆無。工業高校だけど工場とかに就職もしたくない。

自分は何に興味があるんだろうと考えたとき、ちょうどドラマでキムタクが美容師をやっていたから、それかっこいいなと理容の専門学校の資料を持って家に帰ったら、親父に『うちには、そんな金はないな』と言われて」

――専門学校の学費は出せないと。

伊藤:「さて困ったなとまた考えて、これまでずっと母親が手作りしてくれた料理を食べてきたけど、料理の世界もおもしろそうだなって思って、そこで初めて意識しました」

――それまで自分が料理をすることに対する興味はなかったのですか。

伊藤:「まったくないですね。でも食べるのは好きで、バイト代が入るとモスバーガーに行ったり、地元のビジネスホテルがやっている安いバイキングに行ったりはしていたけれど、フランス料理とか一切知らなかったし。

それで料理の専門学校の資料を持って家に帰ったら、親父に『うちには、そんな金はないな』とまた言われて」

――そうなりますよね。

伊藤:「じゃあどうすりゃいいんだって言ったら、遠い遠い遠い親戚に、神奈川のホテルで料理長をしている人がいるから、そこで就職試験を受けさせてもらえばいいってことになったんです」

――お金を出して調理学校に通うのではなく、就職してお金をもらいながら現場で学べと。

伊藤:「それで試験前日、そのホテルに一人で前泊させてもらって、夕飯にコース料理を食べさせてもらったんですよ。そこで初めてフランス料理というものを知ったんですが、ナイフ、フォーク、これどうするのって。食べてみたら『なんじゃこりゃ!』みたいな」

――チョコパイ以来の衝撃だ。

伊藤:「そんな何も知らない状態でホテルに拾ってもらったから、まあ死にましたよね。なにか言葉が飛び交っているけれど、フランス語だからまったくわからない。食材も知らないし、包丁だってろくに使ったことがない。とにかく困っていました」

――その情景がありありと浮かびます。なかなかハードな職場ですね。

伊藤:「それでも最初は洗い物から始めて、 徐々に野菜とかを触らせてもらって。前菜の冷たいもの、温かいもの、魚料理、肉料理まで4年半でたどり着いたんですが、フレンチの要であるソース作りを覚える前に、体を壊して辞めたんです。要するに過労だったんですけど、原因不明で」

――無理がたたりましたか。

昨年7月に初めていただいたオリジヌのコース。これで5800円でした。詳しくはこちら

私が勢いだけで買った巨大なエイの肝臓をプライベートで調理してもらったりもした

巨大エイのレバーソテー、これがまたうまかったのだ

結婚式場を経て、東京での厳しい再修業

伊藤:「それで一旦新潟に帰って、半年くらい入院して。どうにか元気になって、これからどうしようかなと思ったんですけど、 結局料理しかできない。それで23歳のときに長岡っていう花火が有名な町の結婚式場にとりあえず就職して。

そこはもう完全に結婚式仕様の宴会料理。週末になると600食から1000食作るんですよ。メニューも決まっているから豪華な給食みたいな感じ。

そこに3年いたんですが、 まだ若かったし、ここで料理人として学べるものはもうそんなにないかなと思うようになって、もう一度本格的にフレンチを学ぼうと。

それで東京、大阪、和歌山と、自分が気になっていたレストランを食べ歩いて、ここだと決めた東京の店に店員の空きが出たと連絡が来たので、すぐに上京しました」

――そのレストランは大きいとこだったんですか。

伊藤:「25席くらいのレストランで、厨房が5人、サービスが3人。ガチガチのフランス料理店です。入ってみてわかったんですけど、これくらいの町場の個人レストランが、少数精鋭だから一番厳しい。

そこには3年間いたんですけど、早い人は3日で辞めていく。3日持つと1週間、1週間持つと1ヶ月、1ヶ月持てばしばらくいるっていう感じです」

――最初のホテルよりも厳しい世界があったとは。伊藤さんとしては、ある程度の経験がすでにあるにもかかわらず、それでもきつかったですか。

伊藤:「自分はそのとき26歳で、前職の結婚式場ではソースとかも全部やっていたから、一通りはできるつもりで入ったんですけど。もうそこの扉をくぐった瞬間、全部ひっくり返されました。何も通用しない。全部を一から学び直し」

――大変な世界だ。怖いシェフだったのですか。

伊藤:「うん、怖かったっすね。もうほんとに怖かった。辞める最後の方はシェフが来る1時間前ぐらいから、こっちに向かってる足音が頭の中でするんです。その足音が近づいてきて、扉がガチャって開く音がすると、本当にそこにいるんですよ。それくらい怖かった」

――もはやホラー映画だ。

伊藤:「でもそこは本当に美味しかったです。一番よく言われたのは、とにかくお客さんを見ろっていうことでした。でもシェフが怖すぎて、シェフしか見れないんですけど。

ここでの3年間が一番きつかったけど、やっぱりターニングポイントだったと今は思っています。最終的に自分の実力不足でクビになったけど、本当のプロはここまで料理に情熱を注ぎ、お客さんのためにこんなにも考えるのか、みたいなことを教えてもらいました」

昨年10月にいただいたコース。詳しくはこちら

障がい者と料理を作るレストラン、そして介護食から学んだこと

伊藤:「そこを辞めてから、とりあえず当時住んでいた近くのビストロでしばらく働かせてもらっていたら、養鶏場を辞めて社会福祉法人に勤めていた親父から連絡が来て。築90年の廃校を利用した障がい者雇用のレストランを長岡市でやる計画があるからどうだって。

休みの日に見に行ったら、すごく古い木造校舎でロケーションも良くて。自分も東京で行き詰まっていたので、これを機会に新潟に帰ろうかなと。

そこは本当にただの廃校だったので、箱作りから内装まで、店の立ち上げに全部関わらせてもらって。席数は40くらいだから結構広かったですね。結婚式場時代の先輩を引き抜いて、その人に料理長をやってもらって、自分は副料理長をやっていました。

社会福祉法人が運営する障がい者雇用のレストランだったので、キッチンの中やサービスに障がいを持った方が常時5人くらいいて、一緒にできることを考えながら、各自がやれることを精一杯やるというスタイルでした」

――伊藤さんが命がけでフランス料理を学んだ環境とは全然違いそうですね。

伊藤:「全然違いますね。なかなか良い勉強になりました。

そこで2年間やらせてもらった後、運営している社会福祉法人で提供している老人介護食を、フランス料理の技法でおいしくできないのかという話が持ち上がって、介護食の開発をすることになりました。介護の現場で食事の介助とかもしました」

――これまたまったく違う分野の仕事ですね。

伊藤:「初体験のことばかりで、結構やっぱり面食らいました。

介護食って、人によって食べられる状態(硬さ)が違うので、何段階かに分けるんです。まず1回柔らかめの普通の料理を作って、それを全部微塵(みじん)切りにしたり、ミキサーでスープ状にしたり、それにとろみをつけたり」

――ただおいしい料理を作る、というこれまでのベクトルとはちょっと違いますか。

伊藤:「最初は正直、ちょっと嫌だなと思ってましたけど、この仕事は本当にやって良かったです。食事っていうのは本来、生きるためにあるっていうことを教えてもらったというか。それは当たり前のことなんだけど、多分この経験がなかったら本当の意味ではわからなかったと思う。

この現場にいると、やっぱり食が細くなって食べられなくなると、亡くなってしまう方が多い。食べることと生きることがすごくダイレクトに繋がっている。人は何を食べるかで、どう生きるかが変わってくるかもしれないんだと考えるようになりました。

そこですごいなと思ったのが、普段の介護食で使う顆粒出汁の味噌汁だったり煮物だったりを食べなかった人が、煮干しとか鰹節からとった出汁で作ると食べるんですよ。こちらの手間がちゃんと伝わる。昔に食べた味や香りを覚えているんですかね。

例えば魚とかでも、加工された冷凍の輸入品ではなく、生の魚を捌いて調理すると食べてくれる。自分がここで料理人をやっている意味も、ちょっとあるなって」

――介護食とか病院食は、どうしても栄養バランスとか安全性重視で味は二の次になってしまうという印象ですが、やっぱり「おいしい」というのが大切なんですね。

伊藤:「本当にそうです。現場で実際に作ってみると、どんな状態の方でも美味しいものはわかってくれるし、その反応があるものなんです」

昨年10月にいただいたコース。二日連続で予約したら、できるだけ違う料理を用意してくれた

酒屋の角打ちを経て、あえて佐渡での独立へ

伊藤:「介護食の仕事は2年半やりました。やりがいあったんですけど、まだその時は30歳ぐらいだったんで、 もっと料理を学びたいという気持ちがあって、仕事が一区切りついたところで退職しました。

その頃、親父と晩酌で日本酒をよく飲んでいて、新潟県では珍しく全国の日本酒を扱っている小売店が長岡市内にあって、よく買いに行っていたんです。そこがちょうど角打ち(店飲み)ができて、ちょっとした飲食スペースもある新しい店舗を作るというので、その飲食部門に入らせてもらって、そこで日本酒を学びながら、酒に合うアテを作っていました」

――フレンチとはまた全然違うジャンルだ。

伊藤:「そのうち飲食仲間から、イタリアンレストランだった近くの店が空くから独立してやらないかって話が来て。

その話を会社に持っていったら、今辞めてもらっちゃ困るから、会社としてその店をやってみればっていうことになって、やらしてもらうことになったんです。でもそれがちょうどコロナ禍が始まる直前、2019年のオープンだった」

――あらあら。

伊藤:「そこは日本酒をメインに置きつつ、角打ちよりは格式を高くして、洋食のコース料理も出したりする、なんか不思議な店でしたね。でもそこは二年で閉店してしまって。コロナもあったけど、今思えば、うまくやれていなかったんだと思います。

そのタイミングでその会社を辞めて、もう次は自分で店をやろうと、候補地を探しました。自分の生まれの柏崎市とか、妻の実家の上越市とか、長年働いている長岡市とか。

そのなかで佐渡もいいねって言う話が出たんです。観光で何度も行っていたし、佐渡の食材は東京の修業時代から魚介とか果物を使っていて、ポテンシャルがすごいのはわかっていた。

それで候補地探しとして佐渡に行ってみたんですが、そこで店を営むことを考えると、観光で行くのとは全然違いました。やっぱりどうしても船で渡らなければいけないというのが大きい」

――物理的にも心理的にも料金的にも、遠い場所というイメージがありますよね。島外からのリピーターを作るのは難しそうです。

伊藤:「長岡だったらお客さんのつながりもできてきたっていうのもあったんですけど、なんだかんだで佐渡にしようとなって、とりあえず三年前に佐渡へ移住しました。妻が佐渡をすごい好きっていうのも大きかったです」

――なかなかリスキーな選択をしましたね。佐渡には相談できる知り合いとか親戚がいたのですか。

伊藤:「全然いなかったです。好きで通っていた飲食店のマスターとかくらい。物件もつてがないから、普通に不動産屋で探していました。

とりあえず両津(新潟港からのフェリーが発着する佐渡東部の港町)に家を借りて、老舗の洋食屋さんで働きながら、一年間くらい店舗用の物件探しと、おいしい食材探しをしていました」

――一年間ですか。じっくりと構えましたね。

伊藤:「そこからまた長いんですけど。その頃にインスタで『里山カフェ山里』っていう山奥の廃校を利用したカフェを見つけて、休憩時間に行ってみたんですね」

里山カフェ山里の窓辺席より

伊藤:「で、行ったらなんかおもしろい。こんな店をよく作ったなと思って。それで休憩時間に通うようになって。

最初の頃は店主の田中藍さんともまったく喋らない。なんならいらっしゃいませもないぐらいな感じだったんですけど、ある時、自分から話しかけたんですよ。実は移住者で飲食をやれる物件を探してるって。

その時は『へえ~』ていう感じだったんですけど、その1週間後ぐらいに藍さんからインスタのメッセージがポロンと来て、『そういえばちょっと辺鄙なところだけど物件あるけど見る?』って。

でもすぐその物件を見せてくれるんじゃなく、一対一で一度呼び出されて、こいつは何者かということを改めて事情聴取されたんです」

――知り合いの物件を紹介する以上、身元を確認する必要があると。

物件を紹介してくれた田中藍さん

今回の取材では、伊藤さんの転機となったカフェを借りて水餃子パーティーをしたりもした

伊藤シェフがスープと具を作り、私が麺を打ったコラボうどん。四月なのに「お正月がきたみたい!」とみんなが感激

伊藤:「それで自分がレストランをやりたいと思ってる、将来的にはミシュランで星を取りたいと思ってるっていう話をその時にしたんですが、まず最初に『レストランってなんじゃ?』って言われました。でも確かにそうだよなと思って。レストランがなんじゃだったらから『ミシュランってなんのこっちゃ』って話で」

――なるほど。

伊藤:「でも知らない人からしたらそうだよなと、その時に真面目に説明したんです。僕の考えているレストランはこういうものです。なんでミシュランとか訳わかんないのが出てきたかっていうと、 別に星が欲しいっていうことじゃなくて、それを取ることで目をつけてくれる人がいる。努力を汲み取ってもらえる。肩書ができることで、これまで見向きもしなかった人が電話をかけてきたりするのを見てきたから。

ミシュランを自慢したい訳ではないし、そういう店でありたいという訳ではないけど、自分で店をやるんだったら、島外からお客さんを引っ張ってこないといけない」

――地元のお客さんだけを相手にする飲食業ではなく、わざわざ海を渡って佐渡まで人を呼べるレストランにしたいと。

伊藤:「それで佐渡南部にある、昔栽培していたタバコの葉の倉庫と畑を紹介されたんです。そこは倉庫なので、店として使うためには1000万円以上掛かりそうだったので、とりあえず畑だけ借りて。しばらくは両津から片道一時間弱かけて、野菜に水をあげに来ていました」

――なかなかお店の場所が決まりませんね。

伊藤:「佐渡に来てから洋食屋さんで働きつつ一年、そのあともフラフラと一年。小木で行われるイベントとかお祭りごとに出店させてもらいながら、答えを出せずにウダウダしていたら、小木の街の中に、普通の家だけど物件があるんだけどって話が出てきて。

それが一昨年の12月で、すぐ即決して。じゃあここでやりますと」

――そこは即決ですか。空き店舗とかではなく、普通の家ですよね。

伊藤:「直感で。小木の港から徒歩圏内だったし、その割に街の裏っ側で静かだし、なんかいいかなって思ったんです。二階を住居スペースにすれば住むこともできるっていうのも大きかった」

――小木なら畑も近いし。

伊藤:「それで去年の2月ぐらいから工事が始まって、4月20日。新月の日にオープンしました。7席のカウンターのみ。店内は3.5坪くらいかな」

――こういう距離感の店をやりたいっていうのは、最初から考えていたんですか。

伊藤:「物件ありきでしたね。でも頭の片隅には、最終的に今の形を描いていたんだろうなって思います」

キッチンが丸見えなので、カウンターで調理の様子を眺められるのが楽しい

アラカルトをやめてコース料理に絞るという決断

――店の場所を決めるにあたって、あえて佐渡島を選んだ訳じゃないですか。レストランをやるにあたってそれはすごい冒険だと思うのですが、本土側の新潟と離島の佐渡だと、やっぱり食材の質が違いますか。

伊藤:「自分が生まれ育った柏崎市も、縁があった長岡市も、場所によっては自然が豊かなところもいっぱいあるんですけど、住んでみた今となると、島だから海に囲まれていて、土地の大部分は山で、田んぼができるような平地は限られている。だからこそ、こうギュッとしていて自然がより深い訳です。

暮らしてみると、魚介類だけじゃなく、野菜や果物といった作物なんかも質の高いものが採れるっていうのもよくわかったし」

――確かに自然の深さとか、海や山との近さというのは、佐渡に来るとすごく感じます。

伊藤:「それに佐渡の中心部は普通の地方都市でコンビニとかチェーン店もありますけど、小木みたいな島の外れだと、そういうものがほとんどない。

それによって生まれる時間というのが良かったんですよね。本土にいたときは自分も普通にコンビニで買い物をしていたけど、不便だなと思うのではなく、そのことによって気づくことがいっぱいあったというか。それが良かったんだろうなと思います」

――暮らしてみて佐渡は良いところっていうのはわかるんですけど、店をやるのはやっぱり大変じゃないですか。

伊藤:「佐渡の人たちに『小木でレストランをやります、コース料理をやりたいんです』って話をしたら、『そんな店は誰も来ないよ!』っていうのを、10人いたら10人に言われたんですよね。

さすがにみんながみんなダメだって言うから、自分自身も不安がない訳じゃなかったんで、最初は居酒屋じゃないけどアラカルトのメニューも用意して、飲み屋みたいなスタイルで始めたんです。それと並行して予約制のコース料理もやるみたいな。

でもその形は2カ月しないぐらいで、すぐやめました。この形態だと近所の漁師のおじさんとかも気軽に来てくれるんですけど、自分が本当にやりたいと思っていたコース料理を食べに来てくれたお客さんと、同じ空間での温度差が激しくて」

――一方では漁の話をしながら焼酎のボトルを注文して、一方ではコースの肉料理に合う赤ワインを真剣に選ぶ、みたいな。それが噛みあう時もあるんでしょうけど。

伊藤:「これはちょっとどっちつかずだし、自分がまず続けられないなってすぐ思って、一度リセットしようと。 

自分が何がしたくて、わざわざ佐渡で店を開いたのかっていうことを考え直した時に、この地の食材でしっかり作り込んで、それをゆったりとした時間の中で、じっくり楽しんでいただきたいんだなっていうことを改めて考え直して、今の完全お任せの予約制コース料理だけっていうのに変えました。

それもやっぱりすごい不安があったんですけど、変えてよかったです。アラカルトをやめたことで、地元の人がまったく来なくなったかというとそうでもなくて、コース料理を目指してくるお客さんが島内にも少なからずいて。

それで一度来ていただいたお客さんの九割はリピーターになっていただけているので、この形でよかったんだと思います。佐渡南部にこういう店がなかったからこそ、逆に良かったのかもしれない。

おかげさまで一年間やってみて、ご飯が食べられなくなるようなことにはならなかったです」

朝ごはんも楽しめる店にした理由

オリジヌは夜のコース料理だけでなく、金曜から月曜日にかけて、朝7時半からモーニングを提供している。ランチではなくモーニング。小木で朝ごはん、そんな需要はあるのだろうか。

――朝ごはんを始めたのはなんでですか。

伊藤:「この店を始める前に、一年間ふらふらと小木の街で色々やらしてもらった中で、素泊まりの宿が何軒もあるのに、朝ごはんを食べられるような店が一軒もなかった。だから意外と朝の需要があるんじゃないのって話をいただいたので、じゃあやってみようということで」

――確かにランチなら海鮮とかお蕎麦とか中華とか選択肢がありますけど、朝食は雑貨屋さんでパンでも買うか、地元スーパーのオープンを待つしかないですね。

伊藤:「夜のおまかせコースになかなか地元の方が来られなくても、1000円の朝食だったら、ちょっとでも受け入れてもらえる窓口になるのかなって思いもあって。それでもやっぱり高いでしょうけど」

トーストをクロワッサン(プラス料金)にチェンジしたモーニング

――朝のお客さんは来ましたか。

伊藤:「おかげさまで観光シーズンの4月から11月頭ぐらいまでは、予想以上のお客さんに来ていただけました。小木港10時35分発のフェリーで帰るのにちょうどいいんですよね。

島外の観光客だけでなく、島の各地からいらっしゃってくれるお客さんも意外と多くて。朝食が食べられる店って佐渡島全体でも少ないから、せっかくだから小木まで行って、久しぶりにたらい舟でも乗るかみたいな。佐渡の中央部に住んでいる人が南部へ遊びに来るきっかけになっているのかな」

――用事が一つだけだとわざわざ足を延ばさなくても、二つ、三つとあれば行きたくなる。オリジヌで朝ごはんを食べて、矢島・経島とか宿根木あたりを観光して、羽茂大崎に寄って里山カフェ山里でパフェを食べて、タガヤス堂でドーナツを買って帰る、みたいな観光コースができますね。

伊藤:「そういうのって数年前までだと、佐渡南部ではできなかった流れなんですよね。その意味でも朝食を始めてよかったです」

朝食の提供は金曜から月曜まで。詳しくはInstagramをチェックしてください

季節のポタージュが毎回おいしい。この日は味が濃厚な掘りたてのキクイモに自家製柚子胡椒を添えて。普通は秋に収穫する野菜だが、芽吹きの時期に掘ったからこその生命感がすごかった

翌日は出始めたタケノコのポタージュに自家製チーズ。ドリンク付きで1000円(2024年5月時点)

佐渡の食材をより深めていきたい

――食材は佐渡のものがほとんどなんですか。

伊藤:「野菜と肉と魚介はすべて佐渡産です。佐渡産じゃないものを探すと、砂糖、小麦粉、油類、胡椒とかのスパイスくらいかな。

今後はもっと佐渡を突き詰めて、より深めていきたい」

――これ以上にですか。

野生のキノコを探したりもしている

伊藤:「まだ自分の畑もちゃんとできてないし、自然の中に食材を探しに行くとかもやりたい。

もちろんスーパーや直売所とかで売っている食材も佐渡はすごくおいしいですけど、もっと自分で手を掛けていければ、料理に深みが出るし、レベルアップしていくんだろうなと思うので。そこはもっと突き詰めていきたいっていうのはあります」

――どこで誰がどうやって作っている野菜だとか、どんな品種でいつが旬の果物なのかとか、伊藤さんが佐渡の食材に詳しくなればなるほど、それが味と言葉で伝わってきて、よりおいしく感じられるようになると思います。

佐渡の金山で採れる土を使った無名異焼の窯元『国三窯』にて器選び。食材だけでなく器からも佐渡を感じさせたい

窯の裏で山菜のコシアブラを見つけて喜ぶ伊藤さん

その帰りにコシアブラごはんの作り方を教えてくれて、さらに土鍋で白米を炊いて持たせてくれた

そんな私の夕ご飯。コシアブラごはんはもちろんだが、スーパーで売られている煮魚がすごくうまかった

伊藤:「あとは佐渡に新たな人が現れてくれるように、情報発信もしていきたいです。例えば長崎の雲仙で40年以上に渡って在来種の野菜を育てている農家さんがいる。その人が作る野菜に惚れ込んで料理人が移住してきたり、遠方からも人が訪れるパワーのある直売所が生まれたりしている。

そういう流れを佐渡で作ることは、意味があるなと。その地元のポテンシャルを表現できる、そういう場を佐渡に作りたいなって思うようになってきていて。そういったことも店と並行してやっていきたいです」

――色々やりたいことがありますね。

伊藤:「うん、そうですね。だんだんと、この店を始めたことによって、新たにこうやりたいなと思うようになったというか。それこそ地域に根差して、地域のためになんかやろうって思ったことは今までないんですよ。

自分ひとりで何かをできるとも思わないですけど、なにか地域のためにできたらなって気持ちが生まれて。形のあるものだけじゃなくて、佐渡に日々いただいたものを、まだ何も返せてないけど、何か返せるかなって」

――やっぱり佐渡を選んでよかったですか。

伊藤:「そうですね。結果としてはとても良かったと思います。佐渡でよかったし、小木でよかった。

本当に地元の皆さんがよくしてくれて。島に子どもや孫が帰ってきたときにお店へ連れて来てくれる方もいますし、とにかく声を掛けてくれるっていうのがすごく多くて。『どうだ、大丈夫なのか?』って気にしてくれている。季節ごとになにか持ってきてくれたり、人情が深いです」

この旅でいただいたディナーをご紹介

こうして伊藤さんからじっくりと話を聞いた上で、夜のコースを食べたのだが、大変な修業を経て身につけた確かなフランス料理をベースにしつつ、季節の野菜や山菜をありのままに食べさせようとする姿勢だったり、あえて通常ではありえない組み合わせで勝負したり、シンプルに調理した上で複雑なソースで食べさせたり、すべての料理に18歳から現在までの23年間に及ぶ紆余曲折が生かされているように思えた。

そしてその味の基本となっているのは、伊藤さんの母親が手間暇掛けて作ってくれていた無添加の手料理なのだろう。

もし自分が流動食くらいしか食べられない体となったとしても、朝食に食べた伊藤さんのスープであれば、きっと佐渡の季節を感じられると思う。

最初にできてきたのは謎のカップ

アクが出にくいものだけをセレクトした、山菜や野菜の茹で汁でスタート。これがうまいのだ

ドリンクはいつも料理に合わせてお任せしている

前菜は柿の新芽のフリッターに柿のクリーム、干し柿、そこにコウグリ(ウマヅラハギ)の肝を合わせた意欲作。フォアグラと甘いソースを合わせるかのように、地魚の肝と柿を繋ぐ大胆さ。こういう一期一会の出会いの料理が楽しいそうだ

野菜料理に合わせて白ワインをいただく

アマドコロ、アスパラガス、ウルイ、ツリガネニンジン、コゴミを茹でて、自家製柿酢のオランデーズソースで。普段山菜を食べ慣れている人に出すのは緊張するそうだが、茹で加減やソースの味でここまでポテンシャルが引き出されるのかと感動

魚料理は肉厚で味の濃いヒラメをセリのソースで。厚みがあるからこそ外のカリカリと中のフワフワのグラデーションが楽しめる

肉料理に合わせてワインをいただく

藁の直火で香りを纏わせて仕上げる佐渡牛のロースト

天然のクレソンと山葵を添えて。ほのかな苦味を感じる複雑なソースの隠し味は味噌だとか

このソースと肉で食べる佐渡産小麦粉を配合したパンがまたうまい

締めに炊きたての白米を一口

食事に同席してもらった、この米の生産者である伊藤さん(こちらの記事参照)もにっこり

とどめは伊藤シェフが握るおにぎり

コシアブラを軽く炒めてごはんと合えた、例のコシアブラごはんのおにぎり。塩加減が絶妙!

デザートはロッテのチョコパイではなく、生地に山椒の風味を絶妙に効かせたストロベリーパイ

直江津・小木航路のフェリーが止まる冬の佐渡こそが本当の旬

こうして昨春に船出をしたオリジヌだが、冬を迎えると大きな問題が立ちふさがる。佐渡への航路は『新潟港・両津港』と『直江津港・小木港』の二通りあるのだが、オリジヌのある小木へ向かう後者は、なんと11月中旬から3月下旬まで運休してしまうのだ。

よって冬に島外からオリジヌへ行こうとすると、両津港から路線バスを乗り継ぐなり(約2時間)、レンタカーを借りるなりする必要がある。

 

伊藤:「これは小木だけじゃなくて佐渡全体の問題ですけど、冬になると本当に観光のお客さんが止まるので、そこは厳しいですね。冬はホテルも飲食店も閉めちゃうところが結構ありますから。想像はしてたけど、実際やってみて、なるほどなって」

――小木航路のフェリーが止まると、お客さんはどれくらい減るものですか。

伊藤:「正直、予約ゼロの日が多くなるぐらい減りました。ただ、藍さんが企画したクラウドファンディング『矢島に建てられた明治時代の農林大臣の別荘を100年後も残したい』のリターンとして予約が入っていたので、それにだいぶ助けられました。値段設定を安くし過ぎましたけど、おかげさまで営業できる日がかなりあって。でも次の冬はそれがないので、どうするか対策をしないと」

――冬の佐渡に、特に小木まで食事目的で行くのは、なかなかの覚悟が必要ですね。

伊藤:「ところが佐渡は、冬こそ海のものが一番美味しいんですよ。冬に食べていただきたいものがたくさんある。ブリ、タラ、ヤリイカ、カニ。同じ魚種でも、冬は身の質がすべていいですし」

――夏のブリと冬のブリでは脂の乗りが違うように、すべての魚種が冬は本気を出すぞと。魚料理二皿のコースが欲しくなります。

 

でも考えようによっては、それこそ最高に贅沢な時間だろう。冬の日本海を渡って佐渡の両津に到着し、そこから路線バスから景色を楽しみつつ小木までたどり着き、素泊まりでホテルにチェックイン。近くの温泉でひと風呂浴びて温まり、予約しておいたオリジヌでコース料理を食べて、静かな夜の小木の街を歩いてホテルに戻る。

そして翌朝にまたオリジヌに来て朝食をいただき、のんびりと路線バスで帰るという夢の一泊二日。いっそ二泊してしまうという手も。

 

伊藤:「そうなると旅行っていうよりも旅ですよね。今度は冬の佐渡で、ご来店をお待ちしております!」

きっとまた来ます


オリジヌ(Origine)のInstagram

 

【いろんな街で捕まえて食べる】 過去の記事 

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著者:玉置 標本

玉置標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。同人誌『芸能一座と行くイタリア(ナポリ&ペルージャ)25泊29日の旅日記』、『伊勢うどんってなんですか?』、『出張ビジホ料理録』、『作ろう!南インドの定食ミールス』頒布中。

Twitter:https://twitter.com/hyouhon ブログ:https://blog.hyouhon.com/