大岡山で家族になろうよ。男五人、びわ付き一戸建てに住む。

著: 大津 

 青春がなかった。ゼミを履修しても、アルバイトをしても、学生課に問い合わせても一向に見つからなかった。私の大学生活はあらゆる角度から見ても鈍い光を放っていた。青春を味わえなかった者の常として、せめて妄想の中だけでも青春を味わいたいと願い、小説や漫画、アニメなどの創作世界に身を沈めることになる。私は「ハチミツとクローバー」を夜ごと読みふけってはそのまま寝落ちするという生活を送っていた。しかしながら、たとえ枕元に「ハチミツとクローバー」があろうとも、現実世界はおろか夢ですら私の元に青春は訪れないのであった。

 やがて私は青春を未履修のまま大学を卒業し、社会人となった。慣れないスーツに身を縮め、連日連夜の長時間残業で心身を削られていく日々。いつしか「ハチミツとクローバー」をめくる気力もなくなっていた。しかし、そんな私にもついに周回遅れの青春がやってくることになる。年齢はすでに28を数えていた。青春も熟しすぎて傷んでしまったのだろう。想像とはかけ離れた姿で私の前に現れたのだった。ここから先は私に訪れた青春の話になる。

 大岡山駅は東急の駅で、目黒線と大井町線が乗り入れる接続駅だ。主に両線の乗り換え用に使われることが多く、ホームも地下にあるため、駅名を知っていても駅の周りに広がる街並みを知る人は少ないだろう。東京生活8年を数える私も、引越してくるまでこの駅で降りたことはなかった。

 改札を抜けると目の前には東京工業大学のキャンパスがある。背筋をピンと伸ばして一直線にキャンパスへと歩む東工大生が巻き起こす理系の風は、大岡山の爽やかな朝の風物詩である。このうちの何人かはいずれ人類を救う大発明をするかもしれないと思うと思わず手を合わせたくなる。思わず手を合わせていると、すぐ横の交番から不審に思ったおまわりさんが即座に現れる安心のセキュリティ環境も整っている。右を向けば駅を起点に環七(環状七号線)までつながる全長約500mの商店街がある。確認こそしていないが、ほぼ全業種の店があると言っても過言ではないだろう。そして、左を向けば下り坂があり、その坂を下ることわずか1分のところに私たちの家はあった。

東急病院と合体した大岡山駅。左側に商店街の入口がある。

 男五人で住むという条件を提示した際、当然大家は良い反応を示さなかったが、五人中四人が慶應大学出身と知ると急に態度を変えて、事後の手続きは非常にスムーズになった。大家と慶應出身の四人は居間で談笑し、残りのひとりは庭に生えた野生のびわの木を眺めていた。それが私である。

 築何年かは覚えていないが、おそらく戦後間も無く建てられたのではないだろうか。いたるところに先住者たちの痕跡が残っていた。二階建ての一戸建てで、小さな庭に屋根付きの駐車場もある。雪国で育った私には馴染みのない縁側と雨戸が、新生活に対する期待をこれでもかと煽ってくる。縁側がゴミ置場兼野良ネコのベッドと化すのにそう時間はかからず、雨戸は結局一度も使わなかったのだが。

東京工業大学構内の桜並木。ほどよい人出でのんびり花見ができる。

 五人で住む2年ほど前から、私たちは共同で東新宿のマンションの一室を「作業場」として借りていた。元々、広告会社でのインターンシップがきっかけで学生時代からつるむようになった私たちは、それぞれ別の広告会社へ就職した後も自分たちだけの居場所を欲していた。ともにいる時間を長くすることで、思いも寄らないアイデアが生まれるのではないか、会社やクライアントに縛られないものづくりができるのではないかなど、その理由はいくらでも格好よく言うことができるのだが、しかし私たちは社会を甘く見過ぎていた。

 次第に強まる業務のプレッシャーや合コンの誘いに軽々と身を流されて、部屋に集まる人数は減りつづけ、ベランダに集まるハトの数だけがむやみに増えていった。このまま東新宿の鳩たちのために家賃を払い続けるのは馬鹿馬鹿しいと、私たちはマンションを引き払い、ついに同じ家に住むことを決意したのである。条件は互いの勤務地のほぼ中心にあることと、独立した部屋が5つあることだけ。築年数や駅からの距離も、占いや風水学的な見地からの意見もすべて無視した。

 こうして始まった青春は想像とは違って、いつもツンと男臭い汗の匂いがした。この種の青春は高校の野球部時代に存分に味わったのだが、しかし私に甘美な青春を味わうことは許されていないのだろう。シェアハウスということもあり、共通の友人がしょっちゅう家に顔を出すのだがこれもまたことごとく男ばかりで、気がつくと周囲を自分と似たような風体の男たちにがっちり囲まれているのであった。それでも私はこの青春を楽しんでいた。私たちは誇りと恥を込めてこの家を大岡山寮と名付け、ふいに訪れた第二の学生生活を謳歌していた。


大岡山寮の間取り図。私の部屋は四畳半で家賃3万円。

 大岡山寮の内部を案内しよう。玄関を開けると正面に二階へつながる階段があり、その脇に細長い廊下が伸びている。その廊下の途中に6畳の洋室があり、外資系企業に勤める慎也が住んでいる。

 当初この部屋は、壁紙も床と同じ木目模様でログハウスのような空間だった。しかし慎也のセンスによって壁紙が張り替えられ、ネイビーのオーダーカーテンが導入され、デロンギのオイルヒーターが設置されると、たちまちブルックリンのSOHOのようになった。もちろんブルックリンのSOHOに行ったことはないが、行けばきっと慎也の部屋のようだと思うにちがいない。

 彼はサッカーフリークでもあり、EURO(UEFA欧州選手権)が開催されたときには、時差の都合で深夜に行われる試合を一緒に観ようと声をかけてくれた。試合開始直前、私は25時まで営業している駅前の東急ストアで、瓶ボトルのハイネケンとビーフジャーキーを購入し、居間で万全の観戦態勢を整えた。あとはキックオフと慎也を待つばかり。ところが試合が始まっても一向に姿を見せないので彼の部屋を覗きにいくと、ベッドの上で土下座をするように熟睡しているではないか。そんな寝相の悪さすらおしゃれに見えてくるのだからさすがだ。新しいストレッチポーズとしてそのままNIKEの広告ポスターになってもおかしくないだろう。それが慎也だ。

 廊下の先には10畳の居間とキッチン、そして10畳の和室が広がっている。この和室は常に開放されており、泊まりに来た友人らの寝床として、あるいは住民の電子工作やアウトドア用品のメンテナンススペースとして、多目的に使われていた。

 この和室の奥にひっそりと4畳の和室がある。ここは大岡山寮の「大奥」である。しかしこの大奥に女性が足を踏み入れたことはおそらく一度もないだろう。オペロンという不思議な名前の孤高の男が住んでいるからだ。

 普段の彼はとても気の利く優しい男だ。仕事が早く片付いた日や休日になると、たびたび得意の手料理を私たちに振る舞ってくれるのだ。しかしひとたびアルコールが彼の体内を駆け巡ると、制御不能となってしまう。向かいの歩道、玄関前の石畳、そんなとこにいるはずもないのに、彼の酔いつぶれた姿は大岡山のいたるところで目にすることができた。

 一階の住民である彼らは、独自のルールに沿った相互補完生活を送っているようだった。慎也の目覚まし時計をオペロンが止めてあげたり、オペロンが飲み干したビールの空き缶を慎也が片付けてあげたり。そんな仲睦まじい生活が一階で繰り広げられる一方で、二階もまた独自の生態系を確立していた。

 二階は短い廊下を挟むように、片側に6畳の洋室が2部屋、もう片側に4畳半の和室がある。右の洋室の住民である文彦はとにかく不思議な生活をしている。数日部屋を空けて姿を見せなくなったかと思えば、朝から夜まで同じ格好のままベッドの上でもぞもぞしている日が続いたりと、定職に就いているのか定かではない。私も私で、会社が導入したフレックス制度を無意義に活用する日々を送っていたので、平日の昼間などは彼とふたりでよく食事をしに出かけていた。

 近所の定食屋である大岡山食堂や、商店街にある王将にCoCo壱。天気がいい日には歩いて20分ほどの自由が丘まで出向いてすしざんまい。昼食に出かけるとき以外でも彼とはよく家の周りを徘徊した。歩いて10分とかからない洗足池公園で池に浮かぶボートをぼんやり眺めたり、目的もなく商店街を往復したり。会話の内容はほとんど覚えていないが、きっと大事なことは何一つ話していないだろう。ふたりで水泳にはまって、おそろいのタイトな水着でプールへ行くこともしばしばあった。

 左の洋室はいつ見ても散らかっていて、文字通り足の踏み場がないので私は一度も足を踏み入れたことがない。アミノ酸をばらまけば新しい生命体が生まれてきそうな原始の海のごとく混沌としたこの空間には、六反という男が住んでいる。

 ある金曜の夜、六反と私を除く三人が合コンに出かけ、置いてきぼりをくらったふたりで鬱憤をはらそうと、商店街の奥にあるボルダリングジム、T-WALLへと向かった。胸を揉めない切なさをボルダリングの壁にぶつけた私たちは小一時間で握力を喪失してしまい、帰りに寄った駅前の牛角では箸をもつこともままならなかった。

 彼は欲望がそのまま叫び声となって表出するタイプで、「俺も〇〇したい!」と毎日のように絶叫していた。〇〇にはまる言葉はだいたいが猥褻な単語なのでここでは伏せ字とさせていただく。そんな彼だが、食に対するこだわりは強く、繊細な舌を持っていた。外国産の炭酸水を愛飲し、駅と我が家のちょうど中間にあるヒンメルというドイツパン屋を好んで利用し、しばしば優雅にベッドの上で全裸でパンを食べていた。なぜわざわざ服を脱ぐのか理由は分からないが、原始の海では自然なことなのだろう。

 そして、その2部屋の向かいにある4畳半の和室に私が住んだ。4畳半と聞くと狭すぎると思うかもしれないが、まず収納スペースとしての押入れがあり、さらに冷蔵庫や洗濯機などの大型生活家電を部屋に置く必要もないので、4畳半は十分すぎるほどの広さだ。

 廊下と部屋を隔てるふすまは常に開かれており、向かいの2部屋もいつもドアが開いているので、二階にはプライバシーの概念は存在しなかった。それゆえ、知らなくてもよい互いのバイオリズムを把握してしまう。1日に数分だけ各部屋のドアが閉まるなど、つまりはそういうことである。

 朝起きると私の部屋の床で文彦が寝ていたり、また別の朝は廊下で文彦が寝ていたり。彼は自分の部屋がありながら、大岡山寮の二階すべてを寝室と認識しているようだった。さすがに六反の部屋では寝ないようだったが。

突き当たりが大岡山寮。現在は建て替えられてマンションになっている。

 大岡山という街は、名前に山がつくだけあって坂が多い。細い路地が入り組み、広い道路もないので、街全体を見渡すことができる開けたスペースがほとんどない。しかし不思議と閉塞感を感じることはなかった。高い建物が少なく、空が広いからだ。駅直結の東急病院と東工大の建物こそ近代的なつくりだが、商店街や住宅地には古い建物も多くてのどかな時間の流れを感じる。オフィスがほとんどないからだろう、街ゆく人たちは皆あくせくしていない。

 これは坂道のせいかもしれないが、この街の時間は少しゆっくりしているのだ。それでいて都心へのアクセスは電車で20分。坂が多いことにさえ目をつぶれば都内屈指の優良エリアである。その坂も冬になり大雪が降れば、東工大生の手によって即席のゲレンデとなる。レジャーにもうってつけだ。

ヒンメルのクラプフェン(ドーナッツ)。外はサクサク、中はしっとり。

 大学があることと、商店街に深夜まで営業している飲食店があることで、駅前はいつ訪れても人の気配がして安心感があった。それでいてにぎやか過ぎることもない。どんなに仕事で疲れて帰ってこようとも、大岡山はいつも同じ表情で私の帰りを温かく迎えてくれた。

 街灯も各所に整備されており、夜道の不安も感じない。ちなみに大学のある駅ならどこでも見られる酔いつぶれた学生の姿というものを、この街ではついぞ見たことがなかった。おそらくキャンパスを根城にしているワカケホンセイインコ(緑色の大型のインコ)の群れが酔いつぶれた学生を連れ去ってしまうのだろう。

 大岡山は野生のインコの群れを見ることができる街として一部で話題になっていたのだが、近年東工大のキャンパスから緑が減った影響でインコの群れが大移動してしまったらしい。大岡山ののどかな街の雰囲気と釣り合わない、緑色のインコが彩るラスタカラーの夕焼けがもう見られなくなってしまったのは少し寂しい思いがする。

 引越しから1年が経とうとするある夜、私たちは初めて五人そろって夕食をとることになった。もちろん五人で食事をする機会は何度もあったのだが、友人らも同席することが多く、五人だけで食事をしたことはなかったのだ。あらかじめ予定を立てて日程を調整したわけではなく、たまたま五人とも仕事を終えて大岡山へ帰る時間が一緒だったので、それなら食事でもするかとなったのだ。

 短いメッセージのやり取りで、店は近所の焼肉屋の二葉に決まった。ぞろぞろと店に集まり、適当に乾杯をして、むしゃむしゃと焼肉をたいらげた。同居しているとはいえ、オンラインでのやり取りが多かった私たちは、久しぶりに顔を合わせてとるコミュニケーションにハイになっていた。二次会にカラオケへ行くことになり、店のすぐ裏にあるカラオケ漫遊來へ仲良く向かった。およそ2時間ほど、カラオケでもひとしきり騒いだ後、そろそろ帰るかとトリを務めるオペロンがマイクを握った。福山雅治の「家族になろうよ」が流れ出した。

 オペロンの歌唱に熱がこもり始めると、いつの間にか私たちも笑うのをやめて流れる歌詞を見つめながら手拍子をとっていた。そして、私たちは家族になった。

 あの日々からもうすぐ7年が経とうとしている。私は今、都心のマンションの一室に暮らしている。家族はまだいない。住民間のトラブルもなく、共用部は清潔だし、夜中に叫び声も聞こえない。唯一の問題は、家という感じがしないこと。ここはただの部屋だ。

 居心地はいいからしばらくはこうしているつもりである。青春を手にした男の余裕を漂わせながら。でもいつか、こんな私にも家族を持つ日が来るかもしれない。そのときは今の部屋では手狭だからもう少し広い部屋を探すだろう。もちろん大岡山は最も有力な候補地だ。なぜなら大岡山は家族になれる街だから。大岡山寮はすでに取り壊されてしまったが、あの街のもつ穏やかな空気はきっと今も変わらない。いつでも温かく私を迎え入れてくれるだろう。

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筆者:大津

大津

昭和60年生まれ。大岡山では、大学からの友人である文彦、六反、慎也、そしてオペロンの五人で一軒家に暮らしていた。
オペロンについてはコチラ

編集:ツドイ