世界が元に戻るまで、のはずだった長野で

著者: 風音

 

「どこにでも行ける子になるように」という願いから「風」の字を名前に貰った。

いつもここじゃないどこかに行きたかった。旅先で、知らない街で暮らす、今の私と違う人生を想像する。自分の部屋に帰ってきては、そのまま布団に倒れ込み、見慣れた天井を見あげながら「いつまでここにいるんだろう」とぼんやりした。

卒業旅行で訪れたジョージアのトビリシ。いつかまた行きたい街

1カ月以上先の予定を立てるのが怖かった。カレンダーを埋めてしまったら、いきなりいなくなることができなくなってしまう。友人には、「ふうちゃんは綿毛みたいにすぐどっか行っちゃうから、会える距離にいるうちに会いにいかないと」とよく言われた。

私の現在の住まいは、長野県長野市。2020年の秋、身軽になるために、いろんなものを手放してやって来たはずなのに、もう2年もこの街で暮らしている。居場所ができて、友だちができて、いつの間にか手に職まで得た。

「フリーライターって、どこでも働ける仕事でいいね。海外とか行けるじゃん」と言われるたびに、「それは違うんだよなぁ」と言い淀む。私は、この街で働くのが好きだ。

そういえば、最後にここじゃないどこかに行きたいと思ったのはいつだっただろう。

向いていることも、やりたいこともわからない

関市の夕陽はいつだってきれいだった

長野の前に住んでいたのは岐阜県関市。「海外営業」という肩書きに惹かれて、最初に内定が出たメーカーに就職した。小さな会社で、たった1人の同期と一気に打ち解けて親友になった。他に知り合いはいなかったけれど、イベントや街の集まりに足を運ぶうちに、市内外に同世代の友だちができた。

会社と仕事はあまり好きではなかった。「思ってたのと違う」と毎日鬱々としていた。田んぼ道を1人、社用車で走りながら「私、このままどこにも行けないかも」と焦った。それでも好きな友だちは周りにいるし、このまま3年くらい働いて、お金が貯まったらワーホリでも行こうかな〜、なんて甘ったれていたらコロナが流行りだした。

海外出張はおろか国内移動も制限され、事務所に籠もる日々が続いた。気まぐれに転職サイトを開いて何社か応募してみたものの、書類で落ちた。営業が向いていないのはなんとなくわかっていたけれど、じゃあ私に何ができるんだろう。やりたいことなんて何もなかった。

毎日のように友人が集まってくれた205号室

そんなある日、「まぁなんとかなるでしょ」と現実から目をそらし続けていた私に、大好きな同期がついに「会社辞めるわ」と宣言した。彼女は、「風音ちゃんはどうするの、人生」と続けた。どうしようね、人生! 頭にちらついたのは、ある求人だった。

「自然の遊び場が近い、程よい街で暮らしませんか?」

長野市にあるゲストハウス『Pise』がスタッフを募集していた。ひとり旅をするときは必ずゲストハウスに泊まっていて、いつか自分の宿をやれたらいいなぁなんて思っていた。海外からの観光客と話す機会も多いだろう。今の仕事より英語を使えるかもしれない。それに、長野市には学生時代に旅行で行ったことがあった。

Piseの外観。入り口には”FOR THE HAPPY PEOPLE”と書いてある

「気になってる求人があってさ」と答えた日の夜、私は応募書類をつくり始めた。連絡してから数日後、「ご応募ありがとうございます。旅行気分でお店を見がてら面接に来ていただいても」とオーナーから返事が来て、2週間後には長野に行くことになった。いざ行ってみると、店内は改装中でごちゃごちゃしていて、思っていたよりも広かった。店に立つ自分が想像できず、ちょっと怖気づいた。

コロナが落ち着いて、世界が元に戻るまでの小休止

一目惚れしたレトロな映画館「相生座」

2泊させてもらえたので、街を歩いてみた。近くのコーヒースタンドでラテを買った。一見寂れて見えるアーケードの中には、レトロながらに現役の映画館があった。少し歩けば、立派な図書館と銭湯も。

たまたま、友人が安曇野で車中泊をしていた。長野市まで来てくれたので2人で野尻湖に行ってみた。次に暮らすなら海がある街がいいと思っていたけれど、長野には湖があるのか。名物だというトウモロコシをかじりながら湖畔を眺めた。

宿の仕事が向いていなくても、クビになっても、ここなら楽しく暮らしていけるんじゃないか。宿のドミトリーで住み込みをすれば、持ち物も減らせる。身軽になりたい。そしたらまた、どこにでも行ける。コロナが落ち着いて、世界が元に戻る間の小休止。とりあえず1年暮らして、またどこか別の街に行こう。

宿に戻り「ここで働きたいです」とオーナーに告げた。「うん、いつから来れそう?」と言われ、「1カ月後には」と答えた。

Piseのオーナーと、働き始めたころから通ってくれていた常連客であり友人との近影

2020年の11月、こうして私は長野にやって来た。それからの2年間は、あまりにも濃密であっという間で書き表せない。宿の予約管理に清掃、簡単な調理とドリンクの提供など基本的な業務以外は「いとこのお姉さんくらいの感じで」、「週1くらいで何かイベント企画してみて。好きにやっていいよ」とだけ言ってもらい、手探りしながらあれこれ企画して人を集めた。

旅人、地元の人、通りすがりの人、常連客が混ざり合う焚き火会

誰一人知り合いのいない街。お客さんを集める必要があったし、何より友だちが欲しかった。イベントに顔を出したり、入ったお店で見かけた同世代っぽい人に話しかけてみたり、マッチングアプリを使ってみたりした。1人繋がりができれば「〇〇ちゃんは会った?」、「気が合いそうな子がいるから紹介するよ」と数珠つなぎに友人が増えていった。

「ないならつくる」を体現する人たちの中で

移住直後からのお気に入りのお店、からあげ定食のおいしい「バーバラ」

生活が落ち着いてきたら、県外の友人たちが遊びに来てくれるようになった。友人たちに街を案内すると、街の人々が「ようこそ!」と声をかけてくれる。それから「1泊しかしないの? もったいないよ〜! 次はもっと長くおいで」、「おいしいもの食べた?」、「カフェ好きなら〇〇行くといいよ」と、一様に長野をプレゼンしてくれた。遊びに来た友人の1人は、「長野ってイタリアみたいだね。自分の街に対する肯定感が高い。イタリアの人も、みんな自分の街が好きなんだよ」と教えてくれた。

それから、長野には「ないならつくる」という意識の人が多いことに気がついた。「若者が集まる場所がないなら俺が作る」と、シーシャ屋をオープンした子。「夜に1人でいたくない子が集まるような喫茶店をつくりたい」と働きながら間借り喫茶を営業する子。学生のうちから起業してお店を持っている子もたくさんいる。

どんどん街に新しいお店が増えて、新しい人がやってくる。生き物のように街が変化していく様を見るのはわくわくした。

居合わせた人とおしゃべりするもよし、ぼーっとするもよし、自由なお店「シーシャ場 円」とオーナーの友人

お店をつくるまでいかなくても、自分の手で何かをつくる「表現者」がたくさんいる。絵を描く。コーヒーを淹れる。写真を撮る。ギターを弾く。落語をする。服をつくる。おいしいご飯を振る舞う。ヨガのレッスンをする。いろんな人との出会いにあふれた日々は刺激的だった一方で、「周りにはこんなにキラキラした面白い人たちがいるのに、私って何もね〜〜」と内心くすぶり続けた。

ある日、友人に、「絵でも描きなよ」と言われた私は、何か形あるものを残したいと思い、Instagramで日記を書き始めた。

文章を書くのは苦手だったけれど、Piseのオーナーに「あの日常を切り取った感じいいね、お店の方にも載せてくれる?」と言われた。私の日記なんか誰が読むんだよと思いながらリポストしたら、意外と反応が良かった。「宣伝っぽくない投稿をなるべく毎日続けて」と言われて、カウンターの内側に丸まって座って店のiPadでポチポチ文字を打った。わざわざネタを探さなくたって書くことはいくらでもあった。街での日常、お客さんとの何気ない会話、旅人とのエピソード。

時が止まったかのような喫茶店「ロン」。長野はいい喫茶店が多い

お客さんに「私、普段は長文って読めないんだけどPiseの投稿は長くても読めるよ。ライターとか向いてるんじゃない?」と言われた。「ライター」という職業を認識したのはそれが初めてだった。

「ライター募集 長野」と検索したら出てきた、街案内のポータルサイトに応募してみたら採用された。長野には好きなお店がたくさんあったので、すらすらと記事が書けた。それから、「暮らす、働く、体感する地域メディア」と銘打ったサイトがご当地ライターを募集しているのを見つけた。これなら、私にも書ける気がした。これまで書いてきた街案内のレポートを送ったら、すぐに面談の日取りが決まった。

「記事、拝見しました。いい温度感ですね。うちでは、食レポっぽいものよりも人にフォーカスした記事を書いていただきたいと思っていて。インタビュー記事を書けますか?」と、モニター越しに聞かれた。インタビュー記事なんて書いたことがなかった。でも、咄嗟に「書けます」と答えた。

インタビュー当時は間借りのお店「消灯珈琲」を営業していた友人は、もうすぐ店舗を構える

話を聞いてみたい人ならたくさんいた。キラキラして見える彼らの、キラキラの解像度を上げられたら、羨んでばかりの日々から離れられるかもしれない。見よう見まねでインタビューをして、記事を書き続けた。「すごいなぁ」とぼんやり見ていた、この街が好き、ないならつくるを体現している人の話を聞くうちに、ますます長野が好きになった。

「ここは私の暮らす街じゃないんだと思う」

どこに行ったって、大事な友人たちに胸を張れる生き方がしたい

それでも定期的に、私はいつまで長野にいるんだろうなー、と立ち止まった。そういうとき、決まって県外の友だちが遊びに来た。

「どこ行きたい?」と聞くと、みんな「観光に来たんじゃなくて、風音ちゃんの暮らしてる街が見たくて来たの。いつも行ってるところに連れて行って」と言った。モーニングを食べる喫茶店、昼寝をする公園、たまに伸びる屋上、路地裏の居酒屋や、長野の友人たちが営むお店に連れて行った。「ふうちゃんは街にたくさん友だちがいるね」、「いいところだねぇ」と言われて「でしょ」と返す。

「どうするの、人生」と聞いてくれた親友も何度となく来てくれた。長野で迎える2度目の冬、並んで歩いていると、彼女が「ほんといいところだね、長野」と言った。私と同時期に会社を辞めた彼女は、その次に就いた仕事をもうすぐ辞めるところだった。

長野の友人たちを紹介しながら、また同じ街で一緒に暮らせないかなと、心のどこかで思っていたら、彼女はぽつんと「でも、たぶんここは私の暮らす街じゃないんだと思う」と言った。見透かされたようでどきりとした。

彼女はそれから、海の見える暖かい街へ旅立った。

どの街でも、それなりに楽しく暮らしていけそうだけど

「Pise」には、県外・国外からも友だちが絶えず遊びに来てくれた

ライターの仕事はちょっとずつ増えていった。移住から1年半が経った春ごろ、行政を巻き込んで新規事業をバリバリ進める同年代の人の対談記事を書いた。「根っこに長野のことをやりたいっていう気持ちがあるの?」という質問に、彼は「やりたいというより……。選択肢を絞って、決めることからしか、何も始まらないんですよ」と答えた。書き起こしのために音源を何度も聞いた。

「書き続けたい」と決めてから、名前の載った記事が増えて、だんだんと自分の名前が肩書きになっていった。選択肢を狭めたら、あとはやっていくしかないから楽だった。私がずっとしんどいのは、足場を固められていないから?「ここで生きてみる」と決めたら、もっと楽になれる?

ゲストハウスとライターの仕事。どちらも好きだった。ゲストハウスの仕事が休みの日に取材をして、出勤前に原稿を書いてから店に立つ。

「楽しいこともエネルギーを使うから、ちゃんと休まないとだめだよ」という友人の助言を、私は聞き流してしまった。秋が終わるころ、大きい案件がひと段落した途端、閉店後に「もう働けません」といきなりキッチンで泣いた。2年前、「ここで働かせてください」と言ったのと同じ場所だった。

そのまま仕事と長野から逃げるように休みをもらって、岐阜、名古屋、大阪、青森、盛岡を旅した。どの街にも、友人がいて、気持ちが安らぐ水辺があって、映画館も喫茶店も本屋もあった。なんだ、どこでも楽しく暮らせそうじゃないか。なんで長野じゃないといけないんだろう。

旅の最後の目的地、生まれ育った盛岡で、父と母に「ゲストハウスの仕事を辞めて、ライターとしてやっていこうと思います。とりあえずは長野にいるつもりです」と伝えた。内心、なんて言われてるんだろうと気が気じゃなかった。

父は、あっさり「いいんじゃないの。風音さんは、インバウンドとか観光よりも、街や街の人に興味をもつようになったんでしょう」と言った。2年前、仕事を辞めて長野に行くといきなり告げたときも、父は「風音さんのやりたいことに近づけるんじゃない。長野、いい街だよね。旅行の口実ができてうれしいなぁ」と笑ったのだった。

盛岡の本屋、「booknerd」にて。本好きの父の後ろ姿はどこか私に似ている

翌日、父と盛岡の本屋に行った。安達茉莉子さんの「私の生活改善運動」を手に取り、本棚をつくろうと決めた。長野の、私の部屋に、私の本棚を。この街で暮らしてみると決めて、生活を立て直そう。読みたい本をゆっくり数ページだけでも読めるくらいの余裕をもとう。

長野に帰ってきてすぐPiseにお土産を持っていき、本棚用に店のりんご箱を二つもらった。正式に辞めたいって言わないと、と思っていたら、先に「たまに遊びにおいでね」と言われたので、「はい」と答えた。長野での足場をつくってくれたこの場所を、いっぱいいっぱいになって嫌いになってしまう前に離れることができてよかった。でも、これからどうしよう。ほんとにやっていけるかな。

「風音さん、そこらへん歩いてたらいます?」「うん、そのへんにいるよ」

旅から帰ってきて、長野で迎えた27歳の誕生日

ひとまず「名古屋で買った服のお直しをしてほしいんだけど頼める?」と、よく行く古着屋の男の子にメッセージを入れた。返事がない。まぁ店行ったときに頼むか、と思いつつアーケードを歩いていたら本人とすれ違い、「メッセージ返してないです?」と聞かれた。「うん」と返したら、「いつでも持ってきてください」と言われた。

久々に通っているジムに行ったら、「あれっ、パーマかけた?」と声をかけられた。名前は知らないけれど、よく一緒のクラスになるお姉さん。「えっ、切ってないけど、今日は毛先巻いてきたからかな」と返したら、「朝から? えら〜い! かわいいね!」とにっこりされた。

なじみのコーヒースタンドに立ち寄った。店主の男の子に「仕事辞めたんだ~」と近況を話す。でもとりあえず長野にはいるよ、と伝えたら、ふいに「風音さん、そこらへん歩いてたらいます?」と聞かれた。「うん、そのへんにいるよ」と返した。

店を出て、じわじわと一連のやりとりがうれしくなってきた。小走りで横断歩道を渡って家に帰る。この街には、私の変化に気づく人がいる。私のことを知っている人がいる。わざわざ予定を合わせなくても、街に出れば誰かに会える。

人と関わることで、ようやく自分の輪郭がわかる。「自分らしさ」なんてとてもあやふやだ。それならば、「この人といる自分が好きだ」と感じる人が1人でも多い場所にいたら、新しい自分に出会えるかもしれない。

人の話を聞くことも、文章を書くことも苦手だった私が、その二つを仕事にできるようになるなんて、この街に来るまで気づかなかったのだから。

部屋のドアを開けて、今日も街に出る。さぁ、今日は誰に出会えるだろう。そして、どんな自分と出会えるだろう。

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著者:風音

1995年生まれ。2020年より長野市に移住し、フリーライターとして活動を始める。インタビュー記事、エッセイをメインに執筆。喫茶店、映画館、水辺、猫、本屋さんと散歩が好き。
instagram: @fune_m
HP: https://lit.link/funem

編集:日向コイケHuuuu)