大森にある「奇跡の映画館」で、今日もチケットをもぎる。俳優・片桐はいりさんの映画愛と大森愛 【東京っ子に聞け】

インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真: 小野奈那子

片桐はいりさん

東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。

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今回お話を伺ったのは、俳優の片桐はいりさん。東京都大田区で生まれ、幼少期から現在までずっと、地元の大森で暮らし続けてきました。現在は街に唯一残った映画館「キネカ大森」でチケットもぎりをしたり、行きつけの喫茶店「珈琲亭 ルアン」で映画仲間と語り合ったり。愛着のある街で大好きな映画を存分に楽しむ、充実の日々を送っています。

片桐さんが考える、大森の魅力とは何なのでしょうか? また、俳優として多くの映画やドラマに出演するようになってからも、なぜ劇場に立ち「もぎり」の活動を続けているのでしょうか? 子どもの頃の思い出や、映画との出合いなどを振り返りながら、片桐さんが愛するものについて語っていただきました。

「遺跡」と「映画」に夢中になった子ども時代

── 片桐さんは生まれも育ちも大森。子どもの頃はどんな場所で遊んでいましたか?

片桐はいりさん

片桐はいりさん(以下、片桐) 多摩川の河原にはよく遊びに行き、土手で転がったりしていました。大森は多摩川にも海にも近く、水辺が身近にあります。今でも抜けの良い景色を見に、自転車でしょっちゅう出かけますよ。特に、コロナ禍での自粛期間中は、すぐにそういう場所へ出られる環境っていいなと、改めて感じました。

それから、子どもの頃は近所の「遺跡」を見にいくのも趣味というか、楽しみの一つでしたね。

── 近所に遺跡があったんですか?

片桐 大森ってそもそもが日本考古学発祥の地といわれていて、大きなお屋敷の改築などで土地を掘り起こすたびに「大森貝塚」みたいな遺跡が必ず出てきていたんです。当時、トロイ遺跡を発見したシュリーマンの本を読んで感動し、考古学に興味を持った私にとっては、すごく恵まれた環境でした。近所の住民に向けて遺跡の調査結果を教えてくれる発表会みたいなものもあって、よく参加していましたね。「この遺跡の溝がこう続いているということは、我が家の下にも遺跡があるのかな」みたいなことを妄想していました。

── 中学に入ると、映画館にもよく通うようになったと。

珈琲亭ルアン

片桐 そうですね。私が中学生の頃は、まだ多くの街に映画館がありましたから。大森にも、このお店(※取材場所の珈琲亭 ルアン)のお向かいに3軒の映画館が並んでいましたし、隣の蒲田も戦前に松竹の撮影所があったからなのか、駅周辺にたくさんの映画館がありました。ルアンの向かいの映画館で『スター・ウォーズ』の1作目を観たのを覚えています。

大森
▲ルアンに面した小路を進むと昔ながらの飲食店が並ぶ

今ではその多くが閉館してしまいましたが、残された建物の雰囲気や敷地の形から映画館だった頃の名残を感じられる場合もあります。駅前の密集地で“細長い大きな土地”を見つけると「ここはもしかして……」と気になってしまい、調べてみたら本当にかつて映画館だったりすることがあるんですよ。

大森
▲大森銀座商店街(ミルパ)
大森
▲大森銀座商店街内にあるお弁当屋さん「柏庵」でよくお弁当を買って帰るそう。取材時も店主と談笑しながらお惣菜を購入

仲間と好きな映画について語り合う、宝物のような青春

── 大森以外の映画館にもよく行っていましたか?

片桐はいりさん

片桐 日比谷スカラ座や有楽町の日劇、有楽座、丸の内ピカデリー、それから東銀座の松竹の本社近辺にも大きい映画館がたくさんあって、幼い頃から通っていました。あとは、のちにアルバイトをすることになる「銀座文化劇場(現・シネスイッチ銀座)」にも中高生の頃によく行きましたね。当時の名画座は二本立てが主流でしたが、銀座文化は一本立てで250円だったので、学校が終わってからでも観ることができました。ムーブオーバー(映画がヒットした際に劇場を替えて続映すること)もやってくれるので、見逃した映画をここでよく観ましたよ。

── DVDなどがない時代は、見逃すとそれっきり観る機会を逸してしまいますよね。

片桐 ですから、常に雑誌の『ぴあ』や『シティロード』で観たい作品を上映している映画館を調べていました。東京中の映画館に行きましたし、都内での上映が終わってしまった作品も茅ヶ崎とかまで行けばやっていたりするので、時には知らない街にも足を運んで。

それから、大井町の映画館も思い出深いです。今でも少し面影は残っていますが、当時の大井町駅前の横丁には戦後間もない頃のような雰囲気がありました。大井町の映画館で昭和の白黒映画の世界に浸った後に、古くからある飲み屋街を歩くんです。大森の隣の駅なのですぐ近くなんですけど、ちょっとした旅に出るような気分でしたね。

── 大学生になってからは銀座文化劇場で「チケットもぎり」などのアルバイトを始めるわけですが、映画好き、映画館好きにとっては最高の職場ですね。

片桐 銀座文化では7年間働きましたが、宝物のような日々でした。好きな映画をいつでも何度でも観られることはもちろん、映画好きのアルバイト仲間と語り合うのが楽しくて。中学や高校ではそういう友達を見つけられなかったから余計に、好きな映画の話をするのって、なんて幸せなんだろうと思いました。

── 今も、映画の話をする仲間はいますか?

片桐 十数年前から地元の映画館「キネカ大森」で時々もぎりをしているのですが、そこで働く映画好きの若い子たちとよく話しています。コロナ前は珈琲亭 ルアンに集まって映画の話をする「ルアン会」というのがあって、私が朝からこの席に座っていると、キネカ大森にアルバイトに行く前の子や早番を終えた子が入れ替わり立ち替わりやってきて、一日ずっと映画の話をするのが楽しかったですね。今はDVDがあるから、年が離れていても古い名作の話で盛り上がれる。数十年単位、100年単位で時間を超えてコミュニケーションをとれるのも映画の魅力の一つだと思います。

ルアン
▲ルアン店内

点線のある紙を見ると、ついもぎりたくなってしまう

── 大学では演劇部に所属したり、劇団でも活動していたということですが、当時はそのまま俳優になる気はなかったとか。

片桐はいりさん

片桐 映画に関係する仕事に就きたかったのですが、俳優になりたいとは思っていませんでした。一番の夢は映画配給会社の宣伝担当で、トム・クルーズなどの海外スターが来日した際にアテンドをする人になりたかったんです(笑)。もしくは、洋画の邦題をつける人。

でも、「よし、明日から就職活動を始めようか」というくらいのタイミングで、劇団の舞台を見た広告代理店の人からコマーシャル出演の依頼が来たんです。その時はとりあえずコマーシャルに出て、もらったお金がなくなるまで演劇をしながら暮らそう。就職はそのあとでいいや、くらいの考えでしたね。

── しかし、実際はCM出演をきっかけに映画やドラマにも出演するようになります。俳優として顔と名前を知られるようになってからも、しばらくは銀座文化でのもぎりの仕事は続けたんですよね。

片桐 そうですね。映画の撮影所からそのまま銀座文化に行って働いたりしていました。もぎりの仕事は好きでしたし、映画館でのアルバイトは仕事というより部活動に行くような感覚だったんです。映画について話す仲間がいる限りは、なるべく続けたいと思っていました。でも、そのうち結婚したり子どもができたりして、一人また一人といなくなって。また、時には自分が出演する映画のチケットをもぎるようなこともあって、お客さんに驚かれたりもしました。さすがに、もう引退するしかないかなと観念しましたね。

── それでも、10年ほど前からは再び、地元の「キネカ大森」で、時々もぎりをするようになったと。引退から約20年のブランクを経て、再開したきっかけは何だったのでしょうか?

大森
▲キネカ大森

片桐 もぎり自体を再開するきっかけは、蒲田にあった「テアトル蒲田」と「蒲田宝塚」という映画館でした(ともに2019年に閉館)。十数年前にこの映画館を訪れたとき、なつかしのチケットに再会したんです。映連(日本映画製作者連盟)発行の、うすくてぺらぺらの票券。それは二十数年前、まさに銀座文化で私がもぎっていたのと同じものでした。ミシン目は印刷されているのですが切るのにコツが必要で、私はこれをもぎるのが大得意だったんです。

それを見た時に、「このチケットをもぎりたい!」と連れの友人に言ったら、横で聞いていた支配人が「いつでもどうぞ」と。以来、しょっちゅう出入りするようになり、「時々もぎり」として映画館に復帰できました。

── では、キネカ大森でもぎりをするようになったきっかけは?

片桐 キネカ大森は「地元の気楽に行ける映画館」として30年にわたり通っていましたが、2010年から2本立ての名画座上映を始めてから、それまで以上に足を運ぶようになりました。すると、ある日キネカ大森から私のエッセイ本『もぎりよ今夜も有難う』の発売記念イベントをやりませんかというお誘いをいただいたんです。

それまではプライベートな隠れ家として、つかずはなれず利用してきた映画館です。“ねまき”同然の姿で出かけて誰にも挨拶せずに映画を観られるのが心地いい場所だったため、映画館の人たちと顔見知りになることへの抵抗はありましたね。でも、イベントでせっかく関係性ができるなら、たまにもぎりをさせてもらったり、銀座文化のように映画の話ができる場所になったらいいなと思い、キネカ大森でも「時々もぎり」の権利をいただきました。以来、休日に映画を観に行くついでに、ふらりとチケットをもぎっては、若い学生も多いスタッフの仲間たちと映画談義をしています。

── なぜ、そこまでしてもぎりをやりたいのしょうか?

片桐 昔ながらの紙のチケットの手触りが好きなんですよ。あれを点線にそって、「しゅぱ」っともぎるのがクセになる。でも、今は小さな感熱紙のチケットが多いですし、紙のチケットがあるだけマシという状況で、もぎりの出番がなくなっているのはちょっと寂しいですね。

下町でも山手でもない大森の、ちょうどいい魅力

── 片桐さんが「時々もぎり」をしているキネカ大森の、映画館としての魅力を教えてください。

片桐はいりさん

片桐 38年前、わりとおしゃれな映画館としてデビューして、1989年からはアジア映画の専門館として定着したり、2010年からは名画座上映が始まったり、いろんな作品を観られる雑多な感じが大森に合っている気がします。それから、東京の中心で上映を終えた作品も、ここでなら観られることも多いです。昨年5月に封切りした『トップガン マーヴェリック』も、キネカ大森では8月末まで上映していましたから。うっかり見逃してしまった作品を、大森という東京の隅っこでなら観られる感じもいいなと思います。

あとは、シネコンやミニシアター以外の封切館(新作映画を初めて上映する映画館)が、こんなに駅近にあること自体、実はかなりすごいことなんじゃないかと。京浜東北線しか停車しない、決してメジャーではない駅のすぐそばに3つもスクリーンがある映画館が残っているのは、奇跡だと思いますよ。

── それは、大森という街が映画文化を大切にしてきたことの表れなのでしょうか?

片桐 いや、たまたま残っただけじゃないかと(笑)。大昔の貝塚と同じで、そういう貴重なものがうっかり残っちゃうところも、大森らしいと思います。でも、住民はそのありがたみを今ひとつ分かっていないという。

ただ、一つ理由らしきものを挙げるなら、大森って中心部に比べて開発の手が入りにくいところはあると思います。開発してもそんなにお金にならないから、目をつけられにくいというか。キネカ大森も、もう少し都心のほうにあったらあっさりなくなっているんじゃないでしょうか。その抜け穴みたいな感じも、大森のゆったりした雰囲気につながっているのかな。

── これまで、大森以外の街に住もうとは考えなかったのですか?

片桐 大学時代は吉祥寺まで通うのが面倒で、引越しを考えたこともあります。でも、やっぱり私のような海沿いの人間は、山手のほうに行くと落ち着かないんですよ。どうしても、水っペリというか、抜けている景色のところへ帰りたくなってしまうんです。だから、たぶんこれからも大森にいるでしょうね。

── 改めて、片桐さんが感じる大森のよさってなんでしょう?

片桐 私にとっては、ちょうどいい街ですね。下町と山の手の中間のような感じで。今風のおしゃれな街ではないし、昭和好きの人が好んでやってくるような、いわゆるレトロを売りにできる街でもない。

そういう、何の色もないところが心地いいんです。今は、世界中のどの街も、おしゃれに食い尽くされているじゃないですか。でも、大森はそういう心配はなさそうですよね。これからも、“見つからない”でいてほしいなと思います。

大森
▲JR大森駅前

『シン・ゴジラ』が破壊するのは「残したい東京」

── 古くから「東京」を舞台にした作品は数多くあります。ずっと東京で生きてきた片桐さんがあえて一つ、「東京の映画」を挙げるとしたら何でしょうか?

片桐 好きな映画、印象に残っている映画は数え切れません。それこそ、松竹の撮影所が蒲田にあった時代にはこのあたりでも撮影が行われて、私にとっては馴染み深い東京の風景がたくさん出てくる映画もあります。

ただ、「東京映画」と聞いて一番に浮かんだのは『シン・ゴジラ』ですね。

── ちょっと意外なチョイスでした。

片桐 あれは、まさに東京の映画だと思いますよ。東京湾から蒲田に上陸した「蒲田くん(※ゴジラ第二形態)」が東京の街を破壊していくわけですが、樋口真嗣監督は「(撮影にあたり)潰しがいのある街を探した」とおっしゃっていました。それはつまり、古くからの風景が残っている「本当は潰れてほしくない街」ということなんだと思います。

また、上映当時は東京オリンピックに向けてあちこちで開発が進んでいる時期でもあり、私にはゴジラがオリンピックのように感じられたんです。何のためらいもなく古い街を潰していくゴジラは、オリンピックの開発そのものじゃないかって。そういう点も含めて、東京について改めて考える映画だったんじゃないかなと。

── 片桐さんにとって、それだけ東京が特別な存在ということなのでしょうか。

片桐 もちろん、生まれ育ったところだから愛着はあります。ただ、東京が特別だとか、東京こそスタンダードとか、すごいとかは全く思っていません。むしろ、日本で最もヘンテコな場所かもしれない。それは、30代の頃に舞台の仕事で全国各地を回った時に、強く感じましたね。特殊な東京の感覚に合わせて芝居をしていたら、他の場所ではまったく通用しなくなってしまうなと。

片桐はいりさん

── お芝居に限らず「東京で認められることが成功の証」みたいな風潮は、確かにあるような気がします。

片桐 全くそんなことはないですからね。役者でも、下北沢とかの小劇場でやっていると、いかにも演劇の中心地から発信をしているような感覚に陥ってしまいがちです。

でも、それは大きな勘違い。そんな考えでいたら天下をとったどころか、逆にそこでしか通用しない人間になってしまうと思います。そういう意味でも、東京に過度な期待や幻想を寄せすぎないほうがいいような気がしますね。

お話を伺った人:片桐はいり(かたぎりはいり)

片桐はいりさん

東京都大田区大森出身。大学在学中に銀座文化劇場(現シネスイッチ銀座)でもぎりのアルバイトと同時に俳優活動を開始。1982年「電気果実物語」で初舞台。1985年「ふぞろいの林檎たち2」でテレビドラマに、1986年「コミック雑誌なんかいらない!」(滝田洋二郎監督)で映画デビュー。著書に「わたしのマトカ」「グアテマラの弟」、映画への愛情に満ち溢れたエッセイ「もぎりよ今夜も有難う」は、第82回キネマ旬報ベスト・テン「読者賞」を受賞。現在も俳優業の傍ら「映画への恩返し」として地元の映画館キネカ大森で時々もぎりをしたり、キネカ大森先付ショートムービー「もぎりさん」シリーズを制作している。
【出演情報】
KOBE Re:Public Art Project
「あなたが彼⼥にしてあげられることは何もない」(演劇)
・開催期間:2023年2⽉24⽇(⾦)、25⽇(⼟)、26⽇(⽇)、3⽉4日(⼟)、5⽇(⽇)
・開催場所:神⼾市中央区の喫茶店
・作・演出:岡⽥利規
・出演:⽚桐はいり
・喫茶店監修:喫茶ポエム(⼭崎俊⼀)
※無料でご覧いただけます
※公演スケジュールに関しては、特設ページをご覧ください(https://koberepublic-artproject.com/

聞き手:榎並紀行(やじろべえ)(えなみ のりゆき)

榎並紀行さん

編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。
Twitter: @noriyukienami
WEBサイト: 50歳までにしたい100のコト

編集・風景写真:はてな編集部