湧き水、ハモ天、禅寺の石庭。私のランララン愉快な京都移住|文・仁平綾

筆者撮影

筆者:仁平綾(にへいあや)

エッセイスト。東京、ニューヨークを経て、2021年に京都へ移住。著書に『ニューヨーク、雨でも傘をさすのは私の自由』(だいわ文庫)、『京都はこわくない』(大和書房)など。雑誌『SAVVY』(京阪神エルマガジン社)にて京都暮らしのエッセイを連載中。
Instagram:@nipeko55

だって京都が好きだから

出身地ではないし、家族親戚ゼロ。友だちもほぼいない。そんな京都へ移住して、もうすぐ4年が経つ。

え、じゃあなんで京都に引越したの?と不思議がられるけれど、ざっくりひと言で答えるならば「京都が好きだから」。だって、洋服も靴もバッグも、気に入ったものを買う。ハンバーグ定食、カレーうどん、黒蜜あんみつ。どの味も好みだから、なじみの店へ足を運ぶ。住む部屋は内見して、グッときたから借りる。同じように街も「好き」を基準に選ぶほうが、きっといい。鼻歌上機嫌で、毎日を過ごせそうだ。

そんな私の快楽主義がますます加速したのは、自由の街、ニューヨークで9年間生活したからだと踏んでいる。わがままにまっすぐ生きるあの街の人々と、出会ってしまったせいである。

千葉県のベッドタウンで生まれ育った私は、大学卒業後に東京の出版社に勤めた後、フリーランスの編集・ライターとして目まぐるしく働き、美容師の夫と結婚。忙しくもにぎやかな東京生活を送っていた。

ある日、夫がニューヨークで美容業にチャレンジしたい、と突然の移住宣言。私にもビザがおり現地で共に暮らせると聞いて、だったらと引越しを決めた。海外暮らしに憧れていたわけでも、ニューヨークが特段好きだったわけでもなく、「おもしろそうかも?」という好奇心にまかせて移住したのだった。

京都移住のきっかけは、“I Love New York”おじさん

忘れられないのは、ニューヨークに移り住んでまもない初夏の出来事だ。

昼下がり、セントラルパーク前で見知らぬおじさんに話しかけられ、公園内を一緒に歩くことになった。ナンパか!と身構えたものの、もちろんそんなはずはなく、パレードで入園規制があるから、と親切に道案内を買って出てくれたのだった。

おじさんは生粋のニューヨーカーで、公園にほど近いアパートメントで年老いた母親と暮らしていた。職業はホテルマンだという。世間話を交えながら公園内を進み、「日本に行ったことはある?」と質問を投げたところ、おじさんは「ニューヨークからほぼ出たことがない」と手を横に振った。「出る必要がないよ。だって、こんなに素晴らしい街、ほかにある?」と自信たっぷりに言い放ち、最後にこう付け加えたのだった。「I love New York.」

どきりとした。街を愛している、って。そんな感情がほんとうにあるんだ……? 自分のこれまでを振り返っても、住む場所に愛情を抱いた覚えはない。家族がいて、住居が存在し、仕事があったから生活していたようなものだ。

街への愛をさらりと口にしたおじさんの横顔が、あまりにも凛々しく、眩しくて、私もおじさんみたいに、自分が暮らす街を愛せたらどんなに素敵だろうと憧れた。

だから、コロナ禍で日本への帰国を決意したとき、次に暮らす街に選んだのが京都だった。それまで何度も旅行で訪れ、鴨川が悠然と流れる景色も、ヒューマンスケールな街のつくりも、胃袋をがしっとつかむおいしいいろいろも、京都のぜんぶが愛おしかった。

鴨川周辺の空は広い/筆者撮影

夫にとっては、海外からの旅行客が多く、キャリアが生かせることも決め手となって(というのは表向きで、じつは京都の食が決定打だった。食い意地夫婦)、京都移住はすんなり進んだ。

生まれてはじめての京都暮らし。「思い切った決断したね」とまわりの人に驚かれたけれど、日本語が通じるなら、もうどこにでも暮らせる無敵状態だったし、東京まで新幹線で2時間ちょっと、家族にも友だちにもすぐに会いに行ける、近い近い。と約500kmの距離も気に留めずだった。

いま振り返ると、海外帰りで感覚がバグっていただけなのだが、ひとつ言えるのは、そのぐらいの能天気で移住してもどうにかなる。ということである。

京都暮らしは「へぇ!」な発見だらけ

えっ、そうなの? へー、知らなかった!

いざ京都に暮らしてみたら、発見だらけ。なかには関東出身の私が、おお……と驚く生活文化や慣習ももちろんある。でも、それこそが移住の醍醐味だし、なんでもおもしろがってしまったほうが日々楽しい。

たとえば、四条大橋からのぞきこんだ鴨川の水が、透明で澄んでいること。街のど真ん中なのに!? 二度見した。

ちなみに、川岸での目撃談が絶えない、巨大なふさふさのねずみはヌートリアと呼ばれる特定外来生物で、ヌテラとかズーラシアとか、あれこれ間違えた呼称で街の人に認識されている。

寺の門前を歩けばお香の匂いが、京町家の路地を歩けば、どこからともなく出汁の香りが漂ってくること。京都はいいアロマの街だ。だからモテる説。

鉄道や地下鉄よりも、圧倒的にバスが生活の足であること。しかしバス網が複雑怪奇なせいで、しょっちゅう路線を間違えること(Google Mapsですら誤る。おい!)。

京都はバス率も自転車率も高い/筆者撮影

神社の境内などで、清涼な湧き水がくめること。地元の人は湧き水でコーヒーやお茶を淹れたり、米を炊いたりしている。なんて尊い贅沢。私もいまやマイボトルを持ち歩く、湧き水ハンター。*1

夏の川床ついでに貴船神社で湧き水をくむ/画像提供:貴布禰 総本宮 貴船神社

お揚げ(油揚げ)が特大サイズであること。関東で食べてたやつの倍はある。いや3倍、いやいや4倍はあるかも。

初夏になると、街のスーパーでも骨切り済みの鱧(ハモ)がずらり売られること。お家でハモ天、いぇい!

シラサギやアオサギがのびのび、悠々と空を飛び(ツル!?と当初は誤認)、たまに家のベランダにもやってくること(ちょっとこわい)。

五山の送り火は、イルミネーション的イベントではなく宗教行事*2であること(無知を反省)。

お土産やおすそ分けをもらったら、その場でお礼を即返しする習慣、“おため”があること。そ、即返し……。

燻香(くんこう)がストロングな番茶が日常的に飲まれていること。*3タバコの臭いがする!と、京都以外の人からお叱りの声が届くこともあるらしいが、違うので怒らないで。

たぬきうどんは、天かすではなく、九条ネギと油揚げがトッピングされていて、しかも全体にとろみがついていること。至極おいしい。もう関東のたぬきには戻れない。

惜しまれつつ閉店した「殿田食堂」の名代、たぬきうどん/筆者撮影

ソースはウスター派が多勢であること。天ぷらにウスターをかける京都人もいる。え!

京都ではコーヒーチェーンよりも喫茶店へ

さて、数年暮らしてみて、これは京都ならではだ! と鼻息荒く唱えたい発見が、もうひとつある。小商いのたくましさだ。

和菓子店から、定食屋、うどん店、昔ながらのお豆腐屋さん、酒屋、漬物店、ワインバー、割烹などが、街中のあちこちに点在。市内には商業施設も大手チェーン店もあるけれど、街のスモールビジネス*4が質量ともにそれらを凌駕(りょうが)し、無双している。

たとえば喫茶店もそう。昭和のレトロ純喫茶から、洋食屋に負けず劣らずなメニューを誇るグルメ喫茶までよりどりみどり、コーヒーチェーンに行く機会も理由もすっかり失ってしまった。

「切通し 進々堂」のウイキュウトースト。塩加減が絶妙/筆者撮影

祇園の「切通し 進々堂」は、コーヒーで一服というとき、いそいそと足を運ぶ喫茶店のひとつだ。母娘ふたりで営業するこぢんまりとした店で、端正なトーストサンドイッチが名物。とくにウイキュウトースト(きゅうりとウィンナーをトーストで挟んだもの)は、ごまかしのないルックスと丸裸なおいしさに感服する。人の心にいつまでも響くのは、つまりこういうものなのだなあ。

やわらかな響きの京都弁が耳心地いい、お母さんと常連さんの世間話はポッドキャストさながらだし(たまに「ふっ」ともらい笑いをしたり、ご近所の飲食店情報に「お?」耳の穴がむくっと膨れたりしてしまう)、花街・祇園の文化に触れられるのもうれしい。店内の壁に貼られた札は、お座敷に1千回出た舞妓さんが一人前になった証として、お祝い返しにくれるのだと教わって、へえ!となった。

舞妓さんや芸妓さんの札が貼られた「切通し 進々堂」の店内/筆者撮影

町中華、町洋食、町うどん、町焼肉……。ほかにも個人や家族経営による小箱の飲食店はごまんとあり、私のGoogle Mapsの“好きな店”“行きたい店”を指し示すピンは加速度的に増え、いまやピンが京都の街を覆い尽くす森のようになっている(むしろ使いづらく地図としてどうなのか)。

ふぞろいで多様な京都の個人店。だからこその出合いがある

外食だけではない。食材や調味料といった日々の買い出しにも、個人商店の存在が大きい。

飲み飽きしない日常のワインをまとめ買いするなら、ワインショップの「仔鹿」。

サンドイッチ用のハム、晩酌のアテになるパテは、自家製のシャルキュトリ*5を製造販売する「リンデンバーム」。

ジャケ買いしたくなるワインが並ぶ「仔鹿」/筆者撮影

嵐山・嵯峨野にある「嵯峨豆腐森嘉」では、豆腐、油揚げ。それから百合根、銀杏、きくらげなどの具材がごろごろ詰まったひろうす(がんもどき)を。

常備している酢は、「中野酢」の黒酒酢(くろす・玄米から作られる木桶仕込みの黒酢)。旨みがすんごい。

うどん、麻婆豆腐、パン、なんにでも合うマルチスパイス「六味」(七味から唐辛子を抜いたもの。山椒が効いている)は「長文屋」にて。

家のごま和えや白和えを、店の味に格上げしてくれる練りごまは「祇園むら田」。

おやつに手土産にと、こまめに買い求めるおかきは「紫芳軒(しほうけん)」のもの(炭火手焼きの「無味」を愛してやまないが、最近は「カレーせんべい」をリピート)。

スーパーも地元勢がアツい。中でも下鴨にある行きつけの「フレンドフーズ」は、もはやスーパーの域を超えた食の特選館。万願寺とうがらしの塩昆布和えなど、「井上佃煮店」のお惣菜はここでしか手に入らない。

お米は、パンは、コーヒー豆、京野菜……、まだまだあって書ききれない!

成り立ちはさまざま、運営はマイルール。個人商店は、品ぞろえ、料理の献立、店構えや接客まで、バラつき、ムラがあり、規格外ばかりで(褒めてます)、多様だ。だから思いがけない出合いや出来事がある。

つい先日の昼どきも、住宅街の大衆食堂でカレーラーメンなる食べものに出くわして、うあ!となった。とろみを効かせた出汁ベースのカレーに中華麺の組み合わせ。なにこれ、最高。仕事柄、わりと食体験は豊富なはずだけど、人生初。ありそうでないよね。もしや京都発祥? などと怪しくつぶやきながら、にやにや、平らげた。これだから京都はたまらない。

寺社クレンズ、煩悩ファスティング

おかげさまで、鼻歌で鴨川べりをスキップするぐらい、ランララン愉快な私の京都生活。じつはもうひとつワケがあって、それは神社仏閣の存在である。

仕事が煮詰まり、どうにもこうにもならなかったり、アウトプットしすぎて空っぽになったり、心がやさぐれてしまい、無の時間をひとりで過ごしたかったり。そんなとき、これまでは美術館や博物館へ駆け込んでいた。同じように私を迎え入れてくれる逃避場所が、京都の寺社なのだ。

ある初秋の「今宮神社」境内。日常のひとコマも美しい/筆者撮影

上賀茂神社や今宮神社の境内をぐるり巡って、スーハー、深呼吸する。ついでに門前で餅をむさぼる。

大徳寺の瑞峯院や、デヴィッド・ボウイ*6も愛した正伝寺へ出向いては、枯山水の庭をぼおっと眺め、どす黒い感情を成仏させる。

三十三間堂の観音像の顔を端から拝み倒しているうちに、些細なすべてがどうでもよくなる。

桂離宮のアバンギャルドな市松模様の襖(ふすま)や、銀閣寺にある与謝蕪村のストップモーションみたいな鳥の襖絵*7に唸る。右脳が覚醒する。

まわりの喧騒や、過多な情報を一時的にシャットダウンしてくれる寺社は、街のエアポケット。おかげで正気と元気をまるっと取り戻せて、日常へ颯爽と(スキップで!)舞い戻ることができるのだ。名付けて、寺社クレンズ、煩悩ファスティング。

この街の寺社の数は2000とか、それ以上とか聞くと、もう一生安泰である。ありがたい。

そんなわけで、まもなく5年目を迎える京都生活は、この先しばらく、もしかしたら永遠に、退屈することがなさそうだ。むしろ愛着は右肩上がり。「I LOVE KYOTO」と朗らかに言い放つ日も、そう遠くはないと感じている。

砂の波紋に見入る。大徳寺 瑞峯院の枯山水の庭園/画像出典:筆者の著書『京都はこわくない』(大和書房)より

著: 仁平綾

編集:はてな編集部

*1:湧水をくむ際は、神社のルールやマナーを守り、神聖な場所であることを忘れずに

*2:迎え火によって現世に迎えた祖先の霊(お精霊さん)を再び浄土(死後の世界)に送るという意味がある

*3:正確には「いり(炒り)番茶」と呼ばれ、一般的な煎茶とは違い、葉だけでなく茎や枝もまとめて刈り取り、蒸した後に炒って乾燥させたもので、見た目はかなり濃い茶色をしている

*4:小規模な経営規模で運営される事業

*5:ハムやソーセージ、パテ、テリーヌなどの食肉加工品全般を指す言葉

*6:英国出身のミュージシャン。ロックとロック以外の境界を問う変幻するスタイルで、音楽のみならずファッションや演劇にも大きな影響を与えた

*7:「棕櫚に叭叭鳥図」/しゅろにははちょうず