
坂の町、長崎。そんなイメージを多くの方が持たれている通り、長崎は急な坂に街がぎゅっと詰まっていて山の上まで家が建っています。なんせ長崎から上京して、山の上に家がないことにびっくりしたくらいです。そんな背景もあり長崎では自転車に乗っている人が他県に比べるとそこまで多くありません。かく言う私も9年前、ミュージックビデオの撮影のために練習をして、やっと乗れるようになったくらいです。
長崎で生まれ育ち、17歳で歌手になるという夢を追いひとりで上京して13年目。日々、慣れない自炊や買い物に奮闘しています。
普段は関東を中心に活動しているBitter&Sweet(ビタースウィート。&は表記上ありますが読みません)という2人組音楽ユニットでピアノ&ボーカルとして活動しています。
私が育った長崎は、日本一島の多い県としても有名です。そしてこれはあまり知られていませんが、水揚げされる魚の種類が日本一ともいわれているのも長崎。海と山に囲まれた異国情緒溢れる街で、鎖国時代も唯一海外の国と交流していた歴史を持つ、独特の文化のあるところです。

長崎市内は観光地も盛りだくさん。
たとえば、保育園のバス遠足で毎年連れて行ってもらった「長崎バイオパーク」。私はよく「きっと泳げるよ、カバのモモちゃん」という児童書を読んでもらっていたので、モデルとなった本物のモモちゃんに会えるのが楽しみでワクワクしていました。
夏休みの宿題のスケッチに行った「グラバー園」と「大浦天主堂」。絵が得意な姉と一緒に、グラバー園から見える長崎港を描いた時は、画用紙の中の風景が実際とあまりに違っていて恥ずかしかったことも。姉の上手さに感心し、それを自慢に思っていました。
「長崎ペンギン水族館」はよく家族で遊びに行ったところで、その名の通り可愛いペンギンがたくさんいます。時間が合えば餌やり体験が出来たり、ペンギンのお散歩が見られることも。母が言うには、ペンギンよりも私はなぜかタッチプールのヒトデやカニに興味があり、よく触っていたようです。

また、佐世保にある「ハウステンボス」は季節ごとにお花や花火、イルミネーションと様々なイベントが開催されています。実家で初めて愛犬を迎えた時、車に慣れさせるため父に連れて行ってもらったのもハウステンボス。犬が大好きな私たち姉妹はどちらもリードを離したくなくて、交代するのが嫌で、散歩ではなくランニングになってしまい愛犬のほうがギブアップしてしまったのもいい思い出です。
そして地元では定番のさっぱりした後味のアイス「ちりんちりんアイス」を食べた「眼鏡橋」。アーティストという職業に就いてから、ライブで長崎に来た際に、相方やマネージャーと共に眼鏡橋を訪れたことがありました。
私が近くの石垣にあるハート型の石の場所をみんなに教えようとしていたところ、近くを散歩していた地元のおじいさんが写真を撮っていた私たちを観光客だと思い声をかけてくれて、長崎の歴史を熱く語ってくださいました。
私が知っていた知識よりももっと詳しく語ってくださって、同じ長崎県民としてこんなにも地元愛に溢れた方がいると思うとなんだか誇らしい気持ちにもなった思い出があります。
美しい長崎の街の悲しい過去と向き合う平和学習と「精霊流し」
長崎は平和学習にとても力を入れています。平和を願ってつくられた平和公園の原爆資料館には、当時の状況や残された品物の数々、原爆による被害がいかに恐ろしいものであったかが訪れるだけで感じられます。ここは長崎の小学生なら、一度は校外学習で訪れる場所ですが、当時はあまりの悲惨な姿に目を伏せてしまった記憶があります。被爆遺構で有名なものとして、長崎出身の歌手・福山雅治さんもその姿を曲にしている「被爆クスノキ」があります。被爆を受けてもなお、地に根付き、青空に映える緑色を見せてくれるクスノキは、長崎の復興の希望だったように思います。
長崎では 原爆が投下された8月9日は市内のどの学校も登校日になっていて、平和集会など戦争についての講話を聞いたり学習をします。私が通っていた高校では、平和を願い当日に平和公園で「千羽鶴」を合唱。 11時2分、サイレンが鳴ると黙とう。 それが日本の当たり前だと思っていましたが、長崎だけの事だと知ったのは、上京してから初めての8月9日を迎えた時でした。
原爆の日の7日後、8月15日は同じく長崎出身のさだまさしさんの曲でも有名な「精霊流し」が行われます。「精霊流し」は長崎のお盆の風物詩。花火や爆竹の音が街中に鳴り響き、ある意味お祭りのように賑やかな一面がありますが、歌の通りその中にも寂しさや厳粛さも感じさせる厳かな行事です。故人を偲びながら、長崎の人はこの精霊流しで自分の中に区切りをつけることができるのではないかと感じています。
私も長崎県民ですので、精霊流しの経験はあります。一番印象に残っているのは32歳で逝ってしまった叔父の精霊流しです。24歳で急性骨髄性白血病と診断された叔父は、誰からも好かれる人気者だったらしく、葬儀の際は、会場に入るための参列者の列が、歩道にまでずらりと並んでいたくらいだと聞いています。
そんな叔父の船ですから、担ぎ手も多く、たくさんの人に見送られながら帰っていったと思います。私はまだ小さかったので覚えていることは断片的ですが、保育園からお借りしたお散歩カートに飾り付けをし、4人のちびっこが乗り、はしゃいでる隣で時折祖母や母、叔母が涙していたのを覚えています。
花火や爆竹というワードが出たついでに有名な夏の長崎あるあるをもうひとつ。 お盆にはお墓で花火をするのが主流なんです。 これも長崎だけだと知ったのは上京してからのことでした。
「長崎くんち」「竹ン芸」など伝統行事や、幻想的な「長崎ランタンフェスティバル」も
そして秋には「長崎くんち」が毎年10月7日からの3日間で開催されます。諏訪神社の祭礼で国の重要無形民俗文化財に指定されている重大な催しです。各地から人が集まります。長崎くんちでその年の奉納踊を披露する踊町(おどりちょう)と呼ばれる町は大体7つと決まっていて、7年に一度しか当番が回ってきません。
奉納踊には「鯨の潮吹き」、「唐人船」、「コッコデショ」、「鯱太鼓」などいろいろな種類がありますが、私が個人的に一番好きなのは父も龍方(じゃかた)として参加していた「龍踊(じゃおどり)」です。長ラッパやパラパラなどの楽器に合わせて舞う、まるで生きているような迫力のある龍(じゃ)の姿は、心躍るものがあります。
出し物のほかにも心躍るもの、それは掛け声。長崎くんちでは独特の掛け声があり、観客も7つの踊町とともに参加しているのです。そのひとつ「もってこーい」は曳き物を呼び戻すアンコールです。長崎でライブを行うアーティストはこの「もってこーい」のアンコールを浴びるのが定番です。本踊のアンコール「しょもーやれ」などほかの掛け声もありますが、やはり「もってこーい」コールを受けるとこの上なくうれしいのは長崎人の血なのでしょうか?
この長崎くんちが終わった10月14、15日には「竹ン芸(たけんげい)」と呼ばれる曲芸が若宮稲荷神社の秋祭りに奉納されます。長崎くんちと比較するとあまり有名ではありませんが、見事な芸に息つく暇なく、参加者からの大歓声で盛り上がります。
空を見上げると長い長い青竹の上に白装束の狐が2匹、折れそうなくらいしなっている竹の上での曲芸は「お見事!」というほかありません。
もう一つ長崎で忘れてはいけない行事があります。 昨年は長崎出身の福山雅治さんと仲里依紗さんが皇帝と皇后に扮(ふん)してパレードをされた「長崎ランタンフェスティバル」です。
およそ1万5000個のランタンが長崎市内中心部のあちらこちらで灯され、それぞれの会場にはオブジェが飾られています。出店も、ハトシや桃太呂のぶたまん、角煮まんじゅう、マーラーカオなど長崎の文化が感じられるものも多いんです。母が好んで買っていたのはさくさくのえびせん。おかげで私にとってはとても懐かしい味です。
2月の夜の澄んだ空気にぼぅっと浮かび上がる光景は実に幻想的で、長崎県民はもちろん、全国各地からも多くの方が訪れます。ランタンの色も会場によって限定カラーがあったり、そこでしか見ることができない風景や、ショーを楽しめます。是非一度は訪れて、感じてもらいたい冬の長崎です。
長崎のおいしいもの

そして長崎といえばやっぱりグルメ。 海に面している地域が多く、島も多いため景色がきれいな上、魚がとってもおいしい土地です。刺身はとにかく新鮮でぷりぷりですし、長崎の甘い醤油をちょっとつけて食べるともう最高。
ライブで長崎を訪れてスタッフやメンバーで食事をする際には、やはりちゃんぽん、皿うどん、トルコライスは外せない一品です。トルコライスは長崎でも有名な「ツル茶ん(つるちゃん)」で、ミルクセーキと一緒にいただきます。ツル茶んは九州最古の喫茶店で、今年100周年を迎える老舗。また、ミルクセーキ発祥の店でもあります。あ、ご存じかもしれませんが長崎ではミルクセーキは食べ物です。
それから高校の時によく行っていた浜町にある「カフェ オリンピック」の巨大パフェに今年初めてマネージャーを含めたBitter & Sweetチーム4人で挑戦をしました。高さ1mを超える大ボリュームのパフェで、お店の名物になっているメニューです。いつも思うことですが迫力だけではなくやっぱりおいしい。
最近では帰省した時に友達と行った、山王神社近くにある喫茶店「ひいらぎ」。まだフライパンの中にある緑、白、青、赤と色とりどりのオムレツに目の前でナイフを入れ、ライスの上にのせオムライスに仕上げてくれるパフォーマンスには思わず「おぉ~」という声がでました。オムレツがきれいに広がっていくパフォーマンスにももちろん「おぉ~」と感動しますが緑や青、赤色のオムライスにも「わぁ~」と思わず声が出てしまうインパクトがあります。
今はSNSで調べたり、友達に美味しいお店やパフォーマンスが素敵なお店を教えてもらったりして訪れますが、子どものころは違いました。
小学生の時、夏休み中に母がよく連れて行ってくれたのは「デパートの浜屋のレストラン」。屋上にあった小さな小さな遊園地で遊んだ後に食べに行きました。ほとんど毎回注文していたのは大きな海老の天ぷらがのったうどん。そしてランチの後に食べるソフトクリームは小さいあさひにとって至福のひとときでした。
また、家族でよく行っていた中華料理は、原爆資料館の近くにある「寶來軒(ほうらいけん)」。レタスチャーハンが大好きでした。 祖母がレタスチャーハンをつくってくれた時には「『寶來軒』からの出前ですよ~」と冗談を言っていたことを思い出します。
そしてなにより大好きなのが、出来たてほっかほかの「岩崎本舗」の長崎角煮まんじゅう。 浜町のアーケードに行くとつい足がむかってしまいます。 白いふわふわの蒸しパンにタレがこれでもかと染み込んだとろとろの角煮が挟んであり、私はこれで長崎を感じます。
お土産ももちろん美味しいものがたくさん。長崎に帰るたびに新しいものが増えていて選ぶのも楽しみの一つです。その中でもずっと変わらず定番なのは、やっぱり「福砂屋」のカステラ。最近ではキューブに入っていて切らなくても食べられる商品もあるのでとっても便利。それともう一つ、「茂木一まる香本家」の茂木ビワゼリー。意外と知られていませんが、ビワの収穫量日本一は長崎なのです。 銀色の袋にしっかりと梱包されていて中は見えませんが間違いなしのおいしさです。
100年に1度の変革期を迎えた長崎のまち

長崎は行くたびに景色が変わっていきます。今は100年に1度の変革期と言われていて、ここ最近の変化は目覚ましいものがあります。新幹線が開通し、それに伴って駅周辺が開発され「長崎スタジアムシティ」がオープン。私が上京する前の長崎の姿が思い出せなくなることがあるくらいです。小さい頃連れて行ってもらっていた野母崎には「長崎県立熱帯植物園」があったのですが今はそこも閉園。
しかし、なくなるだけではありません。 「長崎市恐竜博物館」が新たにオープンし、子どもたちに人気のスポットとなっています。海と周りの島々を望める景色が見どころの伊王島にある「i+Land nagasaki(アイランド ナガサキ)」は温泉があり、アクティビティも豊富、おまけに食事も美味しいといいところずくめ。なによりペット同伴で宿泊できるのも犬好きの私にとって最高のポイントです。
変わっていく長崎にわくわくどきどきする楽しみな気持ちもあると同時に、いつまでも変わらない長崎でもあってほしいと思う気持ちが存在するのも確かなことです。
稲佐山のロックフェス「Sky Jamboree」をきっかけにシンガーを目指した私
2021年、モナコ、上海、そして故郷長崎が世界新三大夜景に認定されました。特に稲佐山から見る夜景は幻想的。私がシンガーを目指したきっかけは、長崎市稲佐山公園で毎年夏に行われる野外フェス「Sky Jamboree」で大好きなバンド「RADWIMPS」を観たことでした。
たくさんのアーティストが代わる代わるステージに立ち、次第に観客の熱気もヒートアップ。初めて友人とフェスに行ったのもこの時で、これだけ多くの人が年齢関係なく同じ音楽でこんなにも盛り上がることが出来るなんて! と感動したものです。
「RADWIMPSと同じ景色を、同じ場所から見てみたい!」そう思って挑戦したオーディションでグランプリをいただきシンガーの道を歩むことになりました。
まだ憧れの稲佐山で、そして大好きなSky Jamboreeで、向こう側からの景色は見ることはできてはいないけれど、夢はあきらめたくないです。
「DREAM GIRL」と「私が飛行機を嫌いな理由(わけ)」

夢と希望がいっぱいで上京した時の私をイメージして、中島卓偉さんが作曲してくださった「DREAM GIRL」という曲があります。アップテンポで青空が思い浮かぶようなとても素敵な歌で、私も大好きな曲です。坂の多い街から颯爽と舞い上がっていくようなイメージの曲。しかし、17歳で長崎からひとりで上京するということは夢と希望だけではなく、その裏に不安と寂しさもありました。
たまに帰省し、また東京に戻る日に毎回長崎空港で感じる気持ちを初めて歌にした「私が飛行機を嫌いな理由(わけ)」という曲もあります。東京に戻るときは、いつも家族が車で長崎空港まで送ってくれます。出発してすぐはさまざまな話題が車内で飛び交いますが、空港に徐々に近付くにつれ家族の口数が減り空港に着くと自然と沈黙が増えるのです。
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「もう少し長崎に居たかったなぁ。最終便にすれば良かった」「でもこれ以上居ても離れがたくなるしなぁ」と頭の中をぐるぐる。両親にその旨を伝えるのもまだ気恥ずかしくて言葉には出したことがありません。そんな気持ちを抱いたまま、保安検査場を通りとうとう飛行機に乗り込みます。
「送ってくれてありがとう。もう帰っていいからね」いつもそう両親に伝えるものの、徐々に加速する飛行機の窓から見えるのは長崎空港の屋上で大きく手を振っている両親。「見えてるよ! ありがとう!」と伝えたいけど、既に携帯電話は電源を切った後。
機械的な音と何度も耳にしたことのあるアナウンスが流れる機内で独り寂しさと後ろ髪を引かれる思いが溢れます。いつかそんな気持ちを歌にしたいと思い、この曲をつくりました。
上京してもうすぐ13年。時々しか帰ってこられないのは変わってないけれど、17歳で感じていた寂しさは少しずつ薄れています。ただ、長崎で過ごす安堵感と居心地の良さはずっと変わらずそのままです。それが故郷というものなのかなと実感している29歳の私です。
書いた人:田﨑あさひ(Bitter & Sweet)
1995年11月20日、長崎県長崎市生まれ。2人組音楽ユニット Bitter & Sweet(ビタースウィート)のピアノ・ボーカル担当。17歳まで長崎市で過ごした。「Bitter & Sweet LIVE QUEST 2025 〜ぼうけんのしょ〜」ツアーを開催中。4月26日には長崎のSTUDIO DO!にてライブ予定。
https://www.instagram.com/asahitasaki/
編集:小沢あや(ピース株式会社)
