サブカルの聖地から横須賀の港町へ。久留和は“なにもない天国”だった|街と音楽

著者: 寒川響(空中カメラ)  

自室、スタジオ、ライブハウス、ときにはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。

 

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「そういえば、今の家、売ることになったから」

僕が結婚して数カ月。父に連絡をとると、こともなげにそう言われた。10年以上暮らした実家がなくなるらしい。僕も妹も同じようなタイミングで実家を出たため、両親も引越しを決めたとのことだ。

決める前にひとことくらい言え、と喉まで出かかったが、「ほえ~!」とデカめの声で返事するに留めた。事前に言われたところで、やっぱり「ほえ~!」と言うだけだろうな、と思い直したからである。

 

実家があるのは、「久留和(くるわ)」という相模湾沿岸の港町だ。最寄駅の逗子までバスで約30分。ギリギリ横須賀市内に位置するものの、本当にギリギリなのでネイビーバーガーもなければスカジャンを着ている人もいない。むしろ葉山町に近い場所にあるが、観光客で栄えているわけでもない、要するになんとも言えない雰囲気の町なのだ。

 

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家の窓から見える久留和海岸

久留和の海岸から、僕の実家、いや、元実家までは徒歩1分。家中どこにいても波の音が聞こえる距離だ。実際、夜はさざ波を子守歌にスヤスヤ眠ることになる。正確には波の音、花火の音、ヤンキーの咆哮、ヤマバトの鳴き声、謎の破裂音、パトカーのサイレン。そのすべてが入り混じった田舎特有のASMRと化すものの、不思議な心地よさがあったことは間違いない。


およそ15年ほど前に、父は家を探しに久留和を初めて訪れた。そのとき出会った近所の住民に、「このあたりは、住むには天国ですよ」と言われ、父はすぐに家の購入を決めたそうだ。買ったときの値段を聞いたことはないが、天国に住めると考えれば安かったのだろう。

 

久留和にはなんにもない

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久留和海岸

久留和に引越す前の生活は、まるっきり真逆だったと言ってもいい。 

東京都中野区、そこは文化の爆心地。サブカルの闇鍋。小5の僕は中野ブロードウェイと高円寺を往復する日々を送っていた。校則で中野ブロードウェイに立ち入ることは禁じられていたが、両親が営んでいる店が中にあるのだから仕方がない、という言い訳で通い詰めていたのだ。


フィギュアショップ、古本屋、アメコミ、同人誌専門店。コロコロコミックと少年ジャンプがカルチャーのすべてだった僕にとって、宇宙が拡張されたに等しい衝撃だった。一方、高円寺にはCDショップが乱立している。小遣いを貯めて、レッド・ツェッペリンやドアーズ、フリートウッド・マックのアルバムを買い漁った。 

一生こうしていたい、大人になったらミュージシャンになって高円寺に住もう……。本棚からあふれるくらい好きな本とCDを集めて、死ぬときはそれの下敷きになって死のう……。 

本気でそう考えていた。いまも書いててちょっとよいなと思う。僕は順調にマニアックに育っていったが、ある日突然、久留和海岸へ移住した。中学二年生のときだ。

 

引越した当初は「ふーん、ロハスでステキな場所じゃんね」と半ば他人事のように過ごしていたものの、徐々に薄暗い焦りが五臓六腑に広がっていった。先にも書いたが、久留和にはマジでな~~んにもないのだ。

古いCDはどこで手に入れればいい?ガロとCOMIC CUEはどこで買えば?『SPAWN』の続き読みたいんだが?????

なにぶん中学生なのでなんでも大げさに捉える傾向にあったことは間違いないが、それでもカルチャーから断絶された感覚が、心身を蝕んだ。窓の向こうから聞こえる潮騒に「いや、ザザーンじゃねえよ!」と心の中で毒づく日々が始まった。

 

当時はまだネット通販も今ほど普及しておらず、Amazonで取り扱っているのは基本的に新書で僕の求めているものはなかったし、親に頼んで買ってもらうのはなんだか恥ずかしかった。

近所に書店やCDショップはなく、自転車で20分かけて葉山大道にある文教堂、もしくは50分かけて横須賀中央のBOOK OFFヘ繰り出すしかない。逗子駅周辺にはB-WAYというレンタルビデオ屋があったり、京急側には小さな古書店があったりしたが、それにしたって久留和から散歩がてら行ける距離ではなかった。

僕は供給に飢えたオタクであり、ペダルをこぐその眼は虎のごとく鋭く燃えていた。天国にオタクタイガーの居場所はないのだ。

 

人と関わらなければ、創作できない

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前田川遊歩道

息子のサブカルチャーへの異常な執着を見て取った両親は、近所のさまざまなスポットへ僕を連れ出した。沢歩きに最適な前田川へ散歩に行ったり、あるときは本物の秘湯を探して山中に分け入ったりしたこともある。果たして秘湯があったかどうかは明かせないが、久留和周辺には冒険できる場所が割とあるのだ。

しかし、中学生が夢中になったときのパワーに冒険程度では敵わない。サワガニをつつきながら「『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の紙ジャケをすべてそろえたら、ジミー・ペイジが煙の中から現れて願いをかなえてくれるかもな」などと考えていた。

 

両親は近隣に住む人々と僕を引き合わせることもあった。佐久間正英氏と出会ったのはだいたいそのころだったと思う。佐久間さんは久留和の山側に住む男性で、ほとんどクマじゃねえかと言うほどデカくて人懐っこいピレニーズを飼っていた。そのため「デカい犬を飼っているおじさん」と認識していたが、どうも音楽を生業にしているらしい。

厚かましくも「ギターを教えてほしい」と申し出たところ、紋四郎丸(久留和の隣町、秋谷にある宇宙一美味いシラス屋)のシラス2パックを月謝にすることで快諾してくれた。


ご存じの方もいるだろうが、佐久間正英氏はプラスチックス、四人囃子のメンバーであり、BOØWYやGLAYなど、数々のアーティストをプロデュースした人でもある。当時の僕は60~70年代の英米ロックシーンに脳を灼かれて、他の情報はスッカラカンのスッテンテンだったため、失礼ながらそういったことをまったく知らなかった。


しかし、佐久間さんはそんな僕の無礼をあまり気にせず、約束通りギターを教えてくれたのだった。なぜそこまでしてくれたのかは分からないが、彼がこの世を去った今でも、伝えたい感謝や謝罪だらけである。

 

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佐久間正英氏(左)と15歳の僕(右)

佐久間さんには「音楽をやりたいなら、音楽を聴いてないで恋愛とかしたほうがいい」とよく言われた。人と関わらない限り創作なんかできない、というのが彼の持論だ。

人と関わるのがなにしろ面倒くさかった僕は、そのときは半分うわの空で聞いていたが、今となっては非常に重要なことを教わったと思っている。

この言葉がなければ、高校でバンドに誘われたときも「じゃあやってみるか」とはならなかった気がするのだ。 

 

つくることができる場所

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月明かりと久留和の海

ホフディラン、コーネリアス、斉藤和義、たま、フィッシュマンズ。

高校に入って新たにできた友人たちは、僕とは別の方向の音楽にとても詳しかった。CDや漫画、DVDを貸し借りし合い、昼休みにはそれらの感想と下ネタで大いに盛り上がる。そのときは、人生で一番笑っていた。なにで笑っていたのかは思い出せないが、とにかく楽しかった。

横浜戸塚区の高校なので、自転車→電車→バスで一時間半かかる通学路だったが、iPodに入れた自作のプレイリストとエレ片のPodcastのお陰であんまり苦ではなかった。休日は公民館のせま~い音楽室に集合し、オリジナル曲を歌ったり、オリジナルじゃない曲を歌ったり。かくして、僕の宇宙はさらに広がっていった。

「好きなものは、別にたくさんあっていい」。そんな当たり前なことに気がつくのに、僕は時間がかかった。久留和の自宅に帰ったあとは、友達に借りたCDと自分の手持ちをノートPCにブチ込んでDJ気分を味わい、逗子駅前のレンタルビデオ屋で調達したソール・バスのヘンな映画などを見ながら夜更かしをするのだ。

 

夜中の2時を回ってイヤホンを外すと、相変わらずザザーン、ザザーン、と波の音が微かに聞こえた。窓の外を見ると、月明かりが水面に反射して、まるで黄色いレンガの道のように水平線へと続いている。

久留和にはなにもない。少なくとも、CDショップや古本屋はなかった。だが、今この瞬間。本物の景色がそこにはあった。

「ここでミュージックビデオを撮ろう」と初めて思ったのはそのときだ。

撮影機材も知識もなかったが、できるという不思議な確信があった。久留和海岸での生活を経て、僕は空中カメラというバンドに加入した。そして、そのバンドのMVは久留和海岸で撮るのだ。そうすれば、すべてが繋がる気がする。創り出すことで、宇宙がもっと広がる。

 

 

 

実際、僕が映像作家としてつくった空中カメラのMV7本のうち、6本は久留和で撮ったシーンが出てくる。『恋するシャボン玉』という曲のビデオに至っては、久留和海岸でしか撮っていない。つくり始めてすぐ、ロケ地と家が近いことの圧倒的な利点に気づいた。できるかどうか分からないことも、軽いフットワークで試すことができるのだ。

 

あのまま中野で暮らしていたら、僕はきっと「つくらない」人生を送っていた。やろうと思えば一切家から出ず、自分の好きな作品を消費し続ける才能が僕にはある。その生活も魅力的ではあるのだが、作品制作のドキドキやストレスと無縁になってしまうのは、もはや寂しい。思いつきを実行できる環境は、まぎれもなく久留和が与えてくれたものだ。

結局、あの海岸は僕にとってどこよりも気楽に創造できる場所だった。なんだ、ちゃんと天国だったんじゃないか。

 

天国からちょっと離れて

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京急 逗子・葉山駅

ともあれ、そんな思い出のある土地に建っていた実家は売却されるそうだ。

父からの電話を切ったあと、しばらく僕は考えた。自分の気持ちがよく分からない。寂しい気もするし、そうでもない気もする。寂しいならば、実家にも土地にも僕なりの想いがあったということだ。今まで「地元」という感覚はなかったが、もしかして久留和がそうなのか。

 

僕は今、久留和からそう遠くない逗子市の周辺で妻と息子と三人で暮らしている。住む場所は妻とかなり相談したが、最終的にはこの場所に落ち着いた。

久留和で生活していたころに比べて、都心へのアクセスは格段によくなったものの、やっぱり古本屋はあまりないし、寝るときはヤマバトの声がする。だが、それでいい。ちょうどよい距離だ。繁華街に行きたければ車や電車がある。もちろん、久留和にもいつでも行ける。僕は今、かなり自由だと思う。


階下から息子の声が聞こえて、僕は考えるのをやめた。家はまだそこにあるし、海岸がなくなるわけでもない。実家が誰かの手に渡ったら、あらためて久留和に行ってみよう。もしかしたら、今までにない感情を土地に抱くことになるかもしれない。

そのときまで、センチメンタルに浸るのはしばらく保留だ。

 

久留和のスポット紹介

久留和海岸

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JR逗子駅からバスで約30分。葉山と秋谷に挟まれた、小さめの海岸だ。水平線の向こうにぽかんと浮かぶ富士山がチャームポイント。パドボーやカヤックなどの水遊びや、防波堤からの釣りが気軽に楽しめる。浅瀬のアンドンクラゲには注意。クラゲの癖に積極的に刺しにくるぞ!

※現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、駐車場は利用できません

 

南葉亭

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野菜がたっぷり入った、美味しいスープカレーのお店。スパイスがしっかり効いているので、鼻の通りが良くなる。辛さは1辛~88辛まで選べるけど、5辛の時点でそこそこ辛いぞ。久留和海岸からは徒歩5分。周辺のお散歩中にお腹が空いたら是非。

 

しらす 紋四郎丸

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秋谷にあるしらす直売所。細めの道を通るので、車で行くよりも歩きがオススメ。フクフクに炊きあげられた釜揚げしらすは絶品。アツアツの白いご飯に乗っけて、ちょっと醤油をかけて食べる生しらすも絶品。あと佃煮も好き。たたみ干しも旨い。食べたくなってきた。

 

THE FIVE BEANS

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葉山御用邸の近くのコーヒーショップ。南米を中心に世界中から取り寄せたコーヒー豆を自家焙煎しており、お店の中は常によい匂いがする。どんなコーヒーを買えばいいか分からない人は店主の森嵜さんに相談してみよう。あなたにピッタリの豆をオススメしてくれるぞ!

 

<寒川響のプレイリスト>
個人的に久留和を想起する音楽を選びました。海の歌が多めです。


著者:寒川響(空中カメラ)

寒川響

ポップバンド「空中カメラ」のギター担当。自らのバンドのミュージックビデオやCMの制作を中心に、映像作家としても活動している。現在は逗子市に在住。

Twitter:@bikkykuchucam

 「街と音楽」過去の記事

suumo.jp

編集:日向コイケ(Huuuu)