まどろみ落ちつくお花茶屋【銀座に住むのはまだ早い 第8回 葛飾区】

著: 小野寺史宜 

家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。

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 葛飾区のことは、知っているようで知らない。

 亀有や柴又や金町や青砥といった町があることは知っているが、どの町にも行ったことはない。例えば青砥は駅名のみ青砥で地名としては青戸だということは最近知ったくらいだ。

 区の全体像もうまくつかめてはいない。JRの小岩駅は江戸川区だからと油断していると隣の新小岩駅は葛飾区だったりする。なのにその隣の平井駅はまた江戸川区だったりもする。

 ということで地図を見たら、案外わかりやすかった。江戸川区のがっつり北が葛飾区なのだ。東から順に江戸川と中川と荒川が流れているのも同じ。

 で、どの町にするか。

 今回はもう名前で決めた。お花茶屋。まさにその名前を知っていただけ。ほかの情報は何一つ持ち合わせていなかった。にもかかわらず、即決。惹かれた。

 だって、そうだ。どこに住んでるの? お花茶屋。言いたくなる。自分のいないところで、あいつお花茶屋に住んでるらしいよ、と言われたら、何かちょっとうれしい。

 ちなみに、京成本線の西隣駅は堀切菖蒲園。こちらもまた魅力的だが、堀切というのが地名なのだろうとの推測ぐらいはできる。お花茶屋は、その推測すらさせない。何、どういうこと? としか思わせない。

 ここで言ってしまうと。お花茶屋は、駅名だけではない。ちゃんと地名にもなっている。葛飾区お花茶屋。1丁目から3丁目まである。

 由来はこうらしい。江戸幕府8代将軍徳川吉宗が鷹狩りをしていたときに腹痛を起こした。が、茶屋の娘お花の看病により快復した。だから、お花茶屋。すごい。何すか、その決め方。

 ということは、万が一僕が首相にでもなり、腹痛に見舞われたところをカフェの佳織さんにたすけられたとしたら、将来的にそこの地名が、葛飾区佳織カフェ、になる可能性もあるということだ。夢は広がる。

 管理費・共益費込みで家賃5万円のワンルーム。いつもの条件で検索したら、何と、150件以上ヒット。初めて余裕が出た。選べる! と思った。それだけでもうこの町が愛しい。

 駅から徒歩7分、4.7畳で家賃4万9千円という新築に近い物件を選び、町の探索を開始。

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 僕はできれば1日1時間歩きたい。だから散歩のコース設定は大事。で、こちら葛飾区、となれば、その次には当然、亀有、という言葉が出てくる。まずはその亀有に向かう。

 徳川吉宗とお花を感じながら歩く。ここまで徳川吉宗を身近な存在として意識するのは初めてだ。僕もお腹は決して強くないからやや不安。痛くなったらお花や佳織は現れてくれるのか。

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 今回も、探索する範囲に川はない。

 かつては曳舟川というものがあったらしい。

 それが現在、ここ葛飾区では曳舟川親水公園となっている。

 区のホームページによれば。曳舟川の面影を残し、水をテーマとして整備された南北延長約3キロの公園とのこと。亀有から、お花茶屋と隣接する白鳥を通って四ツ木まで続くそうだ。

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 前回の豊島区編でも同じような緑道があった。そちらは暗渠の下水道幹線となったが、こちらは埋め立てられたらしい。

 せめて水感は残そうと、緑道や親水公園にする例は多いようだ。実際、こうして東京を歩いていると、各地に緑道や親水公園と名の付くものがあることに気づく。

 そこを30分弱歩いて亀有駅へ。そしてせっかくなので駅の向こうにある亀有公園へ。

 駅前。公園。いたるところに銅像の両津勘吉氏がいた。

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 僕はあまり漫画を読まなかったが、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』は中学生のころによく読んだ。

 こち亀は全200巻。すさまじい。僕も『みつばの郵便屋さん』というシリーズの小説を書かせてもらっているが、6巻でふうふう言っている。約10年で6巻だから、200巻出させてもらうには約330年かかる。

 考えてみたら、葛飾区には、200巻の亀有の両さんのほか、全50作となった柴又の寅さんもいる。強い。

 両さんに別れを告げ、通りを戻る。今度はお花茶屋の手前にある上千葉砂原公園へ。

 前回豊島区編の千早フラワー公園にあった都営線車両に関して、蒸気機関車のD51だったりしないところが絶妙、と書いたが、今回はそのD51が登場した。園内に展示されているのだ。そして運転台にまで入れた。

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 鉄道といえば、小学生のときに流行ったNゲージを思いだす。

 レールの間隔は9㎜、リアルな鉄道模型だ。電気で走らせることもできる。

 僕も買った。で、レールを陸上競技のトラックのようにつなげて電車をぐるぐる走らせた。で、飽きた。

 Nゲージは立派な趣味だ。突きつめれば、たぶん、すごく楽しい。が、僕は無理をしてしまった。自然と好きになったのではなく、好きになりにいってしまった。流行りものに乗っても満足などできないことを、そこで悟った。

 ほかにも、何らかのカード集めだとかの小学生らしい流行りものはたくさんあった。それらにも乗りきれなかったのに、Nゲージにも乗ってしまった。なけなしのお年玉まではたいてしまった。

 何かを好きになるならちゃんと自分で好きになれよ。10代に入りたての若き僕はそんなことを思った。

 50代に入ってしまった今の僕は、ちゃんと自分で豆腐やもずく酢や夜やセロニアス・モンクのソロピアノを好きになっている。悪くない。のか?

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 公園をあとにして、お花茶屋の住宅地を歩く。

 町を知るなら一方通行路を歩くべし。そこにこそ町の匂いは漂う。また意外と歩きやすかったりもするのだ。片方から来る車だけに注意していればいいから。

 そしてお花茶屋公園にたどり着く。

 チャンス! と思う。何チャンス? ブランコチャンス。

 この企画のどこかで乗ってやろうと狙っていたのだ。探索中に各公園で何度も見かけ、そういや何十年乗ってないだろう、と思ってもいたので。

 オーバーフィフティブランコ・アット・お花茶屋パーク。いい。

 ちょうど空いていたブランコに座り、まずは、ベンチ代わりに座っただけですよ、という無駄演技を披露。その後、座ったからには漕いでみようか、というさらなる無駄演技を経て、実際に漕ぐ。結構漕ぐ。勢いよく。そのまま前に放り出されるんじゃないか、というくらいに。

 ガキのころから、僕はブランコに酔っていた。陶酔、の酔いではない。乗物酔い、の酔い。いざ乗ってみたら今もやはり酔いそうなので、早めに終了。

 でも、自分が動くことで生まれるブランコ漕ぎ特有の風を頰に感じられて楽しかった。次はどこかの区で立ち漕ぎに挑むのも悪くない。

 50すぎのおっさんが公園でブランコを立ち漕ぎ。さすがにヤバいかもしれない。不審者、や、職質、といった言葉が頭に浮かぶ。職質されたら何と答えよう。どうしても立って漕ぎたかったのです、かな。

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 ブランコのあとはお昼。公園のすぐ近くにあるキッチンポパイさんでご飯。

 お昼のサービスランチ、牛肉のステーキ、を頂く。普段肉をほとんど食べない僕にしては珍しい。自分でステーキを頼んだのは、おそらく初めて。もちろん、おいしかった。

 さあ、探索を再開。いきなりポンと現れたお花茶屋図書館に寄る。

 僕の本の所蔵は4冊。2冊は姿が見えなかった。借りられていたのならうれしい。もう少し言えば、お花茶屋図書館という名前の図書館に自分の本が置かれていること自体がうれしい。

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 図書館を出ると、物件がある場所へ。

 そこは穏やかとしか言いようがない住宅地。これまでで最も静か、との印象さえある。刺激はないが、その代わり落ちついて過ごせそうだ。

 また一方通行路を歩き、お花茶屋の端まで行ったら通りをかえて、戻ってくる。

 道のずっと先、彼方に東京スカイツリーが見えることにふと気づく。

 墨田区編で見えたのはわかるが、ここでも見えるのか。まさにランドマーク。まだ上ったことはないが、あれはこんなふうに遠くから眺めるものなのかもな、とあらためて思う。そういえば、『まち』という小説にもそんなことを書いた。

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 駅の近くのBeBeさんに入る。

 コーヒーを頼むつもりが、メニュー表にあった手書き文字、バンホーテンココア、にそそられる。甘くはないですし生クリームなしにもできますよ、とお店のかたが言ってくださるので、お願いした。ブランコばりに久しぶりのココア。おいしかった。昔母が入れてくれたそれを思いだした。

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 ここお花茶屋には、自作『片見里荒川コネクション』の牛島しのいが住んでいる。しのいさんは、お金を取りに来た振り込め詐欺の受け子にお茶とお菓子を出してしまう人のいいおばあちゃんだ。この穏やかな町に、本当に住んでいそうな気がする。

 亀有とちがい、駅前にはロータリーがない。喧噪もない。

 いい意味でまどろめる町、お花茶屋。

 住める。


『銀座に住むのはまだ早い』第9回は「品川区」へ。7月末更新予定です!



過去の記事

suumo.jp

著者:小野寺史宜(おのでら・ふみのり)

千葉県生まれ。2006年、『裏へ走り蹴り込め』でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。『ひと』で2019年本屋大賞2位を受賞。著書は『ひりつく夜の音』、『縁』、『食っちゃ寝て書いて』など多数。エッセイ集『わたしの好きな街』(監修:SUUMOタウン編集部)では銀座について執筆した。

写真提供:著者

編集:天野 潤平