きっかけさえあればお客さんは来る。「人が全然いない」商店街に活気が戻り始めるまで/荒川区東尾久・はっぴーもーる熊野前商店街「こひきや」朝倉脩登さん【商店街の住人たち】

インタビューと文章: 小野洋平(やじろべえ) 写真:小野 奈那子 

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長年、そこに住む人々の暮らしを支えてきた商店街。そんな商店街に店を構える人たちにもまた、それぞれの暮らしや人生がある。
街の移り変わりを眺めてきた商店街の長老。さびれてしまった商店街に活気を呼び戻すべく奮闘する若手。違う土地からやってきて、商店街に新しい風を吹かせる夫婦。
商店街で生きる一人ひとりに、それぞれのドラマがあるはず。本連載では、“商店街の住人”の暮らしや人生に密着するとともに、街への想いを紐解いていく。

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東京都荒川区の「はっぴいもーる熊野前商店街(以下:熊野前商店街)」。その起源は大正時代初期。かつての尾久村(現東京都荒川区)に存在した「熊野神社(※)」に由来し、神社前の農道にあった数店から始まった。昭和の高度経済成長には近隣の町工場で働く労働者と、その家族の暮らしを支える商店街として発展。昭和43年、隅田川に尾久橋が、昭和54年に荒川に扇大橋が架かると、足立区と台東区を結ぶ「尾久橋通り」は荒川区の動脈路となり、街はさらに活気付いていった。

しかし、時代が進むにつれて商店街は衰退。“私たちがお店をオープンしたころは、シャッター商店街でしたよ”そう語るのは、熊野前商店街でカフェを営む朝倉脩登さん(45歳)。朝倉さんはゲーム会社を辞め、2015年に「こひきや」をオープンさせた。

広島出身の朝倉さんが、なぜこの場所を選んだのか? 火が消えかかった商店街で、いかにして生き残ってきたのか。

※熊野神社は、1878(明治11)年に尾久八幡神社に合祀されている

20年住んだ吉祥寺から荒川区へ。下町文化に衝撃を受ける

―― 朝倉さんは広島出身とのことですが、いつ上京されたのでしょうか?

朝倉脩登さん(以下、朝倉):大学進学のタイミングで上京してきました。最初に住んだのは、キャンパスがあった吉祥寺ですね。その後も、なんだかんだと吉祥寺・三鷹界隈に合計20年くらい住んでいました。

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「こひきや」オーナーの朝倉脩登さん

―― 20年も。よほど暮らしやすかったんですね。

朝倉:吉祥寺って広島に似ている気がするんです。どちらも繁華街にアーケード商店街があって、少し離れると畑が広がっている。東京には都会のイメージしかなかったので、畑に大根やネギが生えているのを見たときは驚きました。

―― 現在は東京の荒川区にお住まいですが、東京の西と東で違いを感じますか?

朝倉:文化や雰囲気はかなり違いますね。東側は土着のお店が多く、より生活感があるなと。例えば、練り物屋さんや駄菓子屋さんのような、昔ながらのお店が多いように感じます。

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地域住民の世間話に花が咲く熊野前商店街

朝倉:あと、人との距離感がものすごく近い。引越して間もないころに子どもと公園に行ったら、いつの間にか違う子と遊んでいたり、知らないおばちゃんに抱っこされていました。かと思えば、アメを配り歩くおじいちゃんもいたりして。いわゆる下町文化みたいなものが自然な形で残っていて、僕にとってはセンセーショナルでしたね。でも、そういう少し田舎っぽいというか、飾らないところがいいなと思いました。

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ゲーム会社の管理職からカフェ経営という大胆な転身

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「natural cafeこひきや」。名前は粉を引く「こひき」と陶芸用語の「こびき」に由来

―― 2015年にお店を始めるまで飲食未経験だったそうですね? それまでは、どんなお仕事を?

朝倉:大学卒業後は広告代理店に6年ほど勤め、その後はゲーム会社に転職しました。いくつか会社を転々としながら、38歳までゲーム業界にいましたね。最終的には、ゲームプロデューサーや管理職という立場でした。

―― そこから、まったく違う畑の飲食業、しかも自身で経営する方向に舵を切った。

朝倉:はい。ゲーム業界も面白かったんですけど、お客さんの反応をもっとダイレクトに感じられる仕事をしたいという思いが膨らんでいきました。飲食を選んだのは料理が趣味だったことと、そのころに長女が生まれて「食育」に関心を抱くようになったこと。娘のためにも、食を突き詰めていきたいと思ったんです。

不思議と不安などは全くなくて。とにかくやってみよう!と、ものすごいアドレナリンが出ていたような気がします。当初、妻には反対されましたが、最終的には認めてくれたうえ、「自分も一緒にやる」と言ってくれました。

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朝倉夫妻。妻は自身が飲食店に勤めていた経験からその厳しさも感じており、反対だった。ただ、やると決めたからには「(経験者である)私がなんとかしないと」と腹を括ったそう

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看板メニューはうどん。香川で講習を受け、地元のお客さんに受け入れられるように出汁やうどんの太さ、長さなどを研究したそう。写真はリピート率が高い「ピリ辛&濃厚 豆乳坦々うどん」

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大学で陶芸を専攻していた奥さんがつくる小皿をお店で使用している

「シャッター商店街」に見出した勝機

―― なぜ、この場所(熊野前商店街)を選んだのでしょうか?

朝倉:開店を決めた後は「退路」を断つために三鷹の家を売却し、荒川区にある妻の実家に住まわせてもらいました。お店を出すなら同じ区内でと思い、探し回っていたところ、熊野前商店街に行き着いたんです。道路幅が広く、空の抜け感がとても気持ち良い場所で。ロケーションが抜群だなと。

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―― 商店街だから、それなりに人通りもありましたか?

朝倉:いや、それが全く(なかった)。当時はまさに「シャッター通り商店街」という雰囲気で、人通りも少なかったです。ただ、人口分布のデータを調べてみたら、この地域は過去5年で10%も人口が増えていたんです。たくさんのマンションが建ち、子育て世代が移住し始めていたんですよ。それで、これからここはファミリーでにぎわう街になるだろうし、十分にやっていけるなと思いました。

―― 現に、今では街中に親子連れが目立ちます。予想がズバリ的中しましたね。

朝倉:このあたりは暮らしやすいこともあって、あれから5年が経った今も人口は増え続けているようです。

―― 人口が増えるにつれ商店街の活気も戻ってきた感じですかね。今日は縁日ということもあって、屋台が出るなどにぎわっています。

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縁日(五十日)には多くの屋台が出る。朝倉夫婦のオススメは餡餅(シャーピン)

朝倉:でも、昔はもっとすごかったみたいです。妻が子どものころは、商店街の端から端まで屋台がびっしりだったようですから。コロナ禍ということもありますが、今では屋台の数も人出も半分以下になっています。

―― 商店街のお店の数自体も激減してしまったそうですね。駅にも近くて立地は悪くないのに、なぜそんなことになってしまうのでしょうか?

朝倉:一つは、お店の入れ替えが少ないこと。店舗と住居が一体になっている建物が多いので、自分が商売をやめた後に他の人へ貸しづらいのだと思います。自分や家族はそのまま2階に住んで1階を誰かに貸すとしたら、入口を別々にするなどの工事も必要になってきますからね。

―― それは面倒だしコストもかかる。結果、シャッターを降ろしたままの店舗が増えていったと。

朝倉:そう思います。実際、私たちも(入居を)断られたりしました。ただ、最終的には夫婦ともに気に入った物件に巡り合えた。1年半くらい空き店舗だったみたいなんですけど、元は八百屋だったので入口が開けていたんです。ここに新しく壁をつくれば、窓の大きさなんかも自由に決められる。お店の窓を大きくしたいという、妻の希望もかなえられると思いました。

ただ、やっぱり人影は全くなかったですけどね。このお店の工事に入った時、近所のおじいさんが話しかけてきて「カフェなんてやめたほうがいい。人が全然いないんだから、すぐ潰れるよ」って言われました(笑)。

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入口付近には奥さんが希望した、陽の光がたくさん入る大きな窓

「街に人はいる」を証明。約4500人を集めたヨガフェス

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―― 朝倉さんは商店街でイベントやフリーマーケットなんかも仕掛けていますよね。それはやはり、商店街全体を盛り上げたいという思いからですか?

朝倉:正直、最初からそうした思いがあったわけではないんです。でも、商店街組合に入り、集まりに顔を出すようになって少しずつ気持ちが変わっていきました。どのお店の人たちも熊野前商店街が大好きで、シャッター商店街になっていくことへの寂しさも感じている。でも、だからといってどうしていいかは分からないわけです。

―― 後継者もいない、でも、他人に貸すのも抵抗があると。

朝倉:そうですね。「こんなきつい仕事を、子や孫に継がすわけにはいかない」「だからといって他人に貸すのは嫌だ」など、商店街がなくなっていく前提でものを考えている人が多かったです。これだけ人気のない通りをずっと目にしていれば、無理もないんですけどね。

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ただ、その時に思ったんです。本当は人がいないんじゃなくて、“来なくなっただけ”なんじゃないかって。だから、まずはそれを証明しようと思い、集客のためのイベントを始めたんです。

―― 特に盛り上がったイベントは何ですか?

朝倉:ヨガフェスですね。商店街にあるヨガスタジオ「Chacra」オーナーの斎藤先生が「青空の下、商店街でヨガをやりたい」と提案してくれたんです。じゃあ、イベントにしようということで、Chacraに通うママさんや私たちのような近隣店舗が集まり、企画を練っていきました。初年度は地元の方々がメインでしたが、続けていくうちに遠方からのお客さんも増えてきて、2019年には約4500人も集まりましたよ。

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近隣住人の協力を仰ぎ、朝6時から20人体制でチラシ配り作戦を実行したそう

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商店街の道路を活用したストリートヨガの実施や、フリーマーケット等を開催(写真提供:朝倉脩登さん)

―― 地元の人を巻き込むことができたり、快く協力してもらえるのも商店街ならではという感じがしますね。

朝倉:そうですね。予算がなくても地元と商店街がしっかりと組めば、これだけの人を集められるんだと実感しました。有名人を呼ぶわけでもなく、熊野前商店街のイベントの主役はあくまで地元の人たちです。このことが評価され、2019年には「東京商店街グランプリ」を獲得することもできました。

―― すごい! 商店街組合の人たちの見る目も変わったのでは?

朝倉:みなさん、びっくりしていましたね。まさか「ヨガ」で人が集まるなんて思っていなかったでしょうから。理事長にとってもグランプリは花形だったようで「港区よりも上だ!」って喜んでいましたよ(笑)。このあたりから信頼関係が生まれ、お互いに協力し合えるようになりましたね。組合の新年会も私たちの店でやってくれるようになって、少しは認めてくれたのかなって。

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「瀬田生花店」を営む商店街組合理事長と

熊野前商店街でお店をやりたい人を増やす

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―― これから先、商店街が残り続けるために必要なことは何だと思いますか?

朝倉:お客さんの課題を、どれだけ解決できるかが大事だと思います。例えば、洋服を買いたいとき、今は商店街のブティックよりもユニクロに足を運ぶ人が多いですよね。それは値段、デザイン、機能性など、お客さんにとって何らかの課題を解決してくれるのがそっちだから。

これに対抗するには、僕たちも地元の人たちが「何に困っているのか?」を徹底的に考える必要があると思います。飲食店なら単に味を磨くだけでなく、みんなが「どんなお店があってほしい」と思っているかを深掘りすること。うちでいえば、「家族で気軽に外食できる場所がほしい」「子ども用の椅子があるといい」といった声を拾い、課題を解決しています。

―― 地域の声を聞き課題を解決することは、そのまま商店街の特色につながっていきますよね。

朝倉:それぞれのお店が地域の声を聞けば、おのずとつくるべき商品、コンテンツがハッキリしてくる。いつでもどこでも商品が買える今の時代に、「うちはこれ一筋で売っているから、このままでいい」では、なかなか通用しないように思います。

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朝倉さんが尊敬するシフォンケーキ専門店「ラ メゾン ドゥ アンジェ」のオーナーさんと談笑

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いつも利用している「大和水産」。この日も干物を購入

―― 商店街の他のお店の方と、そういう話をすることはありますか?

朝倉:今はできていませんね。ただ、イベントによって「街に人がいる」ことは証明できました。次のステップとして、「お客さんの困りごとを解決しませんか?」と提案していくのもいいかなと思います。そうやって個々のお店が元気になっていけば、新しい取り組みにも目を向けてもらいやすいですしね。例えば、「熊野前」という名前にちなんで、クマのキャラクターをつくるとか、いいかもしれません。

―― そのキャラクターを全商店が使えるようにするとか。

朝倉:そうですね。「はっぴいもーる」っていう名前もユルくて響きがかわいいので、クマのマスコットと相性がいいと思います。そう考えると、ブランディングがしやすい商店街なんですよね。商店街をうまくブランディングし、各店舗がそれに合わせたコンテンツをそろえる。いま、コロナ禍でなかなかイベントはできませんが、そのぶん余った時間でいろんな準備ができるんじゃないかと。

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―― そこは朝倉さんの広告代理店やゲーム業界でのキャリアが生かせそうですね。

朝倉:はい。今考えているのは、商店街の人たちが共通して使える「プロモーションツール」をつくって提供できないかということ。各店舗がウェブサイトやSNSを始めたり、お店のグッズをつくる時に、自由に使えるロゴやフォント、さらには販促のためのマニュアルみたいなものがあったらいいんじゃないかと。商店街の会費や補助金をうまく使って、新しい価値を生み出せないかと思っています。今まさに、理事長と具体的な話し合いをしているところですね。

―― 商店街に統一感も生まれるし、新しく入ってくる人も馴染みやすいですね。

朝倉:今の時代、個店で勝負するのはなかなか厳しい。そんななか、みんなで同じ方向を向いて助け合えるのは、商店街にいる大きなメリットじゃないでしょうか。ただ、そんな商店街の強みを生かすためには、やはり「熊野前商店街で商売をやりたい」と思う人をもっと増やさないといけない。先ほどのプロモーションツールもそうですが、区と連携して商店街独自の開業資金支援金制度を設けるとか、空き店舗を使って月一回くらいお試しで商売できる仕組みをつくるとか、開業のハードルを下げる取り組みが必要だと思います。

―― 新しいお店も増えているんですか?

朝倉:少しずつ増えていますよ。ちなみに2017年にオープンした、隣の「やさしいパン ぜん」とは、お互いにお客様が行き来しており、とても良い関係ですね。このような商店街に人が集まるお店が増えれば、お店をやってみたいという方が来てくれるかもしれません。

―― お話を伺って、朝倉さんの熊野前商店街に対する思いが存分に伝わってきました。ここに来てわずか5年とは思えないくらい……。

朝倉:ここで商売をやらせてもらう以上、地域に貢献したいですから。それに、熊野前商店街にはそうするだけの価値やポテンシャルがあると思っています。自分のお店だけでなく商店街全体を盛り上げて、かつての活気を取り戻したいですね。

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はっぴいもーる熊野前商店街
hottami.web.fc2.com


著者: 小野洋平(やじろべえ)

 小野洋平(やじろべえ)

1991年生まれ。編集プロダクション「やじろべえ」所属。服飾大学を出るも服がつくれず、ライター・編集者を志す。自身のサイト、小野便利屋も運営。Twitter:@onoberkon 50歳までにしたい100のコト

編集:榎並 紀行(やじろべえ)