私たちを家族にしてくれた街、糀谷|文・キリコ

著: キリコ
 ここは東京都大田区・蒲田エリアにある糀谷という街。羽田空港まで京急空港線で9分。東京城南の最も南に位置する。
 この街で過ごしてきた私たち家族の5年間を、ここに記そうと思う。

糀谷と私たち夫婦の出会い

 入籍を経て夫婦となった私たちは、新居を探していた。
 夫は出張の多い仕事をしており、私はリモートワークがメインの仕事。となると、必然的に夫の出張を考慮した場所に住もうということになる。羽田へも品川へも出やすい、京急・蒲田エリアに目をつけた。
 そうしていくつか内見をするうちに出会ったのがこの街、糀谷だった。


 第一印象は綺麗な駅と、開放感のある駅前広場。
 不動産会社の営業マンの先導で、物件までの道を進む。駅の南北に広がる賑やかな商店街が、私たちの心を一気に躍らせる。


 物件は駅から南、多摩川沿いにあるマンションだった。新築の南向き、三階建て。リビングのドアを開けると、日の光と共に野球少年たちの健やかな声が届く。
 暮らしが、一瞬でイメージできた。

 家賃相場や同じような利便性で考えると、たとえば川崎や大森なんかでも良かったのかもしれない。それでも強烈にこの街に惹かれたのだ。いや、惚れたと言ってもいいかもしれない。内見に来た日に土手で撮った一枚を見返したら、そんな表情をしていた。

「家族」へのコンプレックス

 ここで少し私の生い立ちを話しておきたい。
 30年前に沖縄で生まれた私は、思春期のほとんどをあの小さな島で過ごした。
 父は横浜に生まれ育ち、母の故郷である沖縄へ移住した。沖縄特有の強い親戚付き合いを好む県民性が肌に合わなかった父。両親の仲は年を増すごとに悪くなっていった。
 長女の私が最も多感だった中学一年生の頃、ついに別居に至る。4人兄弟だった私たちは、各々ついて行きたい方へついて行く形で、家族は完全に二分されてしまった。
 苦悩する父親も、苦労する母親も、翻弄(ほんろう)される兄弟たちも、たくさん目の当たりにしてきた。「幸せな家族」へのコンプレックスが強く、「家庭」の一員となることにずっと漠然とした不安を抱えていた。
 結婚し、子どもが産まれてからも、それは続いた。

繰り返す生活と東西南北に広がる商店街

 私は昔から商店街への憧れが強かった。街のみんなの生活の中心にある商店街。東京のすべての商店街を制覇したいとすら思っている時期もあり、人より少し商店街に詳しいと自負している。
 そんな商店街好きの私が見ても、糀谷の商店街はほんとうに魅力的だ。
 前述した通り、糀谷には駅を挟んで南北、さらに南エリアには東西にまで商店街が広がっている。どちらも飲食店から商店、個人クリニックなどがぎゅうぎゅうに連なっており、朝から晩まで活気も熱気もムンムンである。
 これまた商店街好きの心をくすぐるのだが、北に広がるのはおいで通り糀谷商店街、南には糀谷商店街、東西に広がるのは萩中商店街という名前のそれぞれまったく別の商店街がクロスしているというややこしさ。萩中商店街は萩中商店街だけで毎年音楽イベントを開催したりと、なんだか違った雰囲気を纏(まと)っているのも好きなポイントだ。


糀谷商店街と萩中商店街のクロス地点

 私たち夫婦は越して来てしばらく、商店街の開拓に夢中になった。
 あそことあそこのケーキ屋はどっちのほうが美味しいのか、あのクリーニング屋は水曜に出すと安い、あの角にあった店が閉店したけど次は何の店が入るのだろうか……。そうやってたくさんの小さな楽しみを作っていった。
 ああなんだか、夫婦っぽい。とても夫婦っぽい。
 私たちのお気に入りは、焼き鳥屋山ちゃん、四川餃子房、肉のハナマサ、ミスタードーナツだ。
 焼き鳥屋は知る限り4店舗もあるのだが、中でも「山ちゃん」をオススメしたい。年季の入ったお世辞にも綺麗とは言えない外観に、いかにもな店主のおじちゃんがしっくり来る。注文を受けてから焼き始める焼き鳥はなんと一本80円で当時はこの街最安。タレは生姜ベースで、価格に見合わないほど深くて美味い。家族全員ここの焼き鳥が大好物だ。

 餃子の街・蒲田のお膝元だけあって、餃子屋・中華屋がとても多い。基本的にどこもクオリティが高いのだが、ナンバーワンを選ぶとしたらここ、四川餃子房だ。餃子ももちろん美味しいが、我が家でリピート率が高いのはピータン豆腐、カニチャーハン、麻婆豆腐だ。デザートには胡麻団子をオススメしたいので、少し胃の余力を残しておくべきだろう。

 肉のハナマサをご存知の方は多いと思うが、一言で言うならばお肉の業務スーパー……いや、お肉のテーマパークといったところだろうか。下味をつけて冷凍するためのお肉のまとめ買い、ちょっと特別な日にステーキ肉を買いに、今日は肉の日で安いから、などなど。店内のワクワク感を味わいに、何かと理由をつけて足を運んでしまう。

 それからミスタードーナツ。「街の幸福度」を左右する指標があるとするならば、ミスドがあるか否かは間違いなく重要項目だと思う。選ぶ楽しさ、持って帰った先にいる人の嬉しそうな表情。あまりにも手軽に得られる幸福なのに、毎度きちんと胸が躍る。

 駅で降りて商店街を抜け、多摩川へ向かう。ときどき「商店街でなにか買って帰る?」と連絡を入れる日もある。何度も何度も繰り返すこの生活に、いつだって飽きが来ない。

娘と多摩川緑地

 私たちがこの街に住み始めて程なくした頃、最愛の娘が誕生した。
 娘の成長に多摩川緑地とその土手はとにかく欠かせなかった。
 芝生で歩く練習をし、土手の階段を何往復も上るのに付き合い、散歩中の犬や寝そべる猫に声をかけ、晴れた日にはテントを張ってピクニックをする。


 羽田まですぐなだけあって、土手からは離陸する飛行機がよく見える。「あー!」「あ、ひこーち!」「お母さん見て飛行機ー!」。5年住んだ今も、娘は丁寧に指を差して教えてくれる。


 私と夫はそれぞれたまに、娘の保育園へお迎えに行ったあと、スーパーに寄ってジュースを買い、土手の階段に座って娘と一対一で話をする。
 娘はきっと、私とふたりの時、夫とふたりの時、それぞれ別の表情をして、別のおしゃべりをするのだろう。
 娘越しに広がる川と青い芝生の美しさは、なんだか娘のこれからの人生を象徴しているような気すらしてくる。好きに生きていい。それでもどうか少しでも豊かで、なるべく傷つけられることのない人生を歩んでほしい。夕陽に照らされた彼女の頬に輝く黄金のうぶ毛を眺めながらそんなことばかりを願うのだから、私はいつの間にかきっと、この子の親になれたのかもしれない。


 多摩川はいつだって私たちに穏やかな時間をくれる。娘との時間も、することのない休日も、少しだけ息が苦しい日も、何度も何度もこの多摩川に救われた。
 いつもそこに居る安心感。私たちがゆっくりと家族になる時間を、側でそっと見守り続けてくれて、本当にありがとう。

さようなら、また会おうね

 現在、都外への移住を検討しているので、もうすぐさよならをすることになる糀谷の街。振り返れば紛れもなく、この街が私たちを夫婦にしてくれたし、家族にしてくれた。
 娘が大きくなったらいつかまたこの街で電車を降りて、手を繋ぎ歩くのが、夫と私の密かな夢である。焼き鳥屋の山ちゃんはまだあるだろうか。娘は飛行機が飛んでいることを教えてくれるだろうか。今はただその日を楽しみに。

著者:キリコ

キリコ

1993年、沖縄生まれ。フリーランスのデザイナー。ザ・ファブルにハマってます。

編集:岡本尚之