サッカーと音楽愛が溢れる、人情の街「北浦和」|文・石毛輝 (the telephones / Yap!!!)

著: 石毛輝 (the telephones / Yap!!!)


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みなさま初めまして。石毛輝と申します。私は1984年生まれ、さいたま市出身のミュージシャンです。the telephonesとYap!!!というバンドをやっています。他にもソロ名義での活動や楽曲提供やプロデュース、DJなど音楽にまつわる仕事をしています。

このエッセイでは僕が思う「北浦和の魅力」を、食べてきたものや思い出の場所を交えてみなさまにお伝え出来ればなと思います。駄文ですがお付き合い下さいませ。


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サッカー好きにはたまらないエリア

私は針ケ谷小学校、そしてさいたま市立(当時は浦和市立)大原中学校の出身です。なので、どちらかと言えば与野駅寄りのエリアなのですが、北浦和には飲食店やカラオケなど遊ぶ場所もたくさんあるのでしょっちゅう行っていました。後述しますが、私がデビューするきっかけになったライブハウスも北浦和にありました。

そしてわれらが浦和レッズの元本拠地の駒場スタジアム(今でもちょいちょい試合はあります)も近いです。この街にいると、レッズサポーターの方をよく見かけます。僕もレッズサポーターでちょいちょい試合を観に行きますが、ここまでサッカーで一つになれる町は日本屈指だと思います。

レッズが優勝した時なんか、凄い盛り上がりです。日本三大祭りを超えてきます。髪の毛を赤く染める人がグッと増えますし、北浦和を歩くだけで自分を誇りに思えるようになります。

レッズサポはもちろん、隣の大宮にはもちろんアルディージャがいますし、サッカーが好きな人でしたら住んだらとても楽しい街だと思います。

僕のバイト先で人生を変えたライブハウス「北浦和KYARA」

さて、こっからは自分にとってとても大切なライブハウスの話をさせて下さい。僕は17歳から「北浦和KYARA」というライブハウス(現在は閉店中)で働いていました。the telephonesを結成した場所ですし、ここで出会った仲間達のおかげでデビュー出来たのだと思います。

その時からの付き合いのRIDDLEというバンドのタカヒロを始め、スタッフの90%はバンドマンでした。今では考えられないくらいめちゃくちゃ生意気だった僕を暖かく迎えてくれて、嬉しかった記憶があります。KYARAでたくさんのライブを観て体験する機会に恵まれました。

第一線で活躍している日本のバンドや、中々観ることが出来ない海外のバンドを、100人ちょっとのキャパシティの迫力あるリアルな空間で観る事が出来て本当に良かったなと思います。その経験がthe telephonesに絶対活きてますし、KYARAで働いていなければデビューも出来なかったと思います。

バンドマンたちに愛された地元のラーメン

んで、KYARAで働いていた時に皆でよく行っていたラーメン屋があります。北浦和はラーメン激戦区というか美味しいラーメン屋さんがたくさんあるので、ラーメン好きにとっては天国な街です。

「金魚」「かねかつ」「呉田」そして筆者的全国町中華TOP5に入る「喜久」。まだまだ他にもたくさんのお店があります。最高です。

ちょいと話が逸れました。はい、では筆者が北浦和KYARAで働いていた頃1番よく行ったラーメン屋をお伝えします。その名も「百歩ラーメン」です。

うぉー! きたー! KYARAでの仕事終わりやライブ前に数えきれないくらい行ったと思います。てか、今も北浦和へ行く時は食べてます。

ジャンルとしては豚骨ラーメンになると思います。個人的には博多や長浜のそれと違って、豚骨臭いと言うよりは、もっとライトというかそれでいてコクがある。要はクソうまいって事です。ネギがお代わりし放題、しかも白ネギというのもポイントです。大好きです。はぁ、早く行きたいディスコ。

KYARAで働いていた時のオススメご飯としては、惜しむらくは閉店してしまった浦和橋近くの「どんぶりヤ丼」も紹介したかったです。もう一度、あのストロガノフ丼が食べたい。あぁぁぁぁぁ!

北浦和のソウルフードといえば「娘々」

さて、引き続き北浦和の好きな飲食店について語っていきましょうか。

まずは何と言っても県内屈指の進学校、浦和高校の近くに構える「娘々(にゃんにゃん)」じゃないでしょうか?

また麺で申し訳ない。あのとろみのある餡がかかったスタミナラーメンやスタカレーは地元の人はほぼほぼ味わったことがあるはず。時折思い出して無性に食べたくなるあの味は「北浦和のソウルフード」と言っても過言ではない気がします。

余談ですが、この「娘々」埼玉県の各地にも店舗やグループ店があります。それぞれの地域に住んでいる友人は「うちの地域の娘々(娘娘表記のところもあります)が一番美味しい!」と誇りに思っているので、休日は各店舗食べ歩きなんてのも楽しいかもしれませんね。

自然も美術館も大充実、北浦和エアーズも

さて、そろそろ食べ物以外の紹介もしたい所ですよね。住む街にあったら嬉しいものってありますよね。その中に「自然」が入っている人は多いと思います。

はい、われらが北浦和には「北浦和公園」があります。ここはthe telephonesでMV撮影もした、公私共に思い出の場所です。大きな噴水もあり、親子連れの家族にも人気。僕も子どもの頃からよく遊びに来ました。また公園内には埼玉県立近代美術館があり芸術的感性も養うことが出来ます。

そしてその北浦和公園付近にはKYARAとは別のライブハウス、「北浦和エアーズ」があります。地元高校生バンドの利用はもちろん、エアーズ主催で夏と冬に10代限定のフェスティバルも行われていて、地域のシーンを活性化させています。何を隠そう筆者の人生初ライブ演奏は北浦和エアーズです。Hi-STANDARDやBRAHMAN、NIRVANAやThe Vinesのコピーバンドで出演させてもらいました。

「いや、そこはKYARAじゃないんかいー!」って突っ込まれそうですが、当時16歳(西暦2000年)の自分や周りはKYARAの存在を知らなかったのです。SNSが無い時代、2ちゃんねるにまだ誹謗中傷の嵐が吹き荒れる前、良質な情報ツールの時に「埼玉ライブハウススレ」みたいので知りました。多分。またもや余談ですが、当時はギターの情報も2ちゃんねるでよく仕入れてましたし、知ってる事に対しては返信もしていました(笑)。

ちなみに閉店してしまったのですが、the telephones結成当時によく使っていた北浦和駅西口線路沿いのリハーサルスタジオ「music studio STATION 北浦和店」も、エアーズの系列だったと思います。たくさんお世話になっております。

埼玉が誇る寿司チェーン「がってん寿司」で得たもの

さぁ、次は筆者の人生初のアルバイト先でもある「がってん寿司」というこだわり抜群、鮮度抜群が売りの回転寿司屋の話をさせて下さい。埼玉に本社を構えるチェーン店です。

僕が働いていた店舗はもう閉店してしまったのですが、16歳からここでだいぶ可愛がってもらい、お客さんにお寿司を握っていました。そう、がってん寿司は機械ではなく手で握っていたんです。ちゃんと職人さんに指導を受けて、テストに合格してから人前で握らせてもらってました。

さまざまなお客さんがいらっしゃいました。特に印象に残っているのは「浦和レッズ」の選手がいらっしゃった事ですね。それはそれはとても緊張しました。

がってん寿司は、僕にとって「社会」を初めて体験させてくれた場所でもあります。ここでお寿司を握れるようになったおかげで後々の未来が明るくなりました。

音楽関係の友人や先輩たちに腕を振るうことは割と日常的にあるのですが、「MUSICA」という雑誌(さいたま屈指の音楽フェスティバル「VIVA LA ROCK」を主催している雑誌でもあります)の企画であの大泉洋さんにも握らせて頂いた事があるのです!!!『水曜どうでしょう』ファンの筆者はガクブル緊張MAXでしたが、美味しいと言ってもらえて、天にも昇る気持ちでした。

音楽があふれる街


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さぁ次はエンタメを体験できる場所を紹介します。北浦和から2つほど大宮駅寄りに行くと、「さいたま新都心」という駅があります。

そこには「さいたまスーパーアリーナ」通称「たまアリ」がそびえたっています。たまアリでは以前the telephonesのワンマンを1回、自主イベントを1回開催しました。そして先述した「VIVA LA ROCK」も、毎年たまアリで開催されています。ここまで大規模な音楽フェスは今までさいたま市で行われてなかったので、バンドマンである筆者は感謝の気持ちしかありません。

たまアリで働いている方々も、筆者の母校・大原中学校出身の方を始め地元出身の人が多く、さいたま市をいかに楽しくするかを日々考えていらっしゃいます。さまざまなクラフトビールを楽しめるビアフェスや謎解きイベント、Bリーグや格闘技など世界有数のありとあらゆるエンターテインメントが「たまアリ」で開催されています。

北浦和からも非常に近いため、かなりオススメスポットです。ちなみにたまアリでは毎年さいたま市の成人式も開催され、筆者もエリア内だったため参加し思い出を作ることが出来ました。

ケータリングから弾き語りまで思い出いっぱいの「やきとり 志げる 北浦和本店」


さぁ、そろそろお酒の話もしたいです。何と言っても北浦和駅東口から歩いてすぐの「やきとり 志げる 北浦和本店」を紹介せねばなりません。

実は私、20歳そこそこの頃に東京へと移ってしまって、北浦和の居酒屋を知らなかったのです。が、ここ近年は埼玉の方に戻っていて(現在はまた東京へ移りましたが)その期間にthe telephonesのドラマー松本誠治にいろいろなお店を教えてもらいました。

その中でも「やきとり 志げる 北浦和本店」にはいろいろな思い出があります。先述した閉店してしまったライブハウス北浦和KYARA(現在はかねかつなどが入っているビル)の隣に志げるはあります。このライブハウスが閉店する2020年に、the telephonesでライブイベントを行いました。

BRAHMAN、cinema staff、TENDOUJI、フレンズを迎えて開催したのですが、その時の楽屋ケータリングフードに「志げる」のモツ煮を提供してもらいました。私にとって、その日が初めての志げるでした。ライブの感動も相まってとても美味しく、お酒が進み狂った記憶があります。

その後は普通に店舗に飲みに行ったり、今年の2月にはドミコというバンドのVo.さかしたひかると弾き語りまでしました。初めて居酒屋の店内で弾き語りをしたのですが、とても面白くて楽しくて、泥酔して帰りました。

最後に北浦和という街を一言で締めくくるならば、「人情」だと思います。基本的に人見知りな人が多い街だと思うのですが、一旦懐に入ってしまえば引越すことが悲しくなるくらい、人と繋がる事が出来ると思います。音楽、サッカー、飲食、エンタメ、そして人との繋がりが濃い、素敵な街です。

皆さまも是非、一度は北浦和を訪れてみて下さい。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

著者:石毛輝 (the telephones / Yap!!!)

1984年3月18日生まれ、埼玉県さいたま市(旧浦和市)出身。2005年に地元埼玉県北浦和にてthe telephonesを結成。2017年にはエレクトロニックバンドYap!!!を結成し、2つのバンドのコンポーザー & Vo/Gt/Synを担当。バンド活動だけでなくソロ名義やDJ、楽曲提供&サウンドプロデュースなど、多岐にわたりミュージックラバーらしいさまざまな活動を行っている。

編集:小沢あや(ピース)