人を惹きつけ、離さない魔力がある「海の街」ーー茅ヶ崎|文・島崎莉乃

著: 島崎莉乃

都心から約1時間。東海道線、湘南新宿ライン、相模線が通るアクセス良好な立地。駅直結の商業ビル、カフェ、レストラン、大型スーパーもある。ついでに余談だが、美容院の数もかなりある。茅ヶ崎市は敷地面積に対する美容院の数が渋谷区の次に多いらしい。何故かは知らないし、真偽のほどもわからない。

物心がついたころから、生粋の茅ヶ崎ガールとして人生を歩んできた。幼少期は歯だけが白く光るほど海で日焼けをしていたし、茅ヶ崎を代表するスター「サザンオールスターズ」の曲を街の至るところで四六時中聞かされて育った(茅ヶ崎市民の英才教育)。

また、同じ神奈川県・横浜市出身の人は、出身を聞かれた際に県名ではなく「横浜です」と答える話は有名だが、茅ヶ崎市出身の人も県名ではなく「茅ヶ崎です」と答える。もちろん、私が答える場合も例外ではない。

私をはじめ、茅ヶ崎の人間は地元愛、いや、「茅ヶ崎愛」がかなり強めである。それは、恵まれた環境が揃(そろ)うこの素晴らしい街の魔力に、市民全員が取り憑かれているからではないかと思う。

そんな街にある私の実家は、海から徒歩10分ほどの場所にある。なんてことない住宅街の中の一軒家。だが、一つ大きな通りに出れば、美味しい珈琲店があったり、世界各国の雑貨を集めたお店もあったりして、多くの観光客が訪れる。

その通り沿いの中でも、3年ほど前にオープンした窯焼き料理専門店「湘南窯屋」には、家族でよく足を運んだ。看板メニューの窯焼きピザは、<赤・緑・黒>の三種のソースと好きな具材を組み合わせてお好みのピザを注文することができる。ピザのメニューだけでも数多くあるが、ほかにも窯焼きの肉料理やサイドメニューも絶品だ。

イカスミとしらすのピッツァ

そしてなんと、店主のお名前が島崎さん! 島崎同士で意気投合し、島崎さんが島崎さんのお店に通うというちょっと面白い関係性ができあがった。島崎さんって意外といないのでね、めちゃ嬉しい。

父の誕生日会も湘南窯屋にて開催

島崎さんをはじめ、茅ヶ崎には個人経営のお店が多くある。そこで店主やお客さんと話をすると、多くの人は、離れた場所からわざわざ茅ヶ崎へ移住してきたという人ばかり。理由を聞くと、口を揃えて「茅ヶ崎に住むのが憧れだったから」と答える。

それ、東京に憧れて上京してきた人が言うセリフじゃない? なんてここ最近まで思っていたし、茅ヶ崎の魅力に対してイマイチ、ピンと来ていなかった。

というのも、中学生のころにひょんなことから芸能活動が始まったことに起因する。アイドルグループのメンバーとしてメジャーデビューが決まってから、朝早くに出て夜遅く帰る生活が約10年間続いた。前述したように、茅ヶ崎から都心までは約1時間。とはいったものの、場所によっては優に1時間半〜2時間弱を超える距離なので、移動にはかなりの時間を取られた。

また、活動が学生期間と重なっていたため、朝から授業を受けて午後に早退し、仕事を終えて終電間際に帰る日々。そんな生活に嫌気が差していたし、茅ヶ崎の遠さを本気で恨んだ。いつかお金が貯まったら、茅ヶ崎を出ていこうと心に決めていた。

ストレスから家族とぶつかることも増え、自宅に帰ることが億劫(おっくう)になり、外で夕食を取ることも多かった。それでも母は高校を卒業するまでの毎日、手づくり弁当を持たせてくれたし、帰りが遅くなる私を駅まで車で迎えに来てくれた。父は当初、私の活動に反対だったものの、仕事終わりに都内で待っていてくれて、一緒に帰ったりもした。

妹は、少し寂しそうだった。私ばかり、目立つイベントが多く両親の気を引いていて複雑な気持ちにさせていたのではないかと感じる。それでも、ライブを見て応援してくれた。愛犬は、疲れた心を癒やしてくれた。

愛犬、ジャック・ラッセル・テリアのヴィヴィアン

そんな家族の愛情に気づきながらも、目の前のことに追われ、ちゃんと感謝を伝えられないまま時が過ぎていった。やがて、活動していたグループが解散することになり、慌ただしい日々が幕を閉じた。気がつくと私は、何者でもない、ただの人間になっていた。

大海原に投げ出されたような感覚だった。頑張って泳いではみたけれど、泳げば泳ぐほど、泳ぎ方がわからなくなる。次第に身体が沈んでいき、私は溺れてしまった。泳ぐことを、諦めてしまった。

そして突如、世界的なパンデミックが起こり、家に籠(こも)る生活へと変わった。ずっと出ずっぱりだった私にとっては、なんとも落ち着かない日々だった。当時は仕事という仕事もなく、半ニート状態で家族からは「パラサイト」呼ばわり(失礼過ぎる)。それでも、今まで生活リズムが合わなかった家族とたくさん会話ができて嬉しかった。

ステイホームを余儀なくされた期間は、出掛けようにも、営業しているのはコンビニかスーパーぐらい。どのお店も休業中で、街がとても静かだった。これといって出掛ける場所はないが、時間が有り余っていたので、愛犬を連れて海まで歩いた。家から徒歩10分ほどのくせに、海に行くのは年に1、2回あるかないか。

その日も海に行くのは久々で、なんとなく足を運んでみたら、人がめっちゃいた。皆、行く場所がないからか、多くの茅ヶ崎市民が海に集結していたのだ。これが湘南エリア・茅ヶ崎の底力。

マスクをしている人ばかりで不思議な光景だったけれど、その空間に安心した。ただ、人がいるということで、こんなにも安心感を得たのは初めてだった。

そういえば、何かと辛いことがあった時には、海に行っていた気がする。受験で辛かった時、仕事で精神が疲弊した時、大切な存在とお別れした時。そうして、いても立ってもいられなくなった私が向かうのは、いつも海だった。一定の波音と、優しい潮のかおりが荒(すさ)んだ心を落ち着かせてくれたのだ。

海で黄昏(たそがれ)る……なんてかなりベタだが、これが意外と効いたりする。というのも、身近な場所でシェルターを作るのって難しい。カフェは人が多くて落ち着かないし、部屋に一人で籠ると気が滅入ってしまう。海であれば、開けた景色の中で、一人きりになるわけでもないし、ちょっとぐらい泣いても、波の音がかき消してくれる。その時も、人が海に集まっている光景を見て、安心して、ほろっと泣いた。スーツ姿で海を眺めているおじさんもいた。茅ヶ崎の海は、一人じゃないと思える場所である。

雄三通りの人気店・麺屋BISQ

次第に飲食店や商業施設が営業を再開し、時短という規制はありながらも、家族や友人と茅ヶ崎での食事やお出掛けを楽しめるようになった。大変な状況でも、茅ヶ崎で過ごす時間はゆっくりと流れ、まるで人生の夏休みのようだった。

南口の大好きな焼肉店・肉市場

とはいっても、夏休みをずっと続けるわけにもいかないので、なんとか仕事を探して働いた。社会人としての基礎がない自分が恥ずかしくて、ここ数年、勉強のために色々な職種を経験してみた。アルバイトはもちろん、就活をしなかった自分にとって、不安と焦りしかなかったが、若いうちに「一般社会の仕事」を知っておかなければいけないと思った。

あれよ、あれよと流れに身を任せながらさまざまな仕事を経験し、気がつけば3年が経った。お金も貯まってきたころ、職場への通勤カロリーの高さがネックになり、私は長らく住んだ茅ヶ崎を離れることにした。といっても、都内に行くわけでもなく、同じ神奈川県内なのだけれど。私にとってはそれだけでも、十分に通勤が楽になる距離に引越せると、うきうきしていた。

引越しが決まってからの1カ月は仕事が忙しく、地元を惜しむ間もなく引越し当日を迎えた。夜明けに近い時間に起きて、荷物をまとめて家を出た。家族はいつもと同じように送り出してくれた。そりゃそうだ、地方に行くわけでもないし。

「じゃあね、気を付けていってらっしゃい」

いつも通り。全部、いつも通り。毎日のように聞いていたその言葉が、やけに染みてしまった。どうせ、すぐに帰れる距離だし。そう思っていても、あの瞬間にこみ上げてくる涙は、何故あれほどまでに熱いのだろうか。電車を待つホームに差し込んだ朝日が、いつも以上にまぶしく見えた。

思えば、都内で仕事をして疲れて帰ってきても、茅ヶ崎駅のホームに着けば安心できたし、なんなら、東海道線に乗れただけで安心できた。ホームに降りた瞬間に流れるサザンの「希望の轍」を聞けば、帰ってきたと実感できた(終電で帰り、次の日も始発なんて時には「絶望の轍」に聞こえた時もあったが)。

風が強い日には、潮のかおりが駅まで届くことがあった。海風を感じながら、家まで帰るのはとても気持ちよかった。治安も良く、怖い思いは一度もしたことがないし、むしろ茅ヶ崎の人と話すと皆穏やかで、優しい気持ちになれた。家に帰れば、「おかえり」と言ってくれる家族がいた。私は何不自由ない、とても恵まれた環境にいたのだ。

まだ電車も来ていないのに、すでに茅ヶ崎シックになって泣いた。自分、茅ヶ崎大好きじゃん!! 人はまことに愚かで、手放す瞬間に持っていたものの尊さに気づくのだと、身をもって知る。だが、大人たるもの、一度乗り込んだ電車は降りられない。私は泣きながら新居に向かった。

いざ、新居に着いたら着いたで楽しかった。先ほどの涙は何処に? 状態。今までまともにしてこなかった家事をこなして、毎日自炊もできている。新生活が楽しくてあまり実家に帰らなくなるのかな、なんて思っていた。

しかし、現在は約2週間に1回のペースで茅ヶ崎に帰っている。母からは「あんたが家を出た気がしない」とまで言われてしまった。仕方がない、茅ヶ崎でしか満たされない安堵感があるのだ。

今、住んでいる街もとても素敵で、大好きな街だ。人も穏やかで、子どもも多く、喧騒もない、とても良い街。しばらくはこの街で楽しく過ごしたいが、いずれは、また茅ヶ崎に戻りたいと思っている。

周りでも頻繁に実家へ帰ってる人たちもいるし、茅ヶ崎市内で引越しをする人も多い。ある友人は、社会人になり茅ヶ崎を出た後、結婚して茅ヶ崎に戻った。皆なかなかに、茅ヶ崎への執着がすさまじい。

私も、場所関係なく働けるようになったら、いずれ自分に子どもが生まれたなら、できれば、茅ヶ崎に戻りたいと思う。

冒頭から茅ヶ崎の良いところをたくさん記してはみたが、この異常なまでの居心地の良さは、茅ヶ崎に住んだ人にしかきっとわからないのだろう。「住めば都」ということわざがあるが、私はもともと都に住んでいたのだと、茅ヶ崎を出て気づいた。

できればずっと、都に住んでいたい。だが、今の自分には贅沢で、成長を諦めるような選択に感じる。まだまだ同世代と比べれば未熟で、自分のやりたいことさえも不透明な、人生迷子のどうしようもない人間だ。それでも、身体のどこかに情熱がわずかに残っている。この先の人生に、希望があると信じたい。

私には、茅ヶ崎という素晴らしい故郷がある。優しい海風とともに、笑顔でおかえりと迎えてくれる街がある。

"まあ、いつでも帰れるし"

そうやって楽観的に、もう少しだけ、頑張ってみようと思う。

著者:島崎莉乃

島崎莉乃

ライター、タレント、俳優。メジャーアイドルグループのメンバーとして活動し、国内のみならず世界各国の大型フェスへの出演等、グローバルに活躍。現在は、映画への深い造詣と愛を生かし執筆、映画イベント主催、映画・ラジオ・トークショー出演など多岐にわたる活動を行っている。
Twitter:@rinotama515
Instagram:@rinotama515

編集:岡本尚之