「京都タワーを見て育ったんです」。伝説の歌姫アリスセイラーが愛した「京都」駅【関西 私の好きな街】

取材・執筆: 吉村 智樹

 

関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。

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「生まれたときから最寄りは京都駅。京都タワーを見て育ったんです。京都駅周辺は、ほんまにおしゃれでした。ファッショナブルで素敵なお姉さん、お兄さんが歩いてはる。『なんてカッコいいんやろ。私もいつか、あんなおしゃれな服を着て歩いてみたい』って、子ども心に憧れていました」


中学時代まで京都駅周辺に住んでいたアリスセイラーさん(58)は、そう語ります。

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京都在住のアーティスト、アリスセイラーさん

アンダーグラウンドロック伝説の歌姫が登場!

アリスセイラーさんは1981年に結成したバンド「アマリリス」のリーダー。孤高にして伝説にして現役バリバリのアーティストです。 

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1981年、結成当時のアマリリス


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数々のリリース作品


これまで彼女が生みだしてきた音楽は、ニューウエーブ、アバンギャルド、パンク、ジャンク、ノイズ、ゴシック、ローファイ、オタッキー、童謡などなど、あらゆる名称で呼ばれました。そして、あらゆるジャンルを巻き込み、あらゆるジャンルのバンドと対バンをしてきました。それでいて、彼女はどんなジャンルにも属さなかったのです。アンダーグラウンドロック界に君臨する孤高の歌姫、そうとしか呼べない存在です。

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嵯峨美術大学の2年生だったときに結成し、EP-4の佐藤薫さんに見出され、1980年代の幕開けとともに鮮烈なデビューを飾ったアマリリス。カオスなステージのウワサは、たちまち全国に広まりました。歴代メンバーには現ライターの安田謙一さんや、タレントのミック宮川さん、アバンギャルドポップバンド「のいづんずり」の福田研さんなど錚々たるメンツが名を連ねています。 

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キーボードを弾いているのは現在ライターの安田謙一さん


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全員が白い布をかぶって演奏する、誰が誰だかわからないライブ。「お客さんを驚かせたい。そればかりを考えていた」


そのようにアマリリスは、ボアダムス、少年ナイフ、ほぶらきん、などとともに1980年代以降の関西インディーズシーン、ライブハウスシーンを語るうえで欠かすことができない最重要バンドなのです。


アリスセイラー:「アマリリスは何回も解散して、何回も再結成しました。再結成するたびに音楽性が変わりましたね。ギャルバンだった時期があったり、プログレを演っているときがあったり。バンドってメンバーによって音楽性がめっちゃ変わるんです。一時期はドラムとベースの人がすごく上手でね。あんまりうますぎてヴォーカルの私がついていけなくなって。それでライブが終わるたびにトイレで嘔吐していました


ライブのあとに嘔吐する姿も「そういうパフォーマンスなのでは」。そう思わせてしまうほど、なにをしでかすのかハラハラさせてきたアリスセイラー。彼女が率いるアマリリスは現在もパワフルに活動しています。 

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「メンバーの演奏技術があがりすぎて、ボーカルの自分がついていけなくなった時期もあった」と語る

カリスマ小説家の嶽本野ばらが参加し、さらにパワーアップ! 

アリスセイラー:「40歳からはアマリリス【改】(あまりりす・かい)と、名前をちょっとだけ改めました。そして途中から小説家の嶽本野ばらちゃんがメンバーになったんです。ジャンルはミュージカル。アマリリス【改】での私は“ぴいち姫”という名前の、16歳のアンドロイド。野ばらちゃんが脚本を書いてくれるときのライブは、内容がいつもすごくて。お客さんがマジ泣きしはるんです」 

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アマリリス【改】。小説家の嶽本野ばらさんや保山宗明玉さんなど知る人ぞ知るメンバーが加わりながらアマリリスは形を変え続ける


出演と、ときに脚本を担当するのが、なにかと話題だった乙女のカリスマ小説家の嶽本野ばらさんだとは。このようにアマリリスは、アリスセイラーさんは、どんなにキャリアを積もうと、危険な香りを漂わせつつ尖り続けています。

それだけではありません。ぬいぐるみを用いたソロ活動「chorusPurses(コーラスパーサス)や、月に一度、日曜日に「喫茶店というかたちのライブ」をテーマとした「やんちゃなアマリリス」を京都・中書島で開店するなど、表現の手を休めることはありません。 

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ぬいぐるみを用いたソロ活動「chorusPurses(コーラスパーサス)」


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京都・中書島にオープンした喫茶店「やんちゃなアマリリス」。テーマは「喫茶店という形のライブ」

住居は京都駅から徒歩わずか「5分」という都会っ子 

そんなアリスセイラーさんが推す京都駅は、まさに京都の玄関口JR西日本、JR東海、近鉄、京都市交通局の4社が乗り入れる京都最大の要衝駅です。いやいや京都最大どころか、JR在来線特急の発着種類の多さは、なんと日本一を誇るのです。

駅前に屹立するのが、京都市内でもっとも背が高い建物「京都タワー」。1964年(昭和39年)に立柱しました。日本家屋が多い京都。瓦(いらか)の波を海に見立て、海の安全を守る白い灯台をイメージして建てられたのだそう。

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京都駅は地上16階にも及ぶ大規模な駅ビルが連結し、威風堂々としたたたずまい。う~ん、正直、都心すぎて「居住地」というイメージが湧かないのですが。

 

アリスセイラー:「駅前はにぎやかです。けれども、ちょっと歩くと静かで、いいところですよ」

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京都駅の北側を横切る塩小路通を越えると、旅館が建ち並ぶ静かなエリアが現れる


京都駅から徒歩5分の、彼女の生家があった場所を訪ねてみました。

 

アリスセイラー:「私が住んでいた場所は東本願寺のすぐ近く。家は残念ながら、もうなくなっています。いまは郵便局になっているんです」

 

なるほど確かに現在は「 京都中珠数屋町(なかじゅずやまち)郵便局」に姿を変えています。東本願寺の門前町ならではの、仏教にまつわる地名です。 

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アリスセイラーさん(手前)が、かつて住んでいた場所。奥は妹の知代子さん


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かつての住まいは現在「京都中数珠町郵便局」に姿を変えている


都心部には違いない。とはいえ、東本願寺の堂門前に広がる街だけあり、タイムトリップしたかのようないにしえの情緒を感じます。ゆったりした時間が流れ、とても住みやすそう。「居住地としての京都駅」、意外な穴場かもしれません。 

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母の寿子さんと


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京都駅から徒歩5分という近距離でありながら、街はおだやかな表情を見せる

振りかえれば、いつも京都タワーがあった 

ふと振り向けば、そびえたつのは京都タワー。彼女は京都の灯台に見守られながら、中学時代まで、この街で暮らしました。 

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家の扉を開けると、そこから京都タワーが見えた。彼女の暮らしは京都タワーとともにあった


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幼少時代のアリスセイラーさん。家から徒歩圏内の庭園「渉成園(しょうせいえん)」へもよく遊びに行った。背景には京都タワー

祖父は大富豪。しかし戦災で財産を失った 

アリスセイラーさんの父は、京都から大阪市役所へ通う公務員でした。京都からなぜ大阪市役所へ? 彼女の家庭環境の背景には、ちょっぴり入り組んだファミリーヒストリーがあったのです。 

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父親の故・敬之助さん。アリスセイラーさんは三姉妹の次女だ


1940年代(昭和15年~)、彼女の祖父である中塚さんは大阪で、自転車に関係がある商いをやっていました。これが大当たり。シンガポールに工場を建てるまでに発展したのです。


アリスセイラー:「大阪の心斎橋に大丸(百貨店)心斎橋店があるでしょう。あの辺り一帯が、昔はおじいちゃんとこの敷地やったんです」


なんと! 彼女の先祖は大阪の超一等地を購入するほどの豪商でした。祖父はシンガポールへ移住して自転車に関する工場を営み、アリスセイラーさんの祖母と父は日本に残りました。そうして大阪心斎橋のお屋敷で生活をしていたのです。

ところが、アリスセイラーさんの祖母と父は、アメリカ軍による「大阪大空襲」に遭ってしまいました。第二次世界大戦末期、1945年3月13日・14日のことです。心斎橋一帯は空襲で焼け野原に。住んでいたお屋敷は戦災によって崩落してしまいました。家屋を焼失してしまった祖母と父は、着の身着のままで京都へと向かうことに。


アリスセイラー:「おじいちゃんが大金持ちやったんで、京都にも何カ所か土地を買っていたそうです。その土地を頼って、おばあちゃんとお父さんは京都に逃げてきました。けれども土地を貸している店子さんが商売をやっていて、出ていってくれない。仕方がなく、消防団の詰め所に住み始めたと聞いています」 

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「このあたりに消防団の詰め所があったんです」


大阪大空襲に遭って心斎橋は焦土と化しました。祖父は自転車の会社をたたまねばならず、シンガポールから帰国。祖母と父が避難した京都へやってきました。祖父は家族を食べさせるため、大阪で火災の被害をまぬがれた金属製の鍋や金物を買い漁り、京都の棲み家の前に並べて販売したのです。

祖父はトレンドに敏感な人だった様子。この金物を扱う露店が、またまた大当たり。「鍋の品質がいい」と評判を呼び、買い物客が殺到しました。

 

アリスセイラー:「鍋や釜がめっちゃ売れたそうです。でも繁盛ぶりが話題になりすぎて税務署の調査が入り、いっぱい税金を取られました。おじいちゃんは『あほらしい』と、金物を売るのはやめてしまったんです。その後、お父さんは大阪の公務員になり(本籍が大阪のままだったと思われる)、おじいちゃんは染物屋さんで働くようになりました。おじいちゃんはやっぱり感覚が独特で、ドクロや蛇の柄のネクタイなどを自分でデザインして染めていました


アリスセイラーさんが、中塚家の三姉妹の次女として誕生したのは、そういった騒動が一段落したあとでした。 

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母の寿子さんに抱かれるアリスセイラー(中塚加奈子)さん。中央が姉の佳代子さん、向かって左が妹の知代子さん

幼いころから買い物は「デパ地下」というシティガール 

生まれたときから目の前に京都駅、京都タワーがある超アーバンな住環境。京都駅は、彼女の生活の一部でした。


アリスセイラー:「京都駅までは、いつも歩いて行っていました。自転車はね、おばあちゃんが『車の行き来が多いから危ない。やめとき』と言って乗せてもらえなかったんです。もともと自転車で財を成した家なのにね(笑)」


ご近所に、京都最大のターミナル駅がある。彼女にとって、それは当たり前の光景。


アリスセイラー:「家から徒歩5分の距離に駅前デパートがあるでしょ。そやから、お使いもスーパーマーケットではなくデパートの地下へ行くんです。小学生のころから京都駅のデパ地下で野菜などを買っていました」


小学生のころから京都駅のデパ地下で買い物をする。これがどういう状況なのか。東京で例えるならば、丸の内に住んでいる小学生が、エキナカ商業施設「GRANSTA DINING(グランスタダイニング)」で買い物するのが日常、そういうライフスタイルなわけです。なんてスタイリッシュなシティガールなのでしょう。


アリスセイラー:「都会住まいやし、おしゃれな大人をたくさん見てたから、ませていたかもしれませんね。幼稚園児のころにもう彼氏がいたし、小学生のころにはひとりでタクシーに乗るのも平気でした。ファーストキスは中一やしね」

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「小学生のころにはもう自分でタクシーをつかまえて、ひとりで京都のあちこちへ行ってましたね」


買い物だけではなく娯楽が集積する京都駅前。彼女は幼少期から、さまざまなカルチャーに触れる機会がありました。


アリスセイラー:「映画館なら京都タワーの向かい側にあった*『ステーションキネマ』へ、お父さんによく連れて行ってもらいました。いま考えたらステーションキネマは大映の上映館だったんとちゃうかな。東宝のゴジラではなく、いっつも大映のガメラをやってたんです。だから私、いまでもゴジラよりガメラが好き」

*ステーションキネマ……開館・閉館年不明。1980年~1985年のあいだに閉館したと思われる駅前映画館

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「ガメラをよく観た」という映画館があった場所は現在は居酒屋などが入ったビルになっている

小・中学時代の楽しみは「ラジオの公開収録番組」

もうひとつ、アリスセイラーさんが夢中になったのが、音楽。現在と違い、昭和の当時はアマチュアミュージシャンが多数登場する若者向けの公開収録番組がいくつもありました。そこで演奏される新鮮な音楽は、彼女のその後の人生を大きく変えることとなります。


アリスセイラー:「小学生から中学生にかけての時期の楽しみと言えば、なんといってもラジオの公開収録番組でしたね。いま京都駅前に建っているヨドバシカメラ(マルチメディア京都)のビルがある場所は、むかしは*『丸物(まるぶつ)という百貨店だったんです。そこで毎週平日の放課後から、笑福亭鶴瓶さんが司会の*『まるぶつWAIWAIカーニバル』というラジオ番組の公開収録があったんですよ。タレントさんやミュージシャンが毎回ゲストに来はるから、学校が終わると制服姿のまま駆けつけていました。観に行くたびに、アマチュアバンドのコーナーが楽しみになってきてね。いまで言うインディーズですね。インディーズってカッコいい、そういう感覚は小学生のころにはもう芽生えていました


*丸物……1920年(大正9年)に京都駅前に誕生した「京都物産館」が、拡張するに従い百貨店「丸物」へと業態を変化させた。のちに近鉄百貨店へと商号を改め、2007年(平成19年)に閉店

*まるぶつWAIWAIカーニバル……1972年(昭和47年)から近畿放送(現:KBS京都)で放送されていた公開収録ラジオ番組。笑福亭鶴光が司会でスタートし、1974年(昭和49年)から笑福亭鶴瓶がパーソナリティとしてバトンタッチ。チューリップなどフォークソング、ニューミュージックのアーティストが多数出演した。「きんてつWAIWAIカーニバル」と番組名を改めたのち1984年(昭和59年)に終了

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現在「ヨドバシカメラ マルチメディア京都」がある場所は、かつて百貨店「丸物」だった


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三姉妹は仲良し。姉の先導で放課後に制服のままラジオ番組の公開収録へ出かけたという


先に人気者になったゴジラよりも、あとから追い上げるガメラが好き。次に来るものをキャッチする感受性の鋭さは、音楽の嗜好にも表れていたようです。小学生のころから、家から徒歩5分の場所で、その後の日本ロック史やポップス史に名を残してゆく若きアーティストたちのライブを毎週無料で観覧できる。そんな恵まれた環境で、彼女の感性は磨かれてゆきました。

 

アリスセイラー:「中学生だったお姉ちゃんに連れられて、私と妹の3人で、よく観に行きました。お姉ちゃんと私は*宿屋の飯盛(やどやのめしもり)が好きやったんです。あと、*まりちゃんズのメンバーと親しくなったり、*ちゃんちゃこの追っかけをするようになったり」


*宿屋の飯盛……1960年代に結成したフォークロックバンド。1974年(昭和49年)に「二月の海」でデビュー。1976年(昭和51年)にアルバム「不吉な予感」、シングル「手紙を下さい」をリリースしたのち解散した。ギターの坂田栄一はのちのNHK「おかあさんといっしょ」7代目「うたのおにいさん」、坂田おさむである

*まりちゃんズ……1974年(昭和49年)からおよそ2年間しか活動していない。にもかかわらず、いまだ伝説として語り継がれる過激なコミックフォークトリオ。リリースした曲のほとんどが放送禁止となったり、バッシングを受けたりと物議をかもした。ベストアルバムのみならずワーストアルバムが発売されているのが彼ららしい。1993年(平成5年)、ラジオ番組『赤坂泰彦のミリオンナイツ』で「尾崎家の祖母」(おざきんちのばばあ)がオンエアされ、再び話題に。シングルCDとして再リリースされ、15万枚を超えるヒットとなった。また、ユニット「藤岡藤巻と大橋のぞみ」で『崖の上のポニョ』の主題歌を担当した

*ちゃんちゃこ……1974年(昭和49年)に電子音を採り入れた『空飛ぶ鯨』でデビューしたフォークデュオ 

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いつもサイン帳を持参して公開収録に挑んだ。向かって左が「宿屋の飯盛」の坂田栄一さん(のちのうたのおにいさんこと坂田おさむ氏)。向かって右が「まりちゃんズ」のサイン


京都駅前の百貨店「丸物」。小学生~中学生のアーリー思春期にあったアリスセイラーさんにとって、丸物は日本のウィスキー・ア・ゴーゴーと呼んで大げさではないほど刺激的な音楽の殿堂でした。彼女はラジオ番組の公開収録がない日も、丸物の屋上に入り浸るようになります。

 

アリスセイラー:「丸物は屋上をアマチュアバンドに開放していたんです。私はバンドのライブを観るために何時間も屋上にいました。バンドの人にサインをもらったり、歌詞をノートに書いてもらったり。デパートの屋上に設けられた簡易なステージで演奏しても、お客さんはぜんぜんいない。いたとしても聴いていないんです。でも私には閑散としたなかで歌うお兄さんたちが、めっちゃカッコよかった。憧れました。その後の自分の活動に強く影響していると思います」

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「閑散とした場所でも気にせず歌い続けるアマチュア・ミュージシャンたちが本当にカッコよかった

セーラー服姿でどこへでも突撃する過激な青春 

動員がどれくらいあるかなんて関係ない。レコードがどれくらい売れているか、人気があるかどうかなんて気にしない。ただひたすら、見たことがないアーティストを知りたい、聴いたことがない音楽が聴きたい。未知のサウンドに対する、どん欲な希求。彼女は丸物のみならず、もうひとつの拠点へも足繁く通います。

 

アリスセイラー:「大丸百貨店が提供する*『アクションヤング大丸』というラジオ番組の収録もやっていたんです。制服姿のままタクシーで大丸京都店まで行って、よく観ていました。*ガロ、*遠藤賢司さん、*尾崎亜美さんがまだ尾崎美鈴という名前で活動していたとか、ボヘミアンがヒットする前の*葛城ユキさんがまだ葛城ゆき名義で『木曽は山の中』を歌っていたとか、よく憶えています。遠藤賢司さんからは『このあと*磔磔(たくたく)でライブがあるから観に来てくれないか』と声をかけられたのを憶えています」

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フォークからニューミュージックへの過渡期、公開収録番組「アクションヤング大丸」にはのちにビッグになるさまざまなアーティストが出演した


*アクションヤング大丸……1970年(昭和45年)から1978年(昭和53年)まで近畿放送(現:KBS京都)にて放送されたアマチュアミュージシャンの登竜門的公開ラジオ番組。河島英五や五つの赤い風船、シモンズやザ・ナターシャー・セブンなど、この番組からブレイクしたアーティストは数多い。司会は京都の若者たちのカリスマ的存在だった諸口あきら

*ガロ……1973年(昭和48年)に不朽の名曲「学生街の喫茶店」をヒットさせたトリオ。ジャンルはフォークソングだが、近年はソフトロックの文脈で再評価されている

*遠藤賢司……「満足できるかな」「カレーライス」「東京ワッショイ」「不滅の男」など数々の名曲を遺した「純音楽家」。フォークソング歌手としてデビューしたがパンクもハードロックもニューウエーブもサイケデリックも内包する壮大なサウンドで、ジャンルは形容しがたい。カレーライス好きが高じ、カレーショップ「ワルツ」をオープン。ライスを三角錐に盛った「ピラミッドカレー」は不滅の人気を誇った

*尾崎亜美……十代のころからシティポップスを演奏し、「アクションヤング大丸」に他校の男子生徒と2人組で出場したところ洗練されたセンスが注目され、デビューにつながった。1977年(昭和52年)、資生堂のCMソング「マイ・ピュア・レディ」が大ヒット。また杏里「オリビアを聴きながら」、高橋真梨子「あなたの空を翔びたい」、松田聖子「天使のウィンク」「ボーイの季節」、観月ありさ 「伝説の少女」など楽曲提供も数多い。「アクヤン(アクションヤング大丸)は私の原点」と語っている

*磔磔……1974年(昭和49年)にオープンした、築100年を超える木造の蔵を改装したライブハウス。70年代の関西ブルースブーム、80年代に勃興したのパンクやニューウェーブのムーブメントなどさまざまなジャンルの音楽がここで夜な夜な表現された

*葛城ユキ……アマチュア時代から朝霧マチ名義で歌い始め、1969年(昭和44年)に田中小夜子名義「夜を返して/名張ブルース」で歌謡曲デビュー。葛城ゆき、朝霧まちと改名を繰り返し、飛鳥涼作詞「ボヘミアン」でブレイクした。フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画「人間大砲」で重傷を負ったが、奇跡の回復を果たした 

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放課後になると百貨店へ行き、若者向け番組の公開収録を楽しんだ。1970年代~80年代の京都にはそういった文化があった


アリスセイラーさんの話を聞いていると、彼女は思春期に「制服のまま」どこへでも行ってしまう特徴が見受けられます。放課後はコインロッカーなどで着替えてオトナの扉を開けようとしていた同世代の少女たちに背を向けていたようにも感じるのです。


アリスセイラー:「セーラー服が好きやったんです。私のなかで制服ってすごく大事で、セーラー服を着ている自分は『無敵や』と思ってました。祇園の円山(まるやま)公園で、いまで言うフェスみたいな感じのロックコンサートをよくやってたんです。友達は*キャロル、私は*(サディスティック・)ミカ・バンドが観たくて、制服のままふたりで一緒に行ってました。セーラー服姿で来るなんて珍しいから他のお客さんが『あんたら一番前に行き、一番前に行き』って背中を押してくれはって。最前列で観させてもらったな。セーラー服を着てると恐いものなしでしたね」


*キャロル……アマチュア時代の矢沢永吉がメンバーを募集し、ジョニー大倉が呼応するかたちで1972年に結成されたロックンロールバンド。革ジャンとリーゼントの不良っぽいファッションが往時の若者たちのハートをつかむ。「ルイジアンナ」「ファンキー・モンキー・ベイビー」などタイトで切ない不朽の名曲を残した。日比谷野外音楽堂での解散ライブでは 『CAROL』の電飾ロゴが火災で崩れ落ち、いまなお伝説のライブとして語り継がれている

*サディスティック・ミカ・バンド……1971年、元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦、ミカ、角田ひろ(現:つのだ☆ひろ)らで結成される。そこにのちに高中正義、高橋幸宏、今井裕、小原礼、後藤次利ら錚々たるメンバーが在籍した。国内はもちろん海外での評価が高く、日本のロック史においてまさに「黒船」的存在のバンド。「タイムマシンにおねがい」はいまなお多くのアーティストがカバーし続ける名曲だ 

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当時の音楽シーンに影響を受け、中学時代からギターを弾いていた。写真はギタリストの山本精一さんとのセッション


「女の子よ銃を取れ」とばかりに、まるでミリタリージャケット感覚でセーラー服でどこにでも飛び込んでいった青春時代。もしや「アリスセイラー」という名前も、セーラー服にあやかって?

 

アリスセイラー:「そうなんです。不思議の国のアリスの世界観が好きで、セーラー服が好きだから、くっつけました。アマリリスの曲が初めてオムニバスカセットアルバムに収録されるとき、『暗い歌詞やから、知り合いに見られるのはイヤやな』と思ってアーティストネームをつけました」

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京都駅をあとにした驚くべき理由とは?

最後に、アリスセイラーさんは中学時代まで京都駅とともに過ごした日々を、こう語ります。


アリスセイラー:「結婚して一時期ニューヨークに住んでいたとき、『京都駅みたい』と思ったんです。映画館がある、本屋さんがある、漫画がある、レコード屋さんがある、お洋服の店がある。日常が“お出かけ”みたい。京都駅には刺激をたくさんもらえましたね。幼いころは無口な子だったんです。けれども、心のなかには文化的な刺激が蓄積されていきました。京都駅周辺で過ごした日々が、いまの私をつくっていると言って大げさではないです 

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現在もアグレッシブに活動するアリスセイラーさん「京都駅周辺で過ごした日々が私の原点」


生まれながらにしてサブカルチャーに囲まれてきたアリスセイラーさん。「最後に」と言いながら、ひとつ疑問が。人格形成に強く影響を及ぼした京都駅の周辺から、なぜ高校時代に離れていってしまったのでしょうか。


アリスセイラー:「それが実は……隣の家に住んでいたおっちゃんが、うちのお母さんを好きになってしまって。ラブレターを書いて送ってくるようになってきたんです。『これ以上あの人の隣に住むのは怖い。出ていこう』と。それで家族で京都の伏見区へ引越しました」


なんと、最後の最後までヤバそうな話題が。アリスセイラーさんには末永く、いつも気になる、胸騒ぎを禁じ得ないアーティストでい続けてほしい。関西のライブハウスに灯台のように立ち続けてほしい、そう思いました。

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アリスセイラーTwitter

https://twitter.com/alicesailor

やんちゃなアマリリスTwitter

https://twitter.com/kissayanama

著者:吉村 智樹

吉村智樹

京都在住の放送作家兼フリーライター。街歩きと路上観察をライフワークとし、街で撮ったヘンな看板などを集めた関西版VOW三部作(宝島社)を上梓。新刊は『恐怖電視台』(竹書房)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)。テレビは『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)『京都浪漫 美と伝統を訪ねる』(KBS京都/BS11)『おとなの秘密基地』(テレビ愛知)に参加。

Twitter:@tomokiy Facebook:吉村 智樹 

 

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