定まらないぼくと、ゆれ続けている国分寺

著者: 片山 悠 

20代無職、おぼつかない足取りで

20代前半、ぼくはずっと無職だった。
正確には2年間の卒業延長をした大学生だったが、実質は変わらないだろう。
実家で親のすねをかじり、骨の髄まで吸いつくさんばかりのパラサイト。

当時のルーティンは大体こうだ。
国分寺市の隅っこに構えた実家の一室でゆっくりと目覚める。
もはや両親もぼくを起こすことを諦めていたので、それぞれ職場に出かけていってから活動開始。
「爆笑問題カーボーイ」「髭男爵山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」「東京ポッド許可局」のPodcastをローテーションで聴きながら、西武国分寺線沿いの坂にある無料駐輪場まで自転車を漕いでいく。

駅ビル8Fにある紀伊國屋書店か駅前通りの古書店で気になる本を数冊手にとり、駅近のモスバーガーかケンタッキーでドリンク一杯を粘りながら読みふける。

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そろそろ店内にいづらいとなったら、串とらか四文屋に寄って浴びるように酒を飲む。

TSUTAYAの隣にあったカレー屋、ハバカーる。で週に1回程度の仕込みのバイトに入っていた日は、仕事終わりに店長の有太さんに夜通し飲みに連れて行ってもらう。

有太さんは若くして単身インドへ渡り「クレイジージャーニー」や「ハイパー ハードボイルド グルメレポート」を地でいくような経験を重ねてきた人で、夜ごとに自分の狭い視野を広げる話ばかりしてくれた。

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ハバカーる。は吉祥寺に移り、変わらず日本一のカレーをつくりつづけている

こうして酒ばかり飲んでいたせいか、このころの記憶は歪んだ像で再生される。
同級生が立派に働いている様子を伝え聞くたびにキンミヤ梅割りで脳をゆらしてごまかした。
溢れんばかりになみなみとグラスに注がれたキンミヤ焼酎に、不健康な甘さの梅シロップを好きなだけ垂らす。

あまりに酔うため1人3杯までと制限が設けられていたけれど、3杯飲んだら次の店に移ってまた3杯飲む。
いま振り返ると、間違いなく飲みすぎていた。
管を巻いても優しく話を聴いてくれる店主が多いのもありがたい。

そうして肥大しつづける自意識に呼応するように、足取りは日に日におぼつかなくなっていった。
だけど、そんな自分が目立たずにいられるのが国分寺の懐の深さだったように思う。
当時は同じように定まらない人びとが多く漂っていた。

気づけばずっと未完成だった

ずいぶんと遅れてやってきたぼくの思春期と時を同じくして、国分寺駅前はずっと再開発の工事がつづいていた。
なんでも、高層ビルを建設して駅前ににぎわいを生み出したいんだとか。

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でも立派な意気込みとは裏腹に、再開発は一向に終わる気配がなかった。
それどころか貧乏学生からラブホ代わりに重宝されていた激安レンタルルームが取り壊されたり、駅前のシンボルでもあった純喫茶アミーが閉店したり、「スペインの居酒屋〜」と壊れかけのレディオのように繰り返しながらチラシを配る通称「スペインおばさん」がいなくなったり。
いつになったら恩恵に授かれるのかと不満が募っていくばかりだった。

ああ、でも。
きっと自分の親も同じような気持ちだったのだろう。
息子は弁護士や官僚になりたいと大言壮語を吐きながら、いつまで経っても実現する気配はない。
理想ばかり大きくなると、シルエットがそのまま将来への不安となって影を落とした。

もう引き返せないよなあと思いながらも諦めがつかない。
なまじっか本ばかり読んでいたので、何か考える仕事につきたい欲は捨てきれない。
そして、できることなら悩める人びとに選択肢を提供したいとも思っていた。
高尚な理想と心もとない現実の乖離を思えば、ぼくは国分寺そのものだったかもしれない。

自信があるやつなんか、きらいだ

もし、当時きらびやかなまちに住んでいたとしたら。
自分はとっくに潰れてしまっていたと、確信をもって言える。

西に2駅いけば、閑静な住宅地としても名高い文教地区の国立。
東に5駅いけば、感度の高い店が軒を連ねる、住みたい街ランキング常連の吉祥寺。
どちらも足を延ばせる距離だが、国分寺に息づく精神は大きく異なった。

表立って自信満々ではないものの、どこか腹に一物あるような態度。
武蔵野美術大学も近く、カルチャーに通じた人が多かった。
シンガーソングライター・中山ラビさんがオーナーのほんやら洞を筆頭に個人経営のお店を核に複数のコミュニティが根を張る。
それが、他人と異なる道へ進むことを躊躇しないアウトサイダーのまちとしての魅力の源泉。

そして飲み歩く中で出会ったかっこいい大人たちからも、多くのレッスンを授かった。
地下にたたずむ名店Barのあなぐらなどには、多様なバックグラウンドの人たちがたむろしているのも魅力的だった。

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ちなみにあなぐらは店の売却によりコンセプトも料理も随分と変わった

自分が心酔しているカルチャーや哲学を静かに、でも熱く語る人たち。
肩書きや収入を誇って偉そうにする奴なんていなかった。
異なる価値観をつなぐコミュケーションの媒介となる現在の仕事ができているのも、国分寺でさまざまな他者の視点を得られたからだと思う。

今日もきっと、心地よくゆれつづけている

先日、ずいぶん久しぶりに国分寺を訪れてみた。
母の他界をきっかけに実家を引き払ってから足が遠のいてしまい、およそ3年ぶり。

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駅から出てすぐ串とらに寄ると、かつてあなぐらのキッチンで腕をふるっていた元料理長がすでに酩酊中。
当時と変わらない光景を目の当たりにして、自分のこわばった身体が弛緩していくのを感じた。

マスターのシュウヘイさんは数年ぶりに会っても特にテンションは変わることなく、最近は元気にやってるの、とだけ聞いてくる。
そのかしこまらなさがやっぱり心地よく、思わずお酒が進むこと。

ぼくにとっていいお店のバロメーターは、ホッピー1本で何杯飲めるか。
串とらは焼酎を惜しみなく注いでくれるため4杯も飲める、相変わらずの名店だ。

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タン、カシラ、チレアミ、なんこつ、レバー……もつ焼きの粒はどれも大きく、コブクロやガツの刺し物も牛スジ煮込みも最高で、多幸感に満ちた時間だった。

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20代のころであれば串とらの後に博多とんこつラーメンの木村亭に寄って替え玉まで完食したものだが、もはや到底無理。

あれから変わったのは、消化器系の機能低下だけではない。
国分寺を出てから間もなくIT業界に転職し、全く新しい世界に足を踏み入れた。
そして、PRディレクターとして独立し現在に至る。
働きたくなくて漂っていたころには想像もできなかったほど、刺激に富んだ仕事に勤しむ33歳。
大量の本を詰め込んだバックパックを携えて猫背気味に歩いていた当時の自分は、もういない。

国分寺駅はすっかり様変わりして何だか都会的な顔つきになっていたり、他方で駅前広場は依然として工事がつづいていたりと、なかなかどうして定まらない。
立川とも吉祥寺とも異なり、まちに備えるべきは機能か情緒か、未だに迷っているように映った。

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でも、そんな定まらなさが今日もきっと誰かを心地よくゆらしているはずだ。
こどもと大人。下町と都会。カルチャーとビジネス。
どちらにも固定されず、振り子のようにいったりきたりするまち。
こんな不確実ないまだからこそ、確固たるポジションを築かずに変化できるのは強さなのかもしれない。

中高の同級生やまちで出会った友人たちの多くは出ていった。
かつて足繁く通った店も、随分と姿を消してしまった。
それでもなぜか自分にとって帰るべきまちはここだという、不思議な感覚がある。
いつかは戻るのかな。いや、どうだろう。
国分寺に帰りたいと帰りたくないの間で、ぼくは今もゆれつづけている。

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著者:片山 悠 

片山 悠 

株式会社マドベ/Ubie株式会社 PRディレクター。豊かな選択肢を増やすため「関係づくり」を生業とする。焼き鳥とホッピーが好物。清澄白河在住。Twitter note

編集:ツドイ