「神保町は人情のある街」三宅裕司さんを育てた街、神田神保町3丁目

編集: 小沢あや(ピース株式会社) 取材・構成: 伊藤美咲 撮影:小原聡太

俳優やタレントとして活動しながら、劇団の座長やビッグバンドのバンマスとドラムも務める三宅裕司さん。

三宅さんは東京都千代田区神田神保町で生まれ育ち、28歳まで住んでいたとのこと。映画館や古本屋といったカルチャーが集うこの街は、一体どのように三宅さんの人生に影響を与えたのでしょうか。

マルチな活躍を見せる三宅さんに、生まれ育った神保町の思い出や通ったお店、かねてから提唱してきた「東京の笑い」について伺いました。

神保町の街全体に育てられた幼少期

―― 三宅さんの出身地である神保町は、昔どのような街だったのでしょうか。

三宅裕司さん(以下、三宅):私が生まれ育った神田神保町3丁目は、街全体で子どもたちを育てていたんですよ。家同士のつながりも密でしたし、よその子でも叱るおじさんがいました。

子どものころ、細い路地ですれ違ったオート三輪と接触してしまったことがあったんです。痛くて泣いている私を見た運転手が、私を病院に連れて行こうとオート三輪に乗せて走り出したんですよ。

それを見た近所のおじさんが、「あれはゆうちゃんじゃないか! 誘拐か!?待てー!」と騒いで。街中の人がオート三輪を追いかけて、病院に着いたら「そういうことか」と安心して仕事に戻るということもあったみたいです。

―― 街全体が家族のようですね。子どものころの遊び場はどこだったのでしょう?

三宅:神保町は自然が少ない土地なので、遊ぶ場所といえば千鳥ケ淵でしたね。あと、ふだんは土手までしか行けない皇居の中で過ごせる行事がありました。皇居にある緑の中で、遊んだりお昼寝したりして過ごすんですよ。

―― 自然のある場所は貴重だったんですね。神保町はお祭りが盛んな街でもありますが、三宅さんも参加されていましたか?

三宅:神田祭では神輿(みこし)を担ぎ、盆踊りでは太鼓を叩いてました。太鼓が叩けるとモテますからね(笑)。各町内の盆踊り大会は全部回っていました。人生で初めてもらったギャラも、盆踊りの太鼓でしたね。中学生ぐらいだったかな。1500円くらいでしたが、相当うれしかった記憶があります。

―― 初めてのギャラは何に使ったんでしょう?

三宅:全然覚えてないです。でも良い格好するのが好きでしたから、みんなに何か奢ってあげたんだと思います。

三宅裕司をつくり上げた神保町のカルチャー

―― 神保町は映画館や本屋が多い街として知られていますよね。よく通っていた場所はありますか?

三宅:私の家から歩いて行ける映画館が5つあったんですよ。ひとつは東映の時代劇を上映していた「銀映座」。通学路にあったので、学校へ行くときに何が上映されているかを確認していました。

それから、神保町のさくら通りにあった「東洋キネマ」。もともとは洋画の三番館だったんですけど、後に東宝作品が上映されるようになって、クレージーキャッツや駅前シリーズ、若大将シリーズをよく観ていました。

「神田日活」では石原裕次郎作品をずっと観ていて、洋画の三番館である「南明座」や飯田橋にある「佳作座」にも行っていましたね。

―― 近所に5つも映画館があるなんて珍しいですね。

三宅:神保町に住んでいたぶん、あらゆる情報の取得が早かったんですよね。「家から離れた街まで出ないと映画館がなかった」という周りの話を聞くと、改めて「本当に良いところに住んでいたんだな」と思います。映画館だけでなく、本屋もたくさんありましたし。

―― 本屋はどこに通っていましたか?

三宅:高校生になって落語研究会に入ったりバンドを始めたりしてからは「古賀書店」、映画関係の本を探すときには「矢口書店」によく行ってました。

矢口書店では、『お楽しみはこれからだ』の名台詞集や小道具の本を買った記憶があります。そういえば、以前「EXテレビ」の番組をつくっていたプロデューサーに小道具の本を貸したんですけど、まだ返ってきてないですね(笑)。矢口書店は、今でも本を探しに行くことがあります。

―― 神保町の映画館や本屋で得た知識が、今の活動につながっているんですね。

三宅:母親が9人兄弟の長女で、日本舞踊の御師匠さんだったんですよね。それで、私自身も日本舞踊と長唄と三味線とピアノを習わされていました。当時は嫌でしたけど、今となっては習っててよかったなと思いますね。

さらに伯母さんもSKD出身で、その旦那さんが作曲家。叔父が芸者の置屋をやっていて、いとこがグループサウンズの一員だったんです。神保町で生まれ育ったことと、芸能関係の人が周りに多かったことが、今の三宅裕司のルーツなのかもしれませんね。

通い詰めた神保町の飲食店たち

―― 神保町でよく通っていた飲食店はありますか?

三宅:「キッチン南海」や「キッチンオトボケ」によく行っていましたね。あとは「いもや」。昔は天ぷら定食が170円で食べられたんです。

―― 170円!今では考えられない値段ですね。

三宅:海老や野菜の天ぷらを揚げたての状態でどんどん出してくれるんですよ。ごはんもおかわり自由なんですが、残すとものすごく怒られます。だから、絶対に全部食べられる自信があるときしかおかわりできなかったですね。

―― 大学の友だちや劇団のメンバーとの飲み会などはどこに行っていましたか?

三宅:飲みに行くとしたら「浅野屋」でしたね。女将さんやお姉さんたちが母の日本舞踊の生徒だったので、友達を連れて行くと「ぼく、いらっしゃい」と言って迎えてくれるんですよ。若いのに常連さんみたいで得意気でしたね(笑)。

浅野屋は、煮込み豆腐がすごく美味しいですよ。豆腐が大きくて量も多いので、学生時代はよく食べていました。

クレージーキャッツを見て憧れた東京の笑い

―― 三宅さんは昔から「東京の笑い」について言及されていますよね。「もし違う土地に生まれていたら違う笑いを目指していたかも」など考えたことはありますか?

三宅:違う笑いを考えたことはないですけど、とにかく面白さだけを追求している大阪の笑いはすごいなと思います。「こんなにくだらないのに笑っちゃう」というのは、最高の褒め言葉ですよね。けれど、自分がそこまで振り切るのはちょっと恥ずかしい。

―― どこか格好つけたい気持ちがあるのでしょうか。

三宅:東京の笑いは、ちょっと格好つけてからずっこけるんですよね。その落差が面白いんです。東京で生まれ育ったからには、東京の笑いで大阪よりも良いものをつくりたいなと思っていますね。

―― 東京の笑いに目覚めたきっかけは何だったのでしょう?

三宅:クレイジーキャッツですね。中学から楽器を弾き始めて、その後に落語研究会に入ったので、自分の中に常に音楽と笑いがあったんです。そんななか、かっこいいジャズミュージシャンたちが馬鹿な笑いをやっている姿を見たら、当然憧れますよね。

高校生のころは大学に入ったら「若大将シリーズの田沼雄一と、無責任シリーズの平均を足して2で割った学園生活を送るぞ!」と意気込んでいました。実際に大学生のころはバンドと落語研究会に入っていたので、学園祭は大忙しでしたよ。

お祭りや劇場に人が集う街を取り戻したい

―― 三宅さんが改めて感じている神保町の魅力はなんでしょう?

三宅:なんといっても、神保町や神田はお祭りの街ですよね。お祭りのときは、靖国通りの交差点で各町会で神輿の担ぎっぷりを競うんですよ。本当は街の人同士で仲良いんですけど、そのときだけは本気でやり合うんです。

そんな状況だったから、お祭りの日は道が神輿と人でいっぱいになって、都電が動けなくなってしまうんです。靖国通りの神保町から九段下の方までズラッと都電が止まっている風景を見て、「何台止められたか」を競っていました。

―― そんな時代があったんですね……!

三宅:神保町は本当に人情のある街で、人とのつながりと子どもを大事にしています。神保町の人情が、劇団を座長としてまとめたり、大人数の番組に出たりするときの付き合い方につながっているんじゃないかなと思いますね。

―― 今後、地元・神保町を含め、東京の街にどんなことを期待しますか?

三宅:コロナの影響でお祭りや劇場に足を運ばなくなってしまった人たちが、また戻ってくるようにしたいです。人が集まるためにやっているのに、人が集まっちゃいけない状況なわけでしたから。

今の時代はスマホを使えば自分が好きなお笑いをいつでも見られますし、人とも簡単につながれます。今の時代よく「不要不急」と言われますが、みんなで劇場に集まって同じ喜劇を見て一緒に笑うことは、部屋で一人で画面越しに笑うより何十倍も楽しいですよね。

みんなで一つの笑いで盛り上がって、その後食事をして、帰ってきたら「よし、明日からまた仕事頑張ろう!」と思える出来事が、実は生きるためには必要であることをみんなにわかってもらえるようにしなきゃいけないですよね。

―― まさに、オンラインでも完結する世の中だからこそ、生の舞台の楽しさを実感します。

三宅:特にみんなで笑ったときの爆発力はすごいですからね。観客はさらにウキウキしますし、演者もさらに気分が乗った状態でパフォーマンスができますから。ぜひまた気軽にお祭りや劇場に足を運べるようになったらいいなと思います。

お話を伺った人:三宅裕司さん

1951年5月3日生まれ。東京都千代田区出身。1979年ミュージカル・アクション・コメディーを旗印に劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」を結成。映画「壬生義士伝」にて「第27回日本アカデミー賞」優秀助演男優賞を受賞。2007年に17人編成のビッグバンドを結成。10月より劇団スーパー・エキセントリック・シアターの第61回本公演「ラスト★アクションヒーロー~地方都市に手を出すな~」を池袋サンシャイン劇場にて開催。

編集:小沢あや(ピース)

※記事公開時、本文中に誤字がありました。9月14日(木)12:45ごろ修正しました。お詫びして訂正いたします。ご指摘ありがとうございました。