書いた人:カルロス矢吹
1985年宮崎県生まれ。コンサート運営、コンピレーション編集、美術展プロデュースなども行う。2012年より日本ボクシングコミッション試合役員に。「ドアラドリル」シリーズ、「世界のスノードーム図鑑」などの著作がある。
人生で一番後悔していることは、大学進学を機に上京する際、本郷に住まなかったこと。
人生で一番やってよかったことは、大学卒業後の住まいを、本郷にしたこと。
方々でそう言いふらしているくらい、僕はこの東京都文京区本郷という街が好きだ。理由は明白で、そこに母方の祖母が住んでいて、幼少期から通っていたからである。
祖母の店「フローラ」の思い出
祖母は、東京大学の最寄りであるこの街で「フローラ」というBARを経営し、その2階に住んでいた。放蕩癖のあった祖父を尻目に、今で言う“ワンオペ”で母を育て上げた祖母は、自分にも他人にも(そしておそらく店の常連さんにも)大変厳しく、子どもとしては少し苦手な時もあった。しかし、祖母に会うために東京へ行くこと自体はいつも楽しかった。なんせ「親族に会う」という大義名分をかざして、九州の田舎から東京に遊びに行けるのである。祖母はお店を開けなければいけないので、そちらには泊まらず、「鳳明館」や「機山館」といった長年地元で続く旅館が我が家の定宿だった。

東京大学を中心に、厳かな雰囲気が漂っているかのようにイメージされがちな本郷ではあるが、なんせそこから坂を降れば「後楽園ゆうえんち」や「東京ドーム」があるのだ。田舎ではお目にかかれない、テレビでしか見たことのなかったファストフード店の数々や、「遊具」と表現するにはあまりにも豪華な観覧車やジェットコースター。夜になれば、それらが煌々とライトアップされる。
以前、この近辺をピエール瀧さんと歩いたことがあるのだが、「東京ドームには文京区中の“浮かれ”が集結している」と言い得て妙な言葉をいただいた。そんな“浮かれ”に手招きされながら、小2の頃に童心はち切れながら食べた東京ドーム名物「モナカアイス(バニラ味)」は、今も来場したら必ず購入するマイフェイバリットの逸品である。
「祖母が少し苦手な時もあった」と書いたが、祖母の店に行くのはいつも好きだった。そもそも子どもだから、BARに入る機会など皆無である。昼間に子どもがBARに入り浸る、これも孫の特権だった。
ズラーっと並んだボトルキープ用のウイスキーに、場違いに陽が差している開店前の店内で、祖母がお店で出している焼きうどんをサッと作って出してくれて、それをカウンター越しに受け取って丸椅子に座って、床につかない両足をぶらぶら揺らしながら、麺をモグモグ頬張る。なんだか大人の遊びを先行体験しているみたいで、妙な優越感を得ながら過ごすのが僕にとっての「里帰り」だった。
そんなわけで、「兎追いしかの山」ではなく「うどん美味しいあの坂」が僕の「ふるさと」なのである。そりゃあ土地勘もあるし、住む場所探しの第一候補にするというものだろう。学生時代はお金の都合で住めなかったのだが、今思うと、多少無理をしてでもとっとと本郷に住めば良かった、と悔恨の極み。
なお余談だが、東京大学の学生だった僕の父は、仲の良い大学教授と祖母の店へ行った際、手伝っていた母と知り合って結婚に至り、僕が産まれた。そんなわけで、比喩ではなく本当に、本郷がなければ今の僕はないのである。
祖母は僕が高2の際に店で倒れ、鬼籍に入った。遂に夜中「フローラ」へ行くことも、祖母とグラスを酌み交わすことも叶わなかったが、こうして本郷についてエッセイを書いている今を思うと、十分過ぎるほど多くのものを孫に遺してくれたんだなと思う。
社会人になって改めて感じたアクセスの良さと飲食店の充実度
大学卒業後にお金をある程度自由に使えるようになってから、僕は本郷を拠点に生活することになった。こちらの予想以上に住みやすい街だった。まず、業務上の利点。既に物書きとして活動していたので、出版社や編集プロダクションが近いことには本当に助けられた。さらに本郷は学生街であると同時に、オフィス街でもあるので、ランチ事情も充実している。層の分厚い本郷の飲食店を開拓するために、時には居酒屋ランチ、時には焼肉屋ランチ、そして時には敢えてファストフード店で。「打ち合わせ」と称して仲の良い編集者達としょっちゅうお昼ご飯を食べに行っては、企画の相談をしたりされたりというのが日常だった。駆け出しが仕事を覚えるには、これ以上ない環境だったと思う。
それと裏腹に、周囲は会社が多いから、土日は人がいなくて静か。これには飲食店がやっていないというデメリットもあったけれど、スーパーはそれなりに開いていたので、毎週末屋上で泊まりに来た友人達とBBQをやって過ごしていた。
後述するけど、なんせ古い建物が多い街だ。僕が選んだのは築50年近いエレベーター無しの5階建て雑居ビルの最上階、屋上も使っていい、という優れものだった。煙や笑い声を立てたりしても、週末の方が人気がないので、特にクレームがつくこともない。
しかも子どもの頃にお世話になった東京ドームシティには、都内最大級の「成城石井」が鎮座している。ラムチョップや豚肉の西京漬けや、名前を聞いたこともない変わったスパイスや野菜が容易に手に入る環境は、今考えると相当に特殊だったと思う。本郷の雰囲気と相まって、なんだか学生時代が延長されているような日々を送っていた。もちろんもう社会人ではあったんだけど。
歴史的建築から広がるカルチャー

色んな出会いがあった本郷の中で、ここに特筆しておきたいのは「FARO」だ。東京メトロ丸ノ内線「本郷三丁目」駅すぐにある「エチソウビル」という、登録有形文化財にもなっているビルがある。関東大震災からの復興に合わせて1930年代に建てられたビルで、ここに「FARO」グループ(という言い方が正しいのかどうかわからないが)が入居している。

「FARO」は元々雀荘だったエチソウビルの2階から上部分を改装し、カフェと建築設計事務所にしてある、というリノベーションのお手本のような空間だ。

「FARO」の皆様とは友人のような付き合いをさせてもらっているが、キッカケは僕が本郷に住んでいることを知ったフットサル仲間の友人から、「本郷に住んでるんなら行ったほうがいいよ、友人が関わってるからさ」と「FARO」の建築士である森政巳さんを紹介してもらったことだった。
さらに、森さんからカフェ部分を経営する大谷知帆さんも紹介してもらい、美味しいご飯とコーヒーを理由に瞬く間に入り浸るようになった。結婚を機に本郷を引き払ってからも、森さんには今住んでいる一軒家のリフォームをしてもらうなど、引き続きお世話になっている。
さて、なんで「FARO」について書いておきたかったかというと、大谷さんとの会話でとても印象的だったものがあったからだ。大谷さん曰く、近くに東京大学があるせいか、外国人留学生も多く、アメリカやドイツ出身の常連さんも多い。彼ら彼女らは本郷に来て、「FARO」に来て、「地元を思い出す」「ほっとする」と口を揃えるそう。
これは、僕が本郷に抱くイメージとほぼ一緒なのである。「不思議なものですよね」と大谷さんはおっしゃっていたが、それはきっと東京大学の存在が大きいんだろうな、というのが僕の推論だ。

東京大学は1877年創立。ただ、ランドマークでもある安田講堂をはじめ、多くの建築物は1920年代前後、大正期に建てられたゴシック様式のものが多い。明治以降、日本が急速に西洋化していく中で、建物も同じく西洋化の一途を辿っていった。
そして、東京大学と歩調を合わせるかのように、同じ色調で建築された当時の建物が、本郷にはいくつか残っていて、どれも大事に扱われている。それが洋の東西を問わず、初めて訪れたとしても、本郷を「どこか懐かしい」と感じる人が多い一番の要因だと思う。

僕が本郷という場所に郷愁を感じるのも、必ずしも自分にとっての「ふるさと」であるから、というだけではないんだろうな。そんなことを、「FARO」でのやり取りで教わった。
「山ぎし」で味わうふかふかのうなぎと温かな接客
このエッセイの執筆依頼を受けて、写真を撮るついでに、久しぶりに「フローラ」を、祖母の店を見に行ってみようと思った。実は昨年夏に通った際、まだ看板だけは残っていたのだ。おそらく、不動産屋さんが面倒くさがって外さないでいたのだと思う。ただ実際に行ってみたところ、今年になって看板は外されていた。ノスタルジーはノスタルジーでしかなく、時間は確実に流れていたのだ。
軽いショックを覚えたものの、せっかくなのでこの機会に「フローラ」の二軒隣、うなぎの「山ぎし」で鰻重を食べてから帰ることにした。初来訪ではない、絶対に何度か食べたことがあるのだが、前回訪れたのは20年以上前である。本郷に住んでいたくせに、祖母が亡くなってからは一度も行っていないので間違いない。そう思うと、随分な不義理を働いていた気がする。

ご夫婦で営まれているこぢんまりとした鰻屋さんで、女将さんに自分の身の上を明かしたところ、なんとこちらのことを覚えていてくれた。「おばあさんは結構急に倒れたよね〜」なんて会話を交わしながら、時間をかけて焼かれた蒲焼は、これまで食べたどんな鰻よりも香ばしく柔らかかった。

お会計の際、「体力の続く限りやろうと思ってるからまた来てね」と声をかけてくれたので、こちらも「次は両親を連れて行きますね」と約束をして店を出た。そんなわけでこれを読んでいるであろう父と母、「山ぎし」に行くために旅程を出しておいて下さい。
名曲に触れながらゆったりタイムスリップできる喫茶店「麦」

そういえば先日、打ち合わせで同じく本郷三丁目にある「麦」という喫茶店に行って来た。赤い絨毯の上にドカと置かれたスピーカーからは、終日クラシックの名曲が流れている。
この純喫茶は、本郷に通っている学生たちの宿木のような店だ。1964年の創業以来終日喫煙・飲酒OKという、昭和から店ごとタイムスリップして来たような一軒である。多少の値上げは行ったそうだが、お値段も学生に優しい昭和な価格帯をキープしてくれている。
ちょこちょこ行っていた店なのだが、教えてくれたのは父だった。彼が上京した時に「あそこへ行きたい」と待ち合わせ場所を指定され、「よくお母ちゃんと行ってたんだよ」と言いながら満足気にサンドイッチを頬張っていた。父母にとっても、本郷がいつまでも「懐かしい街」であることを切に願っている。
編集:小沢あや(ピース株式会社)
