住みやすい都市感と心安らぐ大自然感がちょうどよく同居している街「二子玉川」 |文・佐佐木定綱(歌人)

書いた人:佐佐木定綱

歌人。第62回角川短歌賞。『月を食う』(KADOKAWA)で第64回現代歌人協会賞を受賞。2022年度NHK短歌選者。神奈川新聞歌壇選者。

変身のたびにパワーアップする住みやすさ

二子玉川は変身を遂げてきた。いまは第四形態ぐらいだろうか。フリーザ様だったら最終形態である。

というのも、2000年代から永遠に続くかと思われた再開発で、駅の形状やお店のラインナップなどが毎年のように様変わりしていた。地元民としてそれぞれの形態に思い出があるが、これから住むかもしれない方に過去を振り返っている場合ではない。

(昔は「いぬたま・ねこたま」という犬猫と触れ合える巨大施設があったんです。「ナムコ・ワンダーエッグ」というナンジャタウンのすごい版みたいなのもあったんです。嘘じゃないんです。信じてください)

美しき二子玉川爆弾で爆破するならなお美しい

という短歌を詠んだことがある。(「いぬたま・ねこたま」などの)破壊と再生を繰り返してきた二子玉川を眺めながら作った歌だ。「短歌という爆弾」と言ったのは穂村弘だが、私もこの街の片隅に短歌という爆弾をたくさん仕掛けてきたように思う。このコラムで美しさが少しでも伝えられるとうれしい。

二子玉川がフリーザ様のようにまだ変身を残しているかはわからないが、フリーザ様のように変身のたびにはるかにパワーを増してきたのは間違いない。

パワーとは戦闘力ではない。住みやすさ力である。

突如誕生した駅前ビル群と映画館

二子玉川の美しさと住みやすさを爆発的に増加させたのは駅前ビル群の誕生だ。かつてはマクドナルドとたこ焼き屋ぐらいしかなかったというのに、今や近未来SFと見紛うほどの光り輝く駅ビルが群れ集まっている。この二子玉川駅周辺に行けば大体何でも揃う。利便性は住みたい街の決め手の重要な要素ではないだろうか。

「二子玉川ライズ」は第四形態目の変身で姿を現した巨大商業施設だ。オークモールとかバーズモールとかドッグウッドプラザとかちょっと何言ってるのかわからない名称がついた建物郡だが、まあキレイなショッピングモールと思って間違いない。

東急ストアに成城石井、百均にミスドにマクドナルドにユニクロにH&M、ヴィレッジヴァンガードに島村楽器に3COINSにABCマートにロフト……。昔から二子玉川を知っている人間なら誰もが信じられないと思うようなラインナップである。

さらに大きなアピールポイントとして映画館、「109シネマズ」がある。映画館があるんですよ。「明日は休みだからご褒美にレイトショー見ちゃおうかな」とかできるんです。二子玉川の民はまさか地元に映画館ができるなんて信じられず、しばらく映画館の壁を叩いて現実のものか確かめていたそうです。これは嘘です。

ちなみに近年公園も整備された。子連れが遊べるところもあり、なんだか異様にお洒落なスタバもあり、こちらもおすすめだ。

文明を教えてくれる玉川髙島屋の存在

「玉川髙島屋」は二子玉川を象徴するランドマークだ。私は幼いころ髙島屋のことがどうしても発音できずに「たかましや」と言っていた。

開業が1969年というのだから非常に長い歴史を持っている。といっても当然当時のままではない。髙島屋は髙島屋で、改築や増築などをして独自の変身を遂げてきた。ここも第四形態ぐらいなんじゃないだろうか。

私がおもちゃや本、CDといった文明的なものに触れたのはすべて髙島屋からだった気がする。いまは店舗が変わってしまったが、2階にあったおもちゃ屋でプレステの『I.Q』というソフトの体験版をひたすらやり続けていたのをいまでも思い出す。ゲームによると私はIQ30ぐらいだった気がするが、まああながち間違っていないだろう。

南館にある「紀伊國屋書店」は本への欲求を満たしてくれた。子どもの頃は本屋が商店街の個人商店と紀伊國屋書店の2つで、週刊少年ジャンプなど王道マンガは商店街で、小説などは紀伊國屋書店で買っていた。

高校生のときに「名作文学でも読んでみるか」と思って岩波文庫をまとめ買いしたら、レジの店員さんがすごい優しく丁寧に、それこそなんだか天然記念物でも慈しむように対応してくれたのを覚えている。いまでもどうかはわからない。『モンテ・クリスト伯』(全7巻)買ってみてください。慈しんでくれるかもしれません。

ちなみにいまは紀伊國屋書店、文教堂、蔦屋家電、ヴィレッジヴァンガードと毛色の違う書店が4つもある。いまや書店は貴重な時代ですから。二子玉川で書店のハシゴなどいかがでしょう。

名店ひしめく柳小路

髙島屋の裏手には飲食店街が広がっている。「柳小路」と名付けられ、なにやら古都のような趣きのある一画になっている。

髙島屋やライズの飲食店もいいけれど、こちらもおすすめだ。落ち着いたお店から気軽に飲める大衆的な居酒屋まで、一人でも二人でも、大人数でも楽しめる。私はこの一画で何度夜を明かしたかわからない。柳小路とはおいしい寝室である。飲み屋も多いがラーメンのウマい店も多い。

一杯の魚介ラーメン分けている母と幼の笑い満ちゆく

ラーメン屋での一首だ。何十店舗もラーメン屋がひしめく激戦区、というほどではないがいいラーメン屋がたくさんある。つけ麺の「麺屋みちしるべ」、豚骨の「博多濃麻呂(はかたこくまろ)」、白湯スープの「いっせいらーめん」、鮎を使った珍しい「鮎ラーメン」など、どれも是非一度は食べてほしいほどおいしい店たちだ。

「香味」「久華」「つばめ」など町中華のおいしい店もある。自分の食生活からご紹介がついガッツリめのラインナップになってしまうが、それ以外のジャンルも充実している。さらに、二子玉川らしさとして前掲した短歌のように、ラーメン屋でも親子で入りやすい雰囲気があるというのはお伝えしておこう。女性一人も老人一人もよく見かける。二子玉川は人に優しい街なのだ。

柳小路を抜けてゆくと二子玉川商店街がある。こちらはなんとも下町感漂う情緒豊かな商店街だ。

純粋な脂を落とすホルモンを炎は強く強く愛する


商店街を進んでいくと「スップル」という焼肉屋がある。ここがうまい。落ち着いた店構えと、商店街の奥地にドキドキするかもしれないが、勇気を出して足を踏み入れてほしい。その一歩は小さな一歩かもしれないが、舌と胃にとっては大きな飛躍である。ここで私はホルモンが脂を落として炎の寵愛を受けているのをジッと見つめながらマッコリを口に含むという幸せ以上のものを知りません。地元にうまい焼肉屋がある。これだけでも住む理由にならないでしょうか。

住むなら川の近くがいい

多摩川は二子玉川と添い寝するように横たわっている。

住むなら川の近くがいいと思っている人は、結構多いのではないだろうか。二子玉川は比較的下流の方なので、川幅が広く緩やかで落ち着いている。川の周辺もかなり開けているので、空も広い。都市生活で空不足になったあなたの心の中の鳥にもぴったりです。私の心にはガマグチヨタカが棲んでいます。

駅から降りていくとある川辺は座りやすく石の舗装がされているので、人々が自然を味わう憩いの場となっている。夕方に歩けば、愛を語り合っているであろう笑顔のカップルや、青春を語り合っているであろう高校生や、疲れ切っているであろうビール片手の会社員。みんなが夕日を浴びて光り輝いている。

終電の光を君と眺めおりそのまま銀河仰ぎ寝ころぶ

夜も美しい。終電の光から夜空を眺めるという歌。鏡のような暗い多摩川、川向こうの神奈川の夜景、駅のホームと電車の光、そして電車の音、星空。高架の上をゆく夜の田園都市線は銀河鉄道なのだ。


原初の姿のまま変わらない二子玉川

駅から離れた地域もご紹介しておこう。

15分ほど歩くかバスに乗るとたどり着ける。二子玉川のワールドエンドというやつだ。ここまで来ると駅前の発展具合が夢であったかのような、郊外感、そして大自然を楽しむことができる。駅前が第四形態ならば、こちらは二子玉川原初の姿である。

「鎌田図書館」周辺は郊外感あふれるエリアだ。学校と畑しかない。地元に長く住む人間としてはこちらのほうが二子玉川感があり、なんとも落ち着く。鎌田図書館もこぢんまりとして心休まる場所である。ここのリサイクル本コーナーで鬼平犯科帳をほとんど揃えた。

森林浴をしたい方には「民家園」と「静嘉堂」を訪れて欲しい。民家園はいわゆる公園である。広くもないが、狭くもないといったちょうどいい公園だ。園内に小川が流れているのでせせらぎが心地よい。美しい竹林もある。

子どもの頃、夏に水鉄砲大会が開かれて、かっこいい水鉄砲が欲しいと懇願したが、「そんなもの使わなくなるし、これでいいじゃない」とカラになったカビキラーのボトルを洗って渡された。全然よくない。みながシュコシュコとエアーを溜め、トリガーを引き続けるだけで長く水を噴射できるかっこいい水鉄砲を使う中、一人カビキラーボトルをシュッシュしていたことはいまでも忘れられない。カビキラーのボトルを使うのは間違っても真似しないでほしい。危険だし、 そもそも飛距離がまるで足りない。

民家園のすぐとなりに、静嘉堂というところがある。本名を「静嘉堂文庫」といい、美術館がある。「曜変天目」の茶碗など国宝が所蔵されているらしいが、残念ながら見たことはない。口の両端を指で引っ張りながら静嘉堂文庫と声に出して言ってみてほしい。せいかどううんこになるだろう。私と兄はこれだけで一日キャッキャする程度の知能しかない。

美術館の付近は散歩できるようになっているのだが、ここはすごい。身の丈以上もある草木が生い茂り、土と草の匂いが充満し、昼でも薄暗く、空にはカラスの声が響き渡る。生い茂る草木の向こうにある美術館、まるでジブリの世界に足を踏み入れた気持ちになれる。

少し歩いただけでこの自然に包まれることができるのは、他の街にはない二子玉川ならではの魅力だと思う。多摩川とこののどかな風景、そして山奥のような自然。社会や人間関係、もろもろに疲れた現代人にはこれが必要なのだ。

この街は人が良い

今回自分の視点以外の魅力もお伝えしたいなと思い、10人ぐらいに二子玉川の魅力を聞いたところ、「人が良い」という答えが多くあった。言われてみると確かにそうかもしれない。酔っ払って奇声を上げていたり、路上で寝ていたりする人はほとんどいない。

そして、このコラムの写真のために民家園へ行ったら子どもの多さに驚かされた。こぢんまりした公園が原宿のように子どもでごった返している。なるほど、「人が良い」というのは子育てに適した街なんだなぁと感心しながら、子どもが入らない瞬間を求めて写真を撮っている私は不審者であった。

カーネーション持って微笑む人のいて優しき出口となる改札は

二子玉川の駅で作った歌だ。改札で人を待つ女性が、うれしそうな顔でカーネーションを手にしていた。これから大好きな人に会うのだろう。待つ人も、待たれる人も、想いの具現化として手渡されるであろうカーネーションも、すべてが美しかった。晩御飯の買い物袋を下げて改札を通るたびに私はその光景を思い出している。この街には住みやすさとあたたかさが同居している。

著: 佐佐木定綱

編集:小沢あや(ピース株式会社