著:ながち

マスターに「五反田に戻って来ちゃいました」と報告すると、「はやっ」と笑われた。
「1年経ってないじゃないですか」
私の横にいる夫が、芝居がかって「いやあ、五反田に戻って来る理由はいろいろあったんですけど……このお店が決め手ですよ」と言う。
「うれしいですねえ。戻って来るってことはもう、五反田からは離れないでしょうね」
マスターのその返事に、私たちは顔を見合わせた。
21歳の私は、36歳の彼と五反田で同棲を始めた
2014年、付き合って数カ月の年の差カップルは、五反田にマンションを借りた。
五反田を選んだ理由はいろいろあった。彼の職場は品川から3駅圏内なら家賃補助が出るだとか、私の実家が横浜なので南東京だと帰りやすいだとか、私の職場の最寄駅が東京駅だから一本で行けるだとか、知り合いに紹介してもらった不動産屋がその部屋を勧めただとか。
渋谷まで3駅、品川まで2駅の超好立地な山手線沿いなのに、繁華街のイメージが強いせいか、家賃はわりと安い。ふたりは五反田駅まで徒歩5分、角部屋最上階、家賃10万4800円の1DKに住み始めた。

土曜日。山手線は平日よりずいぶん静かだ。昼前まで寝ていた私たちは、布団の中でよくジャンケンをした。
「負けたほうがごはん買ってくるやつね」
近所でテイクアウトできるお店といえば、インドカレーの「maya」、中華の「香酒縁」、駅前まで歩いて「モスバーガー」「吉野家」「長崎ちゃんぽん」……(モスバーガーはもう閉店してしまった)。
負けるのはだいたい私で、お店はだいたいmayaだった。ワンコインでカレーとナンとサラダがついてくるセットがある。私はマトン、彼はキーマ。mayaへ向かう坂道の途中、右手にはひっきりなしに山手線が走っていた。21歳の私は、毎週起きるこの土曜のイベントが、どれだけ幸せなものなのかをあまり理解できていなかった。

ふたりでよく、日本のクラフトビールが豊富な「クラフトマン」、日本酒がとびきり美味しい「それがし」などで、お酒を飲んだ。
チェーン店だけど、駅前にあった立ち食いの「銀だこ」や「磯丸水産」には何度も行った。あとは、「グリルエフ」のハヤシライスのとりこになったり、「ミート矢澤」のハンバーグのために1時間並んだり。「おにやんま」にはどれだけお世話になったか数えられない。

でも正直に書くと、大してお店を開拓したわけじゃない。
私たちは大体、「ばる あらら」に足を運んでいたからだ。当時住んでいた家から徒歩1分のところにある、小さなスペインバル。食べログの評価はいたってフツウなため、一見さんがバンバン来るようなお店じゃない。20席ちょっとしかなくて、いつもスペインの街を紹介する旅番組が流れている。

「ばる あらら」の料理はとにかく美味しい。
私たちは座った瞬間、白インゲン豆のアリオリサラダをとりあえず頼む。ドリンクメニューを眺め、結局いつも通りスペインビールの「ガリシア」を1本ずつお願いする。それから、クリームコロッケ、ミートボール、タコのガリシア風、豚バラ肉のサングリア煮込みなんかを食べる。
どれもこれも素朴で美味しい。パセリがちらちら乗せてあるだけで、たいそうな皿でもなければ、写真映えする盛り付けでもない。そういうところが好きなのだ。

ふたりで行く回数がだんだんと増えて、マスターと顔見知りになり、テーブル席ではなくカウンター席に座るようになった。
マスターはものすごい映画オタクで、スペインバルなのに、棚にはスターウォーズのフィギュアがたくさん飾ってあった。同じく映画オタクで世代も近い彼は、マスターと意気投合した。私はだいたい「え、あれも観てないの!?」「あれマジで観たほうがいい」と言われる立場だ。

2015年11月、そんな思い出深いお店でプロポーズされた。
「きょうはテーブル席で」って言うから、何事かと思ったら。……なんてのはうそで、雰囲気的に、“その日”であることはなんとなくわかった。
私は22歳、彼は37歳。15歳差なんてまったく感じないほど、私たちは仲良しだ。大井町の品川区役所で婚姻届を出して、夫婦になった。
夫婦になってからも、生活は特に変わらなかった。駅前の商業ビル「remy」にある本屋「Book 1st」をうろうろ練り歩き、銭湯の「万福湯」にとっぷり癒やされた。
「日野学園」の温水プールでなまけた体を動かし、何か嫌なことがあれば「雉子神社」をお詣りした。選挙のときは「第三日野小学校」まで歩いて行って、帰りに「ブレッド&コーヒー イケダヤマ」でクイニーアマンを食べた。
五反田の日々はずっと続くと思っていた。

「子どもができるかもしれないし」
五反田に住んで2年。仲睦まじく1DKに住んでいた私たちは、あるとき「部屋が狭い!」と気づいた。今となっては、むしろよく1DKにふたりで住めていたなと思う。広い部屋に引越そうということになり、「次に住む場所では子どもができるかも」なんて話をしていた。
子どものことを意識していたのは、夫よりも、私のほうだったと思う。
「夫は15歳年上だから、私が若いうちに産まなくちゃ」
「育てるなら五反田じゃなくて、もっと郊外のファミリーが多い街がいいのかも」
なんらかの強い義務感を抱え、私たちは23区郊外にあるファミリー向けの集合住宅に移り住んだ。
「ばる あらら」には、そんな理由を話して、お別れを告げた。もちろん、五反田に一生来なくなるわけじゃないから、とは話していたけれど。住む街が変われば行くお店も変わるのは、私たちもよく分かっていた。

ファミリー向けの集合住宅は、もちろん家族向けの間取りが多い。私たちは狭さの反動で3DKを選び、すぐさま持て余した。新しい街は21時で人通りが少なくなり、山手線の喧騒も酔っ払いの笑い声も聴こえない。そこですれ違うファミリーはまぶしくて、たまらなかった。
土曜日。五反田のときと同じように、布団の中でジャンケンをする。
負けたほうが、徒歩10分近くのところにあるインドカレー「ルチ」まで買い出しに行くのだ。私たちはカレーが大好きだ。いつも通りジャンケンに負けた私は、山手線の緑ではなく、並木道の緑を眺めつつ、ルチへ向かう。ルチは段違いで美味しいカレー屋だった。私も夫にならって、キーマを頼むようになった。
当時の生活を支えていたのは、ルチと、ラーメン屋の「いのこ」だった。仕事帰りに駅で待ち合わせて、いのこでラーメン1杯ずつ頼み、瓶ビールとチャーシュー丼を分けた。私たちは、密やかな幸せでぶくぶく太った。

「子どもができるかもしれないし」
そんなことを言いながらこの街に来たけど、別に私たちは妊活をしなかった。ふたりが楽しかったし、仕事も楽しかった。
年齢を考えたらそりゃあ妊活したほうがいいんだろうけれど、「夫婦は必ずしも産み育てなければならない」わけじゃない。私は23歳、夫は38歳だった。
集合住宅に移り住んで1年足らず。私は勤めている会社でしっかりめにボーナスをもらい、生活に余裕がでてきた。夫は会社を辞めてフリーランスになり、都心での付き合いが希薄にならないよう苦労していた。
「子どものこと」以外、この街にいる理由は無かった。あー、あららの白インゲン豆のアリオリサラダ食べたい。そんなことばかり考えていた。
「私が引越し代出すから、五反田に戻ろう」
夫は最初、渋った。「広い部屋と静かな環境は、わりと気に入っている」。それは同意した。
でもさあ、産み育てを決め切れておらず、1年間妊活しなかったんだから、結局“まだだった”ってことなんじゃないかな。あのとき産み育てたらよかったって、後悔するかもしれないけど、今を尊重しようよ。そうやってお互い生きてきたから、一緒にいるんじゃないの。

五反田に戻った後に訪れた、4カ月間のひとり暮らし
私たちは以前住んでいた部屋とは、反対側にある五反田の街に移り住んだ。間をとって2DK。古い分譲マンションだけど、不動前駅にも出やすくて便利で、満足している。
そして、冒頭の場面に戻る。
「うれしいですねえ。戻って来るってことはもう、五反田からは離れないでしょうね」
「ばる あらら」のマスターが言う通り、私たちは五反田を離れることはもう無いかもしれない。これまでと同じようにスペインビールを飲み、タコのガリシア風やらクリームコロッケやらに満足するのだ。
夫は五反田に戻ってからすぐ、体調を崩し、半年後に入院した。

闘病生活はこの記事に詳しく書いたけれど、一言で言えば、とある難病に罹った。夫は死ぬかもしれない状態だった。
私は24歳、夫は39歳。突如訪れた五反田でのひとり暮らし生活は、もちろん楽しくなんかない。
それでも、ひとりで食事できるお店がたくさんあったのは良かった。「スワチカ」でメンチカツを、「プランタン」でナポリタンを、「とん金」でトンカツを食べた。不動前の「東印度カレー商会」はスパイシーで野菜のコクがあって絶品だ。せめて元気になれそうなものを食べ続けた。

なかでも、女ひとりで夕食を済ませつつ、晩酌もできる「ねこまま屋」の存在は本当にありがたかった。女将さんはおつかれさまです、と一言だけ声をかけてくれて、特に何も干渉しない。夫の入院中は、思い出のお店へ行くには心が追い付かなかった。

2DKのひとり暮らしは、幸いにも4カ月で終わり、夫は退院した。ただ、生活はこれまでとまったく同じとはいかない。
夫は「死ぬかもしれない」を乗り越え、私は「大切な人が死ぬかもしれない」を過ごしてきた。
「子どもができるかもしれないし」?
自分や自分の大切な人が死ぬかもしれない世界線では、“来るかも分からない未来”によって生活は決まらない。私は25歳、夫は40歳になった。
退院後に行った「ばる あらら」では、心配していました、などと声をかけてもらい、うれしかった。
「レディープレイヤー1観ました?」
「あー、そのとき入院中で」
「そうかあ、きっとお好きだと思います。もうすぐブルーレイ出ますから、感想聞かせてください」
いつものスペインビール、夫も飲めるようになって本当に良かった。

土曜日。新しい部屋から山手線のベルは聴こえない。トーストを焼き、朝ドラを見て、洗濯したあと、ジャンケンする。
「負けたほうがごはん買ってくるやつね」
選択肢は、インドカレーの「サッカール」か「ムナ」、「吉野家」「CoCo壱」「スシロー」云々……。私たちが住むところの近くには、たいてい美味しいカレー屋があって、ハッピーなインド人だかネパール人だかが働いている。この記事を書くにあたって、各所のカレーの写真を探してみたのだけど、日常のワンシーンすぎて、まったく撮っていなかった。
なんて幸せな土曜の昼だろう。毎週続けばいい。そう思いながら、私はきょうもジャンケンに負け、買い出しに行く。
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著者:ながち

IT企業の会社員。夫と仲良く暮らしています。温泉オタクOLとして、ファッション誌「GINZA」などさまざまな媒体で記事を書いています。
Twitter:@nagachiharu
ブログ:「いつか住みたい三軒茶屋」http://takachi.hatenablog.jp/
編集:Huuuu inc.
