確信【坂の記憶】

著: TUGBOAT 岡 康道

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

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 夏は何の躊躇もなく、秋へと流れていった。

 会社に辞表を出したのは、先週のことだ。今月からフリーランスだ。仕事は変わらない。コピーライターは会社員である必要はない。そんなことは入社前から分かっていたが、10年経ってようやく「確信」めいたものが生じた。
 マンションの窓をあけると、坂の途中にある幼稚園から子どもたちの声が聞こえる。東京に出てきてから三度引越したが、僕はいつもこの大日坂の坂道の途中を選んでいる。
 文京区小日向。

 九州の端っこから大学で東京に来た僕にとっては、とんでもなく輝いていた地名だった。小日向、という少々控えめなのがいい。日向、では少々気恥ずかしい。大日向では不似合いだ。

 小日向の近くにある大学は、模擬試験でも「D」判定のくせに、「この大学だけには受かる」という「確信」があった。この手の確信は、すでに何度か僕の人生に表れていたのだが、それまでの確信は、自分にとって都合の悪い結末を予感する、いわば、弱気の虫の来襲のようで、そうして、たいていそのとおりになった。

 片思いの初恋は、彼女には他に好きな男子がいて、「口に出さないほうがいい」という僕の確信は正しかった。「このバッターには打たれる」と確信すると必ずや痛烈な打球を外野へ飛ばされた。それが何度か続くと、僕は際どいコースに投げて四球を与えることを覚えた。四球は増えたが、失点はめっきり減って、県大会のベスト4までは勝ち進んだ。参加校が少ないわが県では2回勝つとベスト8なのだったから実は大したことではない。それでも県立の母校では初めての快進撃で、その立役者として小兵のエースは、少しはモテた気がした。気がしただけかもしれないけれど。

 この大学には受かる気がしていた。しかし実際に受かってしまうと、わが家はとたんに慌てふためいた。両親は常々地元の国立校を推していた。奨学金だけではどうしようもないからだ。

 困っていたら、助けてくれる神様はどこかで見ていてくれるもので、この時代、その神様はインターネットから見ているらしい。文京区小日向という住所のアパートで「家賃相殺」というネット情報を知った。内容は大家さんの息子、小学生の家庭教師を毎日続けることが条件で、1Kの部屋代を無料にしてくれるという、損なのか得なのかよく分からないものだった。

 僕は他に選択肢もなく、東京の大学生になるために、闇雲にこの条件に飛びついた。アパートは妙足院というお寺から、坂を上っていく途中にある。坂には標識が立っていて「大日坂」と記されている。小日向なのに大日なのか、と少し不思議な心持ちがした。小さいとか、弱いとか、情けない言葉は親近感が湧くのだが、逆の単語にはどうにも反発を覚える。大、太、強、といった自信満々の形容詞たちが好きになれない。どうでもいいことだが。

 こんな始まりだったけれど、東京はすっかり僕を虜にして、就職も故郷に帰らず、東京の中規模な広告代理店に決まった。文章を書いて暮らすのは並大抵ではない。しかし、コピーライターなら自分にもできるのではないか。きっと、できる。そんな「確信」があった。やってみると意外に簡単ではなく、4年間はモノにならなかった。それでも、外資の某クライアント (化粧品会社)に気に入られ、新人賞をもらったりして様子が変わってきた。

 広告の世界は単純だ。受賞作品がいくつあるかで、遇され方が変わる。文字は誰でも書けるから、コピーは簡単に直される。しかし、賞を取ったコピーライターの仕事にはなかなか赤が入れにくくなる。理由はよく分からない。他者の目とは、そのくらい、いい加減だ。だから自分の判断を、自分の判断だけを、とりわけ大事にした。

 僕はずっとこの坂から、東京を見ている。気がつくことや、気がかりなことを、広告の世界に書き込んでいく。それが時代性と呼べるかどうか分からない。ただ、自分のよって立つ「場所」があることは、とても心強い。その場所から「確信」のあるコピーが書けたらと願うのだが、いまだに、仕事でそんなことはない。常に、おっかなびっくりだ。ガールフレンドに対しても、同じように自信がない。

 しかし、僕はいつかうまくなる。その確信はある。それがいつなのかは、分からない。そして、そのころには、半年ごと入れ変わってしまわない安定した彼女がいるはずだ。

 その時も、きっと僕はこの坂のどこかに住んでいると思うのだ。そんな「確信」はあるのだけれど。


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大日坂
住所:文京区小日向2丁目17番と18番の境界
アクセス:有楽町線江戸川橋駅徒歩約3分

大日坂の名は、坂の途中に共立女子学園が運営する共立大日坂幼稚園があることで知る人もいるかもしれない。名の由来は坂の途中にある寺、妙足院の大日堂から。妙足院は天台宗の寺で、1662年(寛文2年)に浩善尼上人という尼僧によって開かれたといわれる。妙足院が何度か火災に遭ったため、大日堂自体は今は残っていない。また、大日坂には八幡坂という別名もあるが、こちらはかつて坂上にあった神社、田中八幡神社が由来とされている。この神社も現在は小日向神社に合祀されているため、その姿はない。坂の名には往時をしのばせる役割もある。




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著者:岡 康道

株式会社TUGBOATクリエイティブディレクター、CMプランナー。早稲田大学法学部卒業後、株式会社電通に入社。1999年、日本初のクリエイティブエージェンシー「TUGBOAT」を設立。主な仕事にTOYOTA「ハリアー」、サントリー「ペプシ」、キヤノン「70D」シリーズ、大和ハウスなど。ADC賞、TCC最高賞など受賞歴多数。また、小説に『夏の果て』(小学館)がある



写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2017年12月号から転載


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books.spaceshower.jp