“なんにもない”と思ってた。離れて気づいた、浅草への愛

著: チヒロ(かもめと街) 

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「どこに住んでいるの?」と聞かれて「浅草です」と答えるときはいつも、声がうわずるような感覚があった。

みんなが知っている観光地であり、歴史のある東京下町の代表格である浅草に暮らしているんだぞ、という謎の自負を持っていたからだろう。同級生が有名人になって、「あいつ、俺の知り合いなんだぜ」としょうもない自慢をするのに似ている。

そんなふうに浅草の認知度に幾度となく頼りながら、結婚して浅草を離れるまでは、地元を好きになんてなれなかった。

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浅草は、1年を通して行事に彩られた街である。たとえば、東京の三大祭りとして知られる三社祭。

その日が近づくと、街全体がソワソワしているのを感じる。実際に、ふだんはどちらかというと寡黙なわたしの父も、お祭りの当日は人が変わる。丸一日、町会の神輿について周った後は、仲間とお酒を飲み、真っ赤な顔で帰ってくる。一年でベスト・オブ・ハイテンションの日なのだ。

ちなみにわたしはどういうわけか、そんな血を引いているにも関わらず、祭りのノリが苦手で、祭りを一緒に盛り上げるよりも、皆が楽しむ様子を少し離れた場所から見ている方が好きだ。

小学生のころは、吹奏楽部だからという理由で、毎年8月に行われる浅草サンバカーニバルにリズム隊で駆り出されたこともあったけれど、「なんで浅草でブラジルのお祭りをやるんだろうか……」と目を見張るほどセクシーな衣装のお姉さんたちをぼんやり見つめていた記憶がある。

そういうタイプだからこそ、年がら年中お祭り騒ぎ状態である浅草のことを、どこか冷めた目で見ている自分がいた。

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2022年のいま、雷門の前にはスターバックスがあり、あちこちに工夫を凝らした「映えスポット」やスタイリッシュなカフェがある。けれど、カフェブームが到来した2000年代初頭、わたしが学生のころは、浅草に“カフェ”の存在はあまりなかった。今でこそ趣深い喫茶店や洋食屋の佇まいに惹かれるけれど、当時は古めかしいものへの憧れはまるで持ち合わせていなかったように思う。だから当時のわたしにとって、浅草には行きたい場所なんて存在しなかった。

夜遊びがしたくなる年ごろになっても、夜に行きたくなる場所もない。いつも東京の西側に恋い焦がれていたし、大人になってしばらく経っても、うまく説明できない下町コンプレックスを抱いていた。

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スカイツリーが完成に近づくころ、結婚が決まり、浅草を離れて静かな街に引越した。

いい加減、同じ景色も見飽きたし、どこか別の世界へ行きたい。そんな欲が一気に解消されたようで、どこか晴れ晴れとした気持ちになるのと同時に、気づいたことがいくつもあった。

それは違う街に住む人と触れ合ったからこそ感じられたことだった。引越した先は住宅街でたくさんの人が住んでいたけれど、駅前の商店街は時代の流れとともに廃れた後のようで、街の一体感を感じられる行事は夏の盆踊りくらい。たまに顔をあわせるご近所さんと会話をすることはあっても、街を活性化させよう、つながりをつくろうという雰囲気を感じることはない。そもそもそういった「つながり」を求めている人自体が少ないのもあるだろう。街のためになにかをしようというのは相当なパワーが要ることなのだ。

年がら年中お祭り騒ぎだった浅草は、観光地ということに甘んじず、街を盛り上げようとする人たちの気概からうまれていること。

どこもかしこも同じような街並みになってしまう危機を感じる昨今、浅草にはそうならないように力を奮って生きている人たちがいるということ。

彼らは、今の時代にとって非常に貴重な存在だ。浅草を離れて初めて、このまちへの愛情と敬意を自覚できた気がした。

他にも、大人になってから新たに気づいた浅草の好きなところには、「飾らず正直に生きる人の多さ」がある。浅草の街は、観光地といえど、人の暮らす街のにおいがそこかしこに感じられる。特に個人商店の人たちの佇まいを見ると顕著である。

こちらが驚くほど距離の近い接客を受けることもあれば、素っ気ないことだってある。どれが心地よいかは人それぞれだけれど、わたしは働く人たちの個性を押し殺して店へ立つよう強いられたやり方よりも、働く人たちの人となりが透けて見えるようなサービスが好きだ。

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そういう思いもあって、下町の魅力を私なりの視点で届けてみようと思って個人で文章を書き始めた。そして2年経ったころ、かねてから好きだった浅草の喫茶店「銀座ブラジル」を取材させてもらった。

店を大切に思うマスターの佇まいに感銘を受け、涙目になりながら「いつか本にしていろんな人に伝えたいです」と口走った。手を抜かず、真摯に、自分たちの大事したい部分はきちんと守る。そういう人たちのことを言葉にして書き残して届けたいという衝動が込み上げた。

翌年の春に、そのインタビューを収録した、下町エリアのガイドブックとなるZINEを自主製作で販売した。

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個人店に限らず、チェーン店でもこんな思い出がある。

共働きの家庭だったからなのか、わたしはひとりで喫茶店へ行き始めたのが早かった。たぶん、10歳くらいだっただろうか。夕方に仕事が終わる母より一足早く、「カフェ コロラド」というチェーン店に向かい、ひとりでコンビーフサンドを食べていたのが妙に記憶に残っている。カリッとトーストされた食パンに挟まれたコンビーフからは、肉のあぶらがじゅわりととろけて口の中に広がった。夕食前の贅沢なおやつが、共働きの両親に感じる寂しさを紛らわせてくれたような気がする。食べ終わるころには、仕事を終えた母が迎えにやってきてコーヒーを注文し、つかの間の「2人の時間」を過ごすのだ。

あのときに子ども1人でも優しく迎えてくれたカフェの大人たちがいたから、今でもわたしは喫茶店へ行くと落ち着くのかもしれない。

どう在りたいか、という姿勢を見せてくれる浅草の人たちには、いつも背筋が伸びる。

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それから、浅草のことを語る上で外せないのは隅田川。子どものころから今も変わらずに愛している。

春になると隅田川の両岸に満開の桜が列をなす。毎年桜が咲くたびに、思ったよりも桜の花びらの色は薄いんだな、と思う。

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たいてい1週間で満開の時期は終わり、無情にも春の大雨と強風があっという間に花をかっさらう。待ち遠しく焦がれた時間と反比例した、桜の儚さ。だからこそ、隅田公園に赤いちょうちんが灯る春の夜は胸が躍った。

隅田川花火大会も忘れてはいけない。夏休みの始まりを知らせるその一夜は、母の作った丸いおにぎりにとうもろこしに加え、親戚が届けてくれる焼き鳥や唐揚げといったごちそうが並ぶ。

イベントに彩られなくとも、隅田川はいつもまばゆい眺めを見せてくれる。

幼いころ、日曜日には父と妹の3人で隅田川を囲むように散歩した。家から桜橋を渡り、下流へ向かいながら隅田川沿いを歩き、吾妻橋から浅草へ帰ってくる。

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日曜日の散歩が楽しかったかどうかは覚えていない。大人になったわたしのように、散歩が楽しいものかどうか、あらかじめ判断して外へ出ていたわけではなかったように思う。ただ義務的に、しょうがないから行くか、くらいのテンションだった。

そんなふうに気乗りのしない散歩でも、心が揺らぐ瞬間がいくつかあって、それは隅田川が朝日に照らされてキラキラときらめく瞬間だったり、都会の狭い空から解放されたように開けた桜橋から抜ける青空だったり、道端に咲いていた野花であった。

隅田公園は、わたしにとっては唯一自然を感じられる場所として存在していた。たとえすっかり人の手が加えられていて、大自然ではないと分かっていても。計画からはみ出さんばかりに小さな花を咲かせるタンポポやツユクサを見ると、なんだか励まされるような心持ちになれた。

こんなふうに、なんてことない散歩にひそむ価値について思いを馳せるとき、いつも『ジョゼと虎と魚たち』という映画のいち場面が頭に浮かぶ。
車椅子の主人公ジョゼは恋人に「なんで散歩に行きたいの?」と問われて、戸惑いながらも確信を持ったようにこう言う。

「いろいろ見ないかんもんあるんや。」
「花とか、猫とか……。」

その答えを聞いて、恋人は吹き出す。そんなものを見るためにわざわざ出かけるの? とでも言いたそうに。それでいて恋人は、小さな発見を宝物のように抱え込むジョゼに優しく微笑みかけるのだ。

状況は違えど、車椅子のジョゼと同じように、ひとりでは遠くには行けないという縛りがある“子ども”だったからこそ、同じ散歩道だとしても、いつも何かしら新しい発見をして楽しもうとしていたのかもしれない。そんなささやかな楽しみは、いまもわたしの暮らしを支えてくれている。

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5年ほど前に、ようやく下町へ戻ってきた。

浅草の中心地からは少し離れた場所に居を構えたが、それが今のわたしにとって浅草とのちょうどいい距離感なのかもしれない。つかずはなれず、大好きだけれどべったりではなく、ほどよい距離があるくらいの。

いつでも心のどこかには、浅草という街が存在している。

そんな思いを抱えつつ、変わりゆく街を見ていると、少しでも今ある浅草の良さを記録に残しておきたいという欲求がじわじわと生まれてきた。今あるわたしの大好きな店は、どんな風に生まれて、どんな人が今まで続けてきたのか。

浅草の、ささやかだけれど大きな存在である店の人たちのことを、その歴史の断片を、今の人たちに届けたい。あわよくば時空を超えた未来の人たちにも残したい。

わたしと浅草の関係が、一歩ずつゆるやかに進化しようとしている。

著者:チヒロ(かもめと街)

チヒロ(かもめと街)

浅草育ちの街歩きエッセイスト。東京下町さんぽ案内人。散歩好きの女性に向けて「知られざる街の魅力」をエッセイでお届けするWebマガジン「かもめと街」を運営。年間500軒の店めぐりでガイドブックに載らないような場所を渡り歩く。都電情報誌「さくらたび。」に散歩エッセイ掲載中 / サンクチュアリ出版webマガジンで書評エッセイ連載。Twitter Instagram

 

編集:ツドイ