調布市を胸に生きた20年間――オランダ少年がそば好きに成長する街

著: クラベ・エスラ 

2002年の夏休み、オランダ出身である僕は初めて日本を訪れた。夏だけの間の短期留学である。当時の僕は15歳で、日本が大好きな少年だった。東京の郊外に住むホストファミリーに迎え入れられ、その長女と一緒に自転車に乗って調布南高校に通った。蒸し暑い日本の夏は初めてで、30分近い自転車移動で汗だくになった。ホストファミリーの長女は何度も振り向いて「エスラ、大丈夫?」と優しそうに声をかけてくれた。彼女は美人で、僕よりもよほど体力があったらしい。

週末に深大寺のおそばを食べるのが、ホストファミリーにとって恒例の家族行事だった。僕もよくわからないなりに、5円玉を賽銭箱に投げ入れ、麺をつゆにかけて啜った。東京といえばネオンの看板が光る未来都市ばかり想像していた僕は、その平和な休日に面食らった。

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おじさんになってしまう前の僕が食べる深大寺そば。深大寺の参道沿いには今も旨いおそばを食べさせてくれる名店が軒を連ねる

あれから今年でちょうど20年。僕はもう日本かぶれの少年ではなく、日本という国に慣れ切った34歳のおっさんになってしまった。日本に約18年住んで、変わらないことがあるとすれば、それは調布愛なのかもしれない。調布南高校や深大寺そばは僕にとって「日本の原体験」に値するものといっても良い。それに、僕と調布市の関係はその始まりに過ぎなかった。

世界の裏側で初めての独り暮らし

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初めて独り暮らしをすることになった深大寺付近のアパート。電気は同時に3つ以上のものを使うと安全器(ブレーカーのようなもの)の電力ヒューズが8割の確率で切れる

2005年、17歳になった僕は重いスーツケースを運びながら新宿の雑居ビルの階段を駆けあがった。ビルの最上階には、激安物件で知られる不動産会社があった。

「こんにちは。アパートを探したいんですけど」

不動産会社の優しいおにいさんは必死になって物件を探してくれた。

「調布市の深大寺なら、家賃2万5000円の物件が空いています」

「……深大寺!? そこがいいです!」

その数日後、僕は住所だけを便りに、スーツケースを転がしながら調布市を歩き回っていた。約3年ぶりの調布が懐かしかった。調布南高校でできた友達とスパゲッティを食べたイタリアンやプリクラを撮ったゲームセンター。深大寺の帰りにホストファミリーと散歩した野川。だが、高校生だった彼らはもうこの街にはいないし、あのとき守ってくれていたホストファミリーにはもう頼れない。僕は迷子になってしまい、切ない気分で新しい自宅を探し回った。やっとのことでトイレ・風呂なしの狭い和室に入ると孤独そのものだった。世界の裏側の街に、たった1人でやってきた。冷蔵庫もなければテレビも何もない。せめて、布団だけでもほしい……。

僕は外に出て、不動産会社のおにいさんが教えてくれたドン・キホーテを目指して武蔵境通り沿いを歩いた。途中で腹が減って、店の外から強烈な煮干しの香りが漂う「たけちゃん」に入った。調布は深大寺そばだけでなく、たけちゃんの煮干しラーメンもなかなかの名物だ。麺類好きにとって調布市は天国らしい。引越してきた初日にさっそくそれを学んだ。

貧乏物件は1年くらいで我慢できなくなったが、調布市には大学を卒業するまで5年間住み続けた。深大寺周辺の自然に囲まれた寺町の粋な街並み、数多く出ているそば屋にソフトクリームやかき氷の屋台。『ゲゲゲの鬼太郎』の生みの親である故水木しげる氏が調布市に住んでいたことを記念に2003年にオープンした「鬼太郎茶屋」もあり、僕はその2階にある「癒しのデッキ」で涼みながら境内の小池を眺めたり、陳腐な小説を書いたりするの好きだった。

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深大寺でくつろぐなら「鬼太郎茶屋」の「癒しデッキ」に限る。妖怪と写真が撮れるフォトスポットやショップに喫茶店、それからちょっとした美術館風のギャラリーもあるので、子どもとのお出かけにもぴったり

深大寺は観光地のようでありながら、驚くほどのどかだ。もちろん、週末に行けば人の数も増えるし、そば屋の前に列もできるが、都内の人気観光地と比べればずいぶんとゆったりとした空気が流れる。

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2006年ごろの深大寺

深大寺の入口から徒歩5分くらいの距離には「湯守の里」(当時は「深大寺温泉ゆかり」)という天然温泉もある。黒湯の浴槽で自然を眺めていられる天然風呂が都内にあるのは驚きだった。

当時の僕は格闘技をやっていて、深大寺の周辺やその近くにある野川でよくランニングをした。新宿まで乗り換えなしで15分の距離なのに、こんなに緑豊かな街があっていいのか? いつか僕に家族ができたら野川沿いに家を建てよう。ランニングしながら、あるいは露天風呂に浸かりながらそんな夢を見ていた日々が昨日のように思える。

代々に受け継がれる家族行事

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参道脇にある深大寺そば 青木屋。二八蕎麦の天もりが名物で、コシがあって風味も豊か。緑に包まれたテラス席で食べるおそばは最高の癒やし

今、僕には実際に家族がいる。野川に家を建てるという夢はまだ叶っていないが、調布市からそう遠くない街に住んでいる。週末は5歳児の双子の娘を自転車に乗せて、深大寺のおそばを食べてから温泉に浸かっている。20年前、ホストファミリーの家族行事だった深大寺が、今では僕自身の家族行事になっている。

「湯守の里」の軽食処にはくつろげるスペースがあり、茶々という4歳のうさぎが飼われている。子どもたちが茶々に絵本を読んで聞かせている間、僕は足湯に浸かって、格闘技の試合前によく1人でこの温泉に浸かっていた日々をまた思い出す。

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深大寺から徒歩5分の距離にある天然温泉 湯守の里。都内では珍しい開放感のある露天風呂が最大の見どころだが、お食事からエステまで充実している

娘たちと調布駅周辺まで出ることもある。鉄道の地下化を実現した調布駅は、僕が住んでいた当時と比べると凄まじく変貌している。駅舎が立っていたあたりは広場になり、都内では珍しいくらいに広々としていて開放感がある。子どもたちが広場のちょっとした遊具に夢中になっている姿を清々しい気分で見守りながら、僕は辺りを見回した。昔からあるパルコに加え、今はビックカメラや映画館「イオンシネマ シアタス調布」もある。当時から住みやすい街だったが、今の調布市は「すべてが完結する街」になっている。道理で、駅周辺は新築マンションもたくさん見かけるし、多くの場合は遊具の充実した公園が隣接している。すっかりパパになった僕は、調布に住んでいた大学時代とはまるっきり着眼点が違う。当時の僕が考えることといえば、格闘技で強くなること、それから女の子とデートすることくらいだった。

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調布駅前の広場。周囲にはパルコ、ビックカメラ、映画館などもあり、もはや新宿に出る必要はない

そういえば、大学生のころ、調布のパルコでガールフレンドへの誕生日プレゼントにアクセサリーを――センスの欠片もないなりに――買ったっけな……。そんな記憶に苦笑しながら、娘たちとパルコに入って昼ごはんを食べることにした。2019年にリニューアルした「DINING TERRACE」は店舗数が多いし、明るくて開放的で子どもと通いやすい。

もちろん、調布はチェーン店から個人経営まで、レストランや飲み屋も充実している。「ぬりかべ」や「ねずみおとこ」など『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪たちのモニュメントで彩られた「天神通り商店街」や「調布銀座」は、まるで駅前の進化がウソだったと言わんばかりに、今も昭和の香りがぷんぷん。

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布多天神社への参道でもある天神通り商店街の入口を見下ろす鬼太郎。商店街はレトロな玩具店から焼き鳥や牛タンの飲み屋まであり、いい意味で昔から変わらない

一昨年だったか、古い友人と調布で飲んだのだが、無言で締めのラーメンを啜っていると、妙に懐かしい味だと気が付いた。

「昔、深大寺の近くにも煮干しの効いた旨いラーメンを食べさせてくれる店があった」と僕は言った。

「たけちゃんだろ? ここに移転したんだよ」

「えっ!?」

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今回の記事の取材で食べたたけちゃんの半ラーメン。そばの天もりから煮干しラーメンとなったが、調布が相変わらず麺好きの天国であることをしっかりと確認できた

そう、僕は知らず知らず、調布に引越してきた夜に初めて食べた「たけちゃん」のラーメンと再会を果たしていたのだ。独特な雰囲気を醸し出していた一代目は2014年に他界したらしいが、煮干し好きには相変わらず大満足の一杯だ。時が経って、人の入れ替わりがあっても、調布市が麺好きにとって天国であるのは変わらないらしい。

野川の桜に包まれて

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野川の桜並木

1年に1週間だけ、日本は世界で最も美しい国になる。2020年3月末、僕は深大寺のおそばを食べてから娘たちと野川に出てみた。満開の桜に包まれて、幸せそうに花見をする家族の姿があった。僕らもブルーシートを敷いて、眩しいくらいに美しい花を彼らと一緒に眺めた。幻想的な光景にうっとりして、ふと「日本人に生まれてよかった」という独り言が出た。次の瞬間、僕は自分がオランダ人であるということを思い出した。このような勘違いをしてしまうのも、この調布に20年も前から来ているせいかもしれない。僕は15歳のときに少しだけの間ここで高校生になり、その2年後はこの街で初めての独り暮らしを経験し、いつかここで家を建てる夢まで見た。野川沿いの家はまだ建っていない。だが、大学生の僕がランニングしながら夢見ていた光景は、間違いなく叶った。そのようなことを考えながら、川沿いを走る娘たちを見届けた。

著者:クラベ・エスラ

クラベ・エスラ

1987年4月30日 オランダ生まれ。IGN JAPAN所属のゲームライター。中学生の頃に『シェンムー』というゲームとの出会いをきっかけに日本へ留学。極真空手有段者で、前職は空手指導員。2011年に仕事を辞めてバックパッカーとしてアジアを放浪し、数年後に日本に戻るとなぜかゲームライターに。IGN JAPANで掲載しているコラム「オランダ人ゲーム少年の人生回顧録」でも調布市の独り暮らしについて紹介している。Twitter:@RineD1987

 

編集:ツドイ