著者: 仲地 慶祐

窓から見える風景が嫌いだった。
大学進学をきっかけに上京し、2年が過ぎた。地元である関西から関東へ引越した僕は何の疑いもなく品川の学生寮へと入居したのだが、これが本当に良くなかった。
家賃や光熱費は格安で、学校にも徒歩で行ける。品川駅までも徒歩15分という、都内の人からすれば羨望の眼差しを向けられてもおかしくない好条件に住んでいた。
しかし、気持ちは重かった。
自室から見える高速道路や高層ビルの摩天楼は何時になっても煌々と人工的な明かりを放ち、車が行きかう音や人々の生活音は深夜だろうと止むことはない。
朝や昼時のコンビニには大行列ができ、企業のサラリーマンたちが時計を気にしながら街を闊歩している。毎日を楽しく過ごしている人はこの街に一体どれくらいいるのだろう。その時の僕には、そんな人は少なく見えた。

陰鬱な気持ちで暮らしていたものだから、学業に対する熱意も低く、ダラダラとした生活を過ごしていた。そんなある夜に友達と部屋で酒盛りをしていると、入学当初から仲の良かった友人が呟いた。
「毎週末、部活で三浦半島の海に行くんだけど交通費が高いんだよなぁ」
本日3本目となるビールを勢いよく開けた僕が言い返す。
「ならさ、いっそのこと海辺でシェアハウスして遊んじゃおうよ」
「それ、いいね」
「窓から海とか見えちゃってさ。夏は浜辺で音楽聴きながら、肉とか焼いちゃって」
「そうそう、その感じね」
ケラケラ笑いながらその夜は話していただけなのだが、翌日になってボンヤリ考え直してみると、待てよと思う。
せっかくの大学生活。数年間の限られた一瞬の時間をどう使うのか。デザインするのは自分自身で色々と制約はあるけれど、どうせなら最高に面白い生活を送りたい。品川は便利で何でもあるけれど、ここはどうやら僕が住みたい街ではない……。
『海が見える一軒家で友達と生活する』
その甘美で快楽主義的なワードに大きく奮い立たせられた僕は、寮の契約更新が残り数カ月というところで品川から三浦半島へ足を運んだ。くるりの「赤い電車」を聴きながら……。
海を望む一軒家へ

三浦半島の南に位置する三崎口から金沢文庫まで、一カ月で三回ほど訪問した。
探している物件の予算は家賃6万円以内で海が近い一軒家。条件といえばそれくらいだったのだが、土地勘が薄いこともあり少し苦労した。
それでも良心的な不動産屋さんに巡り合うことができたおかげで、遂に志望していた条件の家が見つかった。場所は神奈川県横須賀市。京急線の「YRP野比駅」から徒歩10分程度。
「古い家で空調もありませんが、海はすぐですよ」
物件の下見に来ると、不動産屋の方は二階の窓をガラリと開けた。すると、そこからは東京湾の海が見えた。春の眩しい日差しの下で、東京や横浜で荷役を終えた貨物船が、観音崎を回って外洋にゆっくりと出ていこうとしている。その向こうには房総半島が見える。
僕は窓から身を乗り出して、「これは最高だ」と独り言を呟き、ここへ引越す契約を結んだ。

少し肌寒い風が残る3月。僕は品川から野比という縁も所縁もない街で生活を始めた。
最寄駅であるYRP野比駅の『YRP』は『横須賀リサーチパーク』の略記で、電波・通信についての研究を行う企業や大学のラボが集まる土地のことらしい。
駅前はバスロータリーになっており、そこに隣接する形で京急ストアというスーパーや居酒屋が数軒、コンビニもあるので徒歩での生活であっても何の問題もなかった。
最も危惧していた通学も意外というか、普通に快適で、あっという間に慣れてしまった。
品川までは片道一時間ほどかかってしまうのだが、三崎口駅という始発駅が近いこともあり、高い確率で椅子に座れる。
立ち続けるのが苦手な僕にとってはここが重要な点だったし、寝不足でウトウトしてしまっても、品川が終点なので乗り過ごす心配も必要なかった。
大学の寮から急に遠方へと引越した僕を周囲の友達らは心配したが、東京の郊外で下宿し、満員電車を一時間かけて通学する人に比べて、僕は気持ちのよい海辺から椅子に座ってゆっくり本を読むことを思うと、遥かに快適な毎日だと感じた。
正直なところ、野比に引越してからは帰るのが楽しみでしょうがなかった。そこには、品川をはじめ東京という大都会にはない温もりが、横須賀の外れにある野比という街にはあったからだと思う。

夏を迎え、夜明け前に携帯のアラームで目覚める。
寝ぼけ眼で上着を羽織って、外へ出る。玄関に置いてある釣竿を持って僕は浜辺に降り立ち、まだ薄暗い海へ目を凝らした。海鳥はいないけれど、少しだけ海面がザワザワしているのが見えた。
竿を振りかぶり、ざわつく箇所へとルアーを遠投する。三投目でゴンという手ごたえがあり、魚が釣れた。引き上げるとブリの子どもにあたるイナダだった。クーラーボックスも持ってないので急いで持ち帰り、さばく。
ものの数十分で刺身をつくり、ご飯とみそ汁を添えて朝食ができ上がる。学校へ行く前に魚釣りと新鮮な刺身を食べられる幸せ。時刻をみると、朝の七時を過ぎようとしている。
(そろそろ行かなきゃ、授業に遅れるな…)
残った半身をどうするかを考えながら支度を済ませて、学校へ向かう。早起きは三文の得だなと今朝の出来事を顧みて、指先に残った魚の匂いを気にしながら電車に乗り込む。

授業が終わり、夕暮れの品川を大きな人の群れを掻きわけるように歩き、品川駅で10分に一回程度の頻度でやってくる快特に乗り込む。
品川から横浜までの車内は人が多いけど、三浦半島へ南下するごとに人はどんどん減っていく。横須賀中央駅まで来ると、我が家はすぐだと気が楽になり、京急久里浜駅まで来ると、座席も空席が目立つ。
一時間前までの都会の喧騒が嘘のように、今日も野比の駅前は適度な人のにぎわいで、京急ストアで買い物をして帰宅する。自宅の辺りは住宅街だが、夜の7時を過ぎると人の通りも少なく、静寂な雰囲気だ。
帰宅するや早々に僕は自室の窓を開ける。砂浜からゆっくりと潮騒の音が部屋へと入り込み、今日もお疲れさまと囁かれているような気持ちになる。引越して日も浅いのに、品川での都会的な日々がもう遠い昔に思えた。
僕にはきっと人工的な利便さやシステムより、海の色や虫の声、星の光といった自然環境が必要だったのだ。

自然だけではない横須賀の魅力
さらに、横須賀の良さは自然が全てという訳でもなかった。
「今日は行く?」
「うん、行こうか」
一緒に暮らしていた友人から声がかかる。彼とは共通の趣味でスケートボード*1をしていたため、毎晩のように海岸にある遊歩道へ繰り出すのが日課になっていた。

家の前からいつもの場所までいくと、横須賀の路上で知り合った仲間たちがいつものように屯していて、僕たちもそこに加わる。夜の海岸で野外用のスピーカーからは洋楽が鳴り響き、スケートボードで汗を流す。
スケートボードなど都会ではイリーガルな雰囲気に思われるかもしれないが, 、ここが横須賀や野比のよいところで、犬の散歩をしている人やジョギングしている人らとも勢いよく挨拶を交わし、どんどん顔馴染みになっていく。
「元気な若者たちは見ているだけでいいね!」
シロちゃんという犬の飼い主であるオジサンは毎晩、僕らを眺めてはニコニコ笑っていた。
引越す前は全く意識していなかったけれど、横須賀という街は良い意味で本当に特殊だ。それはアメリカ軍基地の存在が大きく影響している気もする。
異文化に対しても寛容的で、カッコいいモノや素敵だと思うものに対して先入観はなく前向きに接してくれる。
野比をはじめ、横須賀の街には外国籍の人々も沢山いるので、アメリカ文化が色濃いかと思えば、日本本来の地域ごとの祭りや神輿などの文化もきちんと健在している。
外から見れば少し混沌としているかもしれないけれど、街も自然も好きで、多様な文化も持ち合わせる野比に僕はどんどんハマっていった。
毎晩恒例のスケートボードの練習を終えて暗い野比海岸を家路に向かう。その途中には、今は駅前に移転しまったけどRICEというお店があり、そこでビールを飲んで帰るというのが通例となった。

お店は海の家のようなカリフォルニアにありそうな西海岸的なデザインの内装で、ここに集まるお客さんもカッコいい人が多かった。
サーフィンやスケートボード、いわゆる横乗りと呼ばれる分野のプロたちや、アメリカ軍基地で働く外国人、音楽や絵描き、または服屋まで多くの人でにぎわっていた。
横須賀の良いところを濃縮したようなこのお店では、地元の情報から僕個人の人生や進路相談、果ては女の子の口説き方や酒の飲み方まであらゆることを勉強させて貰った。
それは駅前に移転した今でも変わらず、当時の魅力を保っている野比においては外せないパワースポットのようなお店だ。
他にも、駅から徒歩5分の所には和風中華の光楽があり、空腹時には熱々の広東麺や餃子に舌鼓を打ち、海辺のお洒落な洋食屋であるシーサイド21にもよく行った。
ともに地元の人々が長く愛してきたであろうローカル感もあり、それでいてご飯が美味しいので、どこも重宝していた。


一週間のうち5、6日は学校やアルバイトに精をだし、休日は海で釣りをしたりスケートボードに興じる。移住して数年が経つと、沢山の仲間や知り合いができて、とても充実した日々を送っていた。
しかし、時は容赦なく流れるもので、大学も卒業が見えてくると進路や就職に関して大いに悩んだ。この生活を手放したくなかったのだ。
多くの人と出会い別れ、良いことも悪いこともあった上で、結果として僕は横須賀で生きることを決意した。あらゆる企業が就職の選択肢にあったが、海や自然が大好きだった僕はそのまま横須賀で漁師となった。
漁師になるにあたり、今では野比から車で15分ほど離れた長井という街に引越したが、今でも野比にはよく行くし、第二の故郷のような感覚で街や人と関係を保っている。

引越してから、今年で10年という月日が経った。11月になり海上を吹き抜ける風は少しずつ冬のそれになってきた。
都内へ就職したスケートボードの後輩が久しぶりに横須賀に帰ってくるというので、連絡を取り合い野比で遊ぼうということになった。YRP野比駅の改札で待ち合わせて顔を合わせる。
「久しぶり!少し太った?」
「いやぁ、全然運動できてなくて。ハハ」
3年ぶりの再会に少しはにかむ後輩と、近況を話しながら京急ストアの横を抜けて海岸へと向かう。最近新しくできたセブンイレブンの前で、野比も変わったねと話し、かつて毎晩のように通っていた海岸の遊歩道へと到着。
「いやぁ、けどココは、この場所は変わんないっすね」
「やっぱり海辺だからじゃない?海辺がコロコロ雰囲気変わってたら大変でしょう」
そうっすねと相槌を打つ後輩を横目に、それでも自身の環境は随分変わったのかもしれないなと思い直した。

好きな場所で生きていく
あの海が見える家に引越した時から10年。
学生だった僕は漁師になり、船を買い、地元の女性と結婚もした。あの窮屈だった品川の学生寮で、ビールを飲んで移住を考えなければ、きっと全てが変わっていたと思う。
移住しなければ、つまらない人生だったのかもしれないし、あるいはもっと良い人生だったかもしれない。
ただ一つ胸を張って言えることは、そこに後悔は一切ないことだ。僕は自分の意志で移住し、結果的に今のような素晴らしい日常を手に入れた。
リスクのない人生は、ある意味安定しているのかもしれないけど、好きなことや自分の意志にこだわって生きていくスタイルの方が中身は濃いと僕は思う。
生きていく上で大切なことを教えてくれた横須賀、野比という街には感謝している。そして、これからの生活で何か地元へ恩返ししていきたい。
野比海岸の砂浜に降り立ち、一握の砂を握って夕暮れのオレンジ色に染まる海に撒いた。これからも僕は好きなことで頑張って生きていくのだと願いを込めて。
海が見えるこの街で。

著者:仲地 慶介

instagram:@ksk_nakachi
編集:Huuuu inc.
※読者様からのご指摘により12月8日(火)18:15ごろ「スケートボード」に関する記述について追記しました。ご指摘ありがとうございました。
*1: 本文中のスケートボードの写真はそれぞれ2011年、2012年に撮影したものです。スケートボードは、各自治体や公園に最新のルールやマナーをご確認の上、他人や近隣の迷惑にならない場所でおこなってください。 またスケートボードの滑走が禁止されていない場所であっても、他人の迷惑とならないよう注意しましょう。
