目標は富士急ハイランドでの野外ライブ OWV佐野文哉さんの山梨愛

取材・編集: 小沢あや(ピース株式会社) 構成: 伊藤美咲 撮影: YOSHIHITO KOBA

今年、自身初のオリコンウィークリーシングルランキング1位を獲得したボーイズグループ、OWV。ダンスを牽引する佐野文哉さんは、山梨県出身です。

OWVとしても、山梨最大級のファッションイベント「TGC FES YAMANASHI 2022」にてトリを務め、翌2023年には県内にある「東京エレクトロン韮崎文化ホール」での単独公演も成功させました。

佐野さんに山梨県で過ごした思い出やよく遊んでいた場所、地元の方々との心あたたまる関係などを伺いました。

メンバーカラーは青だけど…学生時代は戦隊モノでいうとレッドタイプ


―― 佐野さんは山梨でどんな幼少期を過ごされていましたか?

佐野:通っていた保育園、小学校、中学校が全部廃校になってしまうような過疎地域で生まれ育ちました。一学年9人しかいなかったんですけど、小学校では児童会長。中学校では生徒会本部役員、高校では陸上部のキャプテンを務めていました。

―― 常に中心にいる、目立つタイプだったんですね。

佐野:今OWVとしての僕のメンバーカラーは青ですけど、戦隊モノでいうと、ずっとレッドのポジションだったんですよ。兄弟で遊ぶ時も絶対レッドで、弟たちにブルーやグリーンのヒーローを渡していました。

―― 自然あふれる山梨で、どんなふうに遊んでいましたか。

佐野:地元は山奥だったので、拾ってきたブルーシートを使って秘密基地をつくって遊んでいました。

18歳からは「個人で何かやりたい」と思ってダンスを始めました。家の広い部屋でジャネット・ジャクソンさんやカニエ・ウェストさんのCDを流しながら1人で黙々と踊っていましたね。人と違うことをやりたい性格だったんです。

―― 地元にはダンス教室がなく、少し離れたところにあるリズム教室に通われていたそうですね。

佐野:そうなんです。僕、入会直後に開催されたオーディションを受けたら、いきなり1番上のクラスに合格したんです。30人中3人くらいしか受からない難しいテストだったんですけど、当時の僕は生意気だったので「俺は当然受かるだろう」と思っていました(笑)。

―― 遠くの教室だと、親御さんも送迎が大変だったと思います。

佐野:両親もやりたいことを応援してくれましたし「やるからには全力でサポートするから結果を出せ!」というタイプなんですよね。空手を習っていた時も「絶対に黒帯を取るまで辞めるな」と言われていたんですけど、僕は早く辞めたくて。1回も試験に落ちずに、最速で黒帯を取って、辞めました(笑)。

―― 負けず嫌いの佐野さんらしいエピソードですね。

佐野:僕が何をやっても上手くこなせていたので、両親は何か挫折を味わわせたくて頭を抱えていました。「社会に出て突然挫折するより、小さいうちに失敗を……」と考えていたみたいです。

―― 何でもできてしまうからこそ、地域でも目立つ存在だったんでしょうね。上京すると決めた時の周りの反応はいかがでしたか?

佐野:あまり驚かれなかったですね。卒業アルバムの「有名になりそうな人ランキング」でも1位でしたし、みんな「文哉なら東京で何かやりそう」と思っていたのだと思います。

―― 上京する時、佐野さんご自身はどんな心境でしたか?

佐野:「東京でダンスがしたい」というよりは、「とりあえず東京に行って有名になろう」という気持ちでした。自分の足で行って経験しないとわからないこともあるので、まずは東京に行かないと何も始まらないなと。有名になる手段は決めず、大学進学をきっかけに上京しました。

―― 早く山梨を出たい、という気持ちはあったのでしょうか?

佐野:東京への憧れはずっとありましたけど、山梨の環境が嫌だったわけではなくて。今振り返ればもちろん「山梨にはあれがなかったな」と思うこともありますが、当時は山梨の世界が僕のすべてだったので、そこに不満はなかったです。

―― 上京することに不安はありませんでしたか?

佐野:不安もなかったですね。子どもの頃から両親がよく東京に連れて行ってくれたので、もともと東京の土地やエンタメになじみがあったのも大きかったと思います。

何度も通った山梨の思い出の場所


―― 佐野さんにとって、山梨の思い出の地はどこですか?

佐野:「小瀬スポーツ公園」ですね。中学生の頃は野球部の試合をして、高校生の頃は陸上部で走っていた場所なので、青春時代の思い出が詰まっています。

よく遊びに行ったのは、甲府昭和のイオンモール。友達に会うのも、買い物に行くのも、全部イオンモールでしたね。電車で行っていたんですけど、1時間に1本しかないので、それを逃したら終わりなんですよ。乗り遅れないために、いつも猛ダッシュ。それで僕の走りは鍛えられました(笑)。

―― 最近、「大阪マラソン2024」もタレントとして1位で完走されましたね! よく行ってたお店はありますか?

佐野:有名なほうとうのお店「小作」で「かぼちゃほうとう」をよく食べてました。

あと、今はもうなくなってしまったんですが、「ほうとう屋敷みさか路」というほうとう屋さんがあったんですけど、いつも店長さんが真っ赤な高級車に乗せてくれたんですよ。もちろんほうとうもおいしいんですけど、当時の僕は店長さんの車に乗せてもらえることが楽しみでした。

―― 地域のお店なので、接客も柔軟だったんですね。今、佐野さんが山梨名物を差し入れするとしたら何を持っていきますか?

佐野:松月堂の栗せんべいを持っていきたいですね。白あんを使用しているので、甘さのあるおせんべいになっているんです。

帰省時には地元民総出でお出迎え


―― OWVとしてデビューした後、地元の方からの反応はいかがでしたか?

佐野:長期休みの時に、高校時代にお世話になった陸上部の顧問の先生にあいさつに行ったんです。ちょうど陸上部は練習中だったんですけど、先生が部員に集合を掛けてくださったんですよね。

先生が部員に僕のことを紹介してくれるのかと思っていたら、「生徒たちに佐野がどんな活動をしているか言ってやって。写真も撮ってあげなよ」と振ってきて。「僕が言うんだ……」と戸惑いながらも、OWVについて話したり写真を撮ったりしました(笑)。

―― まさかの自己紹介スタイルだったんですね(笑)。

佐野:その先生の応援体制がすごくって。山梨の新聞社「山梨日日新聞」に僕のインタビュー企画を持ち込んで取材を実現してくれたり、学校の給食の時間にOWVの曲を流してくれたりしたんですよ。校内では一時期ずっと「Gamer」が流れていたみたいです。他のアーティストの曲を流したい生徒もいるだろうし、ちょっと申し訳ないですけど(笑)。ありがたいです。

―― それほど地元から有名人が出ることがうれしいんでしょうね。

佐野:つい最近も「山梨に帰ります」とSNSにアップしたら、地元の先輩から両親宛に「文哉、もう帰ってきてますか!?」と電話がかかってきて。僕が実家にいることがわかったら、すぐ先輩たちが家まで車で迎えに来て、集まっていた先輩の親戚のみなさんにあいさつさせてもらうこともありました。愛犬と触れ合う間もなく(笑)。

―― 地元の人たちが総出で出迎えてくれるんですね。

佐野:人が少ない地域だからこそ、地元の方々が一つのチームになっているんですよね。近所を歩いてたら家族以外にも「おかえり」と言ってもらえますし、誰かに「帰る」と伝えたらもう、全員が帰省を把握している環境です。

―― ファンの方による応援広告も山梨で掲載されましたよね。地元でも盛り上がったと思いますが、どんな気持ちでしたか?

佐野:まさか学生時代に乗っていた山梨交通のバスの車両に、自分の顔が載る日が来るなんて思ってもなかったです。うれしかったですね。バスに乗って通学している後輩たちが、どんな感情で僕の顔を見ているのかは、めっちゃ気になりますけど(笑)。

僕自身は現地に足を運ぶことは難しかったんですけど、両親が毎回広告を見に行って、写真を送ってくれるんですよ。両親はファンの方から声を掛けられたいタイプなので、「……佐野くんのご両親ですよね?」待ちをしてると思います(笑)。

―― (笑)。先日オリコン1位を獲得した時も、地元の方からたくさん連絡が来たのでは?

佐野:「おめでとう」の連絡はたくさんいただきましたね。「何かでOWVが1位を取ったんでしょ!?」と、よくわかってないまま連絡をくれた人もいましたけど(笑)。

地元の方々がお祝いしてくれたのもありがたいことなんですけど、オリコン1位を取ったことで、ファンの方の熱量もまた上がった気がしていて。それがすごくうれしかったですね。

OWVとしての目標は山梨県内最大級・富士急ハイランドで野外ライブ開催


―― 上京後に改めて気づいた山梨の良さはありましたか?

佐野:上京してから「山梨は空気がおいしい」の意味がわかるようになりました。それに、静かな環境なので夜は寝やすいです。山梨に住んでいる時はそれが当たり前だったので気づきませんでしたが、上京してから住み心地の良さに気づきました。

―― 2023年には、OWV初となる山梨での単独公演も開催されましたね。

佐野:地元の人たちがたくさん見にきてくれたのはうれしかったですね。特に学生時代の先生方からはやんちゃな生徒に見えていたようなので「あの文哉が……!」とびっくりしつつも喜んでくださりました。僕、地元では「佐野文哉」じゃなくて「あの文哉」って言われることが多いんです(笑)。

―― 佐野さん個人として、地元に貢献したいことはありますか?

佐野:地域の方に「うちの子がダンスに興味を持ってて」と言われたら、ちょっと教えることはあったんです。最近は集会所のようなところでワークショップを開催してくれるダンサーさんも出てきました。

僕の地元は人口が減ってしまっている地域だけど、これからダンス文化を盛り上げていきたいなと思います。

―― OWVのメンバーがまた山梨に来た時には、どこに案内したいですか?

佐野:自然に触れられるところに連れて行って、今までにない経験をしてもらいたいですね。橋から川へ飛び込むとか、山に虫取りに行くとか。都会生まれの(浦野)秀太は、絶対にやったことないような遊びをしたいと思います。

―― 最後に、OWVとして山梨で成し遂げたいことを教えてください。

佐野:富士急ハイランドで野外ライブがしたいです。おそらく、山梨で最大級キャパのライブ会場ですよね。空き時間やライブ後に、遊園地で遊べるのも楽しそうだなと思います。

あと、僕は近いが故に富士山に登ったことがなくて。メンバーが20代のうちに、みんなで山頂まで登ってみたいです!

お話を伺った人:佐野文哉(さのふみや)

1997年生まれ、山梨県出身。日本最大級のオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN」の元練習生4名で結成されたボーイズグループ・OWVのメンバー。FM FUJIにて「OWV 佐野文哉 Sunset Summit」が放送中。2024年、「大阪マラソン」に出場し、芸能人最速記録を達成した。

取材・編集:ピース株式会社 構成:伊藤美咲