
大学への入学を機に栃木から東京に来た。湘南新宿ラインを池袋で降りて、いくつかの不動産屋を母親と巡った。巡っていると足が疲れる。そのうち全身が疲れる。全身が足のように疲れると、思考がバウンドする泥のように鈍く丸くなる。家を決めるのは運命じみた正解に出会うことではなく、いびつな選択肢に納得することなのでは、と察し始める。河原で水切り石を選ぶような気持ちになってむしろさっぱりしてきた夕方に、「新しくていいんじゃない」と母が納得していそうだった物件を「新しくて、いい」と納得して決めた。キャンパスから歩いて10分。早稲田という街で僕の東京は始まった。
早稲田。大学の授業がある平日と土曜日は賑やかで日曜日は静かだった。住む前から学生街だと聞かされていたけれど、住んでからはよりそう思う。平日と土曜日の早稲田は好きだった。せっかく東京に来たのなら、自分の日々は賑やかであってほしいと願っていたから。日曜日は寂しかった。でも大学生は平気な顔をするべきだと思っていたから、そういう振る舞いでやり過ごした。平気な顔。それは人間が大学という教育機関に身を置くことによって習得できる技術の一つだと思う。
早稲田に住むなら行くべきいくつかの店に、過去の自分は行かなかった。それらの店は名店と呼ばれている。行こうか迷って行かなかったのではなく、そもそも興味が芽生えなかった。過去の自分は過去の自分のことしか考えておらず、過去の自分の頭に浮かぶものこそが最もうつくしいと信じて疑わなかった。過去の心は過去に夢中だった。視野が狭くて羨ましい。細くて眩しい。現在の僕が立っていられるのは、未来から訪れる光に希望を見出しているからではなく、信じられないほど偏ってもう届かない過去の痣がひりひり痛んで座っていられないからだ。過去に叩いたそこらじゅうの太鼓がずっと反響していて忘れることをいつまでも遠ざける。
過去へのタイムスリップは、現実以外の方法で可能だ。目を瞑って、瞑らなくてもいいけれど、頭の中の自分を過去の記憶のとある地点に立ち上げる。すると現在の心と体を持った自分が過去の景色に配置される。
過去の家に、目を瞑って頭の中で、もう一度住む。

6畳1Kの部屋を背中に玄関で靴を履く。背中の部屋のさらに向こうには窓があってその奥に神田川が流れている。ドアを開けて外に出て鍵を閉める。膨らんだ楕円形のリュックの大きな口を開けて、小物を入れるためのメッシュ素材のポケットに鍵を入れる。このグレゴリーのリュックは今でも使っている。タイムスリップした過去の自分は現在の心を持っているから、過去の点だけでは発生し得ない、こういう時間の幅に充足感を覚えることができる。
階段を降りる。信号を渡る。道がだんだん一つの方向に延び始める。街が雲が木が風が、そういう顔つきに変わっていく。そのまま進むと大学に着く道だ。通りの両側に飲食店もしくは飲食店みたいな店が増えていく。

「JAZZ NUTTY」。左側に見える。深緑色の扉。視界の左側に新鮮で小さな森のように佇んでいる。ああ、と思う。今の僕の心はこのJAZZ NUTTYをいいなあと思う。入ったことはないけれど、今入りたいと思う。しかし2024年9月25日現在、まずこの原稿を書き切らなければならない。そうだ、後で行こう。JAZZ NUTTYに入店することをこの原稿を果たしたことへの報酬と決める。夏の葉のように視界の左隅に捌けていくJAZZ NUTTYを意志の強さで振り切って進む。しかし、と思う。入店して得た感情をここに記せば気持ちと原稿の双方が充実するから、それは世界にとってより良いのではないか。迷って自分に話しかける。いや、うん、どうだろう。それは違うのかもしれない。きっと僕は原稿のためではなく、自分のためだけにJAZZ NUTTYに入りたいのだ。旬の鮭のような瑞々しい意志を再び取り戻して歩き始める。意志の勇ましさに誘発されて名案——それは思いつきながら名案と分かる——を思いつく。
頭の中のJAZZ NUTTYに頭の中で入ればいいのだ。ポケットからiPhoneを取り出してSafariをひらく。「ジャズナッティ」。打ち込んで検索するとJAZZ NUTTYの情報が出てくる。そして、Safari上に転がっている——転がっていると言うにはある程度の法則に従って整ってしまっている——意匠の異なる窓のように配置されたJAZZ NUTTYの店内画像たちを見る。それを頭の中の透明な手で粗いパズルのように組み合わせ、ある一つの風景をやわらかく構築する。
深緑色の扉を開けると少しの廊下が用意されていて、その先に店内スペースが広がっている。青いスピーカーが左右に1台ずつ、合計2台。ボディの青さは深緑色の扉がちょうど白い光に照らされたときのようなくすみ方をしていて、秋の太陽を受けた背の高い姉妹のように寄り添って光っている。店内はおそらく長方形と直線の連続であるけれど、壁や天井の建てられ方のおかげで奥に延びる丸いドーム状のようにも見える。木製の丸いテーブルと椅子たちが同じ濃度でウッディに輝いている。ここに座って、暑かったらアイスコーヒーを頼んで、ジャズを聴くのだな、と思う。今なら思う。しかし過去は思わなかった。何も忙しくない日々の中で何にそんなに焦っていたのだろう。
過去も現在も振り切ってJAZZ NUTTYを背中に歩いていくと、ある記憶が過去の自分から送られたメールのように通知されて思い出される。この道。毎日通った道に咲く花のようにささやかで色のある記憶ではなく、どうしてあんなことをしたんだろうという記憶が、沸騰したやかんの蒸気のようにピイピイ溢れてくる。

始発でバイトに向かっていた。9時に始まる1限目の授業に絶対遅れたくないと思った過去の自分は、始発で行かなければ間に合わない早朝バイトを入れ込むことで起きる理由を強めていた。その結果、1限がある日は毎日「なんで自分がこんなことしなくちゃいけないんだ」と憤りながらこの道を歩くことになった。過去の自分ですらそのまた過去の自分に苦しめられる。憤り、そして急いだ過去の自分はとにかく駅までの近道を進んだ。イメージの秒針よりも速く足を動かし、景色も匂いもないただ近いだけの道を、家と駅とを結ぶ管と捉えて歩いた。思い出したくないことを思い出して、後は笑うだけのニヒルな感情になったまま、頭の中の思い出から視線を外すように現実の風景を受け入れる。
そういえば。卒業後に立ち食いそばに凝り始めた友人が「大隈講堂の横にあるハセガワがいいよ」と言っていたことを思い出す。ハセガワ。文字は分からないけれど友人の声と音で覚えている。メインとされる通りに戻って「そば」「ハセガワ」「長谷川」「はせがわ」の文字を探す。しかし見当たらない。入ったことはないけれど、記憶の景色のこのあたりに、えんじ色の屋根がせり出して、確かにあったはずなのだ。

記憶にない空白がある。あれ、と思ってiPhoneにSafariを呼び出す。「早稲田 はせがわ そば」。検索。食べログのページがトップに出てくる。
【閉店】立ち食いそば はせ川
えっ。ああ、と思う。もしかしてと思って確かめた情報が、より一層目の前の空白を涼しくする。行かなかった店に、とうとう行けなくなってしまった。行けなくなることはあらゆる未来と同じように分からないけれど、それでも過去の自分という肉の塊は、本当に何をしていたのだろう。
スウェットの膝のあたりに書いてある univ. がたぶんうちの大学
道は過去に向かって延びている。前だと思う方向に道を進めば進むほど、過去の記憶に行き当たる。それは「あった」記憶にとどまらない。あった記憶とあった記憶の間に流れる谷川のような「なかった」記憶で頭の中の自分は足を休ませる。JAZZ NUTTY。はせ川。行かなかった店のない記憶はどうすれば「あれた」のだろう。考えないことは難しい。頭の中の自分が当たり前のように、もう一度早稲田に住んでいる。僕の記憶の東京は早稲田が最も古く、その古い早稲田がいつまでも新しい。僕の東京はここだ。
著者:鈴木ジェロニモ(スズキ ジェロニモ)

お笑い芸人。歌人。YouTuber。俳優。1994年生まれ、栃木県さくら市出身。プロダクション人力舎所属。
「R-1グランプリ2023」「ABCお笑いグランプリ2024」準決勝進出。
「第4回笹井宏之賞」「第5回笹井宏之賞」「第65回短歌研究新人賞」最終選考。「第2回あたらしい歌集選考会」十人十首選。「第1回粘菌歌会賞」受賞。文芸誌『文學界』『短歌研究』『ユリイカ』にエッセイ掲載。
J-WAVE『GURU GURU!』「鈴木ジェロニモ 半径3mの違和感短歌」コーナーパーソナリティ。劇団ロロ公演「劇と短歌『飽きてから』」出演。
YouTubeでの「説明する」動画が穂村弘氏、高橋源一郎氏、オモコロ編集長・原宿氏、ダ・ヴィンチ・恐山氏、髙橋ひかる氏、平野紗季子氏、武田砂鉄氏、MONO NO AWARE・玉置周啓氏らに注目されるなど話題に。NHKで特集されNHK山形『やまコレ』「山形を説明する」、NHK総合『ドキュメント20min.』「ニッポンを説明する」に出演。
2024年11月20日、書籍『水道水の味を説明する』をナナロク社より刊行。
編集:ツドイ
