胸焼けするほどハイカロリーな街「高田馬場」は、コンプレックスを刺激し続ける

著: 嘉島唯 

高田馬場の駅を降りると、一番最初に目の中へ飛び込むのがロータリーの中央島だ。学生の集団が常に数組いて、横断歩道は車と人が行き交う川みたいに見える。彼らの背景には、雑居ビルに掲げられた「学生ローン」の赤い文字がくっきりと浮かび、すぐ奥にはパチンコ屋とカラオケ店が並ぶ。

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この風景を見ると、胃液が逆流する感覚になる。腹の奥底で消化したはずの何かが刺激されるのだ。

電車の通過音とタイヤが道路に擦れる音、四方八方から聞こえる笑い声。少しでも気を抜けば、波に飲み込まれそうになる。

街全体が煽ってくる。「社会に埋もれるな」「おもしろいヤツになれ」と。

入学早々、青春にくじけてしまった新歓

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ロータリーの中央島。ここから見える「ビッグボックス」は街のシンボル的存在だ。黒川紀章が設計した

早稲田大学の合格通知を見たとき「選ばれたんだ」と思った。高校1年生から受験モードに生活を切り替え、勉強一色の3年間のすえにようやく手にした合格。放課後にバイトすることもなければ、恋人をつくる余裕すらない。メールの文言を考えるぐらいなら、英単語を覚える時間に充てたかった。青春の時間をすべて費やしていたのだろう。志望校に入りさえすれば、すべてが報われると思ったから。

寺山修司に村上春樹、綿矢りさ。著名な作家だけでなく、映画監督に音楽プロデューサー、広告クリエイターなど、創造的な世界でのスターを輩出する大学。きら星の如く並ぶOB OGたちを見ると、自分にも彼らのような才能が眠っているかもしれないと胸を膨らませた。

「かわいい」よりも「おもしろい」と思われたかった。庇護の対象になるのではなく、強い個性のある自立した人間になりたかった。

この街では、自分をガラリと変えてしまいそうな濃い体験ができる。その先に、きっと自分の才能が開花する未来があるはずだ。そう思っていた。

しかし、同級生と一緒に参加したマスコミ系サークルの新入生歓迎会で、すぐにつまづいた。

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新歓はロータリーを見下ろす雑居ビルに入っている「だるま」で開かれた。提灯が張り巡らされた店内は、右からも左からも張り上げるような会話が聞こえ、縁日のように騒がしい。

「学生注目!」

3年生らしい男子学生が、飲み会の中心で立ち上がり、右手を突き上げながら叫び出した。周りに座った学生たちは「なんだー!」と合いの手をうつ。彼が「私、僭越ながら自己紹介をさせていただきます! ◯◯県立◯◯高等学校出身!」と言えば、すかさず「名門ー!」とレスポンスが続く。中央に立って喝采を一身に浴びる彼は、自己紹介を「以後、お見知りおきを!」と締めくくった。

大きなサークルになると、学生たちを束ねる役職がある。この自己紹介は、限られた人だけができる特権のようだ。

「どこの部署に入る?」と、隣の席に座った男子学生に話しかけられた。彼は、いろんなサークルの新歓にたくさん顔を出して、夜ご飯代を浮かせるらしい。

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「部署」の新歓会場は「わっしょい」という居酒屋だった。ビールのピッチャーがビル群のように並べられた店内は、この日も祭りのように騒がしい。

場の勢いについていけずにぼーっとしていると、女の先輩が話しかけてくれた。「やっぱり、1女はかわいいよね」。彼女の手に持たれた、ガリガリ君がジョッキに突っ込まれたサワーは、シュワシュワと音を立てる。

花の1女、嫉妬の2女、仏の3女、屍の4女。大学には進級するごとに扱いが変わることを知った。

社会の中に、大学がある。大学の中には無数のサークルがあって、その中にはまた社会があった。なんだかマトリョシカみたいだ。序列がしっかりと成立し、人間関係に一喜一憂しそうな空気感は、自分が憧れていたものからは遠く離れているように見えた。

そこにいた人たちはみんないい人で、優しくて、欠点がない。それなのに、どうして居心地の悪さを感じてしまうのだろう。ここは青春の場として最高だ。わかっていても、馴染んでしまうと「自分こそが特別」でなくなってしまう気がしていたのかもしれない。何が「特別」なのかもわかっていないくせに。

結局、大学時代はほとんどの時間を1人で過ごした。授業のコマがあくと、本屋や図書館に行って時間を潰したり、たまに早稲田松竹で映画を見ては、その文化度に酔いしれていた。

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早稲田松竹で「名画座」という言葉を知った。シネコン育ちの自分には名画座そのものが新鮮だった。少し古い映画を2本立て1300円で見られる。バットマン3部作の「ビギンズ」「ダークナイト」が2本立て上映された時は、キャンパス内でも「早稲田松竹行った?」という会話が聞こえるぐらい盛り上がった

菊地成孔の書籍を読んでいたら「ジャズでも聴いてみたら?」と友人に勧められたのがマイルス・デイヴィスだった。今思えば定番中の定番だが、当時の私としては新しい扉を開いたような感覚だった。確か一番最初に聴いたのは「Rated X」だったような気がする。

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マイルストーンは2019年に閉店してしまった。跡地は駐車場になっているが、ほんの少し名残がある

ビッグボックスの裏にある「マイルストーン」というジャズ喫茶は、文化度に酔いしれるには絶好の場所だった。なんといってもジャズ喫茶である。マスターがいる喫茶店なんて入ったことがなかったし、大きなスピーカーが鎮座し、壁一面に書籍が陳列された雰囲気は、玄人の香りしかしなかった。本物しか許されないような場所は、陶酔と緊張が混ざって胸が沸き立つ。「また来よう」と思いながら、一度しか足を運べなかった。

日常的によく行くのは、早稲田通り沿いの「エクセルシオールカフェ」だった。某小説家が執筆場所にしていると噂がたっているカフェで、1人でも入りやすい雰囲気がある。私はそこで「作業」をしていた。作業と言っても、読んだ本の要約や映画のレビューを、ノートに書き込んでいるだけの行為なのだけれど。まるで誰かに求められている仕事でもするかのような顔つきで、筆を走らせていた。

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草が生い茂る10°CAFE。学生が立ち上げ、今も大学生が経営している。3階は貸しスペースは小さいイベントをやるときにお世話になった。今はコワーキングスペースに変わったらしい

PCを使いたいときは、神田川沿いの「10°CAFE」に足を運んで作業をした。当時のPCは今のMacBookほど軽くはなく、おかげで通学バッグはガルシア・マルケスのトートバッグ一択になっていた。

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早稲田から高田馬場へ向かう途中にある「カフェレトロ」。1年生同士のクラコンの定番会場で、コースは終盤にかけて、パスタ、ピザ、名物のオムライスが出てくる怒涛の炭水化物ラッシュが光る。授業が空いたときはここで時間を潰す学生が多い

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早稲田駅を降りてすぐ。カフェGOTOも学生たちの語りの場として人気だった。もうひとつ人気スポットはシャノアールだったのだけど、閉店してしまった。当時は大学の近くにスタバがなかったのだ

自分の好きな世界を1人で満喫しているはずなのに、早稲田から高田馬場までを行く「馬場歩き」する集団を見ては、視線をそらして「あいつらよりも絶対自分のほうがおもしろいはずなんだ」と言い聞かせた。

結局、何も話せなかった水曜4限後

飲み会らしい飲み会にほとんど参加してこなかった私だが、大学4年の後期になってようやく心待ちにするものができた。水曜4限の後に行く、先生と学生たちの飲み会だ。

音楽・映画・文学などの批評家として活躍する先生の授業は、ノイズ音楽やサウンドスケープを聴いたり、DJのスクラッチ映像を見続けたりする不思議なものだった。

女子が多い学部にも関わらず、受講生はほぼ男子。そんな比率の授業は後にも先にも見たことがなかった。

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授業が終わる18時になると、先生が「今日飲み会をやろうかなと思っていて」と切り出し、高田馬場駅から徒歩5分ほどの「巴喰利家」という居酒屋へ向かう。巴喰利家は早稲田通りを1本入った雑居ビルの2階にあり、早口の店主が1人で店を切り盛りしていた。壁には、アルコールのポスターが所狭しと並んでいるものの、大通りに面していないからか、少し静かな佇まいだった。

黒いテーブルを一列に並べ、先生と学生たちが座る。授業の飲み会なのに、正規の受講生はほとんどいない。他学部や他校の学生、休学を繰り返した大学8年生。そこに先生の担当編集者も加わると、いよいよ何の集団だかわからなくなる。今まで見てきた学生たちとは違う、禍々しい雰囲気のあるメンバーだった。彼らはビールとマッコリをかっこみながら終電すぎまで議論する。アートや音楽がメインで、映画や哲学の話も飛び交った。

空き瓶がテーブルに並び、店主が1人でせかせかと料理を並べては片付けていく。刺身に、モツ煮、ポテトサラダ。議論が白熱すると、食べる量より飲む量のほうが増える。

先生に向かって「僕はこう思うんですよね」と食ってかかったり、タバコを吹かしながらベテラン編集者と対等に話す学生たちは、眩しかった。彼らには夢中になる何かがあり、圧倒的な知識があった。中には、学生ながらアーティストとして活動したり、超難関の大手出版社に内定していたり、DOMMUNEでバイトをしたりする学生もいて、自分が求めている理想形があるように見えた。

多分、それは私が高田馬場で求めていた「濃い時間」だったのだと思う。

でも、「ウンウン」と相槌をうちながらも、私はうまく会話に飛び込めなかった。彼らの口から出る単語は知らないものが多かったし、知識の少なさをチャラにできる洞察力もない。彼らの知識や意見は、体系立てられていて積み重ねを感じる一方、自分ときたら気になったものをつまみ食いするレベルで、一貫性がなく薄っぺらい。

たまに混ざることができても、おもしろい意見は言えなかった。マッコリは時間が経つほどに白い沈殿物が底に溜まっていく。それを横目に、会話に出てくる単語を拾っては、膝の上においたiPhoneに文字を打ち込んだ。後で検索して勉強すれば、いつか自分も会話に馴染めるかもしれない。そんなふうに考えていたが、堂々と議論に加わったことは一度もなかった。

映画でも音楽でも文学でもいい。何かを「好き」と言ったところで、この場にはもっとそれに詳しく、鋭い考察をする人がいるんだと思うと、尻込みしてしまう。

私には熱量が足りなかった。たとえ自分の意見が「浅い」「薄い」と思われようとも、それを打破できるほどの熱量が。

傍観しながら気がつく。きっとサークルの中にだって、濃い体験はあった。先輩たちも濃い体験をつくるため、一生懸命大人数を束ねようとしていたのだ。たとえそれがダサくても、社会秩序の縮小版のような組織体系だとしても。

それに気がつけない私こそが、社会に埋もれたつまらない人間だったのだ。

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数年ぶりに巴喰利家を訪ねてみると、店はもちろん、雑居ビルも変わっていた。数年前に店じまいしたそうだ

胸焼けしてしまうほどにハイカロリーな街

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フリーペーパーづくりが流行っていて、カフェに置いてもらうための営業に明け暮れる学生たちが溢れていた

高田馬場は、そこに行きさえすれば濃い体験ができるのではない。ひとかどの人物になりたいと思いながら、他人の目など気にせずに追い求める人たちが交わるから、濃い時間が生まれるのだろう。この街には「おもしろさ」に焦がれる若者が溢れている。そして彼ら彼女らの生命力が染み出し、あちこちに漂っている。洗練とか端正とは違う、泥臭いものだ。

高田馬場は、どんな思い出も濃くしてしまう。

サイゼリヤでマグナムサイズのワインを飲んで潰れたり、海峡で唐揚げのサイズに驚いたり、マルハチでルーレットを回してメニューを決めたり、米とサーカスで恐る恐るアライグマの肉を食べたり。ほとんどが他の街でもできることなのに、舞台が高田馬場なだけで5000キロカロリーくらいの出来事になる。

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私にとってこの街は、悔しい思い出の場所だ。

仲間に入れてもらう努力もしなければ、傷つくのが怖くて自論を述べることもできなかった。がむしゃらな姿を分析して冷笑しているだけでは何も得られない。自分が欲しかったものが目の前に現れても、指をくわえて傍観することしかできなかった。非凡な才能だって、とにかく何かをつくって発信しなければ、埋もれていくだけだ。

卒業してから、私はようやくやりたいことを見つけた。社会に埋もれたまま、一度は営業職として就職してみるものの「やっぱり書く仕事がしたい」と、アルバイトとしてメディア業界に飛び込んだ。それから約10年が経とうとしている。文章が下手だとか、気持ち悪いとか言われながらも、書く仕事にしがみついている。

久しぶりに高田馬場駅に降りると、ロータリーには相変わらず待ち合わせの若者が溢れ、学生ローンが「夢を諦めるな」と手招きし、安居酒屋は「もっと溺れろ」と煽り、ハイカロリーなメニューたちは「もっとしつこくなれ」とけしかける。この街は、なんてうるさいんだ。

そのうるささは、今日も私の悔しさを刺激する。そして、喧騒のなかで囁く。

「ダサくてもいいから何かを成し遂げろ」と。
 


そういえば、先日ひさしぶりに高田馬場に行ったら、コロナの影響で入学式がなくなってしまった新二年生の式典が開催されていた。地元に帰って収束を待つ学生もいると聞くが、少しずつ日常が戻ってきているのかもしれない。「もし、今自分がもう一度大学生に戻ったらどの街に住もうと思うか?」フレッシュな彼らを見て考えたので、最後に紹介したい。

・野方:西武新宿線沿いに住む早稲田生は多いです。家賃も良心的で、高田馬場までのアクセスも良いし、新宿まで1本で行けるのが魅力。西武新宿線沿いだと、下落合や沼袋も人気なイメージです。

・小竹向原:治安がよく落ち着いていているエリア。副都心線が通って、西早稲田駅に直通するようになって便利になりました。

・大塚:都電荒川線と山手線が通っているので通学に最適です。スーパーが多いので生活しやすそうです。

・高田馬場:一本裏通りに入ると住宅街が広がるので、案外住める場所は多いです。シェアハウスしている友人もいました。西友やsantokuなど深夜まであいているスーパーがいくつかあって安心。

・木場:早稲田生は東西線の西側に住む人が多いので、あえて東側を選んでみるとのんびりできそうです。最近は再開発が進んでおもしろいエリアになってきたので楽しそう。

著者:嘉島唯

嘉島唯

ニュースプラットフォームでニュースの編成をしながらBuzzfeedやギズモードなどで執筆。cakesで連載中。Twitter:@yuuuuuiiiii

 

編集:小沢あや

 

※記事公開時、本文中に誤字がありました。読者様からのご指摘により、6月7日(月)9:30に修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。