そのままの私を受け止めてくれる場所、富山。|文・池田智子(Shiggy Jr.)

書いた人:池田智子(Shiggy Jr.)

1990年生まれ。富山県出身。青山学院大学文学部日本文学科卒。2012年に結成されたバンドShiggy Jr.ではボーカルを担当。メジャーデビューを果たし、『Shiggy Jr.のオールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送)でも活躍するも、2019年に惜しまれつつ解散。2024年に再集結し、10月7日には東京・恵比寿LIQUIDROOMで「Shiggy Jr. 11th Anniversary ONE MAN LIVE 追加公演 "LIVE GOES ON"」を開催予定。


雨が多い街からインターネット越しに広がった世界と、東京への憧れ


東京で暮らしはじめて、もう18年になる。……正確に言えば、最初の2年間は相模原に住んでいたので16年。ついに地元、富山で過ごした年月を追い越してしまった。

「全部がある街に行きたい」、そう思って上京した。富山で過ごした日々の記憶は18年前で止まっているはずなのに、なぜだか、地元への想いは年々変化している。故郷って、不思議な場所だ。

富山はとにかくよく雨が降る。日本海から吹いてくる湿気を含んだ風が、県全体をぐるりと取り囲む立山連峰(中央アルプス)に遮られることが原因らしい。ほとんどの日が、曇りか雨。快晴は、限られた季節の限られた日だけ、という感じ。上京していちばん驚いたのは「こんなに晴れの日が続くんだ……!」ということだった。

体質的に雨が苦手だった思春期の私は、曇天の空の色も相まって、いつもどこか鬱々とした気持ちで過ごしていた。高校まで向かうなか、教科書と楽譜でぱんぱんの鞄を抱えながら、ぼんやりとした目で電車に揺られていた。


毎日の通学で乗っていた電車は、あいの風とやま鉄道。県の西側に位置する小矢部市の石動(いするぎ)駅から、東側、朝日町の越中宮崎駅までをつなぐ路線で、私は富山駅から呉羽駅までの一駅間を利用していた。たった一駅だけれど、途中呉羽丘陵(通称:呉羽山)を越えなければいけないので車だとなかなかの時間がかかる。

母に車で送り迎えをしてもらうこともあったが、基本的には電車の方がずっと早い。ただ、朝のラッシュ時でも1時間に4本、通常は2本ほどの運行なので、時間帯によっては車の方がずっとスムーズだったりもする。電車のときは同じ富山駅を利用する友達と待ち合わせて、ボックス席に座るのが定番だった。

私が高校生だった2005~2008年頃には、いわゆるblogブームが巻き起こっていて、まだ改行たっぷりのあのフォーマットが定着する前の、書いている人の熱も澱みもダイレクトに伝わってくるような文章がWEB上でひしめき合っていた。もしかしたら直接会って話をするよりも、その人のことがずっと深くわかってしまうような。そんな熱量だった。

高1の夏休み、livedoor主催の「高校生blogランキング」(記憶が朧げ)をチェックしていたら、特に好きなblogが2つ見つかって、それから毎日読むようになった。たまにコメントもして、返信がきて、嬉しくなって自分のblogのURLを貼ったりして。

まだSNSが主流でなかった当時(mixiが本格的に使えるようになるのももう少しあと)、今と比べるとかなりのんびりとしたペースで、少しずつ距離が近づいていった。あの頃のインターネットのテンポがすごく好き。もう戻れないある意味の不便さを、とても懐かしく思う。

夜、部屋の電気を消してから、auのガラケーにぽちぽち文字を打ち込む。フリック入力なんて存在しないので、書きたいペースと打ち込むペースが全然揃わない。それでも挫けず、毎日毎日熱心にblogを書いて、読んで、を繰り返していた。

結局、高校在学中はその習慣がずっと続いた。今振り返ると、きっと全然大したことは書いていないのだけれど、当時の私にとっては、心の中にある真っ直ぐな気持ちをそのままぶつけられる大切な場所だった。片想いしている先輩のこと。練習室から見える景色。友達とのどうでもいい会話。将来へのぼんやりした不安。誰かがそれを読んでくれて、ほんのりとした波紋が広がっていくのを感じられると、大袈裟ではなく、そこに居場所を見つけられた気がした。小さな部屋のベッドの上、携帯の画面のなかの簡素なWEBページだけが、自分を「ここじゃないどこか」に接続してくれる唯一のものだった。

‟特に好きなblog”を書いていたS君とY君は、どちらも東北在住の1つ年上の男の子で、私より一年先に東京の大学に進学していた。その頃にはなんとなく3人での輪ができていて、私の上京への気持ちにさらに拍車をかけた。ぼんやりとした夢が輪郭を持ちはじめ、2人がいるなら絶対に東京に行きたいな、と思うようになった。

インターネットで知った音楽を能動的に辿り寄せて


そもそもは音楽大学への進学を志していた私。県内唯一の音楽コースで、トロンボーンという管楽器を専攻。音楽科、ではないので、普通科の勉強をしながら音大受験用のカリキュラムを学ぶという、なかなかハードな環境だった。

当時の夢は、ディズニーランドのパレードで演奏すること。放課後は夜10時近くまで練習室にこもって、週末にはピアノと楽典のレッスン。東京までレッスンを受けに行くこともあった。それでも出来ないことだらけで、ソルフェージュの授業中に泣いてしまったこともある。当時はそれがあたりまえの環境だったので気付いていなかったけど、多分、かなり、音楽漬けの日々を送っていた。

でも、高校3年の夏。どうしても、どうしても「バンドのボーカルとして歌ってみたい」という気持ちに蓋ができなくなった。直接のきっかけは、当時NHKで放送されていた『トップランナー』というトーク番組でチャットモンチーのインタビューを観たこと。ただ、富山の街で育った、ということもやはり切り離せないと思う。

私の通っていた高校には軽音部がなく、文化祭のときに有志の先輩が演奏しているのを見たのが初めてのバンド体験だったと思う。あれがギターか、大きい音……みたいな安直な感想を抱いた。それくらい、バンドというものに触れる機会がなかった。

音楽サービスのサブスクリプションはおろかYouTubeでの楽曲再生も盛んではなかった当時、音楽を摂取する方法は駅ビルの中の小さなCDショップか、わざわざ車に乗って向かうTSUTAYAだけだった。一人っ子の私にとっては、気付けば周りにカルチャーが溢れていたなんて状況は夢のまた夢で、能動的に情報に触れない限り潤っていかなかった。

そのときの私の貴重な情報源は先述のblogの主、S君とY君で、バンドカルチャーに精通している2人のレコメンドから(blogの最後に「今日の一曲」を書くのが流行っていたんです。ああ懐かしい)沢山の音楽を知った。もちろん当時も、私が知らないだけで地元の音楽カルチャーはしっかり存在していたと思うし、今であれば尚更そうなのだと思う。ただ当時の私は、時代も相まって、とにかくそういうものに飢えていた。そんな気持ちが東京への憧れを加速させたのだと思う。

そういえば、「MAIRO」というライブハウスに当時片想いしていた先輩のライブを観に行ったこともあった。普段はあまり立ち入らないエリアにあるビル、暗くて、音が大きくて、なんだかすごく大人な場所に来たみたいでドキドキした。ちなみに、2019年1月19日、29歳の誕生日当日に私もMAIROのステージに立った。Shiggy Jr.としてライブが出来たのは本当にいい思い出だ。

そんな経緯で新たな目標を見つけてしまった私は、お世話になっていた先生たちに頭を下げて、音大から一般大学に進路を変更し、秋から受験勉強をはじめた。

楽譜ばかりで、テキストなんてほとんど開いたことがなかった状況から、どうにか受験を終え、夢だった東京での生活が始まった。これまでの私を知っている人がほとんどいない場所。過去の自分に縛られずに、なんでも出来る気がした。

地元であればきっと「キャラじゃない」という理由で諦めていたであろう軽音部への入部も、出席番号が前後の阿部君が軽音部に入ると言っていたので、すかさず便乗し、新入生歓迎会にひとつも出ずに入部することができた。

東京で音楽に向き合っていくうちにわかった富山の優しさ


何でもある街、東京。いつも何か足りない街、富山。何でもできる街、東京。いつも何かに縛られてしまう街、富山。そんなふうに思っていた。

軽音部での日々、二度の就職活動、そしてバンド結成、メジャーデビューと、上京してからの数年間で自分を取り巻く環境が目まぐるしく変わっていった。地元への気持ち、というか感覚がぐっと変化したのは、デビューして数年が経った頃だったように思う。

20代。多くの人にとってそうであるように、私もしっかりと社会の荒波に揉まれた。自分にできることは何なのか。守るべきものが違う人たちと、わかり合うための方法を見つけたい。どこまでがプライドで、どこからが我儘なんだろう。心のなかにある綺麗な想いを信じ続けることは、子どもっぽい逃げ道なんだろうか。そういう戸惑いのひとつ一つと向き合い続ける日々を過ごした。

結果を出したい。努力が足りないのかもしれない。自分のことがわからない。でもそんな弱音を吐ける場所もなかった。そんなとき、実家に帰って、何もないと思っていたはずの富山の街をぼーっと歩く時間が、私を何よりも大きく包んでくれた。

何もないわけじゃなかった。美しいものたちはずっと変わらずそこにあって、ただ私自身が、それを見ようとしていないだけだった。ゆっくり流れる時間が。静かな街の音が。こわばった私の心と身体をそっと解いてくれた。

広い道を歩けば、大体どこからでも綺麗な立山が見える。空気は澄んでいて滑らか。吸い込むだけで、身体の真ん中がしっとりする。雲間から差し込む陽の光は優しい。白くて、まろやかな光。元気な日もそうじゃない日も、そっと包んでくれる柔らかさがある。これが普通の景色ではないことも、17年間気が付かなかった。

「何者かにならなくても、そのままでいいよ」。そういうメッセージを、土地自体に流れる芯のある何かが、いつも放ってくれている。

私を優しく癒してくれる場所

そんな富山県。2015年の北陸新幹線の開通で、東京からの移動もかなりスムーズになった。せっかくなので、最後に私のお気に入りの場所をいくつかご紹介したい。

まずは石倉町延命地蔵尊。有名な湧水スポットで、いつもたくさんの人がお水を汲みに来ている。身体にすっと染み込んでいく、澄んでいてクリアな味だ。この辺りは私と母の定番散歩スポットで、夜風にあたりながらお地蔵様に手を合わせると不思議と心がスッとする。富山は本当に水が美味しい。そのまま飲んでも、お料理に使っても良い。シャワーを浴びると肌も髪も柔らかくなる気がする。

富山はとてもコンパクトな街なので、富山駅から出ている環状線の路面電車(富山地方鉄道 ・市内電車。通称「市電」)に乗れば、穏やかな街並みを楽しみながら、この辺りまですぐに足を延ばすことができる。徒歩でも30分程度なので、天気の良い日は駅前から松川沿い、城址公園前を通って、富山市ガラス美術館を通過し商店街を抜けていくコースをゆっくり歩くのもおすすめ。


中央通り商店街から少し入ったところにある「石谷もちや」。お正月にはここでお餅を買って、お雑煮にする。いつ行っても、つきたてのようなほやほやのお餅を楽しむことができる。売り切れていることもあるので注意が必要だ。この日はみたらし団子を何本か買った。ほかの味も大好きだけど、やっぱり定番のみたらしが推し。


最近は、個人経営のおしゃれなお店も増えた。昔からあったけどその頃の私が気がついていなかっただけかもしれない。ここは「Atelier ANORM」というお花屋さん。お店に流れる空気、店員さんの人柄、どこを切り取っても素敵なのだ。祖父への退院祝いの花束を買ったときの写真。


西町商店街の中にある「新とんかつ 総曲輪(そうがわ)店」。ここは私の親戚が営んでいるお店で、贔屓目無しに、とっても美味しいとんかつが食べられる。

大人になってから小麦アレルギーになってしまって今は衣が食べられないので、いつもポークソテーをオーダーする。これも、肉厚なお肉が本当においしくて、脂もまったく重たくなく、岩塩の上品な塩味と合わせると最高。お米もつやつや。お新香も美味しい。……褒めが止まらない。帰省するたびに、必ず一度は(一度と言わず二度の場合も)お邪魔する。

その隣にある喫茶「チェリオ」も大好きなお店。高校生のとき、よく母とランチやお茶をした。創業昭和10年ということで、店内にはレトロな雰囲気がそのまま残っている。私がよく頼んでいたのは、昆布とひじきの和風ピラフ。富山は昆布の消費量が日本でもトップクラスらしく、いろんなところで昆布を使ったメニューに出会う。白玉あんみつも美味しくて、かなり幸せな空間。

このあたり一帯は私が高校生の頃に再開発されたエリアで、新しいビル(新とんかつのちょうど向かい側 / 「フェリオ」という商業施設)にスタバが入った時には大騒ぎになった。受験期には、学校の図書館で勉強したあとここに寄って、閉店まで勉強するのが日課だった。

同じ西町通りのなかには「地場もん屋総本店」という、地産地消をテーマにおいたスーパーもある。ここは私が上京してからできたお店で、地元で取れた新鮮なお野菜やお花、パンやお菓子をお手頃な価格で買うことができる。少し立ち寄るだけでも本当に楽しい。暮らしていた頃にはあまりピンと来ていなかった「地産地消」という言葉も、今になってその豊かさがわかる。お水が美味しくて、空気が綺麗。そんなシンプルな環境だからこそ享受できる豊かさがあって、それに触れると身も心も素直に緩まっていく。


そして最後に、松川沿いの緑道。何にも持たずに、お水のペットボトルだけを持って、ふらふらお散歩するのが大好き。太陽や、緑や、鳥の声や、そういうものたちだけで十分な、贅沢なお散歩。


何もないと思っていた場所から外に出てみたくて、必死に居場所を探していたインターネットの中。そこから生まれた出会いや憧れが、私を広い世界に連れ出してくれた。でもふと振り返ると、離れたはずの故郷にはあの頃にはわからなかった無数の煌めきが溢れていて。そこに広がる穏やかで優しい光が今の私をつくってくれているんだと、心から思う。

おいしい空気、おいしいご飯。きちんと調べずにふらりと訪れても、きっといい時間が過ごせるだろう。自分の心とゆっくり話がしたくなったら、ぜひ富山に遊びにいらしてくださいね。

著: 池田智子(Shiggy Jr.)

編集:ピース株式会社