銀座のシティ感と中野・下北沢のアングラ感、東京の極端な両面性に育てられて。劇作家・根本宗子さん【東京っ子に聞け!】

インタビューと文章: 生湯葉シホ
下北沢駅南口周辺/編集部撮影

多くの地方出身者が暮らす大都市、東京。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。

今回お話を伺ったのは、月刊「根本宗子」を主宰し、劇作家・演出家としてだけでなく、俳優業や文筆業など、幅広く活動する根本宗子さん。都内の学校に通っていた10代の頃から演劇に心をつかまれ、劇場の多い下北沢や日比谷に通いつめる一方で、六本木や銀座といった華やかな街にも縁が深いといいます。

そんな根本さんにとって、生まれ育った東京はどう映るのでしょうか。目まぐるしいスピードで変化していく東京のさまざまな表情について、根本さんに語っていただきました。

お話を伺った人:根本宗子(ねもとしゅうこ)さん

1989年東京生まれ。19歳で劇団、月刊「根本宗子」を旗揚げ。以降劇団公演全ての作・演出を手がける他に、様々なプロデュース公演の作・演出も担当。2016年から4度に渡り、岸田國士戯曲賞の最終候補作へ選出され、近年では清竜人、チャラン・ポ・ランタン、など様々なアーティストとタッグを組み完全オリジナルの音楽劇も積極的に生み出している。2022年には第25回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門 新人賞を受賞し、自身初となる小説『今、出来る、精一杯。』が刊行され、原作・脚本を担当した映画『もっと超越した所へ。』が公開された。2025年1月上演の「ワイルド・グレイ」でミュージカル初演出を果たし、7月より脚本を担当したNetflixシリーズのストップモーションアニメ「My Melody & Kuromi」が世界独占配信される。常に演劇での新しい仕掛けを考える、予測不能な劇作家で演出家。

写真提供:月刊「根本宗子」

演劇の虜になり、劇場に通いつめた10代

── 根本さんは幼少期、どんな街で過ごすことが多かったですか?

根本宗子さん(以下、敬称略):ひとりっ子なうえに、新宿伊勢丹を愛している祖母にべったりな子どもだったので、新宿近辺は特によく行っていて、デパートといえば伊勢丹という感じでした。子どもの頃は、祖母についていくとパフェとか食べさせてもらえる、みたいな感覚でしたね。今はもうなくなってしまったんですが、当時は伊勢丹の屋上に小さな遊園地があって、よくそこで遊んでいた思い出があります。

── 幼少期から伊勢丹新宿店に……!根っからのシティガールですね。

根本:そうですよね。当時はもちろんあまり意識してなかったんですけど、大人になってみると自分でもそう思います。

おばあちゃん子として育った幼少期/写真提供:月刊「根本宗子」

── 中学・高校時代になるといかがですか?

根本:小中高と六本木にある学校に通っていたんですが、中学生の頃に足を怪我してしまい、しばらく車椅子で生活していたこともあって、ひとりで電車に乗って遊びに行くことがあまりない中学時代でした。

ただ、ちょうどその頃品川の再開発が進んで、駅のそばに水族館(現:マクセル アクアパーク品川)ができたり、アトレの中も充実しはじめていたので、休日はよく品川に行ってましたね。道が広いので車椅子でも比較的行きやすいエリアでしたし、水族館周辺も開業直後はまだあんまり人がいなくて、落ち着いて遊べる雰囲気があったというか。

高校に上がってからは杖をついて歩けるようになったので、ひとりで出かけることも増えて行動範囲も徐々に広がりました。演劇を観るのが好きになったのもその頃で、下北沢とか中野のような、小劇場がある街によく行くようになりましたね。

── 2000年代の東京の女子高生といえば、どうしても渋谷で遊んでいたイメージがありますが……。

根本:H&MとかForever 21のようなファストファッションブランドが日本に来たのがちょうど私が高校生くらいの時期だったこともあって、たしかに同級生の子たちはみんな渋谷に行ったりしていましたね。でも私は、同じ時期に演劇にはまっちゃったので、電車で渋谷を通り越して下北沢まで通っていました。渋谷なら、今は休館になってしまったシアターコクーンがBunkamuraにあったので、唯一そこに足を運ぶことはあったんですが……。

ファッションもどちらかといえば古着系が好きだったので、洋服を買うときは高円寺まで行くことが多かったです。

── 演劇の虜になった高校時代には、年間100本以上鑑賞されていたとお聞きしています。当時、特に足繁く通ったり、個人的に思い出深い劇場はどこですか?

根本:下北沢の本多劇場と、日比谷の帝国劇場でしょうか。帝劇は当時、劇場の窓口で当日券が学生は少し安く買える公演もあったので、当日券でミュージカルをよく観たりしていました。
劇場の最寄りに「おかめ」という甘味屋さんがあって、今も好きなお店なんですが、そこで甘いものを食べてからお芝居を観に行くことが多かったです。だから、当時は銀座・日比谷エリアと下北沢には特に足繁く通ってましたね。逆に言うと、劇場がない街にはそんなに遊びに行った記憶がないんです。

本多劇場周辺/編集部撮影

中野はちゃんと「ホームタウン感」があるのがいい

── 根本さんが劇団月刊「根本宗子」を旗揚げされたのは19歳のときです。以降、お仕事を始めてから実家を出て最初に住んだ街はどこでしたか?

根本:(東京都の)三鷹市です。舞台の稽古をしたり好きな古着屋に行ったりするのに好都合という理由でJR中央線沿いに住みたかったんですが、新宿から中野あたりまでのエリアはやっぱり家賃の相場が高いので。予算との兼ね合いで、吉祥寺の一つ先にある三鷹にしたんです。

三鷹駅北口周辺/編集部撮影

── 根本さんの作品『今、出来る、精一杯。』(2013年に舞台初演、2022年に小説を発表)にも三鷹の街が登場しますね

根本:三鷹のスーパーマーケットが出てくるんですが、自分が実際に毎日利用していたスーパーの雰囲気を取り入れて書いたんですよね。スーパーって、同じものを売っていても地域によって値段が全然違ったりするじゃないですか。それこそ港区と郊外の三鷹では全然違うし、なんなら同じ中央線沿線の中野と三鷹でも結構差があるんですよ。だから、等身大の登場人物を描くうえでも自分が生活しているエリアを題材にしていた部分はありました。

2019年、新国立劇場中劇場にて上演された「今、出来る、精一杯。」より。三鷹を舞台にしたこの戯曲は23歳の頃に執筆。当時は三鷹に住んでいた/写真提供:月刊「根本宗子」

── 20代の頃はずっと三鷹に?

根本:そういうわけでもなく、20代の頃は中野周辺のエリアでしょっちゅう引越しをしてました。当時所属していた事務所が新宿にあったこともあって、アクセスのいい中野に徐々に近づいていったというか。ただ、さっきもお話しした通り、家賃的にも中野はちょっと高かったので、中野エリアにもアクセスしやすい東高円寺にも長く住んでましたね。

JR中野駅北口周辺/編集部撮影

当時も演劇関係の用事で下北沢に行く機会は多かったんですけど、あんまり住みたくなくて。

── それはどうしてでしょう?

根本:街としては大好きなんですけど、あまりにも知り合いが多すぎるのでプライベートがなくなってしまうと思って(笑)。そういう点でも、自分の好きなカルチャーがある街だし、中野が本当にちょうどよかったんです。

── その気持ち、わかります! お仕事でも通う街だからこそ、プライベートとは分けたいですよね。中野で特に印象に残っているお店や思い出深い場所はありますか?

根本:王道ですけど、一番通っていたのは「中野ブロードウェイ」でしょうか。まんだらけにもよく行ってましたし、当時は地下のフロアに、洋服が信じられないくらい安い値段で売ってるお店があったんです。そこで芝居の衣装を買うことも多かったですね。

大きいスーパーもあって、暮らしていくのに必要なものがなんでもそろっているというのもありますし、頑張れば新宿まで歩けるのがやっぱり便利でした。中野駅に帰ってきたときに安心感があるというか、ホームタウン感がちゃんとあるのも好きでした。あと私、ロイヤルホストが死ぬほど好きなので、ロイヤルホストがあるのも大きくて。

── 南口から数分歩いた五差路の脇にあるロイヤルホスト中野店でしょうか?

中野駅南口、五差路付近/編集部撮影

根本:そうですそうです! ロイヤルホストって、店舗によってドリンクバーがあるところとないところがあるんですけど、中野店はドリンクバーがあるんですよ。ものを書くのにすごくちょうどよくて、あそこにはしょっちゅう行ってました。

そのロイヤルホスト、近くの席で編集者らしき人と一緒に漫画を描いてる人がいつもいたんです。それが自分にとってすごくよかったというか……。きょうもあの人描いてるな、って刺激を受けてたんですよね。どっちが早く終えられるか、みたいな。一方的に私が思ってただけですけど(笑)。

── たしかに中野って、漫画家の方や演劇畑の方、お笑い芸人さんなども好んで住まれているイメージがあります。

根本:そうですよね。役者の人や、衣装をつくっている友達も当時、中野に住んでいたので、よく自宅を行き来していました。人気のエリアではあるけど、吉祥寺ほどは人が多くないのもいいのかなと。どの店も繁盛はしているけど並ぶほどには混んでないっていうのがすごくちょうどいいから、みんな一度住むと中野からあんまり動きたがらないんじゃないかなと思います。

「アングラ感を出さないで」と言われた銀座でのバイト時代

── 劇作家としてのお仕事が軌道に乗るまでは、いろいろなアルバイトなども経験されていたと伺っています。当時、中野エリア以外にもよく足を運んでいた街はありますか?

根本:ピザ屋とか和食屋とかメイド喫茶とか、本当にいろんな店で働いてたんですけど、長くバイトしていたのは銀座のクラブですね。……こう言うとすごくラグジュアリーな感じに聞こえるかもしれないんですが、ママがひとりでやってるスナックとクラブの間みたいな小さなお店で、シフトの融通が利きやすかったんです。当時は、25歳までにバイトが辞められなかったら演劇を辞めようって決めていたので、24歳くらいまではそこで働いてました。

── 銀座のクラブとなると、いろいろなお客さんが来そうですね。

根本:紹介制のお店だったので、ちゃんとした会社の名刺を持ってこられる方が多かったんですよね。でも当時自分は20代前半で、演劇なんてものを始めたばかりだったので、社会のことに本当に疎かったんです。どの企業ではどんな仕事をしてる、みたいなことがまったくわからないまま働いていたので……。

お店では「お客さんのライバル企業の商品の話はしちゃいけない」っていう暗黙のルールがあったんですけど、それだけは間違えないようにと念を押されていたので、いただく名刺の裏に話してもOKな商品の情報を書いておいて、カードゲームみたいな気持ちで席についていた記憶があります(笑)。

舞台稽古中の根本さん/写真提供:月刊「根本宗子」

── 話の内容はもとより、接客態度とか身なりにもすごく気を使いそうですが……。

根本:当時、かたくなに前髪をぱっつんにしてたんですけど、それをやめてほしいってママにずっと言われてたことは一番覚えてますね(笑)。ぱっつん前髪の人ってあんまり銀座のお店にいないんですよ。アンダーグラウンドな感じはお客さんが喜ばないし、銀座には合わないから、って。前髪を分けて!分けて!って言われ続けてました。(笑)

── 前髪ぱっつんファッションの方、たしかに夜の銀座だとあまり見かけない気もします(笑)。当時、銀座という街に対してはどのような印象を抱いていたのでしょう?

根本:銀座ってハイブランドのお店が立ち並ぶエリアがある一方で、新橋のほうまでちょっと歩いただけで、昔ながらの洋食屋とか純喫茶もたくさんあるのがおもしろいなと思っていました。中野とか高円寺エリアってどこを歩いていてもわりと一貫してるイメージなんですけど、銀座はいい意味で街の裏表が激しいというか。散歩するのも楽しかったし、バイトで通っていても全然飽きなかったです。

そういう街って、日本の中でも珍しい気がするんです。もちろん、どの街もエリアによって雰囲気が多少変わるとは思うんですけど、銀座ほど同じエリア内で違いがある街ってあんまりないんじゃないかなって。観光で訪れる方も多いですし、歩いている人の雰囲気も本当にさまざまで、今でもすごく好きな街の一つですね。

東京特有の「シティ感」はなくそうとしてもなくせない

2025年、下北沢・本多劇場で上演された劇団青年座「Lovely Wife」より。根本さんは作・演出を努めた/写真提供:月刊「根本宗子」

── お話を伺っていると、根本さんの中には下北沢の小劇場で培ったアンダーグラウンドのカルチャーがしっかり根付いている一方で、銀座や日比谷、六本木のような華やかな街に慣れているシティガールでもある、という二面性があるのを感じます。その部分がとてもユニークだなと。

根本:そうですね。それはたぶん、今の自分の作風にも出ているところなんじゃないかと思います。アンダーグラウンドなものとメインカルチャーの間にいたいという気持ちは強いので、街としても、どちらの雰囲気も好きかもしれないです。

── 創作活動においては、「東京の街」をどう捉えていますか?

根本:実は創作するうえで東京を強く意識することはあんまりないんです。でも、自分の作品を地方に持っていくと、各地で東京とはリアクションが違ったりするのを感じますね。あと、地方に仕事で行ったとき、街灯もコンビニもない真っ暗な夜道を散歩していると、きっとこういう場所に生まれ育っていたら自分の価値観は全然違っていただろうな、と実感することもあって。ないものねだりですけど、東京以外の場所で生まれたかったなと思うことは物づくりしていて多いですね。

そういうとき、やっぱり自分の作品の中のシティ感みたいなものはなくしたくてもなくせない部分なのかなって。だからこそ、なるべく自分が今の東京で感じていることを物語にも盛り込みたいとは思いますね。

── 東京の「シティ感」って、どのようなところに強く感じるのでしょう?

根本:やっぱり、みんなせわしないところですかね。地方都市に行くと、コンビニやスーパーでレジを打つ人のスピードが東京よりゆっくりだと感じます。そういうところにイライラしないことが普通なのに、東京だったらきっと苛立つ人もいるんだろうな、と思ったり。東京にいるとみんな時間に追われているから、同じ24時間のはずなのに、何がこんなに人を駆り立てるんだろうと不思議に思うこともありますね。

── たしかに、東京は街中を人が歩くスピードも早いですよね。

今の下北沢は「用事がなくても行ける街」

── 抽象的な質問ですが、根本さんにとって「今の東京」はどんな場所ですか?

根本:コロナ禍で外出できなかったことに対してのフラストレーションも溜まっていたのか、この1年くらい、人がとんでもなく外に出ている印象があります。

円安の影響で海外からたくさん観光客が来ているのももちろんあると思うんですけど、「どこもかしこも混んでいる」というのが最近の東京に一番感じることですね。喫茶店でちょっとお茶をするにも、休日だと並ばずには入れなかったりするし。あんまりみんな家にいたくないというか、外にいたいのかなと感じます。

── コロナ禍を経て、演劇の受け止められ方が変わった部分もあると思いますか?

根本:人気の公演も中にはもちろんあるんですが、総合的に見ると、劇場にお芝居を観に来る人はやっぱり減りましたね。それくらいコロナって大きかったなって。場所で言えば、アクセスのいい新宿や渋谷の劇場は公演をやる側からの人気も、お客さんからの人気も高いなって感じます。

── なるほど。

下北沢駅西口周辺/編集部撮影

根本:そういえば、下北沢も再開発で最近は都心みたいな感じになってるんですよ。昔の下北って、演劇人やミュージシャンが自分の用事のために行く街っていうイメージでしたけど、最近は若い子たちがプリクラを撮りに下北に行く、みたいな感じなんですよね。

── たしかに、かつては(芝居やライブに)出演する人と、それを見る人が行く街というイメージでした。それが今や、ふらりと遊びに行けちゃう街になったと。

根本:個人的には、下北で遊ぶ場所が増えたことはありがたいことだと思っていて。「BONUS TRACK」(脚注:書店や飲食店などが複数入っている商業施設)もできたりして、来る人の層が変わったのを感じます。はやっている街って用事がない人もたくさんいる街だと思うんですが、下北沢が今そうなっているのはすごく新鮮だなと思います。

── 本当に再開発で大きく雰囲気が変わりましたよね。それについては、賛否さまざまな声があるようですが……。

根本:下北が変わっちゃって嫌だ、という意見は演劇人からも聞くんですけど、劇場とライブハウス以外の用事が下北にできることで、ほかのカルチャーが好きな人にとっても演劇に触れる機会が増えると思うんです。渋谷のPARCO劇場がPARCOの中にあるように、劇場が商業施設の中に入っているほうがいいと個人的には思っていて。

演劇はわかる人にだけわかればいい、という人もいると思うんですけど、それだと演劇の世界がどんどん狭くなっていってしまうので、個人的にはもっと広がったほうがいいなと。私は、メインカルチャーの街に劇場があるのはいいことだと思うんですよね。

編集・風景写真:はてな編集部