その友人とは、『渋さ知らズ』や『東京中低域』といったバンドで活躍する、バリトンサックスプレイヤーで音楽家の鬼頭哲(きとうあきら)さん。
名古屋から上京以来、20年にわたって吉祥寺および井の頭公園の周辺に住み続けてきたそうなので、その魅力をたっぷりと語っていただいた。
たまたま上京した街が吉祥寺だった
鬼頭さんと待ち合わせしたのは、ライブがあった連休の明けた平日。真昼間に散歩するのは暑すぎるからと、集合時間は午後3時。今年の夏は本当に厳しい。
場所は京王井の頭線の井の頭公園駅。吉祥寺駅のすぐ隣で、渋谷駅からは各駅停車で30分弱、急行に乗って永福町で乗り換えれば20分強。
初めて訪れた井の頭公園駅の改札を出ると、そこは『駅前』というよりも『公園横』という印象で、あの賑やかな吉祥寺駅までたった一駅とは思えない程、のんびりとした雰囲気の場所だった。
あと井の頭の読み方が「いのかしら」であることに心底驚いた。

『いのがしら』じゃなくて『いのかしら』なんですね
――井の頭公園は何度か来たことがありますが、井の頭公園駅は初めて利用しました。
鬼頭哲さん(以下、鬼頭):「この駅から井の頭公園にアプローチする人は少ないんじゃないかな。だいたい吉祥寺駅からですよね。井の頭線の各駅停車しか停まらない駅の前って結構こんな感じで、信号もロータリーもなかったりする。
公園があるのはギリギリ三鷹市で、その北側の吉祥寺駅があるエリアは武蔵野市。僕が今住んでいる場所の最寄駅が井の頭公園駅なんだけど、ここから吉祥寺駅までは徒歩で15分くらいかな。自転車に乗ればすぐの距離。
説明が面倒だから『吉祥寺のあたり』に住んでいるって言ったりもするけど、井の頭線沿線に住んでいるという感覚。この沿線は下北沢、渋谷、新宿といったライブハウスがたくさんあるエリアに行くのにすごく便利で、その中でもよく出ているライブハウスが吉祥寺にあるんですよ」
――この辺りは静かそうですね。
鬼頭:「愛知の田舎から出てきているからね。どうにも街の中があまり性に合わなくて。そうはいっても本格的な田舎に住むほど機動力はないから、結局は演奏の仕事ができるアクセスの良いところに住むしかなくて。だから、この辺りがものすごく都合いいんですよ」
ステージで演奏をする鬼頭さん。写真提供:鬼頭哲
――確か名古屋出身ですよね。
鬼頭:「東京に出てきて、最初に住んだのが吉祥寺駅の西側だった。ちょうど20年前の2005年、今が57歳だから37歳の頃。もうじき還暦だよ。
ずっと名古屋に住んで音楽をやっていたんだけど、2000年くらいから、東京中低域(バリトンサックスだけで構成されたバンド)とか、渋さ知らズ(不破大輔を中心とするビッグバンド)とかに呼ばれるようになって。その頃は名古屋から通いでライブやリハーサルに参加していたんです」
――ずいぶん遠距離通勤ですね。
鬼頭:「ありがたい話ですよね。東京にはいくらでもミュージシャンがいるのに、わざわざ名古屋の僕を誘ってもらって。
上京するきっかけは、2005年にあった渋さ知らズの大規模なヨーロッパツアー。全部で100日くらいあって、3回に分けて行ったり来たりする旅回り。
その出発前に、当時一人暮らしをしていた名古屋のアパートを引き払ったんですよ。名古屋には実家があったので、荷物は置かせてもらって」
――三カ月以上だと、さすがに家賃がもったいないですもんね。
鬼頭:「すべての旅を終えて日本に戻ってきて、さてどこに住もうとなったとき、別に名古屋に帰る必要はないかなと。それで当時お付き合いしていた方が吉祥寺に住んでいたから、その人の家で一緒に住むことになった。
だから、どうしても吉祥寺に住みたくて選んだという訳ではなかった。最初はね」
鬼頭さんとは音楽ではなくラーメンつながりで、毎年『やついフェス』というイベントで、『ラーメントークショー』に参加している。写真は左から渋さ知らズの渡部さん、ラフ×ラフの日比野さん(ゲスト)、サニーデイ・サービスの田中さん、鬼頭さん、そして私
鬼頭:「ただ、そのとき初めて吉祥寺に足を踏み入れた訳ではないから。最初は今から40年近く前。高校の同級生が東京の大学に入って上京したから、そいつの家に遊びに行ったとき。それに30年くらい前からライブをしに何度も行ってはいたので。
僕はライブハウスがある街しか知らないけど、下北沢とか高円寺とか、渋谷とか新宿とか、そういうところよりは吉祥寺がしっくり来るとは思っていた。人が多すぎなくて。
中野とか高円寺ほど都会ではないし、立川とか八王子ほど地方都市でもない丁度良さ。地方の有名な店が東京進出してくるときの一号店が吉祥寺にはすごく多いんですよ。旭川のジンギスカン屋とか、高知のカツオのタタキを出す店とか、人気のスイーツ屋とか。やっぱり丁度良いんだと思います。
だから彼女の家を出て一人暮らしをしたのも井の頭五丁目。そこは公園脇の路地に入ってすぐのアパートだった。ちなみに井の頭五丁目って、『孤独のグルメ』の久住さんが連載開始した頃に住んでいた場所で、井之頭五郎の名前の由来になっているとインタビューで語っていました」
――井の頭五丁目だから井之頭五郎なんだ。一丁目だったら一郎だったんですかね。
鬼頭:「その次も、久我山、井の頭一丁目など、井の頭線の吉祥寺に近い界隈を転々としています」
――この辺の家賃はどんなものですか。すごく住みやすそうですけど。
鬼頭:「物件は色々じゃないかな。僕が住めるくらいだから、普通に安いアパートとかもありますよ。古くから住んでいる人もいっぱいいるだろうし。
井の頭線の沿線は、急行が停まる駅と停まらない駅で、家賃にものすごい差があるんですよ。吉祥寺駅周辺はさすがに高いだろうけれど、井の頭公園駅は急行の止まらない駅だから、たぶん相場はそこまで高くない。でも毎日電車に乗る訳じゃないし、ちょっと歩けば吉祥寺駅だから」
――しかも吉祥寺までは公園が通り道。最高じゃないですか。
鬼頭:「今の家を探しているときに、不動産屋さんで『どんな条件ですか』って聞かれるじゃないですか。僕の条件は、だいたいこれくらいの家賃でこのエリア、あと自炊が好きだから二口コンロが置けるキッチン。それだけ。
それで僕にピッタリな物件があった。スーパー5軒に囲まれていて、一番近いスーパーは24時間営業で徒歩2分。大きな100円均一も近くにあるし、コンビニも徒歩40秒。だから買い物はまったく困らない」
井の頭公園と吉祥寺駅と井の頭公園駅の位置関係 ©Google
お気に入りの井の頭公園を散歩する
駅のすぐ横から公園へと入り、鬼頭さんが気に入っているポイントを教えてもらいつつ、のんびりと吉祥寺駅へ向かう。
まずは公園に入ってすぐのところにある、井の頭線のトンネルから。
この日はとても暑い日だったが、公園内に入ると一気に暑さが和らいだ。これが緑地のありがたみなのかと実感する
鬼頭:「この公園でこのトンネルが一番好き。電車が走る線路よりも、木のほうがずっと高いじゃないですか。この感じが好きなんです」
――もともと高い木があるところに、後から電車がお邪魔しますと走らせてもらっている感じだ。こんなに大音量のセミの鳴き声に囲まれたのは今年初かも。
鬼頭:「つい最近まではウグイスの鳴き声が聞こえたんですよ。散歩には最高の場所でしょう。土日ともなると、ものすごい人がいますけどね。今日は連休明けの平日で人が全然いないけど」

工事中なのは残念だったが、鬼頭さんがこの公園で一番好きな場所。ガタンゴトンと木々に見下ろされて電車が走っていく
こんなところに神田川の源流が。笹舟を流して追いかけたくなる
ここみたいに公園から続く路地の先に住んでいたこともあったそうだ
鬼頭:「この辺りは散歩道であり、単純に吉祥寺への往復で通る道でもある。ライブがあれば家から楽器を背負って自転車で通ったりとか」
――川や池があるのもいいですね。生物の気配が濃厚で、距離の近い水辺があるのは羨ましいです。
鬼頭:「何年か前、池の水を抜くかいぼりをするようになってから、井之頭池の水が格段にきれいになったんです。かいぼりの最初の年は自転車とかがたくさん出てきたみたいですけど」
――かいぼり、楽しそう。もしこの辺に自分が住んでいたら、そのボランティアに参加していたと思います。
鬼頭:「鳥の巣とかもいっぱいありますよ。この先には『お茶の水』という地下水が湧いている場所もあって、それだけでもいいなって思える。
池の西側の井の頭自然文化園には、ゾウのはな子がいた動物園や水生物園があって、どちらも結構見ごたえがあります」
――三鷹の森ジブリ美術館もあるし。なかなか予約が取れないらしいですけど。
鬼頭:「それが三鷹市・近隣市民枠チケットというのがあるんですよ」
――いいなー。井の頭公園といえば、花見のイメージもあります。
鬼頭:「確かに春は一面桜が凄いんですけど、花見はここではしないかな。神田川を下っていくと、その通り沿いに桜がたくさん咲いている。その下でレジャーシートを広げて飲んだり食べたりはできないけれど、ブラブラ歩くだけで良い花見になる。
季節で言ったら、この公園は緑がガーっとなっている初夏の時期が好きかな。やっぱり大きい木がいっぱいあると落ち着きますよね」
スワンボートに乗ったことはないとのこと。誘ったら乗ってくれただろうか
鳥の名前をたくさん知っていたら、この街での暮らしがより楽しくなりそうだ
井の頭池の水辺はエコトーンを大切にしている
絶滅危惧II類のチョウトンボが飛んでいた
あの井の頭公園を見下ろすマンションに住んでみたい
残念ながら文化園は休館日だった。また来よう
徳川家康が関東随一の名水と褒めた『お茶の水』。現在はポンプで汲み上げているそうだが、見るからに涼しげな場所で羨ましい
上京して最初にこの辺りに住んだら、ずっとこの近くに住み続けたくなるというのがよくわかった。鬼頭さんの場合はライブハウスに通いやすいというのが一番の理由なのだろうけど、この公園の存在もかなり大きなポイントなのだろう。
井の頭公園の正式名称は井の頭恩賜公園。宮内省が御料地(天皇所有の土地)として所有していた場所が、下賜(恩賜)され、整備された公園。最近になってディベロッパーによって作られた場所ではなく、我々が生まれる前から、それこそ数百年、いやそれ以上の歴史があるからこその空間だ。
そんな素敵な場所が、よく利用する駅への通り道にあるという贅沢。借景(庭園や建築において敷地外の景色を庭の一部として取り込む手法)という言葉があるけれど、鬼頭さんにとって、そしてこの辺りの住人にとって、井の頭公園は自分の庭なのだ。
今のところ引越す予定はないのだが、それでも井の頭公園駅周辺のアパートをSUUMOで検索してしまった。
吉祥寺駅から公園へ行くときに利用する、見覚えのある場所へやってきた
吉祥寺駅へと到着。すぐ隣の井の頭公園駅とはまったく違う賑やかさだ
常連にはならずよそ者としてこの街で暮らしていたい
吉祥寺駅の辺りでよく行く場所をどこか紹介してくださいとお願いしたら、「じゃあ昨日も演奏したライブハウスに行きましょうか」と、『MANDA-LA2』へ案内してくれた。ちなみに吉祥寺には曼荼羅系列のライブハウスが4軒もあるそうだ。
「失礼しまーす」とアポなしで入っていく鬼頭さん。
「どうした、忘れ物?」と出迎えてくれたのは、店長の中野直志さん。
右が店長の中野直志さん
――鬼頭さんがここに出演するようになって長いのですか。
中野直志さん(以下、中野):「このライブハウスができて今年で37年。渋さ知らズをやりだして30年くらいになるか。鬼頭君はいつからだっけ」
鬼頭:「僕は2000年に加入しました。ここでは隔月で渋さのライブをやっているから、2005年に上京してからはほぼ二カ月に一度のペースでずっと演奏させてもらっている」
――単純計算で120回!
鬼頭:「渋さのメンバーは場所によって毎回編成が変わるんだけど、ここに出ている10人くらいが今は中心で、去年はその人たちと中国にも行ったんですよ」
中野:「不破さんが一番気楽にできるメンバーなんだろうね」
取材前日に出演したMANDA-LA2でのライブ。写真提供:鬼頭哲
渋さ知らズの中国公演。写真提供:鬼頭哲
出会って25年の記念撮影
こちらは曼荼羅系列のSTAR PINE’S CAFE。20人編成の大所帯バージョンの渋さ知らズ、一週間通しでの東京中低域のライブなどが行われているそうだ
ライブハウスを後にして、引き続き立ち話をしながら吉祥寺の街を案内してもらった。
鬼頭:「僕は20年吉祥寺周辺に住んでいるけれど、飲食店とかはどこも常連になっていないんですよ。こんな風体だから、何度も通っていれば覚えられてはいると思う。でも常連扱いされるのがあんまり好きじゃない。コンビニとかでも、顔を見たらいつものタバコの銘柄をスッと出してくる店が苦手で」
――認識をされたくない派ですか。
鬼頭:「そういう距離感というのがあんまり得意じゃない。でもお世話になっているライブハウスのスタッフとは、ちゃんと話をして、仲良くさせてもらっている。
曼荼羅グループは中野さんのような各店長さんだけでなく、スタッフの人たちも出演者の名前を覚えてくれていて、『鬼頭さん』って話しかけてくれる。仕事でのそういう距離感はなんかうれしいですよね」
――別に人間が嫌いな訳ではない。でも客としての常連にはなりたくない。
鬼頭:「あんまり店で飲まないというのもあるけど、それでも20年通っている店はたくさんある。今は店長をやっている人が新人のバイトだった頃から通っている店とか、先代が亡くなって息子さんが継いだ店とか。見守っているじゃないけれど、見続けている店だから、向こうもずっと来てくれているお客さんだなとは思ってくれているだろうけど、特に話したりはしない」
――お互いが距離を詰めない。そういう特別扱いをされない居心地の良さ、ありますよね。お店側に認識されたい、特別扱いしてほしいっていうタイプの人もいますけど。
鬼頭:「吉祥寺は放っておいてもらえる心地よさがある。東京はこの街にしか住んだことがないけれど、そこが下町とはちょっと違うんだろうな。
例えばだけど、高円寺はもう少し密な関係性があるような気がする。住人の街に対する愛着がすごく強いっていうイメージ。常連という存在に憧れないではないけれど、たぶん自分には合わない」

吉祥寺の商店街をブラブラ。正月になると昆布や椎茸が並ぶ乾物屋を教えてもらったり、お気に入りのスパイス屋を覗いたり、調理器具の店でジンギスカン鍋を買いそうになったりした
鬼頭:「この街はよそ者に優しいから、僕みたいな人間が居心地良くいられる。それがすごくいいなと思っている。
それこそ『住みたい街ランキング』の上位になるくらいだから、ここに住んでいる人はよそ者がすごく多いと思うんですよ」
――人気のある街だからこそ、地元民じゃない人が多い。
鬼頭:「土日ともなれば外国のお客さんもたくさん集まる。もちろんこの街にずっと住んでいて、商売したり生活している人もいるんだろうけれど、そこに排外主義を感じない。そういう空気感があるから、いつまで経っても自分が機嫌良くよそ者でいられる」
――よそ者でいたいのですか。
鬼頭:「別に東京の人間になりたくない訳ではないけれど、ここで生まれ育ったわけではないから。地元に愛着がすごくある人って、いつか自分がよそ者になったとき、どんな感じなんだろうと思うんです。圧倒的に自分が落ち着ける場所が少ない訳じゃないですか。
僕は自分がよそ者で全然平気。海外もそうだし、すべての場所が一期一会のよそ者という感覚。その瞬間を楽しむには、変に自分が落ち着ける場所がなくても全然いい」
――それは旅が生活の一部みたいなバンドマンだからですかね。ムーミンでいえばスナフキン。
鬼頭:「好きな場所はたくさんあって、吉祥寺はそんな場所の一つ。そこにアイデンティティを求めていない。
今日みたいに友達が遊びに来たら、『ここはいい街だよ』って案内したいけれど、ものすごくこの街が好きかというと、『居心地はいいけれど愛着はない』という感じかな。ここが一番だとは思わないし、他の人が合うとも限らない」
――井の頭線の沿線に住んで20年。そろそろどこかまったく違うエリアに引越したいとは思いませんか。
鬼頭:「もしチャンスがあったら住んでみたい場所はいくらでもあるけど、これまで訪れた場所だと、やっぱりポーランドかな」
――遠い。
鬼頭:「ははは。日本国内は引越そうと思えば引越せるけれど、ポーランドはちょっとハードルが高いから。『引越すぞ!』って一念発起して移住できるレベルだと、吉祥寺周辺よりも住みたい街は……今のところ無いかなー」
そして飲み屋街のハモニカ横丁へやってきた
「この街に愛着はない」と言い張る鬼頭さんから、吉祥寺および井の頭公園への強い愛着を感じたのは気のせいだろうか。
それは偶然住み始めた街に、気がつけば自分の意思で20年も住み続けていることに対する『照れ』なのかもしれない。
20年間同じ場所で同じ曲を演奏しても飽きない理由
以下は余談。
せっかくの機会なので、鬼頭さんの生い立ちや音楽家になった経緯などを伺った。
飲みながらのインタビューで恐縮です。ヤキトリてっちゃんにて
――鬼頭さんは生まれも名古屋ですか。
鬼頭:「生まれてから10歳までは、名古屋市から車で15分くらいの岩倉市の公団住宅に住んでいました。全部で60棟くらいあったかな。5階建てで団地の中に病院も学校もスーパーもある、田んぼの真ん中に突然現れたマンモス団地。
そこから名古屋市に引越ししたけど、結構外れのほうだったから、墓地とかのあるのんびりとした場所だった」
――音楽を始めたきっかけは。
鬼頭:「小さい頃、習い事としてヤマハの教室でオルガンを習っていた。オルガンというか音楽に触れる教室かな。でも周りが女の子ばっかりだから、小学校に入ったときに辞めて、サッカーをやるようになった。スポーツ少年だったんですよ。
中学生になって吹奏楽部に入り、フルートをやるようになった」
――え、フルートだったんですか。
鬼頭:「中高の6年間、吹奏楽部ではフルートをずっと担当。おかしい?」
――とんでもありません。でも髭が邪魔そう。
鬼頭:「その頃は生えてないから。吹奏楽部の活動とは別にバンドとかジャズをやってみたくなって、中学2年のときに部活を引退する先輩からアルトサックスを譲ってもらった。音楽を始めたといえるのはそこからかな」
――バンドをやりたくてサックスですか。当時の憧れはやっぱりチェッカーズ?
鬼頭:「チェッカーズはどうだろう。今でも現役で活躍されている渡辺貞夫さんとかがテレビのCMとかにも出ていて。流行っていたんですね。
もうちょっと上の世代だと、バンドをやると言ったらギターとかベースを始めるのが当たり前だと思うけど、僕の頃はインスト(インストゥルメンタル=歌のない楽器演奏のみの楽曲)のフュージョン(ジャズを基調にロックやラテン音楽などを融合させたジャンル)とかがロックと同じように流行っていたから、バンドをやりたいと思ってサックスを始めるのがそんなに珍しくなかった。
管楽器が何人かいて、ピアノ、ギター、ベース、ドラム、パーカッションがいてっていう編成」
――それは部活のみんなと?
鬼頭:「(ちょっと恥ずかしそうに)最初は同人誌を一緒に作ってる人と始めたバンドだったかな」
――同人誌って漫画ですか?
カモアブラと白レバー。大粒の塩が効いている
鬼頭:「当時は漫画も描いてたんですよ。単純にもう、自分の好きな漫画を。高校の頃は吹奏楽部と漫画研究部の両方に行っていた」
――へー、当たり前だけど知らないことだらけですね。ちなみにどんなのを読んでいたのですか。
鬼頭:「僕らの世代だから、週刊少年ジャンプ、サンデー、チャンピオンに載っているような少年漫画。『ドカベン』『ブラック・ジャック』『すすめ!!パイレーツ』『マカロニほうれん荘』『まことちゃん』『Dr.スランプ アラレちゃん』とか」
――漫画は今も描いているんですか。
鬼頭:「描きはしないけど、今も読むのは好きですよ。最近は女性作家の作品ばっかり。最初に好きになったのは高野文子さんで、今気に入ってるのは冬目景さん。『百木田家の古書暮らし』っていう神保町の古本屋さんを舞台にした漫画がいいんですよ。
あとオカヤイヅミさんの漫画もすごく好き。知っていても知らなくてもいい話をちゃんと作品にするスタイル。オカヤさんの真骨頂は『いいとしを』みたいなジックリジワリのテンポ感だと思ってて、そこがすごく好きなんだけど、『あのにめし』みたいに短い中での表現やネタの尽きなさにも感心させられてます」
――本当に漫画が好きなんですね。意外でした。
鬼頭:「僕が映画や小説よりも漫画が好きな理由は、絵を観てセリフを読むと、音楽が聴こえてくる。特に女性作家のフワッとした世界観に、僕が思い浮かぶ音楽が合うんですよ。だから勝手にサントラを作曲して楽しんでいます」
――じゃあ今度、鬼頭さんの家に漫画を読みにいくので、横で生演奏してください。
鬼頭:「えー」
小袋を串に刺して焼かないで出してくるのが画期的だった。なるほど食べやすい
――話を音楽に戻すと、初めて買ったCDは憶えていますか。
鬼頭:「レコードね。これは親が与えたのか、自分が欲しがったのか微妙なんだけど、『おかあさんといっしょ大全集』かな。だから後に一緒に演奏する渋谷毅さんとかの音楽を、子どもの頃からずっと聞いていたんだよね」
――ロックとかメタルじゃないんですね。
鬼頭:「風体で言うからそういう風な感じになると思うんですけど、例えば僕が作曲をしてるバンドの『CHIZ』とか、『じぶんでできた! お弁当の本』(ほるぷ出版)というレシピの紹介動画用に作った曲とかを聞いてもらうと、意外とメロディアスな音楽のルーツがわかるはず。
親がいろいろな音楽を聴いていたし、昔はテレビだってちゃんと生のオーケストラで演奏している音楽が多かった。そういうのを聞いて育ったから、アレンジにも興味を持ったんだと思う」
――『夜のヒットスタジオ』とか『ザ・ベストテン』みたいな歌番組は基本的に生演奏でしたね。それこそ『NHKのど自慢』とか『8時だョ!全員集合』も。
鬼頭:「ベートーヴェンの交響曲とかを聴いても、どの楽器がどんな動きをしているのかがおもしろい。でも音楽をやっている人間全員が、オーケストラの構成を聞き分けられる訳ではない。僕はそういうのがわかるタイプというだけ。
そういうのをまったく気にせず、直感でバーンとやれるプレイヤーもいて、それはそれで羨ましい。音楽を分析せずシンプルに良い音が出せる人。
これはこういう構造だからこうなるんだっていうのがわかるから再現能力はある。だからといって、それによって演奏された曲が必ずしも聴きたい音楽なのかというと別だから」
――なんとなくわかります。
鬼頭:「それは料理も一緒で、理屈で考えて誰もがおいしいと感じるメニューを作ることはできる。でも店で食べるなら、もっと乱暴なものでよかったりするでしょ」
――そうですね。どうせ外食するのであれば、一般的な『うまい』から飛び出した、圧倒的な個性が食べたいかも。
この話の流れで連れてきてもらった三鷹の『みたか』というラーメン屋さん。ラーメン好きの鬼頭さんが一番通った店だそうで、確かに自分では作れないインパクトだった
――中学生・高校生の頃はなにを聞いていましたか。
鬼頭:「その頃は、あまりリスナーとしての音楽の聞き方はできてない時期だったと思う。自分がやる音楽のお手本になるようなものばっかり聞いていた。サックスが入ってるレコードを片っ端から聞く」
――音楽に本気だ。バンドではどんな曲をやっていたのですか。
鬼頭:「特定のバンドのコピーではなく、いろいろ聞いたレコードからピックアップした曲のカバー。ちゃんとした音楽理論は習ったことがないんだけど、譜面を読んだり耳コピしたりは、ヤマハの教室のおかげなのかできたので。
中学二年でバンドを始めて、三年生のときにはコンテストに出ていた。当時はコンテストが流行っていたから、高校三年までコンテスト荒らしをして賞をもらいまくっていた」
――かっこいい。賞金稼ぎだ。
鬼頭:「大学生・高校生部門だから、賞金はもらえなかったんじゃないかな。賞品がギターアンプとか。でも別に物や金が欲しくてやってた訳じゃないから」
――青春だ。運動部が全国大会を目指すみたいな話なんですね。
鬼頭さんはハシゴが好きなので『クルン・サイアム』というタイ料理屋にも行った。行きつけだけど常連ではないそうだ
――学生時代からプロの音楽家になりたかったんですか。
鬼頭:「そこまでは考えていなかったかもしれないけれど、音楽は好きだったというのがあるから、高校生の途中くらいからは自分で曲を作るようになった。
学校の文化祭だとほとんどがコピーバンドでしょ。その中で、自分は自分で作った音楽をやりたいと思って、オリジナルで出ていた」
――しかもインスト。BOØWYとかがブームの頃に、なかなかいないですよね。
鬼頭:「まさに。40年くらい前だからバンドブームのちょっと前。まだ昭和だよね。僕らみたいなバンドは稀だったけど、文化祭で演奏するには審査があって、それで一等賞になっていたから、なにやろうが文句は言わせない」
――ヒュー(口笛)。
鬼頭:「高校生の頃、すでに大人とも一緒にバンドをやっていて、ライブハウスにも出ていたんですよ。それで高校卒業後は音楽をやりながらバイトをしていた」
――もうバリトンサックスをやっていたんですか。
鬼頭:「借り物だったけどね。ちゃんとしたバリトンサックスは車が買える値段だったから」
――なんでまたバリトンサックスをやろうと思ったんですか。
鬼頭:「ずっとアレンジとかに興味があったんですよ。ホーンセクションとかブラスセクションとか。そういうのに絶対バリトンサックスって必要で、でも当時は名古屋のレベルだとバリトンサックスをやっている人があまりいない。それなら自分がやるかと」
――人を探してくるよりも、自分で吹いたほうが早いと。
鬼頭:「19歳くらいの時には自分で買っていました。当時で40万くらいだったかな。日本製で一番安いやつ。
名古屋にいた頃は、バンドを掛け持ちしつつ、仕事をしつつ。当時はバブルだったから、CM音楽の制作を手伝ったりもしていた。その頃は地方在住の個人がコンビニのCMとかも作っていたから」
――そこから渋さ知らズに加入した経緯を教えてください。
鬼頭:「名古屋だから関西方面にもしょっちゅう行っていて、向こうのジャズ系のミュージシャンと交流ができて、その中に東京に頻繁に行っている人がいた。その人が『名古屋におもしろいサックスプレイヤーがいるよ』って方々で話してくれたのが、渋さ知らズの不破さんの耳にも届いた感じかな。
渋さのメンバーにも友達がいたから、僕が用事で東京に来ているときに『こっちにいるんだったらちょっと出てみない?』って誘ってもらって。それで合格じゃないですけど、『またおいでよ』みたいな感じになった。それが2000年の話」
――ふわっと入りましたね。
鬼頭:「加入して25年間。相変わらず同じ曲を演奏していたりするけれど、飽きるっていうのはない。それを言う人もいるけど、自分がちゃんと変わろうと思えば、同じフォーマットにいるほうが、飽きずに自分が違うことをしていける」
――隔月で同じ曲をMANDA-LA2のステージでやり続けたとしても、その枠の中で違うことができると。
鬼頭:「同じことをやっているからこそ、もっと変わろうとか、違うことをしようって思える。自分の中の喜びとか楽しみはそういうところにあるかな。だから同じフォーマットの中に居続けることは別に悪いことではない。おもしろくするのは自分でいくらでもできる。
僕が渋さを続けられているのは、それがお客さんやメンバーに受け入れられているから」
――変わらないようで変わっているからこそ、お客さんもずっとついてきてくれるんでしょうね。
このタイ料理屋が本気で辛くて驚いた
――それにしても57歳っぽさがないですね。ちょっと上くらいの年齢だとずっと思っていました。
鬼頭:「それは最近分析して、ちゃんとした大人になれなかった理由がわかってきた。人のせいにしちゃいけないけど、上京して20年間同じような生活をしているから。出世もしないし部下もできない仕事をしていると、こうなるんじゃないかな。
同じ職場というかバンドに若い人がどんどん入ってくるでしょ。自分がなんとなく同じノリで話をしたりするから、いつまでたってもちゃんとした大人にならない」
――井の頭公園付近に現れる、髭に短パンの永遠の37歳。最高の妖精だと思います!
著者:玉置 標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。同人誌『芸能一座と行くイタリア(ナポリ&ペルージャ)25泊29日の旅日記』、『伊勢うどんってなんですか?』、『出張ビジホ料理録』、『作ろう!南インドの定食ミールス』頒布中。
Twitter:https://twitter.com/hyouhon ブログ:https://blog.hyouhon.com/
東京の地理に詳しくないので、井の頭公園といえば吉祥寺駅が最寄りのイメージだったのだが、京王井の頭線にその名もずばりの井の頭公園駅があるということを、最近になって友人から教えてもらった。