
今回お話を伺うのは、東京都町田市で育ったラッパーのKEN THE 390さん。「自然とカルチャーが両立するバランス感が絶妙」と話す町田で、幼少期はタヌキもすむ公園で遊び、中高生時代は駅周辺のレコード屋や服屋に通ってHIPHOPカルチャーに熱中。やがて都心に活動の場を移してアーティストとして成功を収めますが、子どもが生まれた頃から町田市にかかわる活動もまた増え、「この街の良さを再発見している」と言います。町田で育ち、HIPHOPに出会い、そしてまた町田に恩を返していく── その循環の中で、KEN THE 390さんのアーティスト活動は深みと広がりを増し続けています。
タヌキのすむ公園と坂だらけの道 ── 幼少期を過ごした“町田の原風景”

── ケンザ(KEN THE 390)さんは町田市出身とのことですが、町田駅前は都会的な一方で、少し離れると自然が豊かなイメージです。やはり幼少期は自然の中で遊んでいましたか?
KEN THE 390(以降、ケンザ):遊んでましたね。近所の「かしの木山自然公園」ではクワガタ採りとかもしていたし、公園というよりも“ほぼ山”みたいな場所でした。
── 「かしの木山自然公園」には、タヌキが市道を越えて山林を行き来するための「タヌキトンネル」があるそうですね。
ケンザ:僕は動いているタヌキは見たことがないですが、町田には山林が多く残っているので実際にタヌキが生息しているみたいですし、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)が公開されたときに「このあたりの話だ」と言っている人もいましたね。*1
学校のグラウンドの脇にも畑や林があって。現在は、より都心で暮らしているんですが、グラウンドが小さい学校も多い。今思うと、自分は意外と恵まれた環境だったんだなと気づきました。
── たしかに、都内で自然に触れられる環境に住めるのは贅沢ですよね。町田には山林が多いせいか、ケンザさんのリリックには、「坂」という単語が比較的多い印象があります。応援ソングを制作された「FC町田ゼルビア」のスタジアム(町田GIONスタジアム)も、「駅からスタジアムまでの道が登山道」「天空の城」みたいに言われていますね。
ケンザ:町田は坂も多いですからね。どこかに出かけるにも「山を何個か越えないとたどり着けない」みたいな感じで、自転車移動がメチャクチャ大変なんですよ。
僕らにとっての渋谷。「シティ」に見えた町田駅と、ジョルナ地下のHIPHOPの原体験
── 自然も多いですが、町田駅の周辺は昔から、都心と遜色ない大きな商業施設やお店が集まっていますよね。

ケンザ:そうですね。地元の僕らにとっては、町田駅の周りは“シティ”って感覚で、ある程度の自我が育った中学生くらいになると、自分たちだけで遊びに行くんですよ。感覚的には、都心でいう渋谷みたいな場所ですかね。
── 町田は古着カルチャーの街としても有名ですが、やはり中高生になると、街の古着屋で服を買うようになるのでしょうか?
ケンザ:当時の町田には「マルカワ」というジーンズショップが何店舗もあったので、最初はみんな「マルカワ」で服を買っていました。そこからだんだん街の古着屋とかセレクトショップに移っていく感じで、今もある「DAMAGE DONE」とかは僕もよく行っていて。あと「ジョルナ」(町田ジョルナ)の地下にあったHIPHOPの服を売っている店にも通ってましたね。
── ケンザさんの曲『Dreams』には「雑誌の見よう見まねシャカジャー*2にゲスパン*3」というリリックがありましたけど、そういう服も町田で買っていたんですか?
ケンザ:買ってましたね。当時メチャクチャ流行ってましたから。あとHIPHOP系の服屋でいうと、当時(90年代後半)の町田では道端で客引きをしているお店もあって。
で、そのお店で買った服を着て、ジョルナの地下の店に行くと、「お前! この服、あの店で買っただろ!」ってすごい剣幕で詰められるんです(笑)。「これ偽物だぞ!」と教えてくれたこともありました。向こうは教育のつもりだったと思うんですけど。

── 町田駅周辺は遊びを覚えはじめた中高生たちが背伸びしてさまざまなカルチャーに触れられる街だったわけですね。
ケンザ:そう思います。音楽関係でいうと、「ディスクユニオン」も早くから町田にお店を構えてたんですよね。バンドをやっていた中学生の頃は、流行りのメロコアパンクを買いに行ってましたし、HIPHOPを聴きはじめてからもよく通っていて、お金もないから試聴機でメチャクチャ聴いてました(笑)。
インストアライブでラッパーが来ることもありましたし、町田駅の周りに出るだけでそういうカルチャーに触れられたのは本当に良かったですね。
── わざわざ新宿とか渋谷に出なくてもよかったわけですね。
ケンザ:そうですね。小田急線で考えても、やっぱり下北を越えてカルチャーに触れられる場所……となると、町田になるんですよ。特に音楽については、町田ではCD屋だけでなくライブハウスとかクラブもそろってるんで、この街ですべてが完結できるんですよね。
── ケンザさんは高校も町田から通いやすい桐蔭学園(神奈川県横浜市青葉区)ですよね。『マイホームタウン』という曲では、「大抵はバダイか町田へアクセス」というリリックもありましたが、「バダイ」って「青葉台」(横浜市青葉区)のことなんですか?
ケンザ:地元の僕らは「バダイで待ち合わせね」みたいに言うんですよ(笑)。高校への行き来では柿生駅(川崎市麻生区)から町田経由で帰ったり、青葉台駅(横浜市青葉区)から帰ったりもしていましたけど、やっぱり町田に寄ることが多かったです。自分の好きなカルチャーを深掘りできるのは町田って感じだったので。
── 15年ほど前の楽曲『RAP MY CITY RAP』では「成瀬、成瀬台、長津田に恩田、柿生、青葉台、鶴川もビガップ(BIG UP)*4!」というリリックもありました。
ケンザ:俺、住んでたところをやたらとリリックにしてましたね(笑)。桐蔭学園は駅から離れてるんで、みんなバスで周辺の駅に出たり、乗り換えで使ってたりしてたんですよ。だから自分が放課後に寄ってた街の名前を出してたんだと思います。

芹ヶ谷公園の隅っこで友達とラップ ── ラジカセから流れるビートと交わした言葉
── そんな高校時代に、友達からもらった名曲詰め合わせのMDをきっかけにHIPHOPにハマっていったそうですね。
ケンザ:そうでしたね。まず学校のバンドでミクスチャーロックを好きになって、その流れでラップも聴くようになったんですけど、その仲間内にHIPHOPに詳しいのがやっぱりいて。彼が洋邦問わず好きな曲をたくさん入れたやつをくれた感じです。
── それでロックよりもHIPHOPのほうが好きになったと。
ケンザ:聴いてすぐに「自分でやってみよう」ってなりましたし、それができるのが新鮮でしたね。そこからバンドはまったくやらなくなって、ラップばかりになりました。
ラップをやってる友達も学校にもいて。といっても僕が入って4人になったくらいのレベルですが(笑)。

──『Dreams』のリリックには「町田のフリークスで手にしたレコ盤」とレコード屋の名前も出てきました。
ケンザ:閉店してしまいましたが(2011年閉店)、「町田周辺のHIPHOP好きで通ってなかった人はいない」と言えるお店です。「フリークス」は「ディスクユニオン」よりも新譜のレコードが充実してましたし、海外で流れているHIPHOP専門のラジオ局の音源が売っていたり(笑)。HIPHOPのカルチャーに触れられる貴重な場所でしたね。
HIPHOPにハマってからは、町田の図書館で受験勉強しつつ、近くの「フリークス」や「ディスクユニオン」に寄って近くの芹ヶ谷公園でラップの練習をするような感じでした。
── 芹ヶ谷公園ではサイファーみたいなことをしていたんですか?
ケンザ:みんなで書いた歌詞を歌い合っていたので、サイファーのようなフリースタイルではなかったですね。「aiwa(アイワ)」のちっちゃなラジカセから、レコードから録音したインスト(※注:インストゥルメンタル。ボーカルの入っていない音源)の曲を流しながら歌ってました。
録音する技術もなければ、「スタジオで練習する」という発想もなかったんで、声を出しても怒られなさそうで、なおかつ人が少なくて恥ずかしくないところで練習していましたね。場所も公園の隅っこでしたから(笑)。
── 「サイファーで仲間が増えた」「先輩・後輩との交流が深まった」みたいなことは?
ケンザ:全然なかったです。僕が高校生の頃は、大きな学校でもHIPHOPが好きな人は3~4人くらいでしたし、ライブをするときも、バンドの中に僕ら1組だけが混ぜてもらっているような状況でしたから。
── 先述の『マイホームタウン』という曲には「周りダンサーに囲まれて俺だけヘタッピ いつも見てるだけ駅前Dancin」という歌詞もありましたが、これも町田の描写ですか?
ケンザ:当時はダンスが流行っていて、夜になると町田のハンズのあたりとか、青葉台とかのガラス前で練習している友達がいたんです。僕らはダンスはしませんでしたけど、友達がダンスを練習してる横で一緒に歌詞書いてたりして、そのままみんなで飯を食いにいったりしていました。
── そうやって仲間とつるむ中でHIPHOPのカルチャーを自然と学んだり、刺激を受け合ったりしていたんですね。
ケンザ:そうですね。当時はSNSもなかったし、目の前の友達と話すことが自分の世界のすべてでしたね。

都心でもない、地方でもない。町田というアイデンティティと子育て世代としての発見
── ケンザさんは早稲田大学在学中から都心でアーティスト活動を本格化されますが、振り返ってみて「中高時代に町田でいろいろなカルチャーに触れられて良かったな」と感じますか?
ケンザ:感じますね。特にHIPHOPを好きになった高校生以降は、町田にそういうカルチャーに触れられる店が一つや二つじゃない規模であったのはとても良かったと思います。そんな場所が放課後に立ち寄れる近所にあったわけですから。
── そうした「カルチャーのある都市」としての一面がある一方で、町田は「東京の街」とはまた違うイメージの場所ですよね。
ケンザ:まず23区じゃないですからね。僕も「東京出身者」という自覚はあるんですけど、23区的な東京と、多摩のほうの東京はちょっと違うんですよ。山手線の内側はもう全然別の世界だし、「住むようなところじゃない」と当時は思ってました。
── アーティストとして都心で活動し、都心で暮らすようになってから、町田のイメージはまた変わりましたか?

ケンザ:特に子どもができてから、町田の良さを改めて感じることが増えました。町田って駅の周りはすごく都会なんですけど、10分も歩くと芹ヶ谷公園のような森みたいな場所があるし、自然が豊かな環境はやっぱり子育てする身からしても魅力的で。
今僕が住んでいる街にも広めの公園はありますけど、僕が遊んできた山みたいな公園とはぜんぜん違うし、人が多すぎて「子どもと遊ぶ場所」って感じじゃないんですよ。都心に住む人がそういう自然と触れ合う体験をしようとすると、当たり前のようにお金がかかるんですよね。
僕も休日に家族で旅行に出かけて、「自然に触れられる体験ツアー」に申し込むこともあるんですが、そのたびに「俺が子どもの頃にやってた遊びって、都心で暮らす人たちは課金して手に入れるものなんだな」と気づかされます。「夜中に虫を探すツアー」とか見ると、実家に帰って夜に連れ出せばよくないか?と思ったり(笑)。
── 実際にお子さんを実家に連れて帰ってますか?
ケンザ:月イチくらいで帰ってますね。僕は「田舎で暮らしたい」とまでは思わないタイプですけど、町田の自然とカルチャーが両立してるバランス感はホント絶妙なんですよね。都会的なものも満足できるレベルでそろってるし、「都心から離れたゆったりとした住環境」もしっかり整ってるので。
── お話を伺っていると、町田は子育てしながら住むのに良さそうな街だと感じました。
ケンザ:そう思いますね。だから「子どもが小学校に入る頃には町田に帰ろうかな」とか考えることも実際あって。特に南町田のあたりだったら東名のインターがすぐ近くだし、都心にも30分で出れちゃうので。
── その距離感だと「地元に帰ろう」と決心して引越す感じでもなさそうですね。
ケンザ:そうですね。もっと気軽に、今と同じように活動しながら暮らせる場所だと思います。
古着とラーメン、そしてゼルビア。変わりゆく町田と、変わらない愛情

── ご自身が育った頃と比較して、今の町田はどのように変わりましたか?
ケンザ:まず駅前に商業ビルがすごく増えましたね。それをネガティブに捉える声もあるかもしれないですけど、街を歩く人が以前よりも増えたし、入りづらい・行きづらいエリアというのが明らかになくなった感覚があります。
もちろん潰れた個人のお店はありますし、仲見世(町田仲見世商店街)のような昭和感が残っている場所も減りましたけど、昔から好きな個人の古着屋さんとかセレクトショップ、飲食店は今もちゃんとあるし、「チェーン店に街が染められた」って感じでもないんです。
それに、サッカーチームの「町田ゼルビア」が頑張っていて、最近ではJ1にも昇格して盛り上がっている。「自分の街を愛する気持ち」をさらに高めてくれてるんだなと思います。
── ケンザさんが通っていた好きな店や、今もよく行っているお店はどこですか?
ケンザ:もともと仲見世にあった「リッチなカレーの店 アサノ」さんのカレーはメチャクチャおいしくて好きですね。あと町田って「古着とラーメンの店」というイメージも強いですけど、ラーメン屋には僕もよく通ってて、「おやじ」(「北海道ラーメン おやじ 町田店」)の味噌ラーメンとかは今でも急に行きたくなったりします。
── 近年のケンザさんは、町田市の教育関係のイベントに出演したりと、街とかかわる仕事も増えてきていますよね。
ケンザ:本当にありがたいことですね。町田は自分のキャリアが始まった街だし、HIPHOPは「地元に還元すること」を大事にするカルチャーですから。でも、「ことばらんどショートショートコンクール」という文学賞の審査員とかもやるようになると、「俺ラッパーなのに、なんで小中高生の文章を読んでるんだろう?」って思うこともありますね(笑)。
そうやって声をかけてもらえること、かかわれる街があることは幸せなことだと思いますし、何より僕のようなラップをやっている人間にも、地域貢献をさせてくれる懐の深さも町田の良さだなと思います。街の規模が小さいと、たぶんラップで貢献できることもそんなにないんでしょうけど、町田だと「じゃあリリックづくりの講座やりましょう」みたいな企画ができて、それで来てくれたりする機会もありますから。
── 「町田出身のラッパー」とたくさんの地元の人に知ってもらえるのはうれしいですね。
ケンザ:そうですね。「町田出身のラッパーってKEN THE 390だよね」って認知してもらうことは僕にとっても大切なことだし、地域にかかわる活動に携わることがアーティストとしての自分に新しい色を足していってくれている感覚もあります。なので、これからも地元に貢献できることを続けていきたいですね。

お話を伺った人:KEN THE 390(けん・ざ・さんきゅーまる)
1981年6月17日、町田市生まれ。フリースタイルバトルで実績を重ねた後、2006年にデビューアルバム『プロローグ』をリリースし、以来13枚のオリジナルアルバムを発表。テレビ朝日「フリースタイルダンジョン」では審査員として出演し、鋭いコメントとその洞察力が話題を呼んだ。近年はさらに活動の幅を広げ、主催フェス「CITY GARDEN」の開催や、「『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rule the Stage」等で音楽監督も担当。地元・町田市でもトークイベント出演や文学賞の審査員など幅広い活動を行っている。
聞き手:古澤誠一郎(ふるさわ せいいちろう)

ライター。1983年埼玉県入間市生まれ。東京都新宿区在住。得意なジャンルは本、音楽、演劇、街歩きなど。『サイゾー』『週刊SPA!』『散歩の達人』『ダ・ヴィンチニュース』などに執筆中。
X(旧Twitter): @furuseiro
WEBサイト: https://furusawaseiichiro.com/
写真:関口佳代
編集・風景写真:はてな編集部
