郷愁の名古屋。がむしゃらに走った記者時代|文・桑山美月

著者: 桑山美月

朝7時。スマホのアラーム音とともに目が覚めた。

(もう2時間たったのか……起きなきゃ。30分でシャワーを浴びて用意しないと、間に合わないな。そういえば原稿のあの部分、確認してたっけ……)

そこで私は気づいた。はて、体が動かない。頭では早く起きろ!と命令を出しているのに、指一つ動かない。

6月の梅雨の時期にもかかわらず、とても天気の良い日だった。やわらかい日が部屋に差すのを見ながら、ボロボロと涙が止まらなかった。

報道記者として始まったキャリア

ある調査によれば、東京の人口のうち、およそ半数弱が地方出身者だそうだ。そして、若い世代の3分の1が、いつか地元に帰りたいと考えているという。

昨年の春、結婚を機に東京へ引越した。自分が名古屋を離れる機会が来るなんて思いもよらなかったが、おもしろいライブハウスに美術館、おしゃれなカフェに毎週末のイベントなど、サブカル好きな私にとって東京は飽きることのない魅惑の都市……のはずだった。

しかし、27年間、名古屋を離れたことのない私にとって、東京での暮らしは華やかどころか、挫折の連続である。電車に乗れば乗り換えの複雑さと人の多さに酔い、買い物をするにもどこに行けばよいかわからず、ランチをしようにも大行列の店ばかりで困惑し、毎月のように家賃の請求にクラクラしている。

東京に来る前は名古屋で、フジテレビ系列「東海テレビ」の報道記者として働いていた。テレビの世界は学生のころからの夢だった。特にドキュメンタリーをつくりたかった私にとって、『人生フルーツ』などの話題作を手掛ける東海テレビ報道部は、憧れの場所だった。

とあるドキュメンタリーCMを撮影しているときの様子

入社前から心構えはしていたが、世間のイメージどおりハードな報道の仕事。毎晩夜遅くに帰ってくる娘を、母は心配した。「今日はどんな仕事をしたの?」「何食べたい? 好きなものをつくるよ」「今度の休みはどこかで気分転換しようか!」。

そんな母の優しさをうっとうしいと思ってしまうほど、当時の私には余裕がなかった。家族にストレスをぶつけてしまう自分が心底嫌になり、実家を逃げ出すように会社近くのマンションで人生初の一人暮らしを始めた。まだ、社会人1年目の冬だった。

初めての一人暮らしと、がむしゃらな日々

高岳駅前の交差点。車社会の名古屋では、中心地にも高速道路が走る

一人暮らしを始めたのは、地下鉄桜通線が通る高岳(たかおか)駅の近く。あまりメジャーなエリアではないが、名古屋の中心部である栄までは自転車で10分、名古屋駅までは電車で7分と、便利で暮らしやすい人気のエリアである。都会的でありながらも、武家屋敷や明治時代の洋館が随所に混在するおもしろい町で、私はとても気に入った。

選んだマンションは南向きで日当たりの良いワンルーム。前の通りはオオカンザクラの並木道になっていて、春には桜がめいっぱい咲く。家具にもこだわった。初めての自分だけの部屋は、われながらすてきなものだったと思う。とはいえ、会社と家が近くなったことで忙しさは加速し、こだわりのマイルームを楽しむ余裕はまったくなかった。

台風が発生すれば、ヘルメットをかぶって土砂災害の現場に行き、猛暑が観測されれば、40℃超の炎天下で取材をした。メダルのかかったオリンピック選手、世界を股に掛ける新進気鋭のバンド、コロナ禍で大会に出られなくなった高校生、多くの経営者が通う占い師……。さまざまな人たちに会い、話を聞いて、特集をつくりまくった。

大きな企画を任されるようにもなり、仕事の幅は広がった。2年目の年末には部内で表彰され、若手制作者が集う東海地区の大会で優秀賞をいただくなど、徐々に社内外で評価されるようにもなっていた。

そのときは突然やってきた

深夜0時のサブ室

3年目を迎えた2021年の6月。その日は、2日後に控えたとある放送に向け、眠い目をこすりながら原稿制作作業をしていた。半年以上取材を重ねた渾身の企画。ほかの仕事も重なりしばらく休んでいなかったが、どうしても良いものにしたかった。

なんとか原稿を書き終えたのは朝5時。8時には出社して編集作業を始めなければならない。いったん家で仮眠を取るために会社を出ると、きれいな朝日が高岳の交差点を照らしていた。ボロボロな自分とあまりにも対照的で、1人でちょっと笑ってしまったのをよく覚えている。

家に着き、ベッドに倒れ込む。2時間後、アラームの音に促されて目が覚めたとき、異変に気がついた。体が動かない。正確に言うと、動かせない。金縛りにあったかのように、自分の意思で指先すらまともに動かなかった。そして今までに出たこともないほどの大量の涙が、目からぼろぼろとあふれていた。「限界が来た」と思った。

記者の仕事は大好きだった。作品を、映像をつくることがとにかく楽しかった。優秀な先輩やスタッフに囲まれ、つくり込めばつくり込むほどに、自分の作品がどんどん良くなっていくのがわかった。

取材をした人の人生が変わる瞬間に立ち会ったこともある。地上波やネットで自分の担当した番組が放送され、視聴者から好意的なコメントをもらえることも度々あった。なにより、「報道記者の夢をかなえた自分」が好きだったのだ。

その後も一度倒れた事実を無視して、私は走り続けた。体調よりも明日の取材のほうが大切だと本気で思っていたからだ。しかし、以前と違い全力で頑張れない自分に、薄々気付きはじめる。これ以上頑張ったら、無茶したら、また倒れてしまうのではないかという恐怖がずっと渦巻いていた。

頑張りが実を結び、その後もCMで賞を取ったり、学校に講演に行ったり、さまざまな結果を残すことができた。だが4年目の冬、私は結婚と夫の転職を機に会社をやめた。あの日のことを、心と体はずっと引きずったままだったのだ。

”何者でもない自分”と名古屋への郷愁

会社を辞めてからほどなくして、夫に連れられて東京へ移った。やりたいことが見つけられないので、ひとまずハローワークに通いながら転職活動をする日々。慣れない土地での暮らしに加えて、東京では「何者でもない自分」を突きつけられた。

同世代のあの人は、なんちゃらアワードで賞を取ったらしい。最近SNSでもよく見るあの彼は、雑誌のインタビューを受けたらしい。私より3つ下の彼女は、立派に起業している。

街を歩いていると、皆忙しそうに自分の役割を全うしているように見えた。20代かそれより若い世代は夢を追いかけているのだろう、活力のある目をしている。

そんな人たちがゴロゴロと存在するこの街で、何をしたらいいのかすらわかっていない、この情けなさ。いかに自分が「何者でもないか」を否が応でも自覚させられる。何も成し遂げられずに流れていく時間に、焦りだけが募っていく。劣等感に押しつぶされる。

どうしてこうも他人と自分を比べるようになってしまったのだろう。

もともと名古屋が好きだ。中心地の栄や名古屋駅に行けば、たいていのモノがそろう便利さ。日本全国どこへでも行きやすい交通の便の良さ。程よい人口の多さ。それでいて、車さえあれば困らない勝手の良さ。よその地方の人にはいじられがちだが、やっぱり赤みそはおいしいし。しかし、ここまで強く思いをはせるには、何か別の理由がある気がする。

名古屋にいたときの自分は、小さいころからなじみのある場所で暮らし、家族も友達も近くにいて、テレビ局の名刺を持つ報道記者であった。自分の居場所や存在価値を見失うことなど、一度もなかった。

ワンルームでズタボロな日々を過ごしながらも、“自分は何者かである”と疑うことなく信じていたあのころが、今の私にはとてもまぶしく見える。

名古屋での日々をよりどころにして

上京して8カ月、ようやく新しい職場が決まった。ひょんなご縁で、非常になじみのある名の会社に入ることになった。新しい職場では以前のような激務はなくなった。まだまだなじんでいるとはいえないが、居場所はできたし、だいぶ穏やかな生活になったと思う。

けれどふと、高岳のワンルームでがむしゃらに働いていた自分と今の自分、どちらが幸せなのだろうと考える。

東京に住む若者のうち、3分の1はいつか地元に帰りたいと考えているらしい。

東京は、楽しく、華やかで、煩くて、忙しない街だ。夢や目標を追いかけながらも、自分はここにいていいのかと不安にさせる空気がある。そんなとき、故郷を思えば、自分が帰ってもいい場所があると安心できるのだ。

地元を出て、仕事もなく東京に立ったとき、自分がいかになんでもない存在であるかを思い知った。このことを知らないでいられたら、それはそれで幸せだったのかもしれない。けれど、私は知ってしまった。

「何者でもない私」との戦いはこれからも続いていく。名古屋で頑張った日々をよりどころにして。

名古屋に住んだら行きつけにしてほしい、高岳グルメ

【純喫茶ボンボン】

1949年創業の老舗純喫茶。名古屋で最も有名な喫茶店の一つ。レトロな雰囲気の店内で、深いりのコーヒーと昔ながらのスイーツがお手ごろ価格で楽しめる。おすすめは写真のハワイアン。赤い革張りのソファとレトロな店内がたまらない。モーニングの時間には、近所のお年寄りやサラリーマンでにぎわう。オリジナルのくまのキャラクターがついたグッズも愛らしく、お土産にもおすすめ。

 

【串処 ぼんど】

老夫婦が営む、昔ながらの串かつ屋。記者時代、仕事終わりに先輩とよく通った。コンビニ飯ばかりだった当時、店のお母さんのつくる何気ないマカロニサラダや赤ウインナー焼きがたまらなくおいしかった。注文はお父さんのペースに合わせてゆっくりめ。運が良ければ、まったりとくつろぐ猫が見られる。名物の「カレー串かつ」は必食。

 

【東桜パクチー】

本格的なタイ料理が楽しめるお店、通称「パクチー」。ランチタイムにはいつも行列ができるほどの人気店。記者時代、先輩社員の分も合わせて注文し、いちどに10人前をテイクアウトすることもあった。おすすめはグリーンカレー。ライスと合わせても700円いかないというコストパフォーマンスも最高。ポイントカードをためると1回分のランチが無料になる。

 

【TRUNK COFFEE】

高岳駅を降りてすぐ、桜通沿いに位置する北欧スタイルのコーヒーショップ。自家焙煎のコーヒーは軽めの口当たりで、すっきりとした味わい。テラス席で作業する人の姿もよく見かける。店内はソファ席中心なので、休日にゆったりと訪れるのがおすすめ。

 

【調理道具専門店 鍋屋】

創業1559年の歴史ある鍋屋。店の周辺が「鍋屋町」と名付けられる由縁となったお店だそう。鍋屋といっても、昔ながらの雪平鍋から海外のメーカーのポット、職人がつくった包丁など、調理器具全般を幅広く取り扱っている。店員さんが優しくなんでも教えてくれるので、ここに行けば必ず自分に合う料理の相棒を見つけられる。

著者:桑山美月

元テレビ局報道記者、ディレクター。現在はアニメーションスタジオで展覧会のお仕事をする傍ら、ライター活動も始めました。 器やインテリア、暮らしにまつわる心地よいモノが大好きです。愛用カメラはFUJIFILM。1995年愛知・名古屋生まれ。
Instagram:mizuki__1122

編集:日向コイケ(Huuuu)