駒沢大学に漂う所得の高さにあぶり出されていた私がデイリーポータルZと出合うまで|文・大北栄人

著者: 大北栄人

こんにちは、SUUMOタウンをご覧の皆様。私はインターネットで記事や動画を、最近では舞台や映像も作ってます。例えば「明日のアー」で検索してみてください。それらはユーモアに根ざしたものです。

今日ご紹介する駒沢大学駅周辺は20代の頃住んでたんですけど、暗い気持ちがよみがえってくるからそれ以来寄り付かないようにしてたんですよ。

でも、それは私が従事するこのユーモアについての痛々しい叫びだったんじゃないか、と今日思い当たったんです。

道が中心の街、駒沢

駒沢大学駅は国道246号沿いにあります。渋谷駅から始まる東急田園都市線もこの地下を走っていて、江戸時代は大山参り(※)に行く道として賑わっていたそう。今でも駒沢の街の中心は国道246号、通称「246」です。246沿いに商店が並び、毎年4月には駒沢大学の新入生が246南側の歩道にあふれ返ります。

※大山参り……中世からはじまった、相模国の大山(現伊勢原市)を参詣する風習。特に江戸時代に盛んに行われ、「大山詣(おおやままい)り」は古典落語の演目にもなっている

国道が中心の街にはじめて住みました

うっかり無職でやってきた

私が駒沢に住んだのも新入生が歩道にあふれ返るこの時期。(無職の私より駒沢の新入生の方が社会的価値が高そうだな…)と考えカンフーの達人のように体をしならせ、頭の中では「お疲れ様です」「がんばってくださいね」と敬意の念さえ払って新入生たちの間をすり抜けていたのを思い出します。

私は大阪大学という難しい大学に入ったのにちょうど就職氷河期にあたり、文系だと大企業に入れたとしてもシステムエンジニアか~と考え、無職のまま東京に出てきてしまいました。就活でやりたいことを考えたときにプログラムには興味はなかったんですけどユーモアには興味があったんです。なにか笑えるものに携わりたくて放送作家事務所が開催していたスクール目当てで上京してきました。

中心が246だとすると高架で暗くて狭い街になりますが、その外側には緑も多めの住宅街が広がります

ところでさっきからユーモアと言ってるこの言葉には、なにかブランデー片手に口ひげをなでるようなイメージがありませんか。ユーモアは簡単に言うと「くだらなさ」です。

イメージしてみましょう。例えばボーナスを期待しているときに「棒についたナス」を渡されたら? (これはボーナスと違ってひどく無価値だぞ…)そうわかった瞬間に笑って喜びを感じられれば、それは「くだらなさ」でありユーモアです。むちゃくちゃですよね、人間は。喜んでどうするんだって。でもだからこそ美しく、とても人間くさいことなんですよね。

ただよう所得の高さにあぶり出される

一方、駒沢はそんな無価値さとは対極をなすような"いいところ"でした。私は駒沢で怒ってる人を見たことがありません。駒沢公園のドッグランの犬でさえ、吠えたとしてもそれは楽しいからです。現在住んでる街では引越し当日に怒られている人を2人見てショックを受けたのに(2人ともおじいさんで怒られたうちの1人が私でした)。

246沿いのおいしいケーキ屋は洋菓子店でなくパティスリーだったり、大手広告代理店の社宅があったり、少し行けば所さんが基地を作っていたり。うすぼんやりした所得の高さが立ち込める霧のようにこの街を覆っている、それが駒沢なんですね。無職の20代にとってはバルサンが焚かれているような居心地の悪さでした。

とはいえこのパティスリーナオキのカヌレやピキヌーのタイカレーは1000円以内で買える美味いものとして私と駒沢の「いいとこ」の接点でした。これも246沿い

ザ・世田谷ともいえるそんな駒沢(↑)で私が住んでいた家は風呂なしで(↓)、鉄筋マンションで(↑)、4畳半で(↓)、4万円(…)の部屋。高いのか安いのか条件が振り子のように振れて存在自体が矛盾してるような物件でした。論破王がいたらすぐ論破されていたことでしょうけど、ところで論破王ってあれなにしてる人なんですかね。

ユーモアは「わかる」遊び

でもね、残念ながら私は天然でした。スクールのあった渋谷に行きやすく地震が怖くなくて安い場所、駒沢のこの物件はそんな最適解だと思ってたんです。理解しにくいですよね。このような天然さは私につきまとうものなんです。特にユーモアにおいてはそうです。

パンツ一丁の手塚治虫が描かれたマンガの1コマのコピーを大学のゼミで配り「なぜこれがこんなに笑えるのか考えたい」と提起しました。先生は「君はそんなにおもしろくなさそうにそれがおもしろいと言うんだね」と熊の肝舐めたくらい苦しそうに言うしみんなは困った顔をしているし……私は悲しくなってしまいました。

ユーモアってそういうところがあるんです。さっきの例ですけど、ボーナスの代わりにナスを渡されたら多分人は怒りますよ。聞いたことのある冗談だし、そもそも会社が嫌いだったりしますから。ユーモアはそんな新しさや愛、色んな条件に左右されるやっかいなものなのです。

だけどそこを乗り越え、新雪を踏みしめて手に入れるような冗談はすぐにお包みしてリボンの一つでもかけたくなるほどきらめくような喜びがあります。「あれくだらなかったな……」と思い出してはにっこりしてしまうような冗談ってないですか? それって感覚でいうなら「美に近いもの」じゃないですか?

かつて住んでいた風呂なし鉄筋マンション「市川荘」の一階に入っていた水道工事の会社が入れ替わっておしゃれな美容室になっていました

すると「市川荘」のプレートがローマ字になってました。新聞配達員の寮でもあったあの市川荘が!?

そんな新規領域のユーモアに魅せられた人間はまだ見たことない冗談を求めて、新雪のパウダースノーを踏みしめどんどん山奥に入っていきます。そこはもう一般の人にとってはスキー場でもなんでもなく、遭難なんです。パンイチの手塚治虫がそれです。

ユーモアの原理をもっと説明しますね。人が情報を入れる時、(これは無価値な情報だ……!)とわかった瞬間に脳は「おお、無価値だとよくわかったねえ。これ入れられると困るんだよね。喜びを与えるから次からも頼むよ」とするんです。「わかる/わからない」の遊びなんですよ。そして私はこの「わかってもらえなさ」にずっと悩まされてきました。

若さとは「私のわかってもらえなさ」の略

野球が上手な人は打率防御率すべて数字に出ます。ピアノが上手な人がストリートピアノを弾くと人が集まってきます。ところがユーモアにおいてみんながわかるものとなると「志村けん」なんです。お客さんを楽しませる志村けんこそ至高だというのは同意見です。ただ新規領域のユーモアに魅せられた人間としては「きらめくような志村けん」というものがイメージできないだけなんです。

なぜユーモアだけがこんなことになってしまうんでしょうか。「わかる/わからない」の遊びという学問みたいなもの、そんなユーモアがエンタメ界にまぎれこんでしまっているからでしょうか。私が好きなユーモアに携わると私は疎外を感じることが多い。そう考えるとまた悲しくなってしまうのでした。

駒沢は246から一本入ると大きな家が多く、大きな家は庭があるので緑が多い

放送作家の学校は2カ月で終わりました。放送作家志望者の多い世界に尻込みをし、何も仕事にしたいわけではない、ユーモアが「わかる」大人たちが集まる場所にいたいのだと強がりました。それは「(私を)わかってください」の叫びなんでしょうけど、すいません、今ちょっとどうでもいいことが頭をよぎって、世界の中心で倒れた恋人を腕で支えながら「わかってください!」と泣き叫ぶ人のイメージでその人はすごくかっこ悪かったです。

どこかにあるといわれているユートピア

作家の仕事を探すうちに知り合ったフリーの映像ディレクターは肩にカーディガンを巻いてセカンドバッグを持って素足でローファーを履いていました。当時でさえコントみたいな格好だなと思いましたが驚くことに全く冗談が通じませんでした。こっちの世界はもしかしたら全員がそういう「わかる」人でもないのかもなと思い始めました。

ユーモアにはもうひとつやっかいな側面があります。人は「ユーモアがわからない」とされることをすごく嫌がる生き物なんですね。これは世界共通だそう。ユーモアに明るい人はコミュニケーション能力が高く異性にモテるというのも共通だそうで、その裏返しとしてこの現象が存在するようです。

なので「あなたユーモアわかりませんよね?」は世界中で人に対して言ってはいけない言葉です。体のどこかに牡丹のアザのある八犬士を探すように、ひっそりと「わかってる人」探しを続けるんです。世界のどこかにあると言われている、くだらない大人たちが集まってお経を読んで爆笑している天竺(てんじく)のような場所を探して。

べローチェもそう、大体246沿いにあります

 

時間はあるのに全然書けず失意の日々

いよいよ本格的な無職に突入します。せめて私の考えるおもしろいユーモアを形にしようとカフェベローチェでコントの設定を考え始めました。良いものは出ず、1時間半くらいすると頭がしびれたように疲れて帰ります。その日はそれ以上考えませんでした。翌日も何も出ません。その翌日も。あー、仕事をやめて物書きにでもなりたいなとお考えの皆様、アイデアを考える作業というのはそんなに長時間できるものでもなさそうですよ。

私は自分のことをわかってほしいと思ってるはずなのに、自分がおもしろいと思えるものさえ書けませんでした。おもしろいものが書けたらその時点で上がりみたいなものですから今ではそれでいいと思えますが、当時はショックなことでした。

べローチェに行くと全身真っ黒の二人組の女性のお客さんが毎日いました。(あの人たち、コントにならないかな……)そんなことを毎日考えてました。でもそういうかっこよさげな二人組は椎名林檎の後ろで踊りさえすれ、コントには出てこないんです。それが駒沢です。リンダリンダと違って写真に写る美しさがあるし、コントには出てこないかっこよさがあるんです。

駒沢給水塔保全運動の理由は「ただかっこいいから」だと推測します

ユーモア終了のお知らせが来ました

駒沢給水塔、かっこいいです。でも私に水を与えてくれるものではありません。駒沢公園の塔もかっこいいです。でも私に何をしてくれるでもありません。でもそうです。そうしたふんわりしたイメージのよさからここに住むことにしたのも否めないんです。

東京に出てきたけれどおもしろいことは書けず、ユーモアとも折り合いはつかず、かっこいい街に弾かれるし、家で足に包丁を落として(スリッパを履きましょうね)血の止め方がわからず、ビニール袋に血だらけの足を突っ込んで246を歩き、止まったタクシーに無言でドアを閉められ、看護師さんにぎゃっと叫ばれ、行けなかった皿洗いの派遣バイトの社員さんに後日謝ったら「気をつけてよね!」と怒られ、駒沢の新入生を避け、駒沢の新入生を避け、また新入生、新入生……福本伸行作マンガ『カイジ』の主人公のように「堕ちる」という言葉を何度もイメージしていました。

駒沢公園にあるスケートパーク。外から考える「かっこよさ」がちゃんとある街というのは貴重です

それもこれもユーモアを選んだせいだったのではないでしょうか。考えてみれば初めてのデートで行った映画館で『ホーム・アローン』を見たときにカルキンくんが「泥棒です」と電話をかけた場面で私しか笑っていなかったあの日から、小学生の頃アホすぎる同級生が窓から落ちそうな遊びを考えたと言ったあの日から、もっといえば明るくひょうきんでよく笑っていた母の姿や赤ちゃんの私を見て笑う母の目を見たあの日から、それはすでに始まっていたのではないでしょうか。

このままだと体まで悪くしそうだなと思いハローワークで仕事を探しなんだか変なフィギュアを作ってる会社に入ることにしました。そうです、ここで私のユーモアの探求は一旦終了したんです。

あるもので、できることをする

フルタイムの仕事に忙しくしているとユーモアのことを考えることもありませんでした。ある日、会社で窓を閉めていなかったことを親ほど歳の離れた先輩にとがめられ「あなた大学で何やってたのよ!」と怒られたとき、どう答えたものかなあと困ってしまって「……4年間窓を開けたり閉めたりしてました」と言ったら笑って許してもらえました。ユーモアだなと思いました。

三友軒、300円のラーメンとカレーを出す店。外の人が知らない駒沢がありました

パオン昭月はアンパンマンパンが名物の昔ながらのパン屋さんです。隣にはゲーム機のある喫茶店がありました。この駒沢の交差点付近は安い八百屋があったり、300円のラーメン屋があったり、住んでる人が愛する駒沢がだんだん見えてきました。それはドッグランだとかカフェブームのはしりの店だとか、バルサンのように20代無職がいぶされていたものではありません。結局今いる場所で、今あるものでなんとかするしかないのではないでしょうか。

パオン昭月はバリバリ修行してきた2代目に代替わりして今では芸能人御用達の生クリームあんぱんで人気だと聞きましたが、今でも当時のお惣菜パンを出してました

コントはもういい、自分にできることをやろうと考えました。大学の授業でウソを並べたホームページを作ったのを思い出し、その同級生・石川くんに声をかけてまたウソばかり書いた読み物サイト作りを始めました。作った記事もロボコップについて真剣に議論するというもので(ただし誰も見たことはなかった)他人が見て面白いかどうかは自信ありませんでしたが、自分たちはずっと笑っていました。

記事を書いてデイリーポータルZに投稿しはじめるようになり駒沢公園でよくなにか撮ってました

青い鳥はここにいたのか

より多くの人に見てもらえるから、と石川くんが『デイリーポータルZ』というサイトの投稿コーナーに応募してくれました。ちゃんと多くの人が見てくれました。何度も応募するうちに企画会議に呼ばれ、顔を出すとそこにはサングラスをかけた大人がたくさんいました。どうやら『西部警察』のようなサングラスをみんなでかける日だったようで、何かごにょごにょ話してるなとよくよく聞いていると、ああ、どうやらこれはお経です、それもさっき言ってた爆笑もののお経だったんです。

「Hello world!」とはこのことでした。どうやらここでは大人がバカな話をしているらしい、そんなことがわかった瞬間は世界に色がついていくような、いや違いますね、レーシック手術みたいな、いやいや、チームラボ、いやチームラボボーダレス……なんと言えばと考えてるうちに喩えがどんどんお求めやすくなってますが、どこかにあると聞いていたそんな世界がちゃんとあったんです。それもこんな近くに。『青い鳥』みたいですね。

こうしてユーモアの探求がまた始まりましたが、今回は『デイリーポータルZ』と出合うまでのお話なのでここで終わります。でもね、私が駒沢を避けていたのはこういうことだったのかと折り合いがついたのがこの文を書いてる今ですから。20代の傷は根深いものです。みなさん、自分にできることからやりましょうね。

著者:大北栄人

インターネットの記事や動画を作っていたが2015年ユーモアの舞台『明日のアー』を旗揚げ。2023年明日のアーをより検索しにくい「アー」に改名しコントをやめて「出し物」とする『アーの9』を発表し、翌24年その活動のやりにくさに後悔し、ショート動画に乗り出し中。
Twitter:@ohkitashigeto

編集:友光だんご(Huuuu)