抜けのいい湖を食卓のように囲む、団欒の街 上諏訪|文・神岡真拓

著者:神岡真拓(かみおか・まひろ)

神岡真拓

アートディレクター/グラフィックデザイナー。株式会社オンフ代表。「個を耕すためのデザイン」をモットーに、デザインスタジオ「ここち」や文具レーベル「余日-yoka-」出版事業「ひとりごと出版」を主宰する。著書に『取るに足らない大事なこと(加藤大雅/星野文月/神岡真拓 - ひとりごと出版)』がある。2022年11月に東京は高円寺から長野県諏訪市に移り住む。


「飲みに行こう」
そんな誘いが、日付を越えたあたりにくる。
商店街は個人店がひしめき合い、常に賑やか。
老若男女を問わず「居ても良い」と思わせる空気が流れている。

そんな、カオスなのにどことなく安心できる街、東京・高円寺での2年半の生活から離れ、僕は長野・諏訪に引っ越した。世の中的に言えばこれが「移住」なのだろうけれど、僕の体感で言えば引越しに近かった。とはいえ、家賃は下がったのに家が4倍の広さになったことには引越し以上の衝撃(かつ感動)があったし、ビルやアパートがひしめく街から来たものだから、仕事部屋から山が望める風景をみた時は、とんでもないところに来てしまったのではないかと思った。

長野・諏訪エリア。
出雲大社に並び日本最古とも称される諏訪大社のお膝元であり、街の真ん中に一周15kmほどのちょうど良いサイズの湖がある地域だ。諏訪エリアは諏訪市、下諏訪町、岡谷市、茅野市、富士見町、原村の6つの市町村の総称で、自分の住む上諏訪(諏訪市)は標高750mほどの盆地に位置する。真冬の夜にはマイナス10度以下になることも珍しくない。温泉資源もあり、街を歩けば道端に備え付けられた蛇口からちょろちょろと源泉がかけ流れている。

引越しのきっかけは妻(当時はパートナー)の転職だった。妻とは、お互い地方への興味があって、いつかお店など何かしらの拠点を構えたいとよく話していた。それは当分先の話......と思っていた矢先、妻の転職先が諏訪に決まった。フリーランスでグラフィックデザイン業をやっていた僕は、ある程度場所を問わず仕事ができる。そんな僕は、二つ返事でついていくことに決めたのだ。

思い返してみると、2人で初めて旅行に行った土地が諏訪だった。長野を北上するように旅をした道中で「水のある街っていいよね」という話をしたことを覚えている。諏訪には信州一の大きさを誇る「諏訪湖」はもちろん、霧ヶ峰の麓に位置し、山から流れる豊かな水を使った酒蔵も多く栄えている。かつては水路が発展し、まさに「水の都」と言える地域。そんなこともあって、なんだか縁を感じたのだ。

湖をシェアする


諏訪湖は、ほとりのギリギリまで街がせり出すように囲まれている。外側に行けばすぐ山にさしかかり、坂が続く。湖に土地を占領され、追いやられているようにも見えて面白い。でも見方を変えれば、街が大きな焚き火を囲むように湖を共有しているようにも見えるのだ。

当たり前だけれど、湖の上には電線がない。抜けが良く、対岸の街並みが見え、その奥には穏やかな山並みが顔をだす。

心なしか、穏やかな人も多い気がする。車社会ゆえに交通量は多いものの、スピードを出すような人もほとんどいない。湖がもたらす余裕や余白のある環境が、諏訪の寛容でのんびりとした風土を作っているのだろう。

湯がもたらす街との距離感


暮らしている上諏訪には、街の人が会員になって利用する「街のための銭湯」(共同浴場)が存在し、その全てが温泉銭湯である。隣町の下諏訪町には朝6時には開いている銭湯が5軒ほどあり、街の人は皆、湯に親しんでいる。

高円寺時代から銭湯が好きだった僕にとって、街に湯があってくれたことは街との数少ない関わりしろだったと思う。諏訪の銭湯には浴室に入るとき、場に「こんばんは」と言い、あがる時に「おやすみなさい」と言う文化(と言うほどでもないかもしれないが)がある。誰かに向けてではなく、広く場に向けて挨拶をする。身体を洗う人や、湯に浸かりぼーっとする人も、目を合わせず言葉を天に返す。最初は驚いたが、常連であろうがなかろうが、誰に対しても場を介した会話がある。その距離感がとても心地よい。

街の行間をじっくりと読む


諏訪は自分の住む上諏訪に絞ってみても、歩いて回遊できる距離に商店が多い。密度やエリアの活発具合など、規模は違えどこの点は高円寺と似ていて親近感がある。

地方の街並みは、車のスピードで楽しめる街になりがちだと思う。チェーン店の大きな看板が肩を並べるような、ありふれた通りの風景。ドライブは好きだけれど、この手の街並みは好きになれない。本を流し読みするような、行間にあるニュアンスやリズムなどを読み飛ばして内容だけを摂取する感覚に近い。諏訪にも少し離れればそういう街並みはあるけれど、駅周辺の風景はすごくこぢんまりとしていて良い。

昔からある個人店はもちろん、古材・古道具のリサイクルショップ「ReBuilding Center JAPAN(通称:リビセン)」を中心に、コーヒースタンド、古本屋、花屋、レストランなど、ここ10年ほどでできた新しいお店も多い。歩くスピードで楽しめる街は、街の行間をじっくりと読み解く、そんな楽しさがある。


訪ねる側から迎える側へ


高円寺にいたときは、やはり様々なものやたくさんの人を会いに訪ねていたなと思う。それくらいたくさんのもの・人が、いつでも会える距離に溢れている。それゆえに、東京から地方に移る時は少しの不安があった。

諏訪にきたら今のバランスがどう変わるのか。会いたい人に会えなくてしんどくならないだろうか。欲しいものがこっちまで届かなくて、苦しくないだろうか。
今思うと、狭い視野だったなと思う。

確かに諏訪は、高円寺に比べてものも人も少ない。最初は友人もいなかったし、「さみしさ」というような感情にならなかったかと言われれば嘘になる。しかし、何かが少ない分、何かがあるのだ。

例えば、人が少ない分視覚的にも聴覚的にも静かで、加えて自然が豊かであること。それゆえに心が落ち着いた状態で居やすいこと。小さいところで言えば、夜開いているお店が少ないこと。それゆえに家で食卓を囲む時間が増えたこと。東京に比べて、ないこと。それは「ない」が「ある」ということ。


面白いのは、その「ない」を求めて、なんだかんだ友人も遊びにきてくれることだ。ありがたい。距離が離れた分、会えることの貴重さゆえに、人は限られた時間を大切に向き合おうとする。一緒に街歩きをする。諏訪湖周辺には公園が多いので、レジャーシートを広げて話す。時々キャッチボールをする。銭湯に入って家に帰り、料理を振る舞う。会える人の総数も、会える頻度も減ったけれど、訪ねてきてくれる人との時間は濃く、かけがえがない。

「ある」を訪ねるのではなく、「ない」を迎え入れて「ある」とする感覚。人を訪ねるのではなく、人を迎え入れる感覚。訪ねる側から迎える側になることの心地よさを、諏訪は教えてくれた。

物理的な余白は思考の余白になる


僕は自分の心の声を聴くのがあまり得意ではない。大体物事に半歩遅れて「ああ、こっちの方が良いと思ってたかも」と後悔しがちだったりする。そんなこんなで、あまり自分の意思を出さなくなり、良くも悪くも人の意見に乗っかってみる「流されグセ」がついたのかもしれない。今回の諏訪への引越しも例外ではない。

でもそうやって流されてたどり着いた先で、ここは流されないでいたいと願う自分の大切な部分に、徐々に耳を傾けられるようになってきた感覚がある。
それは諏訪湖の抜けに心の余裕をいただいているからなのか、穏やかな山並みに心をなだめてもらっているからなのか。はたまた静かでありながら時に愉快な、ちょうどいいサイズの街に遊んでもらっているからなのか。東京にいた時よりも確実に、自分の心の声は聴こえやすくなった。

自分が何を欲していて、何が嫌で、何が好きなのか。それを知るには、思考にも心にもある程度の余白が必要だったりする。土地と、空と、密度と。自分の心の声を聴くのが苦手だったのは、無意識のうちに周辺環境に影響を受けていたのだなと今では思う。それくらい、地方の物理的な余白は思考の余白をもたらしてくれるような気がするのだ。

そして生活はつづく。そして人生が変わっていく。


諏訪にきて、そろそろ3度目の冬が来る。この間でも様々な変化があった。フリーランスだった僕が会社を立ち上げ、結婚し、地域の仕事をいただき、家以外に事務所を借り、働く仲間も増えた。諏訪に来るタイミングで心機一転を図りたくて丸めていた頭も、今年の正月から養生しはじめて1年でだいぶ育った。時の流れは早い。

生活は淡々とつづき、その中で心模様も変化し、それが行動に表れ、生活の些細なことが人生の進む方角を少し変えたりする。それはすごく自然なこと。それなのに、いつしか変わることが怖くなったり、面倒に思ったりする。

だからあの時、ついていくと決めた自分を誇りに思う。あの時の選択がなければ、今日書いたような気づきはなかったのだから。



つづく生活と、変わっていく人生。
日々の小さな変化を受け入れ、それでも変わらない自分の大切な部分を信じる。流れに乗りながら、流されない心を養う。地方であっても都心であっても、自分の中のローカルを噛み締められる土地に身を置くことが大切なのだと、今は思う。



著: 神岡真拓

編集:ツドイ