著者:福田フクスケ

1983年、神奈川県生まれ。ライター・編集者。編集プロダクション勤務ののち、フリーランスに。Web『FRaU Web』(講談社)でのドラマレビュー執筆をはじめ、雑誌『GINZA』ではタレントにまつわる妄想コラム「◯◯◯◯になりたいの」、Web『yoi』(集英社)ではジェンダー問題に関する対談「福田フクスケのやわらかジェンダー塾」を連載するなど、エンタメ・カルチャーからジェンダー問題まで幅広く執筆中。現在はWeb系の運営・制作会社で編集者として勤務。
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宇宙の天井画が印象的な「大塚記念湯」
豊島区の大塚は、大学を卒業してからの4年間、学生時代にいちばん仲がよかった3人でルームシェアをしていた思い出の街だ。まともな就活をサボったままとりあえずで編集プロダクションに入社した私、大学院に進んで潰しの利かないド文系の研究を続けるK、持ち前の人当たりの良さでただひとり一般企業に就職したY。それぞれおぼつかない足取りで社会人になった3人が、「うちら一緒に住めば学生時代のノリのまま面白おかしく暮らせるんじゃね?」という思いで始めた、まったくのモラトリアム気分での同居だった。
まだシェアハウスという概念はほとんどなく、部屋探しは難航したが、山手線沿線で池袋の隣という好立地でありながら、比較的家賃も安かった大塚で、運よくルームシェアを受け入れてくれる物件が見つかった。
この原稿を書くにあたり、およそ15年ぶりにその場所を訪れてみることにした。

駅ビルの「アトレヴィ大塚」をはじめ、空き家だった古民家をリノベーションした飲食店街「東京大塚のれん街」、星野リゾートが運営するホテル「OMO5東京大塚」など、近年再開発が進んで様変わりが激しい大塚。南口のランドマークだった「大塚バッティングセンター」のビルも、一昨年取り壊されてしまったばかりだ。それでも、南口に広がる「サンモール大塚商店街」には、懐かしい店がいくつも残っていた。

例えば、焼き鳥の高級店「蒼天」は、何かの節目に3人でなけなしの金をはたいて食べに行った店だ。誰かの誕生日だったか、マンションの契約更新だったか、当時の私たちに何をそんな“節目”があったのか今となっては思い出せないが、滅多に食べることのできない高級焼き鳥の味を、うまいうまいと噛みしめていた記憶がある。
誕生日といえば、「洋食GOTOO」という人気の洋食店も思い出す。おしゃれな雰囲気が我々には敷居が高く、ほとんど行くことはなかったが、一度、Kの誕生日を当日になって急遽祝おうとしたことがあった。
どこかでケーキを調達したいという流れになり、なぜか「GOTOOになかったっけ?」とあやふやなことをYが言い出した。純然たる洋食屋であるGOTOOにケーキがあるわけないと思いつつ、半信半疑のまま店を訪れ、「ケーキとかって...…ないですよね?」と場違いなことを言って、案の定、店員にキョトンとした顔で「ないですね」と返された気まずい空気を今も覚えている。
登場人物が全員「ない」とわかっていて、やっぱり「ない」と言われただけの不思議な時間だった。ケーキは結局、北口の今はなき「銀座コージーコーナー大塚店」で買って帰り、ささやかに誕生日を祝った。とにかく、何をするにも3人一緒だった。
そうこうするうちに、商店街も終わりに差し掛かったところにあるマンションにたどり着く。1階が「大塚記念湯」という銭湯、2階が「サウナニュー大塚」というサウナになっているちょっと変わったマンション。そこが私たち3人の住まいだった。

気のせいか、このマンションの周りだけ時が止まったように当時の空気のままだ。久しぶりに「大塚記念湯」ののれんをくぐる。
ここの脱衣場は天井一面にレトロフューチャーな宇宙の絵が描かれており、利用客を裸で銀河に放り出されたような不思議な気持ちにさせる。ここの上階で、私たちはいわば足元に宇宙を感じながら暮らしていたことになる。私は寝湯に横たわりながら、無重力空間をふわふわ漂うように生きていた、浮き足だった4年間を思い出していた。

学生映画のノリでロケをした「豊島区立大塚台公園」
当時、我々が借りていた部屋は、共有のダイニングキッチンのほかに独立した一人一部屋が確保されており、ベランダに面した洋間(エアコンあり)、同じくベランダに面した和室(エアコンあり)、その和室と襖で隔てられた洋間(エアコンなし)の3部屋があった。部屋割りを決める際、私は迷わず小さな窓が一つしかない最後の洋間を選んだ。圧倒的に広い押し入れがあることに魅力を感じたのだ。ベランダに直接出られないこと、エアコンがないことは、さして問題に感じなかった。今思えばどうかしていたと思う。
実際に住みはじめると、和室に住んでいたKに頼んでときどき襖を開けてもらい、エアコンの“もらい風”をする必要があったし、洗濯物を干すときは「入るよー」と一声かけて、ずかずかとKやYの部屋に侵入しなければならなかった。プライバシーはずるずるだったが、それ以上に仲間と暮らす楽しさが勝っていた。神奈川の実家を出て初めてする一人暮らし、ならぬ三人暮らし。完全に浮かれていた。
その頃、KやYを含む仲間たちと、学生映画の延長線上のノリで、よく大塚の街を舞台にネタ系の映像作品を撮っていた。「もしも街ロケ番組がコンプライアンス対策の注釈テロップまみれだったら」とか、「別れた女性に会いに行くバツイチ男性のドキュメンタリーに『はじめてのおつかい』風のナレーションをつけたら」とか、思い返すだにくだらないギャグ仕立ての映像だった。
マンションの裏手にある「豊島区立大塚台公園」は、そんな撮影によく使った場所の一つだ。ボクシングパンツにトレンチコートという奇矯(ききょう)な衣装を着たまま、私が撮影の合間にふざけて近所の小学生に「こんな大人になるなよ」と声をかけたら、間髪入れず「そりゃそうだ」と返されたのをよく覚えている。
小学生にタメ口を利かれる情けなさよりも、「こんな大人」であることをどこか誇らしく思っていた。社会に埋没してつまらない大人になるより、面白おかしく生きている自分たちのほうがなんぼかマシだと、恥ずかしい気概を抱いていた。20代後半にして、遅すぎる青春を謳歌(おうか)していたのだと思う。
銭湯を出て、湯涼みにその公園へ向かうと、国際色豊かな子どもたちで賑わっていた。15年前にはなかった光景だ。見渡せば、商店街にはミャンマー料理やベトナム料理の店、ハラルフードの食材店が目立つようになった。時が止まっているように見えたが、街は着実に変化を遂げていたようだ。
こっそり通ったB級グルメの聖地「キッチンABC」
大塚はB級グルメの街でもある。今や全国区の知名度となったおにぎりの「ぼんご」や、チャーシュー麺が絶品の「北大塚ラーメン」がおなじみだが、私が好きだったのは「キッチンABC南大塚店」という洋食屋だ。
ポークたれ焼肉定食やチキン南蛮タルタル定食といったわんぱくなメニューの数々は、私の中に少なからずある“大学生男子”的な部分をくすぐり倒した。とりわけお気に入りだったのは、ニンニクの効いた特製タレで炒めた豚肉とニラをライスの上にのせ、生卵を落とした名物の「オリエンタルライス」と、真っ黒な見た目とじんわりとしたスパイスの辛さが食欲をそそる「黒カレーライス」である。

都営アパートの1階部分に軒を連ねる飲食店の中の一角を久しぶりに訪れると、年季を感じさせる外観とは裏腹に、中は明るく清潔な印象。記憶の中の店内はもう少し薄暗い雰囲気だったが、近年の再評価を受けてあちこちがポップにアップデートされていた。

そして、「オリエンタルライス」と「黒カレー」がハーフ&ハーフになっている、あの頃はなかったあい盛りメニューが新たに設けられているではないか。迷わず注文し、オリエンタルライス、黒カレー、オリエンタルライス、黒カレーと交互に食べて、その変わらぬ味にリズミカルな舌鼓を打つ。付け合わせが味噌汁ではなく豚汁なのもしみじみ嬉しい。
そういえば、当時は「B級グルメすぎる」「いかにも福田が好きそうで気に入らない」という理由で、KとYはあまり一緒に行ってくれなかった。今ほど「懐かしの町洋食」というものが持ち上げられていなかったせいもあるかもしれない。もっぱら一人で食事をするときにこっそりと通っていた記憶がある。
思い返せば、食をめぐっては3人でいろいろな諍(いさか)いもあった。
Yの実家から送ってもらっていた米を、家にいる機会が多いKが炊いておいてくれるのが常だったのだが、激務で夜遅く帰ってきた私はそれを食べるだけだったため、炊飯において何ら貢献していない私は「米泥棒」と2人から罵られていた。
いつだったか、Kが三角コーナーに捨てたキャベツの芯がなくなっているのが問題視されたこともある。私がそれを「まだ可食部がある」と拾って食べていたことが判明したからだ。「いくらなんでも意地汚いのが過ぎるのではないか」というのが責められた理由であった。
今思えば、なぜそんなことをしたのかわからない。「俺はここまでギリギリの貧乏チキンレースができるんだ」という、2人に対するある種の示威行為だったような気がする。そこまでして何を張り合いたかったのだろう。自意識をこじらせすぎて、若気の至りが変な方向に向かっていたことは間違いない。
行きつけだった思い出の味「世界飯店」
大塚に来たら、もう1軒立ち寄っておきたい店があった。北口にある「世界飯店」という中華料理店だ。確か、接客担当の奥さんがベトナム系中国人で、厨房担当の旦那さんがマレーシア系中国人だったように記憶している。そのため、広東料理のほかフォーや生春巻き、海南鶏飯など東南アジア系の料理も雑多に扱うカオスなお店であった。
この店もまた、同居人からは「B級グルメすぎる」「福田臭がうるさい」「また福田だよ」とすこぶる不評だった。「ガチ中華」というものが今ほど再評価されていなかったせいもあるかもしれない。ちっとも一緒に行ってくれないので、夜遅くなった仕事帰りにせっせと一人で通っていて、奥さんには「また来たね」と顔を覚えられる仲だった。名物は、骨付きの鴨肉と味付きゆで玉子がご飯の上に乗った「焼鴨飯」で、八角の効いたクセのある味わいがビシバシと「本場」を感じさせた。
また、漢方食材を使った薬膳中華も売りにしており、ちょっとした風邪のときはこれを食べれば治る、と私が勝手に認定していたメニューがあったのだが、それが何だったかどうしても思い出せない。ネットで調べても該当するメニューが出てこないのだ。今回の訪問で、できれば奥さんに私のことを覚えているか尋ねて、その幻のメニューのことも聞いてみたいと思った。
ところが、である。日曜日のランチタイムに赴くと、半分シャッターが開いたまま明らかに中に人気(ひとけ)がない。ネットではどこを調べても「営業時間11時〜翌1時 年中無休」と書いてあったのに、あっけらかんと閉まっていた。風邪が治るメニューの謎も解けずじまいだ。思い出の忘れ物を取りに来たつもりが、うやむやにされてしまった。それもまた、この店らしいといえばらしいと思うと、腹も立たなかった。
あれから15年経つ。「こんな大人」として遅いモラトリアムを過ごしていた私たちも、4年でルームシェアを解消してそれぞれの生活を始めた。Yは結婚したのち、誰もが知る大企業に転職して、今年小学生になった子どもがいる。Kは大学で教壇に立つ人気の先生となり、これまた結婚して二児の父になった。
私も2人から遅れをとったが、数年前に事実婚をした妻と暮らしている。2人とは今でも定期的に会って酒を飲む仲だ。話題はもっぱら健康状態と、子どもの近況報告である。私たちは、つまらなくて、そして立派な大人になった。

あの頃は、大塚駅でJRのポケモンラリーに興じている家族連れを見ると、「自分には一生ああいう普通の幸せは訪れないのだろう」と勝手に思って、一方的に泣きそうになっていた。今考えると、それは自虐と卑屈を気取って「普通の幸せ」を一段下に見るような、驕った選民意識だったのだと思う。今、私は胸を張って「こんな大人になったよ」と言いたい。小学生に話しかけると通報案件になってしまうので、そっと心で思うだけだが。
ところで、閉まっている「世界飯店」の外観を眺めていたら、撮影のために同行してくれていた妻の腕に、べったりと鳩の糞が落ちてきた。本当の話だ。ひょっとすると、面白おかしく生きることこそ至上命題だと思っていたあの頃の私からの、「こんな大人になったよ」に対する「そりゃそうか」というアンサーだったのかもしれない。大塚には、まだまだ忘れ物がありそうだ。
