心地よさと湖のさざめく町【滋賀県大津市】

著: ごはんとアパート 

郵便局へ手紙を出しに行くために、いつもの道を歩く。通りに立ち並ぶのは、ドラッグストア、歯科医院、ホームセンター、保育園、クリーニング店……。なんてことはない、ありふれた町の風景だ。

けれども、そのどれもが人々の暮らしを支えてくれるものだし、言わずもがな、この町の風景はここにしかない。

時々伺う、ご夫婦で営まれている美容室の軒先では、春になるとミモザの花が咲く。香ばしいかおりが漂ってくるうなぎ屋さんには、いつも行列ができている。それから、すぐそこにはいつでも、大きくゆったりとした湖が広がっている。

f:id:SUUMO:20211029094250j:plain

自然と暮らしが互いに寄り添う、水辺の町

私は滋賀県の大津市で生まれ育った。そして、琵琶湖の南端にある「瀬田川」が流れる町に住んでいる。

日本最大の湖である琵琶湖には、100以上の河川が流れ込んでいるのだけれど、「瀬田川」は唯一の出口となる川。この川は宇治川・淀川と名前を変えながら、大阪湾に流れ込んでいる。私の住む町は、湖が川に変わっていく、ちょうどその境目にあるのだ。

f:id:SUUMO:20211029094341j:plain

琵琶湖の南側から見た風景。鉄橋の向こうに琵琶湖が広がり、手前側に向かって瀬田川が流れ出す

さわやかな秋晴れの空が広がる日。こんな日には、小銭入れと読みかけの文庫本だけを持って、気軽に自転車に飛び乗り琵琶湖へ向かうのがいい。

「大津湖岸なぎさ公園」は、湖岸に沿って整備された広範囲にわたる公園で、散歩やジョギングをする人、釣りをする人、楽器の練習をしている人、木陰でおにぎりを食べている人など、老若男女が思い思いのひとときを過ごしている。

大津市は京都や大阪にもアクセスがしやすいことから(JR大津駅から京都駅までは10分ほど)、近畿圏のベッドタウンにもなっている。生活に不自由のない規模の町と、自然とのバランスがほど良く、子育て世代や学生、お年寄りまで、多くの世代の人々が暮らす町だ。

f:id:SUUMO:20211029094422j:plain

「これが琵琶湖なの? こんなに大きいの、綺麗だねえ」

私が大学生・社会人となり、県外に住む友人知人ができるたび、初めて琵琶湖を見た人たちは皆そんなふうに言ってくれた。私にとっては生まれたときからそばにあるものだったから、その大きさや存在感を特段、気に留める機会は少なかった。馴染みの風景をそうやって褒めてもらえると、まるで自分のことのように「そうかなあ……えへへ」と頬を掻くような気持ちになる。

滋賀県は自然が豊かで、琵琶湖でBBQやアクティビティを楽しめるようなレジャースポットも多いのだけれど、滋賀県民にとっての琵琶湖はもう少し力の抜けた、素朴な存在。いつも穏やかにさざなみを光らせ日常に寄り添い、ほっとさせてくれるのだ。

人も街角も、のんびりとした空気をまとって

湖を目の前にしながらの読書は、私にとってとても心地よい時間だ。時折、近くまでぷかぷかと泳いでくる水鳥に目をやりつつページをめくる。湖岸に打ち寄せる波の音は、海に比べてどこかおっとりとして聞こえる。

ふと気づくと、そばのベンチに犬を連れた男性が座っていた。驚くほど大きな犬(パトラッシュのよう)は、舌をちょろりと出しながらこちらを見た後、ご主人の方を向いた。男性は愛犬に向け「やあ」と言うふうに左手を挙げて、そのふかふかの背中を何度も撫でていた。

続いて目の前を親子がゆっくりと通り過ぎた。「おうち帰ったら、ホットケーキ食べるんだった!」と小さな男の子が言った。

「滋賀県の人って、なんとなくのんびりとしているよね」

これも、県外出身の友人から言われた一言だ。「そうかなあ」とそのとき私は答えたけれど、こうやって琵琶湖を背景に通り過ぎていく人の様子、聞こえてくる言葉を見たり聞いたりしていると、「そうかもしれないなあ」なんてことを思う。

部屋の中では感じられない水辺の風景は、休日のひとときをより一層満たしてくれる。

f:id:SUUMO:20211029094521j:plain

岸で日なたぼっこしていた鳥たち。近づいたら逃げてしまった……

男の子の一言におなかがすいてきたら、何か美味しいものを近くで調達するのがおすすめ。

パン屋さんや、カフェのコーヒー。近頃はレストランのお弁当や、お肉屋さんのどんぶりなど、テイクアウトができるお店も増えている。これらのお店は、住宅の合間にひっそりとあることが多い。暮らしに溶け込むお店たちを、路地裏を散策しながら見つけるのもおもしろい。

あるいは、「平和堂」に行ってみるのもいい。「平和堂」は滋賀県に本社を置く、食料品や日用品を取り扱っているスーパー。県民にとってはとても馴染み深い、生活の味方なのだ。ここでお総菜を買って、ついでにレジャーシートも買って、気ままにピクニックを楽しむのも気持ちが良さそうだ。

f:id:SUUMO:20211029094551j:plain

JR「石山」駅近くのパン屋さん、「pan cafe SUZU-ya」

f:id:SUUMO:20211029094621j:plain

住宅街にひっそりとあるカフェ「KAYANO COFFEE」。テイクアウト可

f:id:SUUMO:20211029094646j:plain

二匹のハトのマークが目印。滋賀県民の強い味方「平和堂」

f:id:SUUMO:20211029094706j:plain

ちなみにこれは「平和堂」の入口付近にある「飛び出し坊や」。今や全国の街角で見られる交通安全を促す看板は滋賀県が発祥で、「とび太くん」と呼ばれている。県内ではその土地に合わせたさまざまなモチーフでつくられていて、このとび太くんはオールを持ちボートを漕ぐ勇ましい姿。瀬田川は大学の漕艇部の活動拠点にもなっていて、ボートに乗る人の姿を日常的に見ることができる。

もはや、道路への飛び出しの枠を超えて安全を呼びかけてくれるとび太くんを、いつもクスッと微笑ましい気持ちで眺めている。

この町が教えてくれた、文化・芸術の楽しみ方

大津市は、豊かな山並みにも囲まれている土地だ。

JR「瀬田駅」からバスで10分程のところにある「びわこ文化公園」は、丘陵地を整備してつくられた、文化や自然と触れ合えるエリアだ。美術館や図書館などの施設と、広場や里山の自然林が一体となった総合公園となっている。

f:id:SUUMO:20211029094746j:plain

豊かな森の中にある「滋賀県立美術館」

「滋賀県立美術館」は今年、2021年の6月にリニューアルオープンしたばかり。エントランスには滋賀の信楽焼の素材を使用したベンチや照明が導入され、カフェスペースも新設された。展示作品を観るためだけの場所ではなく、公園を訪れた人が気軽に立ち寄りくつろげる「リビングルーム」のような場所として再開館となった。

私は幼いころからこの文化公園へ何度も足を運んでいる。物心ついたころから本が大好きだったものだから図書館にはよく通ったし、美術館の楽しさを覚えたのもこの場所だ。

f:id:SUUMO:20211029094832j:plain

図書館も美術館もあるなんて、まるでオアシスのよう……

幼心にも、本や美術作品を通して、見たことのない景色が見られることは楽しかった。今もその気持ちは変わらずに、胸の中でふくらむばかり。

作品に触れるたびに、他者の目線を通して、知らなかったことや想像もできないようなことが自分の頭や心の中に無限に広がっていく感覚は気持ちが良い。特に、もうこの世には存在しない作者のものだとすれば、時間や空間をも超えた、不思議で刺激的な体験になる。

その体験は、いつでも静けさの中にある。図書館の棚から抜き取った本の、白いページの中に。美術館の一角で息を潜めている、重厚な額縁の中に。

インターネットにすぐにアクセスできる現代は便利で、あふれるほどの情報にいつでも触れることができる。けれど、それらは時にノイズにも聞こえてしまう。

静けさの中、意識を集中し思いを巡らせ、作品の中からさまざまな発見をする。時間をかけてスープを煮るような、地道なプロセス。

それは、湖や森、公園の自然の中で、この町に住む人たちのそばで、世界に耳を澄ませるひとときに似ている。波の音、水鳥のはばたき、「ホットケーキ食べるんだった!」という男の子の声。

それらを受け止めるときの気持ちは、どこか図書館や美術館にいるときの気持ちに通じているように思う。文化や芸術に触れるおもしろさやその楽しみ方を、この町が教えてくれたのかもしれない。

湖のある町は、私にとってのカルチャーの町

「大津って行ったことないなあ。何があるの」
「……湖がありますね」
これは大阪在住の知人との会話。

お隣の京都・大阪には私もよく訪れる。観光客であふれるスポットや、カルチャーに触れられるお店や施設がひしめく。都会の町はにぎやかで、とても知的で文化的だといつも思う。
刺激的な時間を過ごした後、私は電車に乗って帰路に着く。するとやがて、湖の気配がしてくる。

f:id:SUUMO:20211029094941j:plain

冒頭に書いたように、いつも歩く通りにはなんてことはない、ありふれた町並みが広がっている。けれど私にとって、この町はどこよりも文化を感じられる町なのだ。

山の向こうに沈んでいく夕日に照らされて、ボートが湖面をなめらかに進んでいる。自然と人がゆるやかなバランスで存在するその風景は私を安心させ、心と体の中心に静けさをもたらしてくれる。

豊かな自然と、ここに暮らす人たちから滲み出る穏やかさが、私にとっての「心地よさ」の価値観や基準を、形づくってくれたように思う。

あなたにとっての、心地よい町の風景はどのようなものだろう。もしこの町がそのヒントになるかもしれないと思ったならば、のんびりするための心の持ちようだけを準備して、ぜひ一度気軽に訪れてほしい。私もまたあの公園で本を読んでいるかもしれないし、琵琶湖は今日も気取らない様子で、待っていてくれるから。

著者:ごはんとアパート

ごはんとアパート

本名、池田泰葉。生まれも育ちも滋賀県大津市。文筆家。どうでもいいような、だけどあるとちょっとウレシイ日常の出来事を、エッセイやショートストーリーにして書いている。「びわこでのんびり」ならお手のもの。
Twitter ID:@gohan_apart
HP:https://josee-fish.tumblr.com/

 

編集:ツドイ