水の区域や光の味、橋本の名前

著者:竹久直樹

2021年8月のはじめごろ、JR橋本駅の北口を出て30分ほどの場所で、「山」を撮影している。

この「山」は日本最大規模のニュータウンである「多摩ニュータウン」の丘陵において西の端っこに位置する、東京都町田市と八王子市、神奈川県相模原市の都県境にある。人はこの辺りを、まとめて橋本とか、小山とか、鑓水などと呼ぶ。

わたしは、この辺りに多摩美術大学の学生だったときから6年近く住んでいた。そんな場所で、夏山の水際立ちし姿……ということではなく、わたしがいま「山」と指しているのは、産業廃棄物の中間処理場にそびえ立つ解体済のエアコンの塊のことだ。

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むかし、この辺りは農地と民家から成る一つのまとまりだった。しかし1990年ごろから行われた「相原・小山土地区画整理事業」に際して日当たりの良い一部分のみが開発区域に指定されてからは、宅地開発が進むエリアの周縁で耕作放棄が相次いだらしい。放棄地には産業廃棄物を扱う業者たちが入植し、今では真新しい戸建て住宅と朽ちた倉庫、山積みのコンテナが一緒くたになっている。

かつて茄子が育っていたところにぴかぴかの2階建てやエアコンの山がそびえ立つのはちょっと不思議だけど、珍しいことではない。こうしたニュータウンは日本各地に存在する。

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農地に住宅基礎のコンクリが流し込まれたり、ひとつのまとまりが「ニュータウン」と名を変え、区切られる。このあたりでの撮影は、それとちょっと似ている。

写真を撮っただけでは、わたしが撮影をしたこと、撮影の時に起こったことをわたし以外の何者かが知ることはない。しかし、写真を誰かに見せたりインターネットにアップロードしたとたんに、写真は撮影条件、すなわち「わたしがこの景色に愛着があり、撮影をしていること」を切り離してしまう。そうして「特に特徴のない写真」とか、「よくあるニュータウンね」と呼ばれたりしていく。

でも、そうやって流通していく写真はしばしば他人によって別の意味を見出されたり、それが自身に還ってきたりすることがある。撮影者や鑑賞者しか知り得ないことは、写真が公になることで呼び起こされる。だとするならば、おそらくわたしがこの辺りで撮影を続けているのは、個人的なものと公なものの境目に対して揺さぶりをかけるための写真を撮影するためであり、それの可能性に賭けているからなのだと、今のところ思っている。

ところで、その境目には一体何があったっけ。ここでは、試しにそれらを文字に起こしてみようと思う。

 

中華の場所

f:id:Huuuu:20211102095526j:plain「うまい中華料理屋を見つけたから、今日の夜はそこで食べよう」——近所でシェアハウスをしている友人たちからそんな連絡が来たのは、2018年の冬のある日のこと。

彼らの家のエスティマにわらわらと乗り込み、八王子方面に向かう。その店はとにかく唐揚げがうまいらしい。車内は唐揚げ定食に付く甘いマヨネーズの話題で持ちきりで、そうこうするうちに、仮囲いの立ち並ぶ国道沿いに突如、ライトに照らされて輝くプレハブ住宅のような建物が現れた。赤い看板に白い文字で「中華料理 多多亭」と書かれている。ここがうまい中華料理屋……。店を前にして不安は募るばかりだったが、ここまで来たなら入るしかない。

腹を括って注文した唐揚げ定食は、やがて運ばれてきた。狐色の物体から立ち昇る匂いを信じて一口食べてみると、なるほどびっくりするほどうまい。大人の拳ほどの大きさの唐揚げが二つと、iPhoneで打つと出てくる絵文字( 🍚 )のように山盛りになったご飯。それと、一体何味なのかよくわからないスープと、冷奴と、一口サイズの杏仁豆腐。見た目とは裏腹の穏やかな味わいに舌鼓、かつ爆笑してしまって、それ以降ここは「友人たちとよく行くお店」となる。

唐揚げ、エビマヨ、ニンニクキュウリ、角煮チャーハンなどなど、好きなメニューを挙げようとするとキリがないけれど、特に好んで食べたのは、油でぴかぴかになった薄紫色の茄子が甘辛い餡に絡まる、麻婆茄子だった。

ところでこの多多亭、2019年の3月ごろに突然お店の名前を「日中食堂」に変え、料理人たちも入れ替わってしまった。一体何があったのかとお店の人に聞いてみると、「名前を変えた」「前の人たちは帰った(国に?)」とだけ教えてくれた。

もしかすると多多亭の料理人たちは、帰ってからもあの麻婆茄子をつくっているのだろうか。そもそも、本場の麻婆茄子とはどんなものか。気になって調べてみると、麻婆茄子とは「魚香茄子」という四川料理(ナスとひき肉の魚香風味炒め煮)をベースにしつつ、魚香の代わりに麻婆豆腐と同じ調味料を用いてつくられる中華風の創作料理を指すらしい。さらに、その普及は1980年代に日本の食品加工メーカーが開発した合わせ調味料によるものなのだそうだ。なるほど、東京郊外にある多多亭の麻婆茄子は、本場の麻婆茄子であった。

料理の味は引き継がれ、しかし全く違う名前に成り代わったり、由来がすり変わっているように思えたりすることがある。しかしそれは麻婆茄子に限った話ではなく、料理屋も、また土地もそうだったりする。

 

この前の光

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多摩美術大学の裏手は、かつてどでかい丘だった。

この辺りは多摩ニュータウンにおける開発計画地域には含まれていたものの、さまざまな事情から着工がなされていなかった。最初は土と雑草の巨大な集合体に対して申し訳程度のバリケードが外周を囲んでいるだけのような場所の真ん中に一本の道が通ったのは、つい5年前のこと。次にバリケードが部分的に外され、消防署が造られ、道の両側に街灯が設置された。そのくらいのとき、わたしはこの辺りから越してしまった。

この空き地はちょうど坂のてっぺんになっていて、辺りには大学以外に背の高い建物がないから、空が広い。友人たちとはここのことを「丘」と呼んで、橋本駅の居酒屋でしこたま飲んだ後、酔いを覚ましがてらここまで歩いて日が上るのを待ったりした。そういうとき、大抵この丘の空気は澄み切っていて、明け方になると眼の前は青とも赤ともつかないような静かな光で覆われる。それが酩酊しているからなのか、単にそういう色だったのかはわからないが、ぼんやりと光を眺めているうちに一限の時間が訪れる。

開発はどこまで進んだのだろう。引っ越してからもずっと気がかりであったから、本稿にあたっては足を運ぼうと決めていた。だが、赴いた先にあったのは、盛土の横でショベルやクレーンが首を振り、プレハブの寄宿舎が立ち並ぶ、広大な複合商業施設の建設予定地であった。建設予定の看板を見て、この土地に建つ複合施設には「〜多摩美大前」という名前がつくのだということを知る。大学の裏手が丘なのではなく、大学の前が丘ということか。

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思い入れのある景色が変わりゆく、というのはよくあること。でも、わたしはこの前まで丘があったことや、丘の前が大学であったことを、いつまで憶えていられるのだろう。せめて空気の色くらいは思い出せるように、大学の裏手に向けてピントを合わせ、シャッターを切る。

 

水の名前

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多摩美から坂を下り、久保ヶ谷戸トンネルを抜けて橋本駅方面にしばらく歩くと、寿橋が見えてくる。この橋を渡らず右に曲がって細道を歩き、草木を掻き分けながらゆっくり斜面を降りていくと、水が流れている。これが相模湾に注ぐ二級水系の本流であり、流路に沿っておおむね東京都と神奈川県の都県境を定める川、境川である。

この川は蛇行がひどく、たびたび流域に水害をもたらしている。行政による整備は幾度となく行われているものの、この辺りだけはほとんど手付かずの状態となっている。これは、橋本は川上流に位置するから、ということではなく、地元住民からの「自然を残してほしい」という声が根強かったことが原因らしい。

それで通常はコンクリートで固めてしまうようなところを、流路を蛇行させたまま広げるなどして元の流路をほとんど保ったままの状態としたそうだ。しかし川の周囲が住宅地であるから、今となっては自然というよりも放ったらかされているような雰囲気を醸している。

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制作に煮詰まってしまったときや特にやることがないとき、近くの自販機で炭酸飲料を買って川縁に降り、適当に腰掛けて本を読むのが好きだった。この辺りは街灯もそこまで整備されていない。だから昼間は水遊びをする子どもたちでにぎわうけれど、日が暮れてしまうと川縁は静まり返る。人の背丈ほどの草木が風でわさわさと揺れると、なんだか人ならざるものの気配がして、どうにも穏やかな気持ちになる。

この川は旧来、流れる地域によっていくつかの名前があったらしいけれど、1594年ごろ豊臣秀吉が実施した検地によって、「武蔵国と相模国の境目を果たす川=境川」と名が決められた。それはつまり、流域に住む人々や諸生活のまとまりも、川を囲む自然環境や立地の条件、すなわち近世の行政単位によっていとも簡単に境を決められ区切られてしまうということでもあった。

流れ去る水の一つひとつやそれを取り囲むまとまりではなく、そこに流れていることを「境川」と指すのであれば、景色をそのままに名前だけが変わってしまったりしても、名前同士の境目や由来、それがもつ気配は留まり続けるはず。今日も川縁まで近づいて、それらを脅かさないよう、静かに、ゆっくり、足を取られないよう三脚を立てよう。水があるところは死が近いから芸事が栄えるのだ、と、ある写真家の方が言っていたのを思い出した。

 

景色の味

寿橋を越えてすぐのところには団地が立っていて、その一階に、「檸檬」という定食屋がある。

ここは定食屋でありつつ日本酒やウイスキーもいただけたり、一番安い定食が750円くらいするから、学生の財布にものすごく優しいようなお店ではない。けれど、この辺りに住んでいたころ、何かおいしいものを友人たちと食べたいときや、ちょっと懐に余裕があるときには自動的にここに行き着いていた。何を頼んでもおいしい定食屋が近くにあるということが、どんなにうれしいことか。でもこれはわたしだけではなく、檸檬に来る人みんながそうだったんじゃないかと思っている。

そんな定食屋に久しぶりに訪れたものの、生憎シャッターが閉まっていた。まだ17時だから開店してないのかと思いきや、よく見ると「神奈川県 休業協力金第13段 期間は8月31日まで」との張り紙。もう13回も制限をかけたり、緩めたりしているのかと、愕然としてしまった。

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湿気を吸って縒れたコピー用紙を前にして、かつて食べた料理の数々に想いをはせる。でもひょっとすると、2021年に多摩美に入学した人たちは、まだ一度も檸檬に行ったことがないのではなかろうか。わたしが学生の頃よく行っていた定食屋は、今の学生にとってはただの「営業しているのをまだ見たことがない店」になってしまった。

檸檬に限らず、ここまで書いてきたことは全て、ただの個人的な回想だ。すでにわたしを切り離し、去ってしまったものたち。でも、せめて去ってしまったことくらいは忘れないように、このあたりで撮影を続けているのだと思う。

なじみの場所に行きシャッターを切るだけではなく、こうして文字に起こすこと。それを誰かに見せること。さらにいえば、誰かがこれを見て、別の何かを擬えること。何か書いたり、声に出したりすること。それらを見たり、聞いたりすること。わたしはそれらの全てを、撮影と呼びたい。これは、川の名前で麻婆茄子の味を思い出し、開発計画地の看板で朝方の光の色を思い出すための技術なのだ。これは、この辺り——橋本が、わたしに教えてくれたことでもある。だから、なにも上手にシャッターを切る人だけが、この技術を扱えるというわけでもない。

単にここまで読むこと、そして、わたしが想像し得ないようなそれ以外の何かも、撮影をするということだ。きっとそうやって、個人的なものと公なものの境目は鈍くなって、どこかで入れ替わる。わたしはここでいったん区切りをつけるけれども、もしこれを読んでいるあなたが、もう少し撮ろうかな、と思ったなら。緊急事態宣言が明けたら、まずは檸檬に行ってみてほしい。おすすめは刺身定食か、鳥南蛮です。

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著者:竹久直樹

竹久直樹1995年生まれ。撮影において生じる人称を礎に、制作や展覧会企画、またさまざまな制作者たちとの共同作業を行う。近年の主な展覧会に「ディスディスプレイ」(CALM & PUNK GALLERY、2021)、「沈黙のカテゴリー」(クリエイティブセンター大阪、2021)、「エクメネ」(BLOCK HOUSE、2020)など。
https://pointlessimages.com/ 

Twitter: takehisanaoki

編集:Huuuu inc.