介護中の私を支えてくれた、中目黒と代官山の煌めき

著者: 犬山紙子 

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東京の女の子になった姉

私より一足先に東京に行った2つ年上の姉は、いつの間にか雑誌に出てくるようなおしゃれでかわいい女の子になっていた。対して私は、ニキビとコンプレックスを顔にのせ、なんちゃってギャルをやりながら宮城県名取市で暮らしていた。もう20年近く前の話だ。

大学生になった私は、まだ将来の夢を持てずにいた。子どものころから文章を書くことが大好きだったけれど、それを夢に繋げることを意識的に避けていたのだ。「弱っちい何者でもない自分」を守るために冷笑的なスタンスでいる癖がついた私は、現実的でない夢を掲げることができなかったし、自分に自信もなかった。冷笑的に世界を見る私は、自己否定と閉塞感の塊だった。

そんな私に、上京した姉はまぶしく映った。大人の言うことはちっとも耳に入らないが、姉の言うことは素直に聞けたし、姉のことが素直に好きでもあった。そもそもかなり厳しめの親を説得して東京に行ったこと自体、妹にはかっこよく映ったのだ。

「お姉ちゃんに会いに行こう」。20歳の夏休み、ひとりで東京の姉の家に新幹線で向かった。お気に入りの服を着ていったはずだったけれど、東京で姉と合流した途端、なんだか自分が野暮ったく見える。中目黒の姉の家はもちろんワンルームでめちゃくちゃ狭く、日当たりも悪かった。けれども、そんなことはちっとも気にならなかった。オレンジ色のカーテンに、卒業制作でつくったというランプが取り付けられた椅子、ハリウッドランチマーケットのラグに、かわいいステッカーたちと。そこはオシャレな秘密基地だった。

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オーガニック・カフェで気がついた、本当のおしゃれ

当時はカフェブームが始まったばかり。その火付け的な存在、中目黒の「オーガニック・カフェ」で姉はバイトをしていた。「おしゃれなカフェ飯が食べたい!」と姉に連れて行ってもらうと、GROOVISIONSのチャッピー人形がででんとお出迎え。チャッピーは着せ替えキャラクターだけど、ポップさで歌手デビューもしており、作詞:松本隆、作曲:草野正宗の「水中メガネ」なんて名曲もあったりする、なんだかすごいアイコンだったのだ。

ドキドキしながらカフェの中に入ると、エドモンド・キラズの女の子のイラストや、パントンのカラフルな作品がプリントされたFPMのレコードが飾られている。イームズの椅子にサヴィニャックのポスター……。

このミッドセンチュリーな空間に私がいることで、おしゃれ濃度を下げてしまっているんじゃないかとヒヤヒヤした。一方で、姉は慣れた様子でくつろぎお店の人と話している。私はカフェでの過ごし方がわからず、置いてあった雑誌「relax」に目を通した。登場する女の子たちはみんな私より化粧が薄くて、自然体で、全然気張ってない。誰かにマウントを取るような格好でないスタイルがすごくオシャレで、みんなコンプレックスなんかなにひとつなさそうに見える。その姿に激しくコンプレックスを刺激され、食い入るように何度も同じページの同じ女の子を見た。注文したサンドイッチはボリュームたっぷり。フランスのビストロで出てきそうな味付け、お肉もジューシーで卵はふわっふわ、その美味しさにびっくりした。

卑屈な心をほぐしてくれた、アマランスラウンジの出会い

夜は猿楽町の「アマランスラウンジ」へ連れていってもらった。エロチックな赤い照明にシャンデリア、鹿の剥製にデコラティヴなソファ。そこに佇むは、ドラァグクイーンの「マダム・レジーヌ」。スパンコールの衣装、頭にはオブジェと言っていいくらいの大きな飾り。店内の客も着飾り、お酒と音楽を程よく楽しんでいる。

同じ日本語なのに彼らの会話は艶めいて、どこか違う国の言葉に聞こえた。セクシュアリティもさまざま、年齢もさまざま、みんな違っていたけど、みな自分のスタイルや仕事に誇りを持っている感じがする。夢を持ち、夢を追いかけてる人、夢を物にした人。そこに、私のような冷笑的なスタンスな人はひとりも見当たらなかった。慣れていない夜遊びに緊張していたらレジーヌが「あら、●●の妹なの?よろしくね」なんて気さくに話しかけてくれて、何だかよくわからないけど「その場にいることを許された」と思えた。気がつけば、素直に「ねえ、その頭のやつとても素敵だね、どうやってつくったの」なんて質問できるようになっていた。

ソフィア・コッポラへの憧れと、お守りになったMILK.FEDのTシャツ

ソフィア・コッポラがデザインしていたMILK.FEDの代官山店に行くのももちろん忘れなかった。当時姉妹で繰り返し観たソフィア・コッポラの映画「ヴァージン・スーサイズ」は、好きすぎて原作も読んだ、サントラも買った。なぜあんなに執着していたかというと、映画の5姉妹も閉塞感でいっぱいだったからだ。あの作品には、私の気持ちが描かれていた。彼女らは閉塞感に潰されてしまうけど、その物語を受け取った私は、こんなきらめく女の子たちが潰れてしまったことの悲しさから、「潰れてたまるか」という気持ちを受け取った。そこで買ったTシャツは、お守りのようになった。

私にとっての中目黒、代官山は「冷笑からの脱却の足がかり」のような場所となる。中目黒や代官山が好きというとちょっとバカにされたニュアンスで「オサレ」と言われてしまうことがあり悲しいが、私からすると大好きなお姉ちゃんが住んでいた、私が初めて自由な大人たちに触れた大事な大事な場所なのだ。

20代での介護離職と、自宅介護中に描いた夢

夏はあっという間に過ぎ去り、私は宮城に帰る。私はちょっと変わった、相変わらず垢抜けないけど、「ファッション誌の編集者になりたいな」という具体的な夢が生まれ、仙台で「ロジマガ」というかっこいい雑誌やフリーペーパーをつくっている編集部に電話してお手伝いを始めることにした。お手伝いできるかどうかもわからないし、断られて傷つくかもしれないけど、それでもまず、編集部に直接電話したのは、私にとって大きな一歩だった。編集長の菊地さんは自由で優しい大人で、宮城にいながら自由な大人を間近で見られることは私にとってすごく大切なことだった。

その後母の難病がわかり、自宅介護生活が始まる。遊びたい盛りに介護をするのは本当に大変で、私の20代はそのまま介護の年と言って良いと思う。念願かなって仙台の出版社でファッション誌の編集者にもなれたけど、介護のため1年半でその仕事も手放してしまった。

東京が似合っていたお姉ちゃんも宮城に戻り、留学していた弟も帰ってきた。兄弟3人とヘルパーさんが力を合わせて介護し、月のうち1週間を中目黒の狭いアパートに兄弟で交代で羽を伸ばしに行っていた。仕事を辞めた私はその後、介護中でも自宅で働ける漫画家を目指すことにして、東京の出版社に持ち込みにも行った。でも、結果は全然ダメだった。

宮城・東京二拠点生活で初めて知った孤独

自由の象徴である中目黒のアパートに行くのは、日々を指折り数えるくらい楽しみで、アマランスラウンジにもよく出向いた。でも、ひとりで漫画を描いたり、遅い昼間に起きてコンビニでご飯を食べていると、無性に悲しい気持ちになることがあった。なぜか1日に誰とも会わない日があることがダメになってしまって、誰彼構わず「ご飯を食べよう」と誘っていた。夢はあるけど全く芽がでないことがこんなにも孤独だとはしらなかったのだ。

東京にいる姉は私から見るととっても楽しそうできらめいていたけど、姉も悲しい夜があったんだろうか。姉は働いていたけど、若い女の子がひとりで東京で生きて行くのは、大変だったはずだ。

ベッドから起きられないままドアの上の出っ張りを見ると、ちょこんとシルバニアファミリーのうさぎの赤ちゃんが置かれていた。子どものころから持っていたものだ。子ども時代私たちが服を剥いだから、そのうさぎの赤ちゃんは裸ん坊だった。

「姉はこの子をお守りとして部屋のどこにいても見つけられる場所に置いたんじゃないだろうか」と、すぐ気が付いた。この子が姉の泣いた夜をたくさん見守り、癒やしていたんじゃないだろうか。魔女の宅急便のジジみたいな、そういう存在だったんじゃないかな。シルバニアが目に入って、私はやっと東京で泣けたのだ。なんとも言えない気持ちになり、その後も守り神として、シルバニアファミリーのアイテムを玄関に増やしていった。

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その後、私はエッセイストとして、29歳でやっと本を出版することができて、今に至る。中目黒にあったオーガニック・カフェはなくなり、ソフィア・コッポラもMILK.FEDのデザイナーじゃなくなった。でも、本を出した記念のパーティーは、アマランスラウンジで開催することができた。私が初めて自由に触れた場所で、私が夢を叶えたことをお祝いしてもらえるなんてなんて幸せなことだろう。レジーヌが私の本の表紙をベースにした立派なオブジェを手づくりしてくれたことが、一番うれしかった。

本を出してからも、中目黒でたくさん泣いたけど、私は冷笑癖から脱出して、少しずつ少しずつ、自分に自信を持つことができるようになっていった。たくさんのつらいことやしんどいこともあったけれど、ヴァージン・スーサイズのあの5姉妹のようにはならなかった。引っ張られそうな夜もあったけど、お姉ちゃんが置いてったシルバニアがきっと私を守ってくれていた。

今、中目黒はあのころと結構変わったはずだ。飲食店が高架下にずらっと並び、LDHのファンの女の子たちがたくさんたむろっていたりする。自分の推しが近い場所へと訪れる女の子たちの顔は本当にうれしそうで、幸せそうで、それでいて少し緊張していて、みんな愛らしい。そんな顔した女の子たちが集まる街はきっといい街。私があのころ、お姉ちゃんを訪ねた時もそんな顔をしていたんだろう。

著者:犬山紙子

犬山紙子

イラストエッセイストとしての活動のほか、テレビやラジオなどにコメンテーターとしても出演。『アドバイスかと思ったら呪いだった。』(ポプラ文庫)、『私、子ども欲しいかもしれない。』(平凡社)など著書多数。児童虐待をなくすため #こどものいのちはこどものもの プロジェクトのボランティアチームとしても活動している。

 

編集:小沢あや