この町に流れる余裕。「蔵前」の町と人がつくる伸びやかな空気

著: 石崎 嵩人 

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数年前、自分たちのお店をどのように知ってもらうか考えていた際、ある人に言われたことがある。

 

「例えばそこに綺麗な花があったとして、その花がどんな色で、どういった香りなのかをあれこれと説明しようとする必要はない。君たちはただ綺麗だと思って水をあげ続ければいい」

 

その言葉を聞いて、すごく気持ちが軽くなったのを覚えている。

 

蔵前に拠点を持つようになって5年半、僕がこの町に感じている伸びやかさや穏やかさの正体は、正にこの言葉が指し示すようなことだと思っている。

 

この町に住む人たちは肩肘を張らない自然な心地よさを知っている様に感じられるし、この町で働く人たちは自分の仕事を誇らしく思う矜持を身につけているように思えるのだ。

 

誰に見せるためでもなく、誰かに言われたからでもなく、毎日きちんと自分の花壇に水をあげ続けている人たち。そうして育まれる芯のようなものが、心の健やかさなんじゃないかと僕は思う。

 

 

蔵前で宿を始めて

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蔵前でゲストハウスを始めて6年目になる。開業当時と比べると、最近ではこの業態も少しずつ認知されるようになってきた。

 

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「ゲストハウス」や「ホステル」について簡単に説明をすると、「低価格帯で宿泊ができる、ドミトリー(相部屋)を備えた宿泊施設」である。旅館業法での区分は「簡易宿所」。シャワーやトイレは共同で使用することが多く、自炊可能なキッチンが付いていることもある。

「ゲストハウス」という呼び名に対する明確な定義は存在しないので、ここで詳しく説明するつもりはない。とにかく蔵前でそういった宿をやっている。

 

 

宿で雑誌の取材やインタビューを受ける際に、「蔵前の町はこの数年でどう変わりましたか?」と聞かれることがある。ここ2〜3年でお店もいくつか増えたし、それだけエリアとしても注目されているということなのだろう。

 

けれど僕からすると、町全体の印象は宿を開いた6年前とほとんど変わっていない。蔵前は伸び伸びとしていて穏やかな、余裕のある町だ。

 

 

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東京の一大観光地でもある浅草と、JR総武線が通り飲み屋が軒を連ねる浅草橋の間にありながら、蔵前はそのどちらのにぎわいからも距離をおいた、どちらかというと閑散とした町である。目立った観光資源はないし、夜に飲みに行ける場所も限られる。


素朴で滋味深いという言い方ができる一方で、地味で退屈だと感じる人もいるだろう。それでも、僕が知る蔵前の人たちは、みんなこの町のことを気に入って暮らしているように思う。

この静かさ……というか飾り気のなさを、みんなどこかしら選んでやってきている。

 

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例えば、毎晩のように都心で酒ばかり飲んで大騒ぎをしている知人が、休みの日には子どもと犬を連れて隅田川沿いをのんびり散歩している。そういう風景を見ると、しみじみいいなあと思う。

 

普段忙しくしている人が、のんびりと休日を感じられる町に住みたいという気持ちはすごく分かる。それでいて、浅草や浅草橋まで歩けば、また違った休日の楽しみ方ができるわけだし。

 

隅田川が流れているおかげで景色が開けて空が広い。天気の良い日なんか、散歩にはうってつけの町だ。

 

 

蔵前の路地を楽しむ

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隅田川の話をしたので、蔵前の地理的なことに関しても少し触れておこうと思う。

 

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地図を見ると分かるが、住所としての「蔵前」は江戸通りを中心に、春日通り、蔵前橋通り、そして隅田川に挟まれたエリアを指している。ちなみに、地名は江戸時代に御米蔵があったことに由来しているとのことだ。


大きい道路が三〜四本走っているなかで、あえてメインの通りを選ぶなら南北に走る江戸通りだけれど、その江戸通りにしても人の往来は決して多くはなく、お店が特別密集しているわけでもない。

通りに限った話ではなく、蔵前には「町の中心」を表わすような、トラフィックが集中する箇所がない。この町の面白さは、むしろ大通りから路地を一本入ったあたりに散らばっている。

 

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実際に通りを歩いていると、路地へと誘い込むように、道端に看板が置かれている。つられて道を進んでみると、なんだか良い感じのパンやコーヒーの個人店、はたまた見た目にも説得力のある老舗の商店に出くわす、ということがよくある。

 

路地裏は広めの一方通行になっているところも多いので暗い雰囲気はないし、お店の中に入ると、そこにはチェーン店にはない個人店特有の温かみが存在している。お店の人と会話をしても、画一化された話し方ではないことがすぐに分かる。

 

気楽にやっているわけではもちろんないのだろうけど、自由な感触があるというか、この人の言葉で話してくれてるんだろうな、という実感があるのだ。


駅前の、ひっきりなしに人が回転するような立地ではないから、お店の人と自然にしばらく話し込んでしまうこともある。そういう人間同士のやりとりを「路地裏で見つけ出せる楽しさ」がキーになって、蔵前の町歩きは面白くなっているのだろうと僕は思う。

 

 

 

蔵前はブルックリンじゃない

そういえば、「町を流れる川」「つくり手(職人)の住む町」「倉庫物件のリノベーション」などの共通点を理由に、「東京のブルックリン・蔵前」と呼ばれることがある。

 

初めてこう呼ばれたのは確か2013年の雑誌『POPEYE』の特集で、僕たちの宿も取り上げてもらった。

 


その言葉が誰かしらの共感を生んだのか、はたまた妙な語感が可笑しみを誘ったのか、この「東京のブルックリン」という定型句は今でも(テレビでも見掛けるほど!)不思議と残り続けている。


こうした言われ方をしてしまうのは、ある意味仕方のないことだとは思う。けれど、僕はこの言葉を見るたびに、どうにも歯がゆいというか、なんとなく虚しい気持ちになる。

 

実際に町にいる人たちは、誰も東京のブルックリンだなんて思っていないと思うし、言われて喜んでいる人だっていないんじゃないだろうか、とさえ思う。

 

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僕たちの宿も、玩具会社の倉庫だった建物を改装してつくっているため、図らずも「ブルックリン的」を担ってしまっている。

 

天井高のある開放的な空間で、友人の空間デザイナーや全国の大工さんたちと集まって「かっこいい空間をつくりましょう!」 と言って工事を進めた。北海道から持ってきた木を真ん中に立てるなどした結果、大掛かりな、気合の入った場所になっている。印象に残る店だと自分たちでも思う。

 

しかし、当時の自分たちにブルックリンのイメージがあったわけではもちろんない(公表こそしていないが 「北の自然」や「春のアラスカ」がテーマだった)。

 

 

僕は実際にブルックリンに行ったことがないので、ブルックリン的かどうかに関しては正直なんとも言えない。だけど「みんなでいい場所をつくるぞ!」と意気込み、毎晩寝る間も惜しんで頭も体もフル回転で手掛けた場所が他の町の様相に置き換えられてしまうのは、なんとも寂しい。


それに前述したように、僕が思うこの町の良さは伸び伸びとした穏やかさや、そこで働く人たちとの人間的なコミュニケーションだ。町を町で喩える様な扇動的な言い回しに印象をかすめ取られてしまうのは、やっぱりもったいないように感じる。

 

なんの肩書きがなくとも、蔵前はいい町である。気構えずに遊びにきたほうが、 きっとこの町に流れる余裕や余白を楽しめると思う。

 

 

子どもたちの縄張り

さてここで、蔵前の町の様子を表した、良いエピソードをひとつ紹介したい。

 

以前、昼ごはんを食べようと思って、日曜の正午過ぎに職場から商店街「おかず横丁」に向けて自転車を走らせていたときのことだ。

路地に入ったところで小学生と思われる男子と女子4、5人がずらっと道に並び、両手を広げて僕の行く手を阻んできた。もちろん知らない子どもたちである。

 

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突然の事態に自転車を止めてまごまごしていると、そのうち隙をついて小さな男の子が後ろに回り込み、僕の自転車の荷台へと登ってきた。

 

他の子どもたちはその様子を見て「してやったり」と笑顔を浮かべている。

 

まさかとは思っていたが、この子たちに遊ばれているようなのである。山賊が旅人を襲うようなやり方だ。 どうやら、ここは彼らの縄張りであるらしい。


そのうちに荷台に乗ってきた男の子が、やりすぎたと思ったのか、あるいは自分たちがゲームをなるべく楽しく続けるためにチャンスをくれたのか、自転車から離れてくれた。

そこでようやく策を講じれるようになった僕は、なお道を塞ごうとし続ける子どもたちをできる限りのフェイントで交わし、無事に通行を果たした。

 

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たった5分かそこらの競り合いだったが、やってるうちに僕もいつの間にか夢中になってしまい、 彼らの悔しがる声を背中に勝ち誇った様な気持ちになった。

 

さすがにこんな経験はその一回きりだけれど、町の穏やかさはそんなところにも反映されているように感じる。


駅から少し離れると古い家もよく見かけるようになるし、おかず横丁のあたりなんかは、特に人懐っこさがあるのだろう。紛れもなく2010年代の東京での出来事で、そんなことが起こりうる町なのである。

 

 

先輩がいる町

一緒に会社をつくったメンバーを含め、僕たちは今年33歳になる。自分たちで店をやっていて思うのが、蔵前は「先輩がいる町」だなあということだ。

 

蔵前は玩具問屋として栄えた町だが、その他に、革問屋が多くあるから革製品の工房があるとか、金具問屋があるから鞄や小物のお店があるとか、手を動かしてものをつくる職人さんが昔から自然と集まる場所になっている。

 

カフェなどの飲食店だけでなく、こういった「ものづくり」に関わる人たちが土地に縁あって居を構えているというのが、蔵前の大きな特徴だ。そんな人たちが僕たちの先輩として、この町にいてくれている。

 

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先輩というのはなにも年齢に限った話だけではなくて、蔵前の町に住む先輩であり、事業主としての先輩でもある。

 

事業主は、結構孤独だ。

「リーダーは嫌われ役」みたいな台詞は一種のナルシズムみたいなものだと思っている。けれどそれを抜きにしても、悩みを共有できる人や、いま取り組みたいと思っている事柄を忌憚(きたん)なく話せる人が、同じ組織に見当たらないというようなことがよくある。自分たちが構成上、一番上の人間だから、ただただ話を聞いてくれる存在も当然いない。

 

 

そんなとき、蔵前には歩いて数分ぐらいの距離に、話を聞いてくれそうな人が何人もいる。

 

みんなそれぞれ商品をつくっていたり、お店を開いていたり、スタッフを雇って経営をしていたりするから、すべて話さなくても分かってくれる部分もあるし、相談しやすい。

 

これは僕たちだけの話ではないらしく、蔵前のお店の人たちはどうやらみんなそんな風に、相談をし合ったり、助け合ったりしながら仕事をしているようなのである。

 

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同業種や同世代の人で結託するなら分かるけれど、この町の先輩たちはみんな業種や世代の壁を越えて交流しているし、何かあったら親身に話を聞いてくれる。そして、その上でちゃんと「放っておいて」くれる。

 

それぞれ生業がある経営者同士でもあるから、最終的には何か悩み事があっても、それぞれ自分たちで頑張るしかない。みんな親しくしてくれるが、その上で「もちろん人のことだから、いちいち全部構っちゃあいられないけどね」と、いい意味で適度に突き放したところがあるのだ。だからこそ頼りすぎることもない。

 



要はみんな自分の仕事を真ん中に据え、自立しているということなのだと思う。依存していないからこそ、互いに尊重し合えるし、気持ち良く話ができる。

 

そしてその良い空気感を、僕たち後輩……言い換えれば新参者とも、惜しみなく共有してくれている。

 

尊重してもらえる、信頼してもらえるというのは、裏を返すと緊張感のあることだ。誰も強制なんかしていないのに、「この人たちのなかで格好悪いことはできないぞ」と思わされる。背負ってみるとなかなか心地の良いものだ。 

 

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この親しさと緊張感のバランスには、きっと町の規模も関係している。

先ほどは個人店や職人さんたちが「集まっている」という書き方をしたが、実際には個人店や職人さんたちが「覚えきれるぐらいの数で点在している」といった感じである。


この「覚えきれるぐらい」というのが大事で、多すぎない。多すぎないからこそみんな顔見知りになれるし、お互いどんなことをしているのかすぐに知れる。


みんなで集まってお酒を飲む機会も多くあり、誰かが発起人となり、蔵前のお店のオーナーを集めて飲み食いする会が定期的に開かれている。たまにそういう場に顔を出すと、この町で働く人たちの格好良さに素直に感心してしまう。

 

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町と人は影響し合う。

 

「蔵前は伸びやかで穏やか」と書いてきたのは、同時に、この町で働く先輩たちへの印象でもある。この人たちに余裕があるように感じるのは、ゆるく、気楽にやってるからではなく、芯があるからこそのブレなさであり、おおらかさなのだ。

 


蔵前の人たちと話していると、巷で言う「まちづくり」とは一体なんなんだっけ?と逆に考えてしまう。誰一人、「蔵前をどうしていくか」なんて議題を持ち出すこともなく、みんなこの町のことを気に入り、「自分の店でこれからどんなことができたら面白いか」を探している。

 

この地で6年ゲストハウスをやってきて「なにか一緒にやりましょう」と蔵前の人に言われたことがないのは、安易に繋がるよりも、自分のできることを突き詰めたほうが手っ取り早いと知っているからなんじゃないだろうか。

 

誰かが仕掛けなくても、実際に町にいる人たちの思いが強ければ、その思いに刺激され、人が集まり、または巻き込まれるようにして、自然と町の空気はできていく。

 

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住む場所としてではなく、働く場所として僕たちは蔵前を選んだ。そして仕事はこれからも続く。

 

この穏やかでありながらも逞しい、素朴でありながらも活力に満ちたこの町が、今後どう変わっていくのか。自分たちの仕事を第一に考えながら、僕はこれからも見つめていきたい。

 

 

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著者:石崎嵩人

石崎嵩人

株式会社Backpackers' Japan取締役。1985年生まれ。大学卒業後出版業界に勤めるが、大学時代の友人に一緒に起業しないかと誘われ退職。その後2010年に創業。現在蔵前の「Nui.」他、東京と京都で4軒のゲストハウスを経営している。

Twitter:@takahito1101

編集:Huuuu inc.